2021年04月24日

大学のハイブリッド授業

う〜む、報道によれば、文科省は大学授業をリアルとオンラインのハイブリッド型にするよう要請してきたようだけど、あまり賛成しないなあ。実は地元親睦奉仕団体で会長を拝命しており、昨年は毎週ハイブリッド型の例会を一時開催していました。会長は毎回挨拶をするのですが、どうしても話し手として、オンライン参加の方へはあまり意識が向かなくなります。気にはしていても、まだ慣れていないので難しいんですよね。

大学の先生方も大変だと思います。まだ慣れている先生はそれほど多くないんじゃないかなあ。学生だって授業がハイブリッド型であれば、オンラインよりもリアル参加のほうが、何かしらいい事ありそうな気がすると思う。大学まで通える距離に今いるんだったら、大学行ったほうが楽しい。だったらハイブリッド型なんて意味なくなるし、やるなら曖昧なこと言ってないで、どちらかにしたほうが先生も学生もやり易いんじゃないかなあ。もちろん学生だって体調それぞれだからハイブリッド型が良いのも分かるのですが、授業自体の成立や効果にとっては問題でしょう。理系は大学行くでしょうし。

私はどちらの立場でもないので的外れかもしれませんが、こうした事態だからこそ、曖昧な判断は逆効果なのではないかと感じます。人間は元より曖昧な存在なので普段は別に構わないと思うんだけど、早く効果を得たい時や、例外的なことをやる時には明快さが必要です。

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2021年04月12日

仏事の完全オンラインは、まだ難しい

コロナ禍のなか、企業ではリモートワークが奨励されています。職種によっては難しいわけですが、会議はオンラインでも可能な場合があるでしょう。私たち宗門におきましても、たとえば教区の会議はすべてオンラインになっており、とくに問題はありません。

では、仏事はどうでしょう?

会議であっても、当初は慣れていなかったので不都合を感じる場合があったかと思います。仏事も坊さんが、たとえば本堂や斎場で実際に読経し、参列者は喪主も含めて全員オンラインということも想定可能です。慣れれば問題ないという意見も聞かれます。

もちろん会議と仏事が、感性において同じものだと捉えればの話です。

年間、何度も法事や葬儀を行う私からしますと、会議と仏事は違います。客観と主観の違いと言いましょうか、仏事は理性だけでは解決できない側面を多く担います。葬儀であれば、故人との関係が比較的薄い方であればオンライン参加も可能でしょう。大いに結構なことだと思います。

しかし遺族にとって、別れというものはそんなに簡単なことではありません。これは法事であっても同じです。今後の社会は、システムとしてインターネットを中心に動いていくでしょう。仏事も当然、何かしらインターネットを介したものに変容していくと予想されます。

課題としては、死別によって空いてしまった心の穴を、インターネット環境によって埋めていくことが可能なのか、ということが考えられます。私たちの周囲はデジタル化していますが、私たち自身、すなわち人はどこまでいってもアナログです。直接、脳とインターネットが接続されていない以上、これはもうどうしようもないことです。

しかし人は進化する存在ですし、デジタルと共存可能なようになっていくことでしょう。

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2021年04月07日

はこね金太郎ライン

4月28日に南足柄と箱根仙石原を結ぶ道が開通します。名称は「はこね金太郎ライン」と発表されました。金太郎氏は金時山付近で活躍していたとの伝承があり、この道は金時山付近を走ります。わかりやすくて良いです。南足柄と言えば大雄山最乗寺と並んで金太郎氏が有名です。町中、ある程度は金太郎氏。ただ、これぞ金太郎氏という場所はなく、敢えて言えば夕日の滝ぐらい。しかし、滝があるだけです。それはそれで自然で良いのですが(実はとても良い)、おそらく観光的には物足りないかも。ちなみに公時(きんとき)神社という神社もありますが、箱根町です。大雄山は天狗様なので、もうこれはコラボるしかないと私は思います。

天狗様 VS. 金太郎氏

あまりにもベタなのでやめたほうがいいでしょう。対決しても意味なし。ドラゴンボールみたいに合体するとか、というのもありますが、大雄山に叱られること間違いなし。せっかくキンタローマンというキャラがあるので、天狗様にはこの際、女形になっていただくとか。うる星やつらのクラマ姫のようになる。いいねって思うけどけど、間違いなく大雄山に叱られるでしょう。

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2021年04月02日

善福寺サイト≪追加コンテンツのお知らせ≫

善福寺サイト「今昔 お寺からの眺め」に追加コンテンツです。このページは善福寺周辺、神奈川県西部の魅力を伝えるため、officeAKIHIKO(代表:伊藤章彦氏)の協力を得て作成されています。今回追加は大雄山最乗寺、箱根仙石原、小田原北条氏、風魔党についての紹介です。

今昔 お寺からの眺め↓こちらです
http://www.zempukuji.or.jp/konjyaku

なお今月、4月28日には南足柄と箱根仙石原を結ぶ、「はこね金太郎ライン」が開通します。かつては箱根山を中心に交流のあった両地域ですが、車社会の現代においては往来が難しくなっていました。念願の県道が整備されまして、東名高速大井松田I.C.から箱根仙石原へのアクセスも良くなりました。コロナ禍ではございますが、感染防止のうえ、地域の観光が益々盛んになることを願います。

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2021年03月21日

浄土は「あの世」とは言わない

あの世といえば、一般的に死後の世界となります。この世とあの世。あっちの世界ってことです。ただ、浄土は「あの世」とは言いません。「世」とは迷いによって輪廻する世界のことで、浄土は「出世間」だからです。出世間とは、世間・世界から出た状態のことで、すなわち迷いのない覚りに至ったことを意味します。浄土は仏の覚りによって現ぜられた国土となります。

実は私、「あの世」を使用しないのは俗的な言い回しだからだとばかり思っていたのですが、よく考えてみますと、学術的にも「あの世」=「浄土」は間違いだということに最近気づきました。となりますと、浄土を「仏の世界」と言うことも間違いになります。法話の際、思わず言ってしまいそうですが、気をつけたいと思います。

posted by 伊東昌彦 at 15:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge