2020年03月02日

トイレットペーパーと自灯明法灯明

トイレットペーパー、一気になくなりましたね。すごいデマでした。そして、それに多くの人が乗ってしまった。まさに我先に、ウォシュレットの時代ですが紙は大事ということでしょう。しかし急がなくとも、普通に生産はされているとのことで無駄足だったわけです。私はと言いますと、そういうデマが飛んでいるということにすら気づいていませんでした。今回の件は乗り遅れて良かった。

仏教には「自灯明、法灯明」という教えがあります。お釈迦様が亡くなる際、お弟子さんに「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」と諭したそうです。お弟子さんは先生が亡くなってしまうので、この先がとても不安です。しかしお釈迦様は、すべて教えてあるので、その教え(=法)によって自分自身(=自)で思考・判断せよと説かれたのです。言うなれば、変なデマに惑わされずちゃんと考えて行動せよ、ということでしょう。

多くの人が正しい情報にもとづいて、自分自身で思考判断すればトイレットペーパー売り切れはなかったかもしれません。ただし情報が氾濫する今の時代、何が正しい情報なのか、それを見分ける世間的な知恵というものを私たちが持たないとならないようです。本来は一応、正しい情報は政府からの発表ということになるはずですが、何だかあまり期待できないかなあ。

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2020年02月29日

法話会 短縮開催のお知らせ

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月1日(日)14時からの法話会は短縮開催といたします。正信偈のお勤めは省略いたします。法話も30分程度のものとしまして、14時30分には終了といたします。何卒、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦
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2020年02月28日

卒業式の中止もしくは短縮

新型コロナウイルスの影響により、卒業式を中止・短縮する学校が出始めています。感染拡大を防ぐためには、致し方のない判断でしょう。大学のように規模の大きい学校は短縮でも難しいかもしれません。地元小中学校でも検討がされているようです。在校生や来賓の出席を取りやめるという方法がまず思い浮かびます。しかし在校生、とりわけ小学5年生や中学2年生の出席については、送るという意味合いに加えまして、来年は自分たちが送られる立場になることへの自覚醸成という意味合いもあります。教育の観点からは、簡単に出席取りやめという判断は出来ないかもしれません。とても難しいと思います。ちなみに来賓ですが、私の個人的経験によりますと、地元議員さんは私語が多いのでそもそも出席取りやめでいいんじゃないかなあって、そんな気もします。ははは

こうした儀式というものは、宗教的な意義をもって成り立ってきたものが多いでしょう。お葬式や法事はその最たるもので、七五三や成人式などの通過儀礼的なものも、原始的には精霊や先祖霊に対して行う場合もあったかと思います。私は坊さんですので儀式を施行する立場であり、普段から儀式の意味を考えることもしばしばです。たとえばお葬式も簡略化が進んでいますが、仮にお葬式という儀式をしないとなりますと、心のなかにモヤモヤを抱えてしまう方もいるように見受けられます。すべての人がというわけではありませんが、儀式をへていないことを不安に思う方は少なからずいらっしゃるようです。

人の心は大変複雑な構造だと思います。まさにカオスであり、私たちは自分の心であってもうまく整理整頓することが出来ないこともあります。思いや考えが出しっぱなしになったり、あるいは行方不明で出て来ないということになりますと、何らかの心の病を抱えてしまうことにもなります。ある程度、人によってそれぞれ異なりますが、心は表面的にでも整理整頓出来ていないと苦しいわけです。生活の節目というものは、これはリセット機能であり、ゴチャゴチャになった部分を処理することが出来ます。大晦日・お正月を思い起こしてもらえれば、これはよく分かります。色々あった1年ですが、それを除夜の鐘とともにある程度忘れ、新たな気持ちで次の1年を過ごすということです。リセットなのです。

卒業式も儀式であり節目でありますから、やはり何らかのリセット機能を持っています。学校生活では嫌なこともあったことでしょう。それをいつまでも引き摺っていては前へ進めません。忘れていいのです。そして新たなステージに向っていくことこそ、児童・生徒には大切なことだと思います。学校は基本的には6・3・3となっているでしょう。これも途中途中で節目となる卒業があるから、児童・生徒の健康的な成長に役立っているのです。これをまとめてしまっては、うまくないかもしれません。

と言うことで、新型コロナウイルスの影響によって卒業式をまったく中止にしてしまうというのは、大学のような大規模ではないかぎり、何とか回避してもらいたいなあと思うのです。もちろん、感染につながらないよう努力をして、という限りにおいてですが。

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2020年02月27日

楽友会中止のお知らせ

楽友会ご参加の皆様、日頃より大変お世話になっております。さて本日開催の楽友会ですが、イベント開催に関します政府発表もございましたので、急遽中止とさせていただく存じます。当日のお知らせになりましたこと、お詫び申し上げます。来月につきましては状況を鑑みまして、またご連絡申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

善福寺住職 伊東昌彦
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2020年02月21日

お寿司屋さんのカウンター

小田原のお寿司屋さんに行きました。檀家さんに連れて行っていただき、あまりにも美味しくて家族でも行ったのです。いわゆる昔ながらのお寿司屋さんで、大将と言うのでしょうか、カウンター席では気風のよいマスターが面前で握ってくれます。実のところ、わが家の子はこうしたお寿司屋さんのカウンターにまともに座ったことがなく、事実上、初めての体験であったと思います。マグロと納豆巻しか食べない次男(小学生)には少々辛かったかもしれませんが、長男はかなり満喫してくれたようです。残念ながら娘は塾で不参加でしたが、いつか連れて行きたいなと思っています。

しかし小田原と聞きますと、お寿司屋さん多そうなイメージがあるかと思いますが、今は8軒しかないそうです。かつては80軒もあったそうですが、今は8軒。すごい減りようですよね。回転寿司は増えています。私は回転寿司も好きなので別に回転寿司のせいだとは思っていませんが、たしかに値段的には勝負にならないところありますよね。でも、回転寿司と昔ながらのお寿司屋さんってのは、同じ寿司ではありましても、味はさておき、食べるまでの手続きはまるで違います。そう考えますと、単純に回転寿司のほうが安いからと言うよりも、むしろその手続き、つまりマスターとのやり取り自体、さらに言えば人と人とのコミュニケーションの変化に問題があると言えるでしょうか。

物とインターネットが接続されるIoTの時代到来と言われますが、私たち生物がインターネットと直接接続されることは当分不可能でしょう。かならずこの五感のどれかを通じて、インターネット上の物事と接触するしかないわけです。どこまで行ってもアナログですね。アナログの感覚を捨ててしまうと、私たちはいつか、本当にデジタルなインターネットの世界に支配されてしまいそうです。電気機器が全部インターネットとつながっても、電源プラグを抜けばその機器はシャットダウンします。バッテリーがあっても、充電されなければエネルギー切れでシャットダウンです。電源プラグ抜くなんて、なんてアナログなことなんでしょう。でもそういう方法が残っていないと、インターネットの暴走は防げそうにありません。コミュニケーションはアナログの最たるものです。そこを捨てるということは、人をやめることにもなりかねません。

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