2020年01月30日

定員とのことで有難うございます

前回ご紹介したTSUKIJIアカデミーですが、いつの間にか定員になっていたようです。有難うございます。数人の参加で、ほぼ個人講義になるっぽいと予測していたので、嬉しい誤算ではあります。だいたい内容は決めましたので、あとは微調整だけなのですが、当日、二日酔いの可能性があり危険です。実は次男が今受験の最中でして、ちょうど2月2日にほぼ終了予定となります。なので2日夜は舞い上がって父が率先して飲んでしまいそうなのですが、控えめにしたいと思います。

皆様、よろしくお願いいたします。

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2020年01月21日

TSUKIJIアカデミー 浄土真宗を学ぶ

来月、2月3日(月)に築地本願寺で中国浄土教の話をすることになりました。テーマは道綽禅師と善導大師なのですが、私の専門とするところは、両師と同時代の先輩にあたる嘉祥大師吉蔵の浄土教なので、そのあたりの違いをお伝えできればと思っています。しかし講師が私というマイナーな人なので、どなたか来ていただけるのか心配です。ともに勉強いたしましょう。

講座サイト↓
https://tsukijihongwanji.jp/lecture/tsukijiacademy/?fbclid=IwAR2r0rf9FibsxdMZAKNF9wWc6UEEVKOVKzKuX4vcVvDJ7CXe5UjVfnDAC0c
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2020年01月17日

ぬるま湯な私、「知足」を学びたい

今週末からセンター試験ですね。私には直接縁がありません。私は獨協中学高校から獨協大学法学部という絵に描いたようなぬるま湯。言い訳をするならば、昭和48年生まれの私にとって東大はもちろん、早慶だって到底ひっくり返っても手が届かない。単に私がアホだっただけという説もありますが、これでも獨協中学は今よりずっと難しかったし、私の成績は真ん中より上だったような気がします。獨協大学も外国語学部は上智や青山に次ぐ位置であったし、法学部も成蹊や成城と同じようなもんだった。もちろんバブル偏差値。しかしとにかく人数多くて、これでもかと言うほどの競争、競争、競争でした。

大学受験のときの夢は早稲田、現実的には中央でしたが挫折しました。もう面倒くさくて。根性ないのです。昨今、都内大学は定員問題で難化したと聞きますが、それでも巷で「最低でもマーチ」とかいうセリフを見聞きするたびに、決して今は人数少なくて楽だという嫌味ではなく、漠然と「あー、私たちの世代は何だったのか・・・」という思いが湧き出てきます。40代のリストラが多くなっているようです。競争に競争を重ねてきた私たちの世代が今、もうお払い箱なのでしょうか。

人数だけ多く、語学もそれほどできず、ネットネイティブでもない40代。恵まれた世代だと言われてきました。たしかに親世代が築き上げた社会の恩恵を思い切り受けて育ちました。ひと言で言えば、ぬるい世代なのでしょう。日本経済は下り坂です。人口もぐっと減ります。国力は落ちることでしょう。右肩上がりで生まれ育ってきた私たち40代。親世代の真似事では生きていけない時代到来で、果たして生き残っていけるのでしょうか。

実のところ、私は住職とはいえ厳密には兼業住職で、ほかにも在宅中心ながら仕事を持っていました。しかし、不本意ながら今年からなくなりました。とても残念です。寺院経営はよほど大きなお寺でないかぎり、非常に不安定なものです。その不安定さを補うことが私の積年の課題であったわけですが、7年ほど前から職を得ることが出来ていました。また何か別の方法を考えないといけません。私なんてまだマシなほうで、お寺なので住む家はありますし、住職なのでリストラにあうこともありません。会社勤めの友人を見ますと、給料は上がらず仕事だけは異様に増えていくという現状に疲弊し切っています。

企業は人件費削減に生き残りをかけているかのようです。こんなときは「仏教には「少欲知足」という言葉があります」とか、わかったような顔で語り出したくもなるのですが、そんな簡単なことではないでしょう。生活にお金のかかる現代ですが、削るにしても限界はあります。家族がいればなおさらです。我慢にだって限界はあります。「少欲」と言われても困るでしょう。

ただ、この言葉で肝腎なところは「知足」であり、それは「我慢しろ」ではないようです。実際には足りているにもかかわらず、何かと余計なことしているのが私たちなのではないでしょうか。ゴミ箱を見るとよくわかります。今年は「知足」ということを学んでいく1年にしたいと思います。

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2020年01月10日

新年、良い出会いを念じます

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、長男の通う学校の先生が紹介されていました。数学の先生で私より少し年上の方です。独特な教え方をされているようで、多くの生徒たちは数学を楽しんでいるかのように見えました。中学高校の数学は解答を出すものですが、先生は解答までのプロセスをより重視されているようで、授業中に解答は出さないそうなのです。私からしますと数学は解答まで懊悩するものであったので、これは驚きです。長男もあまり数学は得意ではありませんが、もしかしたらその楽しさを感じることができたのかもしれません。

この学校はちょっと変わった学校で、キリスト教の倫理教育のもと、規律と自由がうまい具合に両立されています。遅刻とトイレ掃除には厳格なようですが、あとはまるで何も規則がないかのようです。生徒も一般的よりもやや変わった子が多いように見受けられ、わが家の変わっている長男も馴染んでいます。一般的な学校だと窮屈になってしまう子であっても、それなりに自己発現ができそうな雰囲気にあるようです。番組で紹介された先生の教授法も、こうした型にはまらないような子たちには向いているのでしょう。これは偏差値云々に関係するというよりは、自由な発想を重んじることに関係していると思われます。

長男は小学校時代、友達と遊びに行ったのは6年間で1度だけです。決して学校がつまらないというわけではなかったそうなのですが、頻繁に遊ぶようにはなりませんでした。私とはタイプが違うので心配でしたが、今は気の合う友人に恵まれたようです。人生において出会いこそ大切です。面白い数学の先生に出会うことができて、長男も少しは数学の苦手意識を払拭できたかもしれません。あまり遊びに出ることはなかったのですが、先日はなぜか大磯でカラオケを友人たちとしてきたそうです。親としては嬉しく、この出会いのご縁に感謝するばかりです。皆様にとりましても、良い出会いのある1年でありますよう、心からお念じいたします。

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2020年01月01日

令和二年となりまして

皆様、本年もよろしくお願いいたします。令和元年から、あっという間に令和二年となりました。今年は東京オリンピックも開催されますね。昨年の天皇陛下ご即位から、「日本」ということを意識する機会が多く続きそうです。私たちは「日本人」なんだなあと、そんなのあたり前かもしれませんが、そんなあたり前なことを改めて考えてみたくなる講義を年末、研究所の業務として受けてきました。国際日本文化研究センターの磯前順一先生です。講義のなかで先生は、神武天皇の足跡に関連した「日本のはじまり」という観光イベントのチラシを見て、そもそも「日本」って何なのか、という素朴な疑問を重視されていました。ご自身は茨城県のご出身とのことで、昔であれば「蝦夷」の人であったと言われます。「蝦夷」・・・、日本史で出てきましたね。あと九州の「熊襲」とか、大和政権に打倒されるわけですが、そういうのも含めて私たちは何となく「日本」をイメージしています。

大和政権は天皇家ということなのですが、もちろん現代日本でも継続中です。政治体制に何度か変化はありましたが、やはり同じく天皇家なのです。ということは、私たちが学んでいる「日本史」っていうのは、天皇家から見た「日本史」になりますね。打倒された蝦夷から見た「日本史」であるわけもなく、歴史の見方としてはどうしても天皇家よりになっています。学問は客観性が必須ではありますが、「日本史」という教科書的なまとまりになりますと、誌面の関係もあり、いろいろな作用もあり、どうしても限定的に表現せざるを得ず偏り感が出てしまいます。書き手の主観がモロに出るわけですが、学者であっても100%客観視できるわけもなく、やっぱりいわゆる「日本史」になってしまうんでしょう。でもおかしな話ですよね、蝦夷や熊襲って、「日本」を自称したことなんてないと思うのですが、あるんでしょうか?よく分かりませんが、つまりは降伏して大和政権に服従したのでしょう。それで日本化(大和化)したから蝦夷も熊襲も今では「日本」の範囲に入っている。何だか奇妙なんですが、もともと「日本」っていう国土の範囲が存在し、その中の異分子が蝦夷であり熊襲であるかのような表現になっていません?それって非常に学問的じゃないと思うのですが、いいんでしょうか?

とまあ、磯前先生のご講義に影響を即座に受けまして、私もこうした疑問を持つことができました。天皇家が続いていることは結構なことで、象徴天皇であるということは、私も現代日本に相応しいと思っています。ただ、天皇という存在が日本国民の象徴であるのであれば、ちゃんと「日本」のことを客観的に知りたいなあと思うのです。政治的プロパガンダで創作されたストーリーではなく、学問的に知り得ることができたら素晴らしいことだと思います。でもまあ、色々と問題あって難しいんだろうなあ。少なくとも自分自身の意識においては、「日本」という国が昔っから漫然と存在してきたかのような錯覚に陥ることだけは避けるようにしたいと思います。日本人であるならば、自国である「日本」のことをちゃんと知りたいというのは自然な感覚ですし、海外に行く場合にも、外国人との触れ合いには必要な知識ではなかろうか。

posted by 伊東昌彦 at 08:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge