2023年04月14日

山梨は隣なのですが幾重もの峠越え

長男が4月から山梨県で生活を始めました。はじめて子を独り暮らしさせますので、女房はとても寂しがっています。しかし、すぐ慣れるとは思います。

家族など縁近い人とは命のつながりが大きいと思います。たがいに増上縁となって影響し合っているからです。とくに母親は大きそう。天親菩薩の『倶舎論』によれば、子は母親を選んで生まれ出るそうです。

ともあれ、長男に幸あれと思うばかりです。合掌

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2023年03月25日

ウルトラマンの帰還

帰ってきたウルトラマンが帰って行かれました。有難うウルトラマン!

演ぜられた団時朗さんが亡くなられました。

光の国に帰ったのだと多くのおじさんおばさんが直感したことでしょう。ウルトラマンは人を導く存在でした。人の内省をうながし、善悪についての問いを投げかけてくれることもあった。

まさに仏様、如来です。経典においても、浄土は光に満ち溢れていると説かれます。光の国です。

ウルトラマンの帰還です。合掌

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2023年03月18日

良い学校たくさんあります

受験の季節も終わりを迎えていますが、「第一志望」にはあまりこだわるべきではないと個人的には思います。大学受験は浪人も普通にあり得ますが、浪人が考えられないのであればどこかに進学しないといけません。たとえば中学受験において、実際に受験するのは小学生です。小学生に対して、多く親の希望とも言える「第一志望」を背負わせるのは、まだ精神的に未成熟な段階では酷すぎます。

〇〇中学絶対合格! こんなの小学生に背負わせても意味ありません。

別に第二でも第三でも第四でも第五でもいいんですよ。そもそも本意ではない学校を受験させる親がおかしいわけで、受験させるのであれば、子の成績を参照しながら良いと思える学校を数校見つけ出し、1校でも合格もらえるよう計画するのが親の役目です。緊張する子は普通に力を発揮できません。よく考えればそれが普通じゃないですか。私自身で言えば、もう40年近く前ですが3校受けて、難易度が高い2校は不合格でした。しかし、1校合格したことに対して、親は普通に祝福してくれました。

わが家の子たちの場合においても、受験校のなかで最高難度の学校には全員不合格でした。無理に受験したわけではなく、偏差値においても50%以上は合格する可能性があった学校ばかりです。なかには80%以上の合格可能性の子もいましたが、普通に不合格でした。そういうものです。行ける学校は1校ですから、1校から合格いただければ大成功なのです。

子は親自身の不甲斐なさを穴埋めする代役ではありません。

よくある錯覚で、付属校ではなく進学校の場合、いわゆる難関中高は難関大学への進学実績も素晴らしいものですが、そうした学校にわが子が進学したからと言って、難関大学へわが子が進学できるわけではありません。何のために受験させるのか、よくよく考えるべきです。親の人生のリベンジでないのは言うまでもなく、難関大学へ進学させるためと言うのであっても、実際には大学受験のための塾の役割が大きいのは明らかです。なお、難関大学を卒業したからと言って、人生が楽になるわけでもありません。

中学受験で思うような結果とならなかった子が起こした悲しいニュースに触れるたび、私自身も含めた大人たちの身勝手さに、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

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2023年03月10日

性別についての議論は重要

性別について、今までの概念だけでは不都合が生じる事態が露呈してきています。こうした事態は昔から存在していたのでしょうが、ようやく議論されるようになったということなのでしょう。

仮にこうした事態に対応するのであれば、そもそも性別というものを演繹的に、つまり男女という一般概念に個別の事態を当てはめること自体問題があるわけで、そうではなく帰納的に、個別の事態から新たな一般概念を導き出さないといけないかと思えます。対応するならば。

そうなると性別は男女2つというわけにはいかず、さらに増えていくことでしょう。生物の機能としての男女のほか、そこに思考する人としての性別も加味されることになるからです。どこまで対応すべきなのかは、私には分かりません。トイレはその数だけ必要かもしれません。悪用する輩が出る可能性もあるからです。

ところで仏教ではどうかと言いますと、人の世界は男女が出てきますが、人の世界、すなわちこの宇宙とは次元を異にする仏国土たる極楽浄土ですと、もはや性別自体がないようです。皆すべて異なることがないとされています。極楽浄土は人の理想を示したとも言えるので、仏教においては性別も最終的には捨て去るものとして捉えられていることになります。余計な悩みが増えるもとだからでしょう。

とは言いましても、現実的には人は人の世界を今生きているので、仏教のこうした脱性別論がいきなり意味を持つわけではありません。あくまでも理想的には、という話になってしまいます。ちなみに浄土では身体の色も全員金色とされており、そこに一切の区別はありません。

仏教が説き示すところは、性や人種の違いというものは、結局悩みを増大させるもとになっており、そんなものないほうが良い、ということなのですが、これは言い換えれば人という存在は自分こそが正義であり、自分と異なる存在は認め難い性格を有している、ということになります。

人はどこまでも自己中心的、自己保全的であり、異なる存在との共生が不得意です。だからこそ悩みが増大し、そこに争いが生じてくる原因を作っているのです。仏教は教説において、理想論を掲げることによって、そうなれない現実の人の愚かさをあらわにする手法をとることが多くあります。あえて厳しい戒を示すのも同じことです。守れないほど厳しいからこそ、守れない人の愚かさが露呈します。嘘をつくなとか。

異なりを認めていくことは難儀なことですが、議論を重ねていくことが解決の糸口になることは間違いありません。ポール・ヴァーホーヴェン監督のSF映画『スターシップ・トゥルーパーズ』では、近未来には更衣室に性別の区別がない表現がありましたが、現実的には今のところ難しいと思います。一方的ではない、建設的な議論が進むことを願ってやみません。

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2023年03月09日

今年は花粉すごい

花粉すごいですね。フェイスブックに写真を掲載しましたが、ほんと大量です。なにか有効活用できればとか思いますが、何かあるんでしょうか。南足柄は花粉の有力産地になれることでしょう。

花粉を集めました→ https://www.facebook.com/zempukuji

なお私はいわゆる花粉症の症状(鼻水や目がかゆくなる)はほぼないのですが、顔面や首がかゆくなります。それから喉も痛くなる傾向にあり、本堂境内清掃のあとは洗顔とうがいが欠かせません。


善福寺永代供養墓
https://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2023年02月11日

お経をあげたら話をしよう

どの世界もそうだと思いますが、坊さんの世界も色々な人がいます。ここで坊さんの批評をするつもりはありませんが、「お経だけ」の坊さんにはその存在意義に疑問符がつきます。

お経はお釈迦様のお説法をお弟子さんが後日まとめたものなので、言葉自体に意味のある呪文とは性質が異なります。もちろん真言や陀羅尼など、呪文のように言葉自体に意味のあるものが経文のなかに含まれることもありますが、お経=経典=スートラと、真言=マントラや陀羅尼=ダーラニーは、根本的に異なります。お経をあげるとき、一緒に真言や陀羅尼をお唱えすることもあるとは思いますが、お経をあげるのであれば、その内容を伝えないと聴いている方はさっぱりです。真言や陀羅尼は発声することに意味があるので、もちろんそれだけで十分なのですが、お経はその内容や関連することの話をしないと、まったく意味がありません。

昔話には悪霊退散のためにお経をあげる場面が頻出しますが、これも悪霊がお経の意味を理解しないと効果はありません。なので、坊さんは悪霊に対してお経を読み聞かせると同時に、これはこういう意味なのだと説教しないといかんはずです。お経を読むときは、漢文のお経を訓読もしないで直読することが多いと思いますが、これを聞いて即理解するためには、その悪霊もかなりの教養の持ち主でないと難しいからです。まあ、たしかに貴族が悪霊になったりもしますので、そういう場合もあったかもしれません。すごい。

なお悪霊退散の原理というものは、悪霊にお釈迦様のお説法であるお経を聞かせ、仏教に入門していないのであれば入門して信心を得てもらい、入門していても信心が薄いようなら深めてもらい、ちゃんと信心を得て成仏してもらうという仕組みなので、意味も分からないお経を読むだけでは退散してくれません。

いずれにしましても、お経をあげたらちゃんと何かしら話をしないと、やはり坊さんの存在意義は薄いのではないかと思えます。高僧が読むお経も、普通のおばちゃんが読むお経も、実は同じです。高僧が読むから効果があるのではなく、お釈迦様のお説法だから効果があるのです。高僧はお経をちゃんと理解して体得し、それをしっかり伝えられる人のことを言います。

これは年回法要であっても同じです。お経をあげたら話をちゃんとしないと伝わりません。

ちなみにお経をあげるだけというのは、坊さんにとって、少なくとも私にとっては楽です。お経に節をつける声明(しょうみょう)を専門的に行う坊さんは別ですが、そうでなければ、お経をあげるという行為に特別な技術はそれほど必要ありません。まったく技術がないわけではありませんが、声明が専門でない以上、しっかり話をしないと楽すぎてサボっているかのようです。これは個人的感想ではありますが、少なくとも門徒さんが目の前にいるのであれば、話をしないと坊さんとしての意義が薄らぐかなと思います。

合掌


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2023年02月04日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

善福寺永代供養墓
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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