2022年09月17日

最近はまっていること

最近中古レコードをメルカリで購入しています。DJ用ではなく、自己満足用です。CD持っているのですが、どうしてもレコードで欲しい。大きなジャケットで欲しい。そういう自己満足なのです。しかし結構プレミアムついていて、定価の2倍〜3倍することが多いです。だいたい90年代以降のものです。高いから悩むんです。

高いもの買うときって、それなりに悩みます。悩んでいるうちに商品なくなることもあるんですが、本当に必要なのか一所懸命考えるわけです。そうしますと、意外と本当に欲しかったレコードが見えてきます。好きな曲だと思っていても、わざわざレコードではいらんなあとか、悩んだ結果判明することもあります。

今日はパーソンズのレコードをゲットしました。中学生のころ、はじめてバンドでコピーした曲(ラッキースター)が収録されているファーストアルバムです。まあ思い出の曲なんですな。しかし数枚買いまして、もうキリがないのでやめようと思います。スマホで買いますので、お財布よりも気軽になってしまい危険です。

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2022年09月05日

【LIVE】善福寺の大銀杏

善福寺の大銀杏をライブ配信しています。落葉から黄葉、そして芽吹きの様子が1年を通じて感じられるかと思います。毎日見ているとあまり変化ありませんが、たまに見ていただけますと変化を見て取れるかと思います。

【LIVE】善福寺の大銀杏(神奈川県南足柄市)A large ginkgo tree at Zempukuji Temple in Minamiashigara , Kanagawa , Japan
https://www.youtube.com/watch?v=2YYGp8aV5rQ

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2022年09月03日

宗教家は謙虚でありたいものです

宗教の定義というのは宗教学者によって様々かもしれませんが、簡単に言えば生死についての信仰だと思います。生まれる前とか、死んだ後とか、人知を超えたところまで及ぶ情感です。信仰は理性的には思い込みの類かもしれません。情感ですから。しかし重要なことは、信仰は強要されるものではないということです。言い換えれば、誰でも手前勝手に信仰すべきでありで、脅された挙句、信じ込まされるようなことがあれば、それはもう信仰ではありません。

伝統的な日本仏教でありましても、時代によっては地獄のあり様を過度に説いて恐怖感を煽ったり、女性は罪深いからとか根拠のない妄言を宣布した一味もあり、宗教として大きく逸脱したこともありました。はっきり言いまして、地獄の詳細な様子なんて人に分かるはずもありませんし、性によって罪が増すとか意味不明です。これは単なる脅しです。脅して信じ込ませるというのは、現代的には強迫罪ですとか詐欺罪に当たります。宗教ではありません。

宗教家は謙虚でありたいものです。人に強いることがあれば、もう宗教家ではなくなります。人には抑止力が必要なときもあるので、地獄という存在はこの世で罪を犯さないために意味があります。でもよく考えてみれば、地獄に落ちるか落ちないかの判定は宗教家がするものではありません。それは人それぞれの行為によっています。宗教家がそんなこと分かるはずもありません。全部チェックしているわけじゃないんですから。宗教家がいい加減なこと言っちゃいけません。地獄の閻魔様は怖いから、嘘つくんじゃないぞ、っていう方向性が正しいのです。抑止ですから。

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2022年08月31日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

善福寺永代供養墓
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2022年08月20日

50歳という響き

先月49歳になりました。父親が50歳と聞いた中学生の私は、もうおじいちゃんじゃんって感じたものです。そんな私も来年50歳。定年が55歳から60歳になりまして、波平さんの年齢もたしか53歳?ぐらいだったと思います。そんな時代と今では50歳の持つ意味合いも異なりますが、半世紀と思うと感慨深いような気もします。

ある程度は自分自身において精進してきましたが、さて、これから何しようかなと。やや疲れ気味ではありますが、もうちょっとやれることありそうで、なさそうで、やっぱりあるかなという曖昧さ。

定年という概念自体が意味をなさない時代になりそうで、亀仙人のじいちゃんのように暮らせる日は来ないかもしれません。まあ、亀仙人のじいちゃんも、最近ではステージに駆り出されているようで、悠々自適とは言えないかもしれません。時代なんだろうなあ。

posted by 伊東昌彦 at 09:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii