2019年09月13日

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本コーナーは今、以下のところで継続しています。かなり勝手な解釈ですが、ご一読いただければ幸いです。
https://nokosukioku.com/note/?page_id=33
posted by 伊東昌彦 at 14:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 六賢楼 -rock'n'roll

2019年09月03日

宗教と本能、その相反する側面から

宗教というのは、たいていは他者、そして人以外の命との関わりを説くと思います。一般的に言えば慈愛の心によって、可能なかぎり共存していこうという方向が見られることでしょう。しかし一方、人の本能的な側面を観察してみますと、生きることへの強い渇望が見られます。人という「種」を保存し、そしてなお「人」のなかにあっても、さらに自らに連なる子孫を残し、自己保全の存在性というものが明らかです。敢えて言えば、自己は他者よりも優先し、他者を押しのけても生き残ることが本能だと言えそうです。

不思議ですよね。こう考えますと、宗教というのは本能に背いている。本能というものが、大袈裟に言えば宇宙誕生からの原則であるとすれば、なんでその宇宙のなかにある人は、こうした宗教、つまり宗教心を持つように進化したのでしょうか。だからこそ人は偉大なんだなどと言うつもりは毛頭ありませんが、なんだかエラーしているかのようにも思えます。なぜならば、場合によっては宗教心というものが、人の覇権を制御するブレーキにもなるからです。なんでブレーキを持つことになったのでしょう。

私なりに考えてみますと、宗教心というものはリミッターのようなもので、ある程度進化した生命というものを、それ以上独善的に繁栄させないための装置なのではないかと思うのです。宇宙は可能性の宝庫でしょうし、1つの方向性だけで成り立っているわけではありません。多様性がなければ宇宙たりえず、独善的な存在というものは本来的には不要です。だからこそ、宗教心が発生するようになっている。多様性に気づかせるため、そういう精神作用が働くようになる、というのはどうでしょう。

posted by 伊東昌彦 at 09:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2019年09月01日

遺族の心情に寄り添うよう

先日母が亡くなりまして、ひとまず近親者で密葬を済ませました。後日、本葬をする予定にあります。施主になりましたのは祖母以来2度目のことですが、母となりますと当然のことながら思うところは大きかった。両親のことでは長年非常に頭を悩ませてきましたので、親不孝な解放感と同時にそれに伴う罪悪感もあり、少々疲れました。私は皆さんの葬儀をする立場にありますが、改めて皆さんそれぞれがそれぞれ、異なる思いのなか葬儀に臨まれているということに思い至りました。悲しみでいっぱいの方、感謝の心でいっぱいという方もいらっしゃれば、私のように感謝してるのかしていないのか、何だか自分でもよく分からないという方もいらっしゃることでしょう。浄土真宗では通夜のあと必ず法話をしますが、可能なかぎり遺族の心情に寄り添うよう心掛けたいと思います。これも母からの学びの1つなのでしょう。やはり母とは有難い存在です。

posted by 伊東昌彦 at 07:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2019年08月19日

今週は巨人戦でドームに行きます

今年も無事お盆を終えることができました。この脱力感がたまりません。まるで中高時代の中間期末試験後のようです。「あれやろこれやろ」と思っていても、いざその時になると「何しようかなあ〜」となるのです。中高時代はそれで結局ゲーム、ドラクエ。昨日は久しぶりに甲子園をテレビ観戦しました。すごい良かったです。おじさんになったからなのか、子と同じ年代の選手が奮闘している姿に喜びを覚えました。あのピッチャー、うちの娘と同学年だよ・・・、とか。同学年には見えないほど心身ともに鍛えられている姿、カッコよかった。わが娘も昨日は模試でしたが、帰りは何やらセーラームーンのグッズを買いにどこかでフラフラしていたようです。セーラームーンですよ、セーラームーン、お仕置きするという。娘、高2なんですよ。プリキュア世代なんだけど、最近また流行っているのか不明です。精神年齢どうなってんのかなあ。

今週は巨人戦のチケットをいただいたのでドームに行きます。今年はロータリーの先輩に2試合もいただいてしまいすごい嬉しい。巨人好きも松井選手がヤンキース行ってから徐々に薄まってきてしまっていたのですが、ここにきてまた復活しそうです。やっぱおっさんはプロ野球観戦しながらビールがよく似合うと思うのです。ところで、チケットをいただいた先輩はご自身でご創業されたIT関連会社の社長さんなのですが、とてもダンディであり茶目っ気もあり人望もあり貫禄あり、しかも話がとてもうまく、尊敬する先輩です。坊さんやってますと、どうしても他業種の方との交流が減りがちなのですが、知り合うことができて良かったと思います。有難うございます。私が思うに、寺の住職、お医者さん、学校の先生、この3つの職業に共通して言えることは閉鎖性、あえて言えば独善性かもしれません。もちろん一般化はできないことなのですが、主観として住職は自分でやっているので常にそう感じますし、お医者さんは兄を見ていると、医者として独善的であるべき側面はあるんでしょうが、まあ医者以外の人の意見はあんま聞かないって印象です。兄だけかもしれませんけどww。それから学校の先生ですが、こちらは以前、私がPTAの会長やっていたときの校長先生がよく仰っていたことで、そうなりがちだから、積極的に異業種の方の講演を聴くように現場の先生にはご指導されているとのことでした。教育委員会の会議におきましても、先生方は問題解決に本当に真摯に向き合っておられるのですが、狭い人的交流のなかで堂々巡りをしているような印象を受けることもあります。おそらく学校での問題は先生方が何とかしないといけないという自負心のあらわれでもあるのでしょうが、少々窮屈に感じることもあります。いずれも業界的に閉じがちであるということもありますが、IT時代になり問題もかつてとは違う方向や新しい要因を持って出てくるなか、旧態依然になりがちな代表選手がこの3業界であるかもしれません。坊さんはちょっと違和感ありますが、皆さん「先生」と呼ばれてしまう職業ですし、同じ「先生」でも士業の方は異業種と関わる仕事も多そうで、この3業種は異業種と積極的に交流しなくとも本質的には成立可能なところが問題なのかもしれません。

posted by 伊東昌彦 at 09:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2019年07月26日

今昔 お寺からの眺め

善福寺サイトに新しいページが誕生しました。その名も「今昔 お寺からの眺め」。善福寺近辺から神奈川県西部まで、歴史深い風景をご紹介できればと思います。まずは今月の7月29日(しちふく)にツアーのある南足柄七福寺。他にも順次内容を充実させていきますので、ご覧ください!

http://www.zempukuji.or.jp/konjyaku

善福寺住職 伊東昌彦
posted by 伊東昌彦 at 08:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii