2021年12月29日

銀杏もようやく落葉

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まだ少し残っていますが、ようやく落葉しました。ここ数日の寒波の影響もあったと思います。しかし年々遅くなっているような気もします。やはり温暖化なのでしょう。

posted by 伊東昌彦 at 09:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2021年12月12日

銀杏が黄葉しました

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境内銀杏が黄葉しました。十数年ほど前に枝を剪定しましたら、その後、黄葉しなくなってしまいました。ようやくここまで回復です。それにしても時期が遅くなりました。温暖化なのでしょう。今日も比較的暖かいですね。

posted by 伊東昌彦 at 14:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2021年12月01日

親鸞聖人御消息第十八

「詮なきこと、論じごとをのみ申しあはれて候ふぞかし、よくよくつつしむべきことなり。」

今回のご讃題には、「意味のない議論ばかりをしておられるようですが、それはくれぐれも気をつけなければならないことです。」とございます。屁理屈好きの私としましては、まことに身にしみる親鸞聖人のお示しです。近ごろは「論破する」という言葉も普通に見られるようになり、相手を言い負かすことに重きが置かれるような風潮さえ感じます。議論することは価値あることですが、議論のための議論になってしまっては意味がありません。たとえば野球ということにおいて、ピッチャーが大事なのか、はたまたバッターが大事なのか、それを議論しているようなものです。

あたり前ですが野球はゲームであり、ピッチャーとバッターのどちらか一方だけでは成り立ちません。この議論には何の意味もなく、相手を言い負かすことが議論の目的となってしまいます。屁理屈好きの私からしますと、ピッチャーが投げなければゲームが始まらないのだから、当然ピッチャーが大事だと言い出しそうです。ルールブックにもそう書いてあるとも言いそうですが、それはゲームの流れでしかありません。どちらが大事かということへの結論になっていないので、単なる屁理屈だと言えるわけです。そして、野球が本当に好きなのであれば、そもそもこんな馬鹿げた論争はしないものです。大事なことはゲームが成り立つことであり、ポジションの優劣論争は問題外です。

さて、本御消息はお念仏の一念と多念とにおける議論について、親鸞聖人のお考えがはっきりと示されたものです。往生浄土のためには、お念仏は一回で良いというのが一念、そうではなくより多く回数を必要とするのが多念です。お念仏申すとき、誰しも何回申せば良いのか考えたことがあるでしょう。一回じゃ少ないような気もするし、かと言って多ければ良いとは聞いていない。世間での評価や習慣からしますと、回数が成果に関係しそうな気はしてくるのですが、どうもはっきりしません。しかし実のところ、私たちの往生浄土は阿弥陀如来の本願力によって成就されているので、回数が問題というわけではないのです。

自分の修行の成果として往生浄土が得られるのであれば、多いほうが良さそうです。しかし、往生浄土は阿弥陀如来のご本願によっているので、私自身の成果は何も反映されていません。つまり、一念・多念の論争が起きてしまうこと自体、野球のピッチャー・バッター論争と同じように本質から大きくそれてしまっているのです。まさに「詮なきこと」、深く詮索しても意味のないことなのです。往生浄土を自分の成果とする誤った考えがあるから、成果につながる回数を問題にし、無意味な争いに終始してしまうのでしょう。繰り返しになりますが、往生浄土は阿弥陀如来のご本願によっているということ、しっかりと心しておきたいものです。

(本文は『やさしい法話』9月号へ寄稿したものです)

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2021年11月10日

地球を救え?

温暖化防止は人類規模での課題ですが、「地球を救え」という掛け声には違和感を覚えます。私はもちろん門外漢ですが、多少温暖化しても地球自体が壊れることはないでしょう。おそらく何ともない。地球の歴史を振り返れば分かります。この掛け声は「天体」としての意味ではなく、「生命にとっての地球環境」を指しているのでしょう。

私も温暖化は進まないほうが良いと思っていますが、この課題は地球ではなく、人類の課題なんだという点には注意を払っていきたいと考えます。あくまでも人類中心の視点です。他の生命にとっても重要ですが、人類が存続できれば他の生命も現状存続できます。

人類の行動で他の生命の存続を脅かしていることは問題ですが、もし仮にこうした行動も地球規模での淘汰であるとするならば、私たち人類には防ぎようのないことかもしれません。人類は進化して欲望を増大させています。欲望が温暖化を招いており、これは言い換えれば進化による温暖化促進です。

人類に知恵があるならば、自分たちの進化の方向性を変えなければ淘汰されることでしょう。そのためにはまず「少欲知足」です。仏教で「欲少なくして足るを知る」という意味で、多少不便でもいいじゃないかという心掛けから始まります。

人類を救うヒントは人類自身が見出しています。宗教・哲学・歴史から学ぶことはまだまだ多くあり、むしろこれから必要です。先人が遺した叡智を大人たちが学び直し、それを次世代へ伝えていくべきかと思います。

posted by 伊東昌彦 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2021年11月02日

国語は総合的かつ基礎的な科目

また電車で通り魔事件が起きました。電車は密閉された公共ですのでよく考えれば危険は多い。幼少からあまり気にせず乗車していましたが、それは公共の安全が一定程度の水準で保持されていたからですね。日本人はこの公共という意味合いについて、再確認したほうが良いかもしれません。

ところで犯人ですが、こうした輩は小学校のころどんな勉強をしてきたのかなあ。不遇であったのか事情は分かりませんが、国語の教科書を読んで勉強したことはあるでしょう。その中には物語もたくさんあったはずです。小学校の国語は総合的な科目です。物語の登場人物を通して道徳を学ぶことも出来ます。

名作と言われる物語には、多く人間同士のトラブルが描かれています。教科書には名作が多く掲載されています。小学校は人間教育の基礎だと私は思います。中学も高校も人間教育の場でしょう。教科勉強だけではありません。学校の先生には、人間教育をしているんだという矜持をさらに持ってもらいたいなあ。

posted by 伊東昌彦 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii