2021年02月15日

志る角

緊急事態宣言下ではありますが、東京・六本木の「志る角」という料理屋さんに行ってきました。二代目店主は中高時代の友人なのです。お父上から立派に継承しまして、六本木という激戦区ではありますが精進しています。コロナ禍のなかピンチかと勝手に思いまして、押しかけてきました。消毒・検温などの対策は万全であり、カウンターは通常の半数でパネル仕切りを入れています。私は5時30分頃行きまして、閉店の8時にはお店をあとにしました。お持ち帰りでも頑張っているようでしたが、店内は平常時に比べてやはり空いている状態でした。夜が勝負のお店ですので、20時閉店では厳しいことでしょう。それでも雇用を維持しつつ何とかしのいでいるようで、友人として非常に誇らしいことでした。ちなみに味は最高ですよ!スタッフも気持ちのいい方ばかりです。

おじさんになったからかもしれませんが、中高時代の友人っていいものだなあって最近つくづく思います。

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2021年02月05日

男女交際と生徒の本分

男女交際を理由に退学処分になり、それに関する提訴があったとの報道がありました。故郷に近い学校なので馴染みがあります。高校野球と芸能人の印象が強い学校ですが、男女交際に厳しかったとは知りませんでした。互いに好きになると問題なんですかね。それで学業が疎かになれば問題ですが、退学処分になるほどの理由があるのかなあ。校則違反だから退学というのは正論のようにも聞こえますが、そもそも校則自体に問題があればどうなのでしょう。互いに好きになり、気持ちを確認すればいわゆる「交際」となるのかと思います。別に公に認定機関があるわけではなく、言うなれば気持ちの問題です。すごい曖昧なのですが、どうやって論理的に証明するのか私には分かりません。二人が認めたから退学処分なのでしょうが、どこから「交際」と認定するのかは非常に難しように思います。手をつないだら「交際」?そんなアホな。ちゃんと勉強していれば問題ないと私は思いますねえ。

親鸞聖人が好きな子できて、坊さんなので悩んだそうです。坊さんは本来、結婚しちゃダメなんですよ。仕方ないからお師匠様の法然聖人に相談したそうです。たしかに坊さんで好きな子できるのは一大事ですよね。坊さんやめるしかないかも、ってほど悩んだのでしょう。そしたら法然聖人は、結婚して仏教できないようなら結婚はやめとけと。仏教、つまり法然門下ではお念仏できなくなるようなら、結婚なんてするもんじゃない。お念仏ができるのであれば、別に構わんだろうと。たしかに好きな子できるのも一大事かもしれんが、本当の一大事はお念仏ができなくなるってことだよ、という主旨だと思います。それで親鸞聖人は結婚されました。奥様は恵信尼様です。お二人でお念仏。

高校の校則には、報道によりますと「特定の男女間の交際は、生徒の本分と照らし合わせ、禁止する」とあるそうです。「生徒の本分」、つまり学業であり勉強ですよね。「生徒」とありますので当然です。生徒は勉強するのが責務ですから。こういう校則を作成するのであれば、では何故、「特定の男女間の交際」というものが、「生徒の本分」である学業をなおざりにさせることになるのか、やはりちゃんと論理的な説明文があってほしいものです。生徒の本分と照らし合わせた結果、それが侵食されることになると断定しているわけですから、その理由を明確にしてほしいなあ。男女交際によって、救済不可能なほど成績が下がったというのなら理解できますが、むしろ上がる場合もあるんじゃないの?

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2021年01月23日

親鸞聖人御消息第九通

「五逆の罪を好みて人を損じまどはさるること、かなしきことなり」

本御消息は「慈信房義絶状」とも言われ、親鸞聖人が異説を唱える慈信房善鸞を義絶されたものです。善鸞は親鸞聖人の御子息です。親鸞聖人は、善鸞が浄土のみ教えの要となる第十八願を蔑ろにした布教を行っていたことから、義絶という苦渋の決断に至られました。破門ということだけではなく、親子の縁をも切ったことになりましょう。親鸞聖人にとりまして、阿弥陀如来のご本願を誤って人々に伝えることは、わが子であっても許されないことであったのです。なぜかと言えば、善鸞の行いは五逆そのものであったからです。

仏教には五逆という五つの重たい罪のあることが説かれ、これを犯した者は地獄の深みに落ちていくとされます。また、第十八願には「五逆と誹謗正法とをば除く」とありまして、ご本願からも五逆が漏れてしまうことが説かれています。この五逆について、中村元先生の『仏教語大辞典』(東京書籍)によりますと、@母を殺すこと、A父を殺すこと、B聖者(阿羅漢)を殺すこと、C仏の身体を傷つけて出血させること、D教団の和合一致を破壊し分裂させること、とあります。善鸞は異説を広めていたわけですから、Dに該当するのだと思われます。阿弥陀如来のご本願の救いは、たしかにすべての命に向けられています。しかし、だからと言って何をしても許されるというわけではありません。

この世のあり様を見るならば、新聞やニュース番組には毎日のように五逆があふれかえっています。家族同士のいざこざ、尊大な態度、裏切り行為、本当に切れ間なく報道されています。いえ、報道ばかりではありません。私たちの身近なところで、さらに言えば自分自身においてさえ、こうした五逆はあり得ることとして認め得るはずです。仏教でいくら五逆は地獄行きだ、ご本願からも漏れてしまう、と警告を発したところで、実際にはこのあり様です。私たち凡夫は、いつでも五逆と隣り合わせなのです。むしろ五逆こそが私たちの姿であると言えましょう。では、救われない私たちにとりまして、ご本願はどのようにはたらいてくるのでしょうか。

親鸞聖人は義絶というショッキングな方法で、わが子である善鸞を導かれたのだと思います。善鸞はおそらく、自らの罪の重さに気づいていなかったのでしょう。わが子が五逆の大罪を犯しているなんて、こんなに悲しいことはありません。表題のお言葉からは、聖人の親としての悲しみが伝わってきます。第十八願で敢えて除かれる五逆ですが、五逆こそが私たち凡夫なのであり、善鸞なのです。そこに気づかされてこそ、はじめてご本願のはたらきを素直に喜べることでしょう。もとより阿弥陀如来の救いに条件はありません。ご本願には、私たちのなかの五逆を知らしめるはたらきもあることを、本御消息から学ばせていただきたいものです。

(本文は『やさしい法話』12月号へ寄稿したものです)

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2021年01月14日

これからの日本、古い車も大切に

私は坊さんですが、いわゆる出家僧ではなく、市井に生きる在家に近い坊さんです。浄土系の坊さんは概ねこうした傾向にあり、とりわけ浄土真宗は僧俗(坊さんと門徒さん)の距離が近いと思います。しかし、宗派がそうだからということではなく、私自身、こうした坊さんのあり方ではないと得度する(坊さんになる)ことは無理だったでしょう。まあ、修行が足らんわけですな。全体的に足りない。こんなご時世でありましても、ああ、早く飲み行きたいなあとか、そんなことばかり頭に浮かびます。インド仏教では不飲酒なので、般若湯(日本の坊さんの言う酒)なんて存在しません。般若とは悟りの智慧のことであり、修行が完成した暁にようやく得ることが出来ます。酒飲んでたら得られないでしょう。酒飲むと煩悩が膨張しますのでまず無理です。

私はそもそも酒癖が悪いのですが、最近どうもそれに磨きがかかりまして、酔っぱらっている状態だと頭くることが多くなって困ります。周囲にも迷惑をかけています。もともとそういう人なんでしょうが、不満が膨張してくるんですよね。酒飲んでも変わらない人いますが、凄いなあと思います。私は根本的に不満があるのでしょう。しかし不満というものは、よく考えればすべて自己都合のいい加減極まりないものです。あたり前ですが、満たされないから不満なのです。極楽浄土にいらっしゃる菩薩様は「少欲知足」なのだそうです。少ない欲望で十分だと知っているわけです。あれ欲しい、これ欲しいじゃないんですよね。私はどうも欲張りなのでしょう、生来そうだと思います。

これからの日本、どうなるのでしょうか。資源のない国です。人材が豊富かと言えば、私たち団塊ジュニアは人数は多いのですが、う〜む、どうもこう競争にすでに疲れ切っているような印象です。持続可能云々と叫ばれる時代ですが、これはまさに「少欲知足」が原点です。成長時代は大量消費で豊かになってきましたが、これからは良いものを長く使うことが重要そうです。ドイツでは車の技術革新が目覚ましく、無駄のないエネルギー利用を念頭に置いているようです。どんどん新しい車が出てきます。一方、古い車を乗り続けることに対して、自動車税の減税政策があると聞きます。30年ほど古く非改造の車であれば、その恩恵に浴せるとのことです。日本はどうかなあ、古い車に乗れば乗るほど負担が高まってくるように思えますが、こうしたドイツ人の精神を見習いたいものですね。ものは大切に。

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2021年01月09日

飲み屋さんの危機

緊急事態宣言発出をうけまして、飲食店の営業時間が20時までとなりました。飲み屋さん大好きな私としましては、とても心配です。もちろん新型コロナウイルス感染防止の観点からすれば、営業へ何らかの規制が入ることはやむを得ないことです。しかし20時で切りますと、前回のことで明白なように飲み屋さんは稼ぎ時を失います。時間規制ではなくて人数規制でもいいような気がしますが、素人的な発想でしょうか。店内定員の1/3しか認めないということであれば、結構な飲み屋さんディスタンスになります。また、当然団体はお断りで、5〜6人以上は席を離してもらうようにすれば更に効果的でしょう。ダメかなあ。

しかし確かに酔っ払いは、ウイルスをまき散らす一因にはなります。秋に地元親睦団体の夜間飲食がありましたが、いくら店側が感染対策を万全にしても、酔っ払いはウロウロし出します。私も酔っ払っていたら同じ行動をするでしょう。実はその時、私は車だったのでノンアルコールでしのいでいたです。だからでしょう、酔っ払いの行動パターンがよく理解できました。団体で酔っぱらいますと、もう手がつけられないません。ウイルスがその場にあれば、即座に蔓延しような雰囲気ではあります。飲みに行くならば、移動範囲が明白な方、感染していないことが明白な家族や友人とだけにすべきでしょう。私もついつい飲み過ぎてしまうたちなので、これを機会に改善したいと目論んでいます。

政府云々よりも、やはり個人個人の自覚が大切です。感染防止に努めつつ、経済を失速させないようにしたいものです。感染防止をしての外食も不可能ではないはずですし、自覚をもって行動したいと思います。

posted by 伊東昌彦 at 15:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii