2020年01月30日

Rockをもて仏教す Part10

Rockをもて仏教す Part10

ロックの歌詞から面白いなあと感じるところを切り取って、そこだけ勝手に仏教解釈をしてみます。今回は高校1年のときに池袋で間違えて買ってしまい、けれども聴いてみたらかっこよくて今でも好きなThe Eaglesから、やはりHotel Californiaです。

Mirrors on the ceiling,
The pink champagne on ice
And she said, “We are all just prisoners here, of our own device”

And in the master’s chambers,
They gathered for the feast
They stab it with their steely knives,
But they just can’t kill the beast

イントロのギターから泣かせます。全体的にメロディーはとても憂鬱な雰囲気の曲です。1969年を境にしてアメリカの精神は失われしまったと嘆くことで有名ですが、それは商業的音楽の蔓延への批判を意味しているとも言われます。ただ、こうした高尚な譬喩と同時に、やはり注目すべきはドラッグ依存症への警鐘だと思います。ホテルカリフォルニアは鏡張りの天井ですとか、ピンクのシャンパンとか、とても魅惑的な場所です。でも、その滞在者は皆、そのホテルの魅惑に囚われている。と同時に、とても居心地のいいものだと感じてもいる。

ドラッグ依存症なのです。ナイフで他の滞在者を刺し殺そうとするけど、彼らを殺すことはできない。彼らは獣のような存在なのですが、おそらく自分自身も同類だから。ロックにはこうした、自己嫌悪からくる怒りを歌詞にすることが多いと思います。この曲は怒りに任せているわけではありませんが、ひどい苛立ちを感じます。自分自身に向き合っているつもりでも、背を向けてしまっている自分に頭くるのでしょう。それはそうです。ドラッグ依存症ではなくとも、誰しも自分自身に向き合うことは難儀なことです。たいてい自分の行動なんてダサいものですから。

理想と現実に悩み始めるとキリがありません。自分のダサさを受け入れなければ、いつまでも獣を排除することはできないでしょう。刺し殺そうとするのではなく、敢えて言えば受け入れることでしょうか、自分も獣であったということを。譬喩とはいえ、獣に失礼なような気もしますが、譬喩にあふれた魅力的な曲です。

posted by 伊東昌彦 at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 六賢楼 -rock'n'roll

定員とのことで有難うございます

前回ご紹介したTSUKIJIアカデミーですが、いつの間にか定員になっていたようです。有難うございます。数人の参加で、ほぼ個人講義になるっぽいと予測していたので、嬉しい誤算ではあります。だいたい内容は決めましたので、あとは微調整だけなのですが、当日、二日酔いの可能性があり危険です。実は次男が今受験の最中でして、ちょうど2月2日にほぼ終了予定となります。なので2日夜は舞い上がって父が率先して飲んでしまいそうなのですが、控えめにしたいと思います。

皆様、よろしくお願いいたします。

posted by 伊東昌彦 at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2020年01月21日

TSUKIJIアカデミー 浄土真宗を学ぶ

来月、2月3日(月)に築地本願寺で中国浄土教の話をすることになりました。テーマは道綽禅師と善導大師なのですが、私の専門とするところは、両師と同時代の先輩にあたる嘉祥大師吉蔵の浄土教なので、そのあたりの違いをお伝えできればと思っています。しかし講師が私というマイナーな人なので、どなたか来ていただけるのか心配です。ともに勉強いたしましょう。

講座サイト↓
https://tsukijihongwanji.jp/lecture/tsukijiacademy/?fbclid=IwAR2r0rf9FibsxdMZAKNF9wWc6UEEVKOVKzKuX4vcVvDJ7CXe5UjVfnDAC0c
posted by 伊東昌彦 at 07:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2020年01月17日

ぬるま湯な私、「知足」を学びたい

今週末からセンター試験ですね。私には直接縁がありません。私は獨協中学高校から獨協大学法学部という絵に描いたようなぬるま湯。言い訳をするならば、昭和48年生まれの私にとって東大はもちろん、早慶だって到底ひっくり返っても手が届かない。単に私がアホだっただけという説もありますが、これでも獨協中学は今よりずっと難しかったし、私の成績は真ん中より上だったような気がします。獨協大学も外国語学部は上智や青山に次ぐ位置であったし、法学部も成蹊や成城と同じようなもんだった。もちろんバブル偏差値。しかしとにかく人数多くて、これでもかと言うほどの競争、競争、競争でした。

大学受験のときの夢は早稲田、現実的には中央でしたが挫折しました。もう面倒くさくて。根性ないのです。昨今、都内大学は定員問題で難化したと聞きますが、それでも巷で「最低でもマーチ」とかいうセリフを見聞きするたびに、決して今は人数少なくて楽だという嫌味ではなく、漠然と「あー、私たちの世代は何だったのか・・・」という思いが湧き出てきます。40代のリストラが多くなっているようです。競争に競争を重ねてきた私たちの世代が今、もうお払い箱なのでしょうか。

人数だけ多く、語学もそれほどできず、ネットネイティブでもない40代。恵まれた世代だと言われてきました。たしかに親世代が築き上げた社会の恩恵を思い切り受けて育ちました。ひと言で言えば、ぬるい世代なのでしょう。日本経済は下り坂です。人口もぐっと減ります。国力は落ちることでしょう。右肩上がりで生まれ育ってきた私たち40代。親世代の真似事では生きていけない時代到来で、果たして生き残っていけるのでしょうか。

実のところ、私は住職とはいえ厳密には兼業住職で、ほかにも在宅中心ながら仕事を持っていました。しかし、不本意ながら今年からなくなりました。とても残念です。寺院経営はよほど大きなお寺でないかぎり、非常に不安定なものです。その不安定さを補うことが私の積年の課題であったわけですが、7年ほど前から職を得ることが出来ていました。また何か別の方法を考えないといけません。私なんてまだマシなほうで、お寺なので住む家はありますし、住職なのでリストラにあうこともありません。会社勤めの友人を見ますと、給料は上がらず仕事だけは異様に増えていくという現状に疲弊し切っています。

企業は人件費削減に生き残りをかけているかのようです。こんなときは「仏教には「少欲知足」という言葉があります」とか、わかったような顔で語り出したくもなるのですが、そんな簡単なことではないでしょう。生活にお金のかかる現代ですが、削るにしても限界はあります。家族がいればなおさらです。我慢にだって限界はあります。「少欲」と言われても困るでしょう。

ただ、この言葉で肝腎なところは「知足」であり、それは「我慢しろ」ではないようです。実際には足りているにもかかわらず、何かと余計なことしているのが私たちなのではないでしょうか。ゴミ箱を見るとよくわかります。今年は「知足」ということを学んでいく1年にしたいと思います。

posted by 伊東昌彦 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2020年01月10日

新年、良い出会いを念じます

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、長男の通う学校の先生が紹介されていました。数学の先生で私より少し年上の方です。独特な教え方をされているようで、多くの生徒たちは数学を楽しんでいるかのように見えました。中学高校の数学は解答を出すものですが、先生は解答までのプロセスをより重視されているようで、授業中に解答は出さないそうなのです。私からしますと数学は解答まで懊悩するものであったので、これは驚きです。長男もあまり数学は得意ではありませんが、もしかしたらその楽しさを感じることができたのかもしれません。

この学校はちょっと変わった学校で、キリスト教の倫理教育のもと、規律と自由がうまい具合に両立されています。遅刻とトイレ掃除には厳格なようですが、あとはまるで何も規則がないかのようです。生徒も一般的よりもやや変わった子が多いように見受けられ、わが家の変わっている長男も馴染んでいます。一般的な学校だと窮屈になってしまう子であっても、それなりに自己発現ができそうな雰囲気にあるようです。番組で紹介された先生の教授法も、こうした型にはまらないような子たちには向いているのでしょう。これは偏差値云々に関係するというよりは、自由な発想を重んじることに関係していると思われます。

長男は小学校時代、友達と遊びに行ったのは6年間で1度だけです。決して学校がつまらないというわけではなかったそうなのですが、頻繁に遊ぶようにはなりませんでした。私とはタイプが違うので心配でしたが、今は気の合う友人に恵まれたようです。人生において出会いこそ大切です。面白い数学の先生に出会うことができて、長男も少しは数学の苦手意識を払拭できたかもしれません。あまり遊びに出ることはなかったのですが、先日はなぜか大磯でカラオケを友人たちとしてきたそうです。親としては嬉しく、この出会いのご縁に感謝するばかりです。皆様にとりましても、良い出会いのある1年でありますよう、心からお念じいたします。

posted by 伊東昌彦 at 12:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii