2022年05月25日

築地アカデミー〜「正信偈」を読もう・学ぼう

先日、築地本願寺の築地アカデミーで、「正信偈」についての講義を受け持ってきました。最初に特別法務員の山本英哲師による読み方の実技解説があり、その後、私が依経段と言いまして前半部分の内容を解説しました。関東では「正信偈」はマイナーでしょう。メジャーは『般若心経』かな。

私もかつて地元仏教会の行事で読経する際、導師が「はい、心経一巻」と言われるなか、経文も記憶していないしそもそも読経したことないので、後方で一人ゴニョゴニョしていたのを思い出します。

正信偈は曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』によく似ていますが、親鸞聖人がよりブラッシュアップされた印象で、さらに浄土の教えが明確化されています。声に出して読むのみならず、ひたすら「正信偈」の内容を勉強すれば、浄土真宗のかなり深いところまで理解できることでしょう。

皆様も是非ご参加ください!

https://tsukijihongwanji.jp/lecture/tsukijiacademy/

ちなみに次回は9月のようです。

posted by 伊東昌彦 at 08:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2022年05月20日

ブログは長文で読みにくい性分

最近ブログを書く間隔が長くなってきてしまいました。自分でブログ開設をしておきながら、普段あまり他の方のブログを読むことも少なくなっています。ブログは一方的に情報発信することに長けていますが、読者との交流という面では扱いづらさがあります。今はいろいろな方の意見がネット上で見られる時代です。ブログ開設者が提供する話題を読者同士で忌憚なく議論出来れば良いのですが、そういう役目はツイッターや掲示板に強さがあります。ブログをやる場合でも、ツイッターなどのSNSと連携したほうが良いとも言われます。

とまあ、よく言われることを書いてみましたが、このように長文になるのがブログの強い面でありながら、一方、時代的には長文は敬遠される傾向にあります。私も実際、あまり長い文章をネット上で読もうとは思いません。自分で長文書いておきながら変な話ですが、ブログは自己満足に陥りやすいということでしょう。

性格的に交流下手なので、こうした一方的かつ自己満足系の情報発信が好きと言えば好きです。今後も本ブログは続けます。しかし、本ブログが利用している「さくらのブログ」はどうやらブログには後ろ向きのようで、新規開設はもう出来なくなっています。あまり利用する人もいないのでしょう。仕方ないです。

私もスマホを見ている時間が長くなりましたが、スマホだと画面も小さいせいか長文は読みません。動画も3分以上のものは見ないと思います。元よりせっかちな性分なのですが、必要なところだけかいつまんで見ておしまいなのです。カップラーメンも3分が限界で、5分の赤いきつねであってもカタ麺状態で食べてしまいます。ウルトラマンも3分だし、なんだか小さい頃から3分というのに慣れ親しんでいるかのようです。

ツイッターは短文投稿なので、読み手としては私の性格にピッタリです。ただし短文を書くのが苦手で、どうもこう冗長になってしまいます。困ったもんだなあと、最近、思っています。

考えてみますと、実は経典も同じかもしれません。百巻とか五十巻といった大部の経典はたしかに専門家には必要ですが、人気のある経典は『阿弥陀経』一巻や『般若心経』一巻とか短いものです。声を出して読むのに適しているというのもありますが、あまり長いのも読みづらいですよね。途中で飽きますし。ははは

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2022年05月12日

『御伝鈔』上巻 第三段「六角夢想」

「救世(くせ)菩薩はすなはち儲(ちょ)君(くん)の本地(ほんじ)なれば、垂迹(すいしゃく)興法の願をあらはさんがために本地の尊容をしめすところなり。」

ご讃題は『御伝鈔』の「六角夢想」の段になります。親鸞聖人が京都の六角堂に参篭されたあと、振り返って語られた仰せとなります。六角堂で聖人は救世菩薩から夢告を得られ、世俗のなかで仏法を広める決意をされます。出家のできない凡夫がそのままで救われる道、浄土真宗のみ教えを広めるため、ご自身も結婚をして在家生活を送られたのです。救世菩薩は六角堂のご本尊であり、観音菩薩のことを指しています。六角堂は聖徳太子のご建立で、ご本尊の観音菩薩像は太子の念持仏であると伝わります。親鸞聖人は太子を日本における教主として尊崇されており、教えを乞うために参篭されたのでしょう。

この「六角夢想」では救世菩薩の夢告が肝要なのですが、今回は救世菩薩と聖徳太子、そして阿弥陀如来の関係についてお話をいたします。浄土真宗では阿弥陀如来をご本尊としますが、お寺の本堂には聖徳太子のご絵像も脇に掲げられています。しかし、救世菩薩はおられません。これはどういうことなのかと言いますと、仏教の考えには、本地(=本体)としての如来や菩薩は、人々を救うため世間に仮のお姿になって垂迹(=出現)される、というものがございます。ご讃題もこの考え方に立脚しておりまして、救世菩薩は儲君、すなわち聖徳太子の本地であり、仏法を興隆させるため、聖徳太子ご建立の六角堂でその尊容を示されたというのです。

聖徳太子は救世菩薩が世に出現されたお姿であり、それはつまり観音菩薩であるということです。親鸞聖人は観音菩薩から夢告をいただくことにより、ご自身の歩みを大きく進められました。と言うことは、浄土真宗のお寺のご本尊も六角堂と同じく、観音菩薩であってもおかしくはないようにも思えます。しかし、そうではありません。

『無量寿経』には観音菩薩は阿弥陀如来のもと「最尊第一」と説かれます。言うなれば、観音菩薩は阿弥陀如来の一番弟子なのです。観音菩薩が尊容を示されたということも、それは阿弥陀如来のはたらきによっています。『御伝鈔』ではご讃題に引き続き親鸞聖人の仰せとして、「今の行者、錯(あやま)りて脇(きょう)士(じ)に事(つか)ふることなかれ、ただちに本仏(阿弥陀仏)を仰ぐべし」ともございます。つまり、観音菩薩は聖徳太子の本地でありますが、さらに阿弥陀如来が観音菩薩の本仏であるということになるのです。観音菩薩や聖徳太子は脇において崇めるべきであり、礼拝するご本尊はあくまでも阿弥陀如来ということになります。仏教ではたくさんの如来や菩薩が説かれますが、こうした関係を知っておくと理解が深まります。

(本文は『やさしい法話』3月号へ寄稿したものです)



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2022年04月16日

オンライン併用にしてよ〜

コロナ禍において完全もしくは一部オンラインという状態が一般化しました。複数人が集う会議、そして机上で成立する授業はオンラインと親和性が高いと思います。もちろん人は相手を認識する際、平面的というより立体的に認識し、周囲の雰囲気も含めてコミュニケーションを図ります。ですから平面的なオンラインだけでは完全なコミュニケーションにはならず、上記のような会議や授業であってもオンラインだけで終始してしまっては成果は不完全です。直接リアルに対面して相互確認することを任意のタイミングで入れこむことは必須だと感じます。

しかしオンラインを導入して、対面しなくとも解決できる場面をいくつも発見できました。移動がないので時間をより有効に使うこともできました。大勢が時間と場所を揃えるのって、よく考えたらとても難しいことだったわけです。ただ、なぜか完全リアル対面にこだわる人もいます。私にはとても不思議でなりません。せっかく便利になったのになあ。オンライン併用が理想的なスタイルだと思うのですが、ダメな人もいるのでしょう。リアルで参加したい人だけ行けばいいじゃん、って思ってしまうのです。出不精なので。

ところでわが宗派はとても古い体質ですが、会議でのオンライン併用には対応が早くとても有難かったです。そして今後もオンライン併用でいくとのことで、おお、いつものパターンとは違う。どこか進化したのかと思っていたのですが、どうやら会議での交通費支給をしなくて済むからという理由らしく、ああ、それもそうだなと。たしかに費用面での効率は良いです。そこもオンライン併用の利点ですよね。わが家はたいてい中心地から遠いので、実際に交通費は比較的かかるのです。

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2022年04月14日

注射はいつも苦手です

4月14日付けのNHKの報道によりますと、「ワクチン接種でも得られるタイプの抗体については、いずれの都府県でも96%以上の人が持っていましたが、厚生労働省によりますと今回の結果からは発症や重症化などの予防に十分な免疫があるかどうかは分からないということです」とのことです。え?そうなの?

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220414/k10013581281000.html

先日3回目の接種を受けました。3回すべてファイザーです。1回目と2回目は副反応ほぼなし。3回目は12時間後に発熱が24時間ほど、ひどい倦怠感が48時間ほど続きました。似たような報道は以前にもあったかもしれませんが、もっと早く明確に報道して欲しかった。予防にならないんじゃ、素人的には意味ないかと思ってしいますねえ。

もうなんか手段と目的がひっくり返ってて、大丈夫かな厚労省。

posted by 伊東昌彦 at 09:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii