最近はとにかくネットで多くの情報を得ることができます。中学生の頃だったか、父親から「情報化社会」という言葉を教えてもらいました。父親は広告代理店勤務でしたので、情報には敏感だったでしょう。様々な状況をあらかじめ知ることが出来れば、その対応も上手くいきそうな気がしますよね。
ただ最近、なるほどねと思える意見をしばしば目にするようになりました。知らなくてもいいことを知ってしまう危険性、言い換えれば、目にしなくていい、目にしないほうがいい情報もあるのだということです。SNSの流行によって、その恩恵に与ることも多いわけですが、SNS疲れという言葉も聞くようになりました。SNSから情報を得るということは、知人の意見や行動を知ることになります。面白いこともあれば、同時に面白くないこともあるでしょう。
かつて富野由悠季さんの『機動戦士ガンダム』において、「ニュータイプ」という概念が登場しました。これは恐らく、スターウォーズの「ジェダイ」というある種の超能力者に触発されたものだと思うのですが、独創的なことは、ニュータイプはテレパシーのようなものによって、人と人とが本当に「分かり合える」ことが出来る能力を身につける、というところにあろうかと思います。
ガンダムはニュータイプを中心とした戦争アニメなのですが、ニュータイプは相手の行動を先読み出来るがため、どんどん戦争の道具にされてしまいます。戦闘において有利だからです。富野アニメというものは、人の愚かさをまざまざと、しかも小学生相手に見せてしまうところに醍醐味があります。主人公はニュータイプとして覚醒し、その真の意味を悟るわけですが、自らは戦闘に埋没していってしまいます。
劇中、物語も佳境に入っていくとき、主人公に近い登場人物が「人がそんなに便利になれるわけ・・・ない」という台詞を語ります。大人になって、そして仏教の勉強をしている今、私はこの台詞がガンダムにおいて最重要なものだと感じます。相手の気持ちを情報として知ることができても、果たして私たちはその情報をうまく使いこなし、相手と分かり合えるような行動を取ることが出来るでしょうか。
これは大変難しいことでしょう。おそらく無理です。情報過多になるからです。
人は物事を忘れます。忘れなければいいのになあと思うかもしれませんが、忘れないと情報がありすぎて脳が処理できないのでしょう。忘れることも大切なのです。いらんことは全て忘れてしまいましょう。そのほうがきっと楽になれるはずです。つまり、知って記憶しておかなくてもよいことはたくさんあり、物事を知るということは、逆に私たち人にとって苦痛を生み出す原因にもなるわけです。相手の真の姿を知ったところで、困るのは私のほうなのかもしれません。
仏教においては、常に私という意識は自分中心で物事を思考していると説きます。親が子を守る行動のように例外的なものもありますが、ほとんどが自己中心的です。相手の情報を十分に知り得たとしても、余計に腹が立つということは、往々にしてありそうなことです。立派なところばかりに目がいってしまい、嫉妬の心で苦しむことになるでしょう。嫉妬というものは、自分がより優れていないと気が済まないという、自己中心的な思考の典型例です。また、相手が苦しんでいるところを見れば、思わず上から目線でお世話したくなってしまうのも、実は同じ思考だと言えなくもないでしょう。自分が優位であるという前提あっての行動という側面もあるからです。
仏教が余計なことは知らなくていいと説いているわけではありませんが、その対応力が人にあるのかと言えば、どうにも上手くいかないことが多いのが人だと説いています。知らなくてもいいことは沢山あるようですし、あまり無理するのはやめておこうと、最近よく思います。