善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。
善福寺永代供養墓
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2025年02月12日
2025年02月02日
2/2(日)法話会お休みのお知らせ
急なご案内となり申し訳ございません。本日、葬儀のため法話会をお休みいたします。来月は3月2日(日)の開催予定です。ご来山をお待ちしております。 合掌
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2025年02月01日
令和7年2月の掲示板

人は何でも理由をつけたがるものです。理由が分かれば安心できますが、理由が分からなければ不安です。宇宙はなぜ存在するのか。宇宙に何らかの意思があったりすれば、理由もあるでしょう。しかし、おそらく理由などありません。敢えて言えば、存在するから存在するとしか言い得ないことでしょう。
人知を超えている。それが宇宙です。
そして私たちの存在も宇宙の一部であり、宗教的には心はそのまま宇宙とも言い得ます。私たちの存在も人知を超えたものなのです。まさに不可思議。それが命の存在です。
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2025年01月08日
寺院は仏教の伝道布教が使命
少子化の問題もありますし、家族のあり方の問題、そして、そもそも信仰の問題もあり、時代とともに寺院運営は変化をしていかねばなりません。伝道布教を核としながら、そこへいざなう様々な方法を寺院は編み出してきました。善福寺報恩講で行うお能も、そもそもは寺院を盛り上げ伝道布教するための興行であったそうです。たしかに内容を見ましても、仏教の教えにいざなう意図が感じられるものが多いようです。
全国各地の寺院(神社もおそらく同じだと思います)は、色々と工夫を凝らして、寺院が単なる歴史的な遺構や風景にならぬよう努力をしています。大切なことは、仏教の教えが今もなお、人々の心の安穏のためには不可欠なものであり、それを伝えることが寺院の使命であるということを忘れないことだと思います。
盛り上がればそれで良いというのは間違いです。
わが宗派、浄土真宗本願寺派も、かつては盛り上がりや世間の注目だけを考えて単発的なイベントを開催したこともあります。結果、その時は何となくメディアに取り上げられたりもしましたが、その時だけです。伝道布教にはつながらず、むしろ坊さん何してんだよ、という冷笑を浴びたのではないかと危惧されます。
一般寺院も同じです。
仏教に無関係のイベントを開催したところで、たしかに寺院には足を運んでもらえますが、そこに教えがないと意味がありません。言い換えれば、坊さんの自己満足で終わってしまう可能性が高いのです。寺院として社会に貢献できることは、何事であっても教えが根本になければなりません(実は宗教法人に関する法律からも、そう言えます)。他に担ってくれる組織は、行政や会社法人やNPO法人や社会福祉法人、そして様々な任意団体など、いくらでもあります。
寺院で何かイベントをしますと、本堂も存在しますので、何をしても仏教的だと勘違いしてしまう場合もあるかもしれません。坊さんであっても、そういう勘違いをしてしまうのです。
たとえば、境内で骨董市をしたとしましょう。開催することを批判するつもりはありませんが、その場合、来られた方にとって境内は風景です。寺院に来訪するという意味もあるので、寺院としてまったく無意味な開催だとは言いません。しかし骨董市を開催するだけでは、伝道布教にはつながることはありません。
また、全国各地に様々な古事にもとづいた行事は残されていますが、そういったものが何でも仏教由来ということでもありません。
日本は古来、寺院と神社が合わさった形態での信仰を大切にしてきましたので、神道的な行事であっても、仏教的な味付けをして寺院で行うものもあります。しかし、神道は仏教のほか、中国の道教や神仙思想からも大きな影響を受けています。元来は神社で行うような行事を、新たに寺院で行おうとしたところ、実はその行事の源流が道教であったということもあり得るのです。
もちろんそうではあっても、歴史的な由来あって伝統的に寺院で行っていることもあるので、そこを批判するつもりはありません。私が吠えたいポイントは、今、寺院で何らかの行事を新たに計画するならば、ちゃんと伝道布教に結び付くような内容でないと意味がない、ということです。
世間は坊さんが感じている以上にちゃんと寺院を見てくれていますし、期待されているところもまだまだあると思います。ただ、的外れなことをしてしまうと・・・、今のような時代背景です、あっという間に寺院は歴史的な遺構となり、風景になってしまうことでしょう。
新年を迎えまして、自戒の意味も込め、ここに記してみました。
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盛り上がればそれで良いというのは間違いです。
わが宗派、浄土真宗本願寺派も、かつては盛り上がりや世間の注目だけを考えて単発的なイベントを開催したこともあります。結果、その時は何となくメディアに取り上げられたりもしましたが、その時だけです。伝道布教にはつながらず、むしろ坊さん何してんだよ、という冷笑を浴びたのではないかと危惧されます。
一般寺院も同じです。
仏教に無関係のイベントを開催したところで、たしかに寺院には足を運んでもらえますが、そこに教えがないと意味がありません。言い換えれば、坊さんの自己満足で終わってしまう可能性が高いのです。寺院として社会に貢献できることは、何事であっても教えが根本になければなりません(実は宗教法人に関する法律からも、そう言えます)。他に担ってくれる組織は、行政や会社法人やNPO法人や社会福祉法人、そして様々な任意団体など、いくらでもあります。
寺院で何かイベントをしますと、本堂も存在しますので、何をしても仏教的だと勘違いしてしまう場合もあるかもしれません。坊さんであっても、そういう勘違いをしてしまうのです。
たとえば、境内で骨董市をしたとしましょう。開催することを批判するつもりはありませんが、その場合、来られた方にとって境内は風景です。寺院に来訪するという意味もあるので、寺院としてまったく無意味な開催だとは言いません。しかし骨董市を開催するだけでは、伝道布教にはつながることはありません。
また、全国各地に様々な古事にもとづいた行事は残されていますが、そういったものが何でも仏教由来ということでもありません。
日本は古来、寺院と神社が合わさった形態での信仰を大切にしてきましたので、神道的な行事であっても、仏教的な味付けをして寺院で行うものもあります。しかし、神道は仏教のほか、中国の道教や神仙思想からも大きな影響を受けています。元来は神社で行うような行事を、新たに寺院で行おうとしたところ、実はその行事の源流が道教であったということもあり得るのです。
もちろんそうではあっても、歴史的な由来あって伝統的に寺院で行っていることもあるので、そこを批判するつもりはありません。私が吠えたいポイントは、今、寺院で何らかの行事を新たに計画するならば、ちゃんと伝道布教に結び付くような内容でないと意味がない、ということです。
世間は坊さんが感じている以上にちゃんと寺院を見てくれていますし、期待されているところもまだまだあると思います。ただ、的外れなことをしてしまうと・・・、今のような時代背景です、あっという間に寺院は歴史的な遺構となり、風景になってしまうことでしょう。
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2025年01月01日
令和7年1月の掲示板
元旦はめでたいものですが、平凡な毎日だってめでたいものです。今年も日々生かされていることに感謝したいと思います。よろしくお願いいたします。 合掌

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2024年12月20日
性別について仏教的に思う
男女の性別に関する問題は、仏教が生まれた2000年以上前のインドでも何らかあったようです。仏教の経典は、まとめられて今に残る形態になったものは2000年前、つまり紀元前後編集のものが多いわけですが、性別があるが故に人々が思い悩んでいたんだろうなと想起させる描写が見られます。たとえば、僧侶は「出家」することにより異性との交わりを絶つことが原則的には推奨されます。また、仏教的な理想国土としての色彩が強い「極楽浄土」は、性別そのものが存在しないという描かれ方をされます。
仏教としては、人の愛欲や性欲の激しさが課題であったということなのでしょう。「極楽浄土」では性別なしということからは、もしかしたら男女という性別そのものに課題があったのかもしれません。そんなに問題であれば、ないほうが良いだろうということです。経典の背景にある当時の社会事情は私にはわかりませんが、こう想起することは可能ではあります。
しかし一方、仏教では身体を重視しないという根本的な見方があり、自分の身体には執著せず、身体を身体たらしめるのは心なのだとします。性別も含め、どのような身体的個性で生まれたのかは、自分自身の過去世からの「業」(ごう、行為とその影響)によります。これは現世では変更不可能です。努力によって外形的にはある程度満足いく身体的個性を得ることは可能ですが、遺伝子も含め完全に変更することはこれからも不可能でしょう。
「業」は心に蓄積されており、来世以降により良い身体的個性を得るには、現世で心を「善業」で満たし、好ましくない身体的個性を生じさせる「悪業」の芽を摘んでしまうしかありません。だからこそ現世においては、自分が受けた身体的個性は受け入れるしか術がなく、そこに執著してしまうことは、むしろ逆に自分自身を苦しめることになります。言い換えれば、無理な欲求を通そうとしていることになり、際限なくその欲求に苦しめられることになるのです。道理が引っ込むことはありませんし、無理な欲求が増せば「悪業」をさらに蓄積させます。
一見、仏教の考え方は過酷なものにも映りますが、「生まれ」は抗いようのない事実でもあり、私たちにはどうすることもできません。仏教ではこうも説きます。「生まれ」で立派な人になるのではない。「人生の歩み」によって立派な人になっていくのだと。「生まれ」は時に残酷なものですが、「善業」を積んでいく、すなわち善い行いをして生きるということに光明を見いだそうとするのです。
昨今、仏教をはじめとした宗教のなかのみならず、人類的課題として性別の問題が明確になってきています。「生きたいように自由に生きる」ことは生命として当然のことです。しかし、その「生きたいように自由に生きる」ことのつもりが、結果として自分を苦しめることになる場合もあります。どう生きるべきなのか、その時の欲求に全面的に従うべきなのか、それとも基本的には身体的個性を受け入れ、ある程度の欲求充足で満足すべきなのか。仏教的視点で再考してみるならば、少欲知足、欲を少なく足るを知るという生き方こそ、正しい「生きたいように自由に生きる」なのではないかと思えます。
性別について、私は思うのです。
男女という順番で言うならば、女っぽい男でもいい、男っぽい女でもいい、生まれ持った身体的個性を受け入れながらも、そこからどう生きるのか。ステレオタイプの男や女である必要はありません。自分らしく、自分における男で、自分における女で生きればいい。
本当の問題点は、こうした男女論を認めない封建的な見方や考え方の存在です。これがあるから生きにくい。今、世に蔓延しているステレオタイプの男女論は、封建的で一方的、きわめて狭小的で不見識なものです。男女という性別のあることが問題なのではなく、こういう男、こういう女、ということしか認めない考え方や見方のあることこそが問題なのです。
男という身体的個性、女という身体的個性。その上でどう生きるのか。他人がとやかく言うことではありません。男が女に寄せてもいい、女が男に寄せてもいい。自分が受けた性別を無理に変更しなくても済むような、自由に生きることのできる世の中になって欲しいなあ。
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仏教としては、人の愛欲や性欲の激しさが課題であったということなのでしょう。「極楽浄土」では性別なしということからは、もしかしたら男女という性別そのものに課題があったのかもしれません。そんなに問題であれば、ないほうが良いだろうということです。経典の背景にある当時の社会事情は私にはわかりませんが、こう想起することは可能ではあります。
しかし一方、仏教では身体を重視しないという根本的な見方があり、自分の身体には執著せず、身体を身体たらしめるのは心なのだとします。性別も含め、どのような身体的個性で生まれたのかは、自分自身の過去世からの「業」(ごう、行為とその影響)によります。これは現世では変更不可能です。努力によって外形的にはある程度満足いく身体的個性を得ることは可能ですが、遺伝子も含め完全に変更することはこれからも不可能でしょう。
「業」は心に蓄積されており、来世以降により良い身体的個性を得るには、現世で心を「善業」で満たし、好ましくない身体的個性を生じさせる「悪業」の芽を摘んでしまうしかありません。だからこそ現世においては、自分が受けた身体的個性は受け入れるしか術がなく、そこに執著してしまうことは、むしろ逆に自分自身を苦しめることになります。言い換えれば、無理な欲求を通そうとしていることになり、際限なくその欲求に苦しめられることになるのです。道理が引っ込むことはありませんし、無理な欲求が増せば「悪業」をさらに蓄積させます。
一見、仏教の考え方は過酷なものにも映りますが、「生まれ」は抗いようのない事実でもあり、私たちにはどうすることもできません。仏教ではこうも説きます。「生まれ」で立派な人になるのではない。「人生の歩み」によって立派な人になっていくのだと。「生まれ」は時に残酷なものですが、「善業」を積んでいく、すなわち善い行いをして生きるということに光明を見いだそうとするのです。
昨今、仏教をはじめとした宗教のなかのみならず、人類的課題として性別の問題が明確になってきています。「生きたいように自由に生きる」ことは生命として当然のことです。しかし、その「生きたいように自由に生きる」ことのつもりが、結果として自分を苦しめることになる場合もあります。どう生きるべきなのか、その時の欲求に全面的に従うべきなのか、それとも基本的には身体的個性を受け入れ、ある程度の欲求充足で満足すべきなのか。仏教的視点で再考してみるならば、少欲知足、欲を少なく足るを知るという生き方こそ、正しい「生きたいように自由に生きる」なのではないかと思えます。
性別について、私は思うのです。
男女という順番で言うならば、女っぽい男でもいい、男っぽい女でもいい、生まれ持った身体的個性を受け入れながらも、そこからどう生きるのか。ステレオタイプの男や女である必要はありません。自分らしく、自分における男で、自分における女で生きればいい。
本当の問題点は、こうした男女論を認めない封建的な見方や考え方の存在です。これがあるから生きにくい。今、世に蔓延しているステレオタイプの男女論は、封建的で一方的、きわめて狭小的で不見識なものです。男女という性別のあることが問題なのではなく、こういう男、こういう女、ということしか認めない考え方や見方のあることこそが問題なのです。
男という身体的個性、女という身体的個性。その上でどう生きるのか。他人がとやかく言うことではありません。男が女に寄せてもいい、女が男に寄せてもいい。自分が受けた性別を無理に変更しなくても済むような、自由に生きることのできる世の中になって欲しいなあ。
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2024年12月06日
永代供養のご案内
善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。
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2024年12月02日
令和6年12月の掲示板
毎日の繰り返しのように思えても、実際には同じ日は二度と来ません。今日を生きることをまず大切にしたいものです。かけがえのない1日に感謝。

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2024年11月06日
報恩講のご案内
令和6年 相州善福寺 報恩講
逮夜:11月16日(土)午後4時から
午後5時から 能楽奉納(鎌倉能舞台)半能「野宮」
能楽師との距離が近いので必見です。
日中:11月17日(日)午後1時から 雅楽法要「正信偈」
住職法話のあと 午後2時から 医療講座
内科専門誌 伊東佳子師「心臓について」
先生に直接質問が出来ます。些細なことでも大歓迎です。
皆様のお参りをお待ちしております。合掌

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能楽師との距離が近いので必見です。
日中:11月17日(日)午後1時から 雅楽法要「正信偈」
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2024年10月22日
異教徒は悪魔ではない
宗教が対立軸となり戦争が止みません。宗教はより良く生きるための指針なのですが、宗教によって争いが絶えません。簡単に言えば、互いに異教徒の存在を認めないからです。
一般的にどんな宗教でも異教徒には手厳しいと言えますが、それは自前の信者への宣伝文句に過ぎません。よくよく考えてみれば、宗教が異なれば教えも異なりますので、A宗教の教えでB宗教の信者が地獄に落ちるとかあり得ません。B宗教の信者にとって、A宗教は無関係なのでA宗教の善悪価値も無関係になります。A宗教が、B宗教やその他の宗教の信者を攻撃したりすることは、あくまでもA宗教の正当性を高める狙いであり、実際にはA宗教内でのA宗教の信者に対する宗教的宣伝に過ぎないと言えます。
と言うことは、A宗教とB宗教が宗教的対立をして争っていても、A宗教の信者は、B宗教のために争いに巻き込まれているわけではなく、信奉するA宗教のために争いに巻き込まれているということになります。そもそも、A宗教がB宗教のことを敵対視しなければ、争いになるはずもないからです。
相手が悪いと言うよりも、まず自分たちの言い分について再検討しなければならないはずです。そうでなければ戦争は終わりません。
自分たちの正当性を守るために、異教徒を攻撃するのは宗教ではなく、単なる自分勝手です。自分勝手を慎むのが宗教ではないのか。伝統的な宗教は長きに渡って評価され続けているから存在しています。だからこそ、良い面もたくさんあります。宗教が良くても運用している人が無能だと良い面を引き出すことが出来ません。異教徒が悪魔なのではなく、悪魔とは自分のなかにいるものです。相手を責めることは、結局のところ多くの場面で保身行為に過ぎないということ、私たちは肝に銘じておきたいものです。
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一般的にどんな宗教でも異教徒には手厳しいと言えますが、それは自前の信者への宣伝文句に過ぎません。よくよく考えてみれば、宗教が異なれば教えも異なりますので、A宗教の教えでB宗教の信者が地獄に落ちるとかあり得ません。B宗教の信者にとって、A宗教は無関係なのでA宗教の善悪価値も無関係になります。A宗教が、B宗教やその他の宗教の信者を攻撃したりすることは、あくまでもA宗教の正当性を高める狙いであり、実際にはA宗教内でのA宗教の信者に対する宗教的宣伝に過ぎないと言えます。
と言うことは、A宗教とB宗教が宗教的対立をして争っていても、A宗教の信者は、B宗教のために争いに巻き込まれているわけではなく、信奉するA宗教のために争いに巻き込まれているということになります。そもそも、A宗教がB宗教のことを敵対視しなければ、争いになるはずもないからです。
相手が悪いと言うよりも、まず自分たちの言い分について再検討しなければならないはずです。そうでなければ戦争は終わりません。
自分たちの正当性を守るために、異教徒を攻撃するのは宗教ではなく、単なる自分勝手です。自分勝手を慎むのが宗教ではないのか。伝統的な宗教は長きに渡って評価され続けているから存在しています。だからこそ、良い面もたくさんあります。宗教が良くても運用している人が無能だと良い面を引き出すことが出来ません。異教徒が悪魔なのではなく、悪魔とは自分のなかにいるものです。相手を責めることは、結局のところ多くの場面で保身行為に過ぎないということ、私たちは肝に銘じておきたいものです。
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2024年10月04日
永代供養のご案内
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2024年10月01日
令和6年10月の掲示板
何事も「あたり前」と思えてしまうと感謝の心も起きません。
しかし、よくよく考えてみれば、この世に「あたり前」な事なんてあるのでしょうか?
私たちは「あたり前」に生きているわけではなく、この地球も「あたり前」に存在しているわけではありません。まさに奇跡的に生きて、存在しています。
今日も「あたり前」だなあ、と思えたその瞬間、実は大変ありがたい(有難い→有ること難しな)瞬間を生きていると言えます。今日も「あたり前」に感謝をしたいものです、。

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2024年09月02日
令和6年9月の掲示板
仏教では「信満成仏」と言いまして、「自分自身の信心が定まったとき、すでに成仏をしている」という考え方があります。長い修行をへてようやく成仏するのが本来ですが、成仏して振り返って見るならば、信心を得るという初歩的な段階ですでに成仏をしていた、ということなのでしょう。
何事も最初の一歩が肝腎です。
始まってしまえば、あとは終えるだけです。

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2024年08月24日
令和6年8月の掲示板
夏休みは取られましたか?
頑張ることは良いことでもありますが、「頑なに張る」とも読めます。
緩めることも大切だと思います。

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2024年08月05日
スポーツ観戦は好きです
スポーツはとくにしませんが、観戦するのは好きです。遊びたい心を抑えて鍛錬し、そして試合に臨む姿はまさに三昧(=仏教での精神集中)の境地かと思えます。世界大会やオリンピックはレベルの頂点であろうかと思うので、三昧も深まっていると思います。私には無理です。
だからこそ、試合後、つまり三昧が切れたときには感情が溢れるのでしょう。感情の溢れ方は選手それぞれでしょうが、いずれにしても、そこに第三者が意見を差し挟むのは、選手の努力と鍛錬を否定することにもなりいただけません。
また、選手も負けたからと言って謝ることはない。(気持ちは十分に理解できますが)
スポーツは勝敗があるんだから、眺めている第三者である我々は、選手の努力と鍛錬の結果が見られればそれで満足じゃないかなあ。制度上、国の代表として、たしかに国費を得て出場しているんだろうけど、現状においては、別に国を背負っているというほどのものでもなく、たとえ負けたとしても、立派に試合に挑めたのであれば国民として嬉しいと思うけど、そうじゃない人もなかにはいるのかもね。
ところで、スポーツ選手はスポーツ選手であり、いわゆるタレント業をしているわけではありません。そこの線引きが曖昧なメディアもいるようですが、スポーツ選手は試合をして勝利を得ることを目的としているわけであり、そこに台本や味付けはありません。
プライベートや遊びのことではなく、スポーツ選手の努力と鍛錬に注目する報道をこれからも期待したいと思っています。インタビューを見ていても、スポーツと関係ない話をインタビュアーが振る場合もあり、この点に関してはいい加減にしてほしいものだと辟易します。
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また、選手も負けたからと言って謝ることはない。(気持ちは十分に理解できますが)
スポーツは勝敗があるんだから、眺めている第三者である我々は、選手の努力と鍛錬の結果が見られればそれで満足じゃないかなあ。制度上、国の代表として、たしかに国費を得て出場しているんだろうけど、現状においては、別に国を背負っているというほどのものでもなく、たとえ負けたとしても、立派に試合に挑めたのであれば国民として嬉しいと思うけど、そうじゃない人もなかにはいるのかもね。
ところで、スポーツ選手はスポーツ選手であり、いわゆるタレント業をしているわけではありません。そこの線引きが曖昧なメディアもいるようですが、スポーツ選手は試合をして勝利を得ることを目的としているわけであり、そこに台本や味付けはありません。
プライベートや遊びのことではなく、スポーツ選手の努力と鍛錬に注目する報道をこれからも期待したいと思っています。インタビューを見ていても、スポーツと関係ない話をインタビュアーが振る場合もあり、この点に関してはいい加減にしてほしいものだと辟易します。
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2024年07月12日
永代供養墓のご案内
善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。
善福寺永代供養墓
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蛙よ、すまん
境内の坂道で蛙が平べったくなって亡くなっていました。おそらく私の車でしょう。野ざらしは申し訳ないので遺体は片づけました。しかし、境内の池に大量のオタマジャクシが孵りまして、蛙がたくさん増えるなあと喜んでいた私です。思いもよらず、蛙を轢き殺してしまいました。
意志の及ばぬところで殺生をしてしまうのが私たちです。これを仏教では「業」と言います。意志はあくまでも表面的なもので、「私」という存在は意志のみではありません。もっと深く、積み重なっている無限の過去からの行為の総体が「私」です。「業」とは自らの行為とその影響を言います。
戦争が終わらないわけです。
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2024年06月11日
令和6年6月の掲示板
正義ってのは、ほんと難しい問題です。戦争だって、主謀者は正しいと思ってやっているわけですから。国民は大迷惑です。『機動戦士ガンダム』に出てくる敵役の「ジオン公国」だって、主謀者は正しい行動をしていると思っています。

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2024年05月08日
永代供養墓のご案内
善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。
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今月の掲示板

物事の良し悪しは自分の尺度ですね
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