2024年03月19日

多文化共生、まず日本を知る大切さ

日本もいよいよ「多文化共生」になりますね。相手を知ることも大切ですが、まずは自分たちのことを知る必要があると思います。日本のこと、私たち日本人はちゃんと理解しているでしょうか。

宗教、習慣、歴史、思考など、文化的側面を客観的に知ることは大切です。知らないから、外国人に対して過剰な対応をしてしまう。外国人の文化を理解することも必要ですが、まずは自分たちのことを知らないと。

仏教には「慚愧」という言葉があります。自分に恥じ、他人に恥じるという意味です。恥という文化は日本人の節度や礼儀ある行いに現れ出ています。こうした文化を自分たちがまず知っていきたいものです。


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2024年03月17日

今日からお彼岸ですね

近頃、自治会や町内会、PTAなど、さまざまな地域団体において、会長などの役を担う人材が減っていると実感します。実はお寺の檀家組織も例外ではなく、総代や世話人など、役を受けて下さる方は減少傾向にあります。

かつてはこうした団体は今より有益であり、助け合いのほか、情報収集にも役立つ存在でした。しかし現在においては、地域に依らず個々に自立することは不可能ではなく、地震などに被災した場合であっても、本来不利益なことはありません。

情報収集という観点からしても、インターネットから情報を得ることは容易であり、むしろそのほうが人間関係のしがらみもなく、知りたいことだけを知ることが可能なので、億劫なこともありません。地域団体から足が遠のくのも、分からない話ではありません。

簡単に言えば、そういう時代なんでしょう。

買物をするにしても、近所にあった昔馴染みの小規模スーパーは少なくなり、やや遠くにある全国展開の大規模店が残ります。近所の方もいるでしょうが、小規模スーパーのようなご近所感は薄れます。知った顔に会う可能性も減るでしょう。

大規模店は品数も多く、効率的に買物が出来て便利です。総論的に言えば、大規模店を便利だと思う方のほうが多いかなと思います。

いずれにおいても、他者とのつながりが希薄なのが今の時代です。

しかし、人は他者とつながらずに生きることは出来ません。どこかで何らかつながりがあるから、生きていることが可能なのです。つながりを減らしても構わないとは思いますが、必要なつながりは大切に思ってもらいたいと思うのです。

今日はお彼岸の入りの日です。

亡き方への感謝の気持ちを新たにしていただき、その心をそのままご自宅までお持ち帰りいただきたく思います。私たちは他者とつながり、相互に助け合いながら生きている存在です。亡き方のはらたきがあったからこそ、今の私たちがいます。感謝の気持ちは日常生活で忘れがちですが、家族や友人、身近なところへの感謝を忘れないようにしたいものです。


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2024年02月29日

宗教的な発想

この世のあり様は、すべて「諸行無常」が真理です。移り変わりの世界であって、固定的であることはなく、それぞれの物事が互いに関係し合いながら、それぞれ別々に変化していきます。仏教ではそう考えています。真理とは普遍的なものであり、どこかに真理が存在しているということではなく、正しいものの見方をすれば真理は自から認識可能です。

ところで仏教は宗教です。生死を語ること、とりわけ死後を語る。真理とその普遍性を語る。この2点だけでも完全に宗教です。死後なんて宗教じゃないと語れませんし、真理と言いましても、もしかしたら普遍的ではないかもしれません。いずれも立証は今のところ不可能ですので、これを説くことこそ宗教の醍醐味です。仏教においては、真理の顕現もしくは具象化が「仏」であり、仏と成る、すなわち成仏することは真理に到達することを指しています。仏像は真理の象徴であり、実践者が目指すゴールでもあります。

裏を返せば、こうした事柄を言い出す思想というのは、宗教とまでは言い切れなくとも、宗教性をかなり帯びていると言って間違いありません。哲学がそうです。東西を問わず、哲学のなかにはかなり宗教へ近づいたものもあります。西洋哲学は合理性のイメージが強いかもしれませんが、キリスト教と相互に影響を受けている面もあるようです。

ちなみに倫理というものは道徳や規範であり、人と人との間での事柄に限定されます。哲学も人の理性によっているのでその点で倫理と通じてはいますが、哲学は人の存在について根本的原理を探る営みかと思いますので、やっている事は違います。倫とは仲間のことです。倫理に普遍性はありません。限定されたなかでの道徳や規範になります。

いずれにしましても、普遍性ということを説きだすと宗教的になりがちです。そもそも、何らかの思想というものに普遍性があるのかどうかは、よく考えたら誰も分からないことであり、創唱者がそうだと説いて、それに賛同する人がいれば、まあ、そこではそうなんだろうなあということに過ぎません。信じるか信じないかの問題です。

世間には宗教とは言えなくとも、宗教的な発想はいくらでもあります。大切なことは、どんな思想であっても、一方的に信じ込まないことです。私は坊さんなので基本的には仏教思想を信じていますが、経論のなかにはいくらでもいい加減な表記はあります。肝腎なことは、正しいものの見方です。極めて難しいことではありますが、出来るだけそれに努めることで、生き方は随分と自由になってくると思います。信じ込むということは、自由を犠牲にすることでもあるからです。


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2024年02月16日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

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何事も「聞・思・修」

少なくとも地球というまとまりにおいて、本来、生命は好きなように生きていい。常識や規則があるのは人だけ。ペットであっても好きに生きていい。そもそもペットになるのは人の支配下に置かれたからで、生存のための強弱では弱いから。

ただし、何事も自業自得。言い換えれば、自分の行為とその影響の結果は、自分で引き受けねばならない。我慢する必要はないけれど、好きなように生きたことの結果は、ちゃんと自分で責任持たないといけない。生きるということは冷酷なことなのだ。人のなかに常識や規則が作られたのは、出来れば悲惨な結果を避けたいという本能からだろう。冷酷な現実は耐え難いものだ。しかし常識や規則はすべて人に適合するほど万能ではない。これもやはり、強い存在によって設定されている。

仏教の考えにおいて、「生まれ」は今の自分ではどうにもならない。それは先天的な業(行為とその影響)によるものであるから、今の自分ではなく、過去の自分(→今、業は引き継ぐが人格は異なる)の業の結果だから。しかし、今、どう生きるのかは、今の自分で決めていい。もちろん思い通りにならないことも多いが、方針を決めるのは今の自分でいい。好きに生きていいのだ。

お釈迦様も説かれた。生まれでバラモン(→インドの伝統的宗教家で、身分的に最上位)になるのではなく、生き方によってバラモンになるのだと。

たとえば身体的な先天的性別を変えたいのであれば、可能なかぎり努力してもいい。ただし、性別変更という行為と、その影響から来る結果は、すべて自分で責任をもって引き受けねばならない。影響は個人的にも社会的にも色々とあることだろう。「後始末はよろしく」、ではダメだ。引き受けるほどの覚悟がないのであれば、別の方法を考えなければならない。自分の行為とその影響は、周囲に良く思われることもあれば、悪く思われることもある。そのすべての結果は自分が引き受ける。

何事も「聞・思・修」と言って、まず聞く、そして自分で考える、それから行動へ移す。考えなしに生きていけるほど、生命というものは緩くはなさそう。


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2024年01月29日

大切に思う人、思われている人がいる

すこしでも想像してみれば、ある程度は分かるはず。すべての人にはそれぞれの人生があり、大切に思う人、思われている人がいる。命は個々で歩むものであると同時に、縁によって結ばれて互いに影響し合いながら存在している。自分の今までの歩みを振り返って見ても、これは比較的容易に分かるはず。

自分の欲望や都合、慢心した理想によって、勝手に他者を殺傷することは悪業だ。これは現世において報いを受ける因となるのみならず、来世における命のあり方を直接決定する因となる。簡単に言えば、そういう悪業を自分自身に植え付けてしまうと、来世は地獄という命のあり方になる。地獄に落ちると表現されるが、むしろ自分自身の心が地獄なのだ。だから地獄に落ちる。

もちろん、その悪業を消し去ることは可能だ。無限とも言える期間、地獄の苦しみを受け続ければ、いつかは悪業は消える。無限とも言える期間になることは間違いないけどね。現世においても過ちに早々に気づき、真摯にその悪業に向き合い、悪業が花開かずいつか消滅するかのような大きな善業を自分自身に植え付けることが出来れば、もしかしたら地獄行きは逃れることが出来るかもしれない。

でも、そんなことにならないよう、すこしでも想像してみることが大切だ。想像が苦手であっても、他者だって自分と同じように生きているし、大切に思う人、思われている人がいると知ってほしい。他者を殺傷することは、その人が大切に思う人、思われている人の命をも傷つけることになる。だから、悪業が極めて大きい。

地獄の閻魔様は、こうした悪業の象徴なのだ。決して逃れることが出来ない。決して許されることがない。それほど厳しく、冷徹なものが悪業だ。私はそんな地獄に落ちたくないので、出来るだけ他者のことを想像し、思うことにしている。せこい欲望も都合も理想もあるけれども、他者を殺傷してまで押し通す価値なんてまるでないね。それを肯定するような本も世にはあるが、読む価値は絶対にない。


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2024年01月23日

多様性ということ

仏教は個人宗教なのでいつでも仏様と私の一対一です。皆が一色に染まりましょう、ということはありません。私は私の色のままでいい。仏様がそれに合わせてくださいます。それぞれが別々な色を放つのは当たり前のことです。なぜならば、私たちの業(行為とその影響)というものは、他者からの影響も受けるとはいえ個人的なものだからです。私たちは自業自得のなかで生きており、善いことも悪いこともすべて自分に付着します。他者と同一になることはあり得ないのです。仏様はそんな私たちそれぞれに合わせ、はたらきかけてくださいます。あなたのままでいいのです。

こうした考えは、まさに現代的な多様性を認め合う考えに合致します。色々な性格、色々な生い立ち、色々な人種、同一なんてことはあり得ません。日本人の宗教観、もう少し広く言えば感性というものは、まさに多様性を認め合うものです。神仏もたくさんいらっしゃるでしょう。何でも色々なのです。違っても衝突しません。皆が同じ方向を向けという時代も一時的にはありましたが、長続きはしていません。

ただ、これは勝手を容認しているわけではないのです。多様性を認め合うと同時に、それらが調和していないと居心地が悪い。和を重んじるのが私たちの感性でもあります。『無量寿経』には「風吹きて、華を散らして、仏土に遍満す。色の次第に随ひて雑乱せず」と説かれます。色々な華が風に吹かれて絨毯のようになっても、それぞれの色が勝手に雑多にあることはない、ということです。色はそれぞれであっても、ちゃんと調和している状態が理想的です。

多様性と和は、私たち日本人が長年に渡って大切にしてきた感性です。日本人は意外と自分たちのことを知りません。外国の方と交流を深めるためには、まず自分たちが自分たちのことを知らなければ、実は相手のことをしっかり知ることもできません。単なる迎合は交流とは言えないからです。

日本の国際化というものは、多様性と和によってもたらされると私は思います。


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2024年01月13日

生死こそ、一大事

新年早々にインフルエンザ感染しまして、年末のコロナ感染に引き続き、不甲斐なく臥せっておりました。インフルエンザは本当に何年ぶりかなという具合です。感染防止も意識が薄らぎ、周囲の状況への注意も怠っていたと思います。今一度、自覚をもって日常を送りたいと思います。

今年は元旦から災害事故が続いております。対岸の火事ではなく、他でもない自分自身における生死の問題として、真摯に受け止めていきたいと思っています。生死こそが一大事であり、それ以上のことはありません。しかし、私たちは普段、この一大事を先送りして生きています。生きることは死ぬことです。ちゃんと自分事として考えていきたいと思います。 合掌


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2024年01月01日

令和六年もよろしくお願いします

皆様、令和六年もよろしくお願いします。今年は伝道布教の充実・拡大と、弁天堂のイメージキャラクター作成、この2つをテーマに精進したいと思います。仏法が広まれば安穏も広まるということを肝に銘じまして、修行邁進していきたいと思います。 合掌

相州善福寺 住職 伊東昌彦


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2023年12月30日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

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2023年11月27日

掲示伝道をはじめました

掲示伝道をはじめました。毎月更新の予定です。頑張ります!

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2023年11月06日

死とは、何なのか

#仏教 #死 #阿頼耶識

死ぬということは、仏教ではどういう意味なのでしょうか?

1つの考え方です。

仏教では心こそが人の本体と見なしますが、心は多層構造であると考えます。自分自身である「私」という認識は、心の一部である「意識」が身体を通して認識しています。「意識」は知性です。身体の脳が大きな役割を果たしています。他者への認識も同じです。他者と交信する際にも身体を通じて直接行われ、「意識」が誰々と認識をします。

そして「意識」より深い層には、普段の自分では知り得ることのできない部分があります。深い瞑想によって知り得ることが可能とされ、これを「阿頼耶識(あらやしき)」などと言い表します。簡単に言えば、過去いく世にも重ねてきた自分の行為やその影響が貯蔵されており、言うなればデータ貯蔵庫です。前世のみならず、無限の過去世からのデータです。

この「阿頼耶識」は、この世において「意識」や身体と同じように刻一刻と変化していますが、身体の「死」によって「意識」も継続不能になる一方、「阿頼耶識」は継続します。そういう意味ではこの「阿頼耶識」が人の本体であるように思えてきますが、実際にはただの入れものにしか過ぎません。本体というと不変な存在をイメージしがちですが、仏教ではそういう本体はないとされます。

なので敢えて言えば、ここに貯蔵されている自分の行為やその影響、これを「業(ごう)」と言いまして、この「業」こそが本体ということにもなるかもしれませんが、これはやはり現代的なデータのような存在なので本体と言えるかどうかは微妙です。しかしいずれにしても、「業」によって自分自身は次から次へと転生しますので、私たちは不滅であるとも言えるわけです。

じゃあ死ぬってのは、いったい何なんだと言いますと、すでに述べてしまいましたが、この世で身体が継続不能になることです。脳も含めて身体が継続不能になれば、この世での「意識(つまり「今の私」)」も消滅します。しかし、「阿頼耶識」は継続します。自分の「業」は大量に残っているので、それに基づいた来世がスタートします。転生です。新たに身体を得て、新しい「意識」も出てきます。記憶は継続しませんが、「業」はしっかり貯蔵されています。こういう意味で不滅なのです。

上記を言い換えますと、普段の「意識」レベルで自分や相手を認識出来なくなった状態が「死」です。「阿頼耶識」は普通は知り得ませんので、私たちは相手の手がかりをなくしてしまうことになります。交信不能に陥るというわけです。私は両親を亡くしましたので、両親とは生前のような交信は不可能になっています。しかし、両親はとくにどこにも行っていません。私の「阿頼耶識」と両親の「阿頼耶識」は、今でも関係性を持っているはずです。「意識」レベルでは分からないだけです。

ただ、仏教(大乗仏教)では成仏することが目的なので、成仏すると「阿頼耶識」は仏の智慧に取って代わります。業も消滅し、自他平等のさとりの境地に至ります。これが果たしてどういう状態なのか、色々と経論には説かれています。「業」によって輪廻転生を繰り替える私たちを、その「業」の鎖から解き放ってくれるはたらきとなるのでしょう。両親が成仏していれば、両親の「阿頼耶識」は仏の智慧になっており、智慧は私を救ってくださるはたらきです。やはり、私と両親は関係性を持っています。

死ぬということは交信不能なだけであり、仏教的にはとくに別離ではないと言えそうですね。私たちがいかに身体に頼って生きているのかが良く分かります。

とは言え、大事な方が亡くなることは耐え難い辛苦です。交信できないのであれば、事実上の別離ではあります。これを仏教では「愛別離苦」と言い表しますが、交信不能であっても語り掛けること、古来、人は語り掛けることによって「愛別離苦」を受け止めて来ました。写真に語っても、手紙に語っても、本堂やお墓で語っても、何でも良いのだと思います。「死」を経てなお語ること、無意味だとは思えません。


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2023年10月18日

日本人に人種差別あるのか

日本人に人種差別あるのかと言えば、これはもちろん主観ですが、「人種」だけでの差別は多くはないと思えます(ないとは言いませんが)。

しかし、差別はある。

いわゆる日本人、抽象的ですが一般的な日本人にとって、「違う」と思うことは「日本人的感覚」に基づいているように思えます。「日本人的常識」でもいい。これを判断基準として、違和感を覚えなければ人種が何だろうと、どこの国の人だろうと、あまり差別はないでしょう(ないとは言いませんが)。

ただし、このフワっとした「日本人的感覚」や「日本人的常識」っていうのは、とても難しい。

この島国で、その伝統を重んじ、大和政権以来、実は政治の枠組みに大きな変化のない日本。江戸時代からの滅私奉公の感覚が仕事場でも息づいている。日本古来の神祇信仰から、先祖崇拝、仏教伝来、神仏習合、キリスト教伝来、色々な宗教が混じり合って熟成された宗教観。他者との関わり方も、ここで育たなければ、なかなか真似のできるものではないでしょう。

ここから発した「感覚」や「常識」から外れると、ダメなんですよね。そこに「人種」は関係なく、同じ日本人でもダメだったりするから、これまた厄介。しかも場によって、地域や学校や会社といった場によって、それぞれ異なる側面を見せることもあるので、それに乗れるか乗れないかという難しい局面がある。フワフワなので難しい。

肌の色が何だろうが、一般的な日本人にとって大事なのはここなんだと思います。

ここから外れると、差別されます。いじめですよ。明瞭ではなく、陰湿な傾向です。

一般的な日本人にとって、個性や個人、プライベートって、やはり欧米の感覚であって、いまだに良く分かってないところもあると思えます。私もそうです。理解しようとしても、心の奥底から、どこかから湧いてくる違和感を禁じ得ない。とは言え、それが間違っているわけではないので、それが差別につながってしまうことのないよう努めることが大切だと思っています。「日本人的感覚」や「日本人的常識」が悪いのではなく、それを差別につなげてしまう短絡的な思考が悪いのです。

日本人は曖昧な感覚を好みますので、実際にはかなり寛容的です。宗教を見ても、1つを選ぶことはしないでしょう。差別を生まないような思考が出来るはずなので、気をつけていきたいと思います。

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2023年10月17日

報恩講 お能 医療講座

≪報恩講のご案内≫

◎逮夜法要11月18日(土)
 ・午後4時〜読経と法話 当山住職
 ・午後5時〜能楽奉納 鎌倉能舞台 中森貫太師 
   半能「熊坂」

◎日中法要11月19日(日)
 ・午後1時〜雅楽法要
 ・法要に引き続きリコーダー演奏 
   小田原リコーダーコンソート
 ・午後2時〜医療講座 
   茅場町いとう医院副院長 伊東佳子先生
    講座「肝臓について」

本年の能楽奉納は半能「熊坂」です。医療講座はお馴染みの伊東先生による「肝臓について」となります。リコーダー演奏もありますので、皆様どうぞお参りください。法要に参加して心を健康に、そして医療講座で体も健康に。自分にとって充実した毎日を過ごしましょう。 合掌

 お能「熊坂」
「都から東国へ下る途中、赤坂にさしかかった旅僧(ワキ)が一人の僧(前シテ)に呼びかけられ、さる者の命日の回向を乞われ、僧の庵室に導かれる。そこには仏像がなく、おびただしい武具がある。シテの僧は、それを横行する山賊に備えてのためという。ついで仏も武器によって悪魔降伏をする事を語り、寝所へ去る。中入で、赤坂の里人(アイ)が熊坂長範の事跡を語る。旅僧が弔っていると、長範の霊(後シテ)が夜風激しい中に現われ、黄金商人三条吉次信高を襲ったときの有様を再現し、当夜、眼光炯々として見張っていた十六、七の小男が牛若だと知らなかったのが運の尽きであったと語る。キリは長刀を使う熊坂が牛若丸に翻弄されるさまを見せる。長刀物で爽快な所作を見せる上、夢幻能としての詩情も溢れる名品。」(『能楽ハンドブック改訂版』、三省堂2000年)

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2023年10月14日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

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少欲知足を心がけたい

戦争や紛争などの争いを始めるのは権力者です。そういう権力者ってのは、なんて欲深いのかと思う。あれも欲しい、これも欲しいなんだろうな。争いの原因は欲望だ。子どもの喧嘩だって、物の取り合いが多いだろう。欲があるから人は生きているわけだが、欲は少なくても実は大丈夫。

少欲知足

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2023年09月26日

クローンだって別々の命

本日9/26付けの日経新聞1面に、「テクノ新世 Technopocene「神の」領域へA」という記事がありました。亡くなった息子さんの遺体から精子を取り出し、代理母によって孫を得ようとする夫婦。亡くなったペットのクローンを飼っている夫婦。クローンが家に来たときには、「家に帰ってきた」と感じたと言います。いずれも大切な存在が亡くなってしまい、なんとかその悲しみを乗り越えようとしていることが分かります。これは誰しもが経験する可能性のあることであり、とても自然な感情と言えます。

テクノロジーのことは私には分かりませんが、宗教家として言えることは、亡くなるということも自然だということです。子のいない息子さんが亡くなったということは、それ以上でもそれ以下でもありません。ペットも亡くなれば、同じことです。非常に辛いことですが、仮にその分身とも言える存在や、クローンである存在があったとしても、決して同じ命ではありません。器である肉体が近い存在であっても、あくまでも命は別の存在として来たと言えます。

日経新聞は記事の最後に、哲学者であるスティーブン・ケイブ氏の、「これまで宗教が担ってきた(死を乗り越える)物語を科学が語り始めただけだ」という言葉を引きます。そして、日経新聞の言葉として、「科学によって死の悲しみを乗り越える。そんな時代がやってきた。」と結びますが、引用されたケイブ氏の言葉を見る限り、やや勇み足のような印象です。

科学技術はもちろん生命の領域まで触手を伸ばし、あたかも死について語り始めたように見えるでしょうが、それをもって「死の悲しみを乗り越える」「時代がやってきた」とは断定できません。宗教であっても、自分や大切な方の「死の悲しみを乗り越える」ということは主要な課題とはいえ、乗り越えることは簡単なことではありません。仏教では「生老病死」と言いまして、この世における4つの苦悩のことですが、必ず命あるものは死ぬのだと説きます。これが真理です。現代的に言い換えれば、これが自然なのです。こうした真理を受け入れることが、唯一、「死の悲しみを乗り越える」ことにつながると言えます。

私はケイブ氏のことはほとんど知りませんので、もしかしたら、記事の締め括り方に間違いはないかもしれませんが、科学技術も生命の領域まで来たということを述べているだけで、科学によって死を乗り越える、とは言ってないのではないかと思えます。もし、仮に科学万能主義のようなことを言っているのであれば、それはもはや哲学ではないでしょうし、敢えて記事にするようなことでもないかと思えます。クローンなどの存在で死の悲しみを乗り越えることが出来るのであれば、特筆すべきことはなくなるからです。そうすればいいだけですから。

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2023年08月20日

あらためて、供養とは?

供養という言葉は、原意としては「仏に仕える」というような意味合いになりますが、現代日本では亡き方を追悼する(もしくは慰霊する)という意味で用いられることが多いでしょう。追悼ということも含め、何となくぼんやりとした印象の言葉ではありますが、父(前住職)が亡くなりまして、1つ明確になったことがございます。

父が亡くなり、通夜葬儀、そして四十九日法要納骨と終えまして、同時に遺品整理をしています。遺品からは息子である私の知らなかった父の側面ですとか、「父として」ではなく、ひとりの人としての姿も拾い集めることが出来ました。言い換えれば、より伊東宗之(←父です)という人物を知ることが出来たのです。

供養とは、亡き方を生前よりも増して知っていく、より知っていくことではないかと思います。よく考えれば、祖父のことも祖母のことも、よく知っていたかと言えば、そうではない側面も多いことでしょう。断片的ですが残っている若い頃の写真からは、たしかに祖父や祖母の当時をイメージすることは可能ですが、かなり限られたものになってしまいます。写真にコメントがあるだけでも、かなりイメージ増幅には役立ちます。祖父や祖母が大切に考えていた事柄を、私ももっと知ることが出来れば、今の自分自身の生き方にも何かしら影響があるようにも思えます。

自分の大切な事柄を、少しでものこし伝えていければなあと、そんな思いでいます。

記憶をのこすことは、広く言えば次世代にとって意味あることだと思います。

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2023年08月15日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

善福寺永代供養墓
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2023年06月22日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

善福寺永代供養墓
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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