2021年09月03日

法事をしてよかったなあ

先月、母の三回忌法要を勤めました。新型コロナウイルスの影響を考えまして、兄夫婦のみの参加となりました。叔母や叔父にも参列してもらいたかったのですが、年齢を考えますとコロナ禍では仕方なかったかと思います。昨年は一周忌法要でしたが、今年以上にコロナのことでゴタゴタしていまして、わが家だけでのお勤めとなり、兄家族にはお墓参りだけしてもらいました。昨年はあまり話をする時間もなく終えました。

今年は兄夫婦とも話をする時間がもてまして、とても嬉しい三回忌でした。法事はもちろん故人を偲ぶ場ではありますが、普段なかなか会えない人にも会うことができます。実は母の病気や父の介護のことなど、兄夫婦とはあまりうまく行っていない状況が続いていました。何となくギクシャクしていたわけです。しかもコロナ禍なので気軽に食事に誘うわけにもいかず、母が亡くなって以来、話をまともにする機会を逸していたのです。

三回忌法要で兄夫婦と話が出来まして、ギクシャクしていたものがなくなりました。少なくとも私のなかではなくなり、とても気分がスッキリしました。母のお陰なのかと、あらためて三回忌の仏縁に感謝です。自分の力だけではどうにも解決できないことでしたが、仏となった母が救ってくれたのかもしれません。まだまだ教えてもらうことが多いもんだなあと、しみじみ感じました。法事をしてよかった。

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2021年08月27日

次世代型のお寺とは

今のお寺のあり方は基本的には江戸時代からのものであり、それが何と今まで継続しています。葬儀や年回法事を担うということで、言うなれば死別の悲しみの受け皿になってきました。それが全国的に認知され続けてきたからこそ、社会のなかで役立つお寺であったのでしょう。しかし、どうも最近はそうでもなく、お寺に期待することは特にないという風潮が高まってきたかもしれません。言い方を変えれば、お寺は社会に役立っていないと感じる人々が増えたということです。お寺の怠慢ということもあるでしょう。高圧的な住職であったり、お布施を強要することがあったりしますと、さらによくありません。

仏教は人生を生老病死と見ます。生まれて老いて病気になり死んでいくのが私たちです。最大の悩みであるとも言えるわけですが、不老不死にはなれません。むしろ人生は生老病死なのだと知ることこそが、根本的な悩み解決に向かう糸口となります。お寺はそういうことを常に伝えていかねばなりません。葬儀や法事そして法話会などでその都度こうした話をするわけですが、これ以外にも伝える方法があっても良さそうです。言葉だけではなく、社会的行動によって伝えることだって可能でしょう。次世代型のお寺が今こそ必要なのです。

ただし、問題があります。私にはまったくその具体案が頭に浮かばないのです。ここ数年はずっとこの事ばかり考えています。医療や福祉と協働するなど、本山ではすでに動きが見られるのですが、では私はどうすれば良いのかまだ妙案が出てきません。もっと頭をひねる必要がありそうです。

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2021年08月17日

お盆を終えまして

今年もお盆参りが終わりました。コロナ禍と大雨でしたが無事勤められたことに感謝です。熱海の土石流があった日に善福寺でも土砂崩れがあり、その怖さを知った夏でもありました。今回の大雨でも亡くなられた方がいらっしゃいます。土石流や土砂崩れはその土地の形状に大きく関係してきます。形状はそうそう変わるものではありませんので、過去に被害があったのかも知っておくべきかと感じました。もちろん初めて被害が出る箇所もありますが、過去の教訓や言い伝えはとても大事です。温故知新、過去を尋ねることは日々歩む上で肝腎だと思います。

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2021年07月27日

ちゃんと本質を見るようにしたい

スポーツ選手とりわけ女性選手への視線が問題となっていますね。スポーツ選手を評価すべき本質は顔やスタイルではありません。競技です。ファッションモデルは顔やスタイルを評価すべきです。俳優は演技ですし歌手であれば歌声です。心のなかで思うだけであれば良いでしょうが、競技内容よりも顔とかスタイルで評価されると本人は困るでしょう。かわいいなあとか、かっこいいなとか、セクシーだなあとか、そう思うのはもちろん勝手なのですが、その部分をわざわざ写真に撮ったり、ましてや報道したりSNSに投稿するのは問題です。

本質を評価できるような倫理を持ち合わせていきたいものです。オリンピックはもとよりアマチュアリズムの美しさを競うものでしょう。商業化しすぎると本質が評価できなくなってしまいそうです。大事なところを見失わないように生きていきたいものです。

人生の本質と言えば、それこそ生き死にです。まさに一大事。

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2021年07月05日

雨水を大量に含んだ土はとても重たいのです

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自分のところは大丈夫だろうと思っていますと、こうなります。災害は対岸の火事とせず、常に他山の石とする心掛けが大切だと身にしみました。ただし、自然災害は対策を講じましても、それ以上の被害をもたらすことも多いでしょう。人の力を過信せず、自然と共生していくという心掛けもまた大切なことなのだと自省いたしました。

今日は善福寺清掃メンバーの方々と埋没したお墓から土を除きました。石塚石材さんも駆けつけてくれまして、とても助かりました。有難うございます!

熱海での土砂災害で亡くなられました方々に哀悼の意を表します。合掌

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2021年07月01日

7月で48歳になります

今日から7月ですね。私は7月12日が誕生日です。昔は自分の誕生日が好きでした。両親や祖父母も祝ってくれましたし、大人に近づくのが嬉しかったですね。最近はそうでもありません。単純に年取ったなあと思ってしまうのもありますが、仏教ではそんなにめでたくないからだと思います。キリスト教だと生まれることが宗教的に祝福されるかと思いますが、仏教だとそうでもないんですよね。

なぜかと言えば、キリスト教は多分、神に選ばれて人として生まれてくるのに対して、仏教は過去世からの自分の行いの結果として、善くも悪くも人としての命のステージに生まれ出るからです。非常に個人的な問題なのです。ラッキー要素もあって選ばれるということではなく、自分の成績のまま・・・、って感じなんです。いちおう「可」なので60点ぐらいとか。しかも人はまだ迷いの世界の真っ只中なので、迷ったままやって来ました、ああ、どうしようかな、と。

もちろん、生まれ出るときには自ら両親を探して、自分に相応しいと思える両親の間に生まれ出るという説もありますので、めでたい要素がまったくないわけではありません。また、迷いから覚りへ至る道程において、まず人に生まれないとそのきっかけすら掴めないとも言われます。人に生まれることが覚りへの近道になるわけですから、結構いい路線にはいるわけです。これはめでたい。ただ、やはりすごく地道なイメージであるからなのか、ハッピーな雰囲気ではないような気もしますよね。

むしろ、ここまで育ててくれた両親や周囲の人に感謝すべきかなと思います。そうでないと坊さんにはなってないわけですし、今の自分はありません。それなりに努力して生きていくことが出来るようになったのも、両親の導きがあってのことと言えそうです。

ちなみに大人になった私は、祝ってもらうのが得意なほうではありません。小恥ずかしいというのもありますし、人を祝うほうが得意なほうなのです。誕生日にはかつての両親や祖父母を思い、感謝の心を深めたいと思います。こうした環境に育つことができて、そういう意味において非常にラッキーかつハッピーであったのかもしれません。仏教としては、たしかに過去世による行いに関係しているのですが、今の私は過去世の記憶がありませんので、やはり率直にそう思えます。

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2021年06月19日

牛乳焼酎牧場の夢(人吉市「大和一酒造元」)

地元ロータリークラブのご縁によりまして、九州の方から大変嬉しいプレゼントをいただきました。

実は私、普段あまり遠出が出来なこともありまして、西日本へは中学時代に修学旅行で広島に行ったきり、それより西を訪れたことがありません。九州は浄土真宗のご縁が深い地ではあるのですが、なかなか行けず終いでした。そんな折、九州地方の豪雨支援のためロータリークラブから冷蔵庫を送ったことがあり、その御礼として、オンラインで開催の例会に、遠く九州から当地のロータリークラブの皆様が参加して下さることとなりました。

あまり九州にご縁のない私ですが、行きつけの飲み屋で愛飲している焼酎があります。製造元などあまり気にしない性分なので、ラベルをまじまじと見てはいなかったのですが、製造は熊本県人吉市の合資会社大和一酒造元とありました。ああ、そう言えば熊本の焼酎であったなあと再認識していたところ、そのオンライン例会におきまして、人吉市の方とお会いすることができました。焼酎愛飲していますとお話したところ、製造元をよくご存知とのことで、話が一気に通じて大変嬉しい思いでありました。

後日、なんとその方から私が愛飲している「牛乳焼酎牧場の夢」がお寺に届きました。牛乳焼酎なのです。とくに牛乳大好きというわけではないのですが、なんともマイルドで私の好みです。牛乳なので好き嫌いあろうかと思いますが、私は長年愛飲しています。有難うございます。ちなみにこちらです。↓

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ラベルには「人吉温泉水と良質の水、しぼりたての牛乳で造った風味豊かで体にやさしい天然のアルカリ性焼酎」とありまして、コロナ禍において免疫力が高まっていきそうな気がします。人的交流の乏しい私にとりまして、非常に嬉しい出来事でありました。

また、九州の食品で楽しみなことと言えば、ブラックモンブランというアイスがあろうかと思います。こちら関東には基本的に売っておらず、食感が似ていそうな大阪のチョコバリは流通していますが、以前から一度体験したいと思っていました。それがこの度、関東にも進出されるとのニュースがあり、個人的にとても楽しみです。

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2021年05月31日

走ってきました、はこね金太郎ライン

はこね金太郎ラインで仙石原まで往復したのですが、やはり走行注意です。県道ではありますが、かなりの山道でクネクネなのです。助手席や後部座席の方は酔うでしょう。私は酔う人なので、運転していても気持ち悪くなりそうな予感でした。そして何より道が狭いので、対向車と正面衝突しないよう細心の注意が必要です。車幅が2メートル近い車だとスムーズにすれ違いが出来ないかもしれません。煽り運転は厳禁です。中央ラインがないので即事故につながると思います。また、本当に落石、というか岩に近い物体も落ちていたりしますので、天候が悪いときはさらに注意が必要です。先日、仙石原までゴルフしに行ってきたという方とお話しましたら、実際に岩に近い石が落ちていたそうです。箱根は本当に山なので、天候も平野部とは異なります。東名降りて雨降っていなくても、箱根は大雨とか普通にありますので、天候には十分お気をつけ下さい。

ややネガティブなこと書いてしまいましたが、いずれにしましても、東名大井松田方面から箱根が近くなりました。安全に運転していけば、とても便利な道路だと思います。お店もほとんどない所を通りますので、また違った箱根の楽しみ方も出来るかもしれません。私も安全運転でドライブしたいと思います。

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2021年05月06日

懐かしい、ミスターロボット

仏教では修行の階梯は非常に明確化されています。どの程度修行すればどうなるのか、サボればどうなるのか、ゴールはどんな具合なのか。実際に進んで行くことは極めて難しい階梯なのですが、分かるようになっているわけです。分かるからこそ、やる気も出るのだと思います。高僧方は後進のため、ちゃんとまとめておいてくれたのですから、とても有難いことです。

人生は諸行無常です。まさに一寸先は闇なのですが、無計画ではあまりにも効率が悪い。人生は時間的に限られているのですから、あまりボーとしていますと終了してしまいます。人生の目的云々は置いておきまして、ある程度道筋が見えてこないと精神的に辛い思いをします。

今、地域によっては非常事態宣言が発出されているのですが、あまりにも漠然としています。今まで何回か非常事態宣言が発出されていますので、同じことでは好転しないことは私にも分かります。何度も同じことをしないで、ちゃんと新たな道筋をつけた階梯を歩んでいきたいものです。その旗振り役はもちろん政治家の方々です。リーダーとしての役目を果たしてもらいたいものです。

私が生まれ育った時代、バブル崩壊まで日本は未来ある日本でした。科学の力とか、世界一の技術とか、そういうイメージで育った感があります。バブル崩壊後のおよそ30年間はそうしたイメージが崩れていく日々でしたが、まだ日本は大丈夫だと信じていました。そう教わって育ったからでしょうか、結構根強く信じていた自分に今、気づかされる思いがします。

資源もない、科学技術もない、そんな日本になりつつあることを、このコロナ禍で実感、まさに体感した思いでいます。NECのマイコンでよく遊びました。PC-8801FH。中学時代、親にねだって高価な品を買ってもらいました(納屋でぐーぐー眠っています)。小学校時代、先進的な友人はアップルUというマイコンを所持していましたが、NECはそれにも負けていないように感じたものです。しかし、日本からはとうとう、今のいわゆるGAFAMのような企業は出てきませんでした。ああ

ガラケーという言葉があったように、日本はガラパゴス諸島なんでしょう。まさに言い得て妙です。でも内需が強かった時代が去り、ガラパゴス諸島では経済的な発展は見込めない時代になっているようですね。やたら機能的なトイレとか、個人的には凄いなあって思うのですが、世界的には不要なんでしょうか。この感覚のズレって逆に面白く、日本製が復権すればなあと、かつてのスティクスというバンドの「ミスターロボット」という歌を懐かしく感じる今朝です。

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2021年05月03日

政府はちゃんと「挨拶」してほしい

政府はオリンピックを開催する方向ですが、国民にはこのコロナ禍で開催反対の方も多いようですね。新型コロナウイルス感染の状況を数値だけで捉えますと、世界的に日本は優等生な側面もありそうです。しかし一方、私たち国民としては、だからこそ海外からたくさんの関係者の方が入国されることに不安を覚えます。日本のいわゆる水際対策は甘いとの報道もあります。オリンピック開催が国難となるのか国益となるのか、政府と国民では見方が違うのでしょう。違って良いのですが、国民目線を理解してくれない政府だと不安は増大しますよね。今の政府は究極的に説明不足なのではないかと感じます。

ところで、「挨拶」という言葉はもともとは禅宗の言葉で、互いに相手の心を開いて心のキャッチボールをするというような意味になります。人間関係は挨拶に始まるわけですし、相互理解が何よりも大切です。一方的では絶対に片方が不満になります。政府にはちゃんと挨拶してもらいたいなあと、ここのところ毎日思ってしまいます。

ちなみに私はオリンピック自体にはあまり興味はありません。スポーツはほとんどしませんし、観戦も野球だけです。オリンピックの野球は、かつては社会人野球の選手が頑張っていましたが、いつの間にかプロ化していました。私の世代ですと、まだ「オリンピックはアマチュアスポーツの祭典&共産圏の国威発揚」という印象が残っていますが、今のメインは「商売」ですね。それぞれの種目で世界大会は別にあるでしょうし、オリンピックの位置づけって、「スポーツビジネスの祭典」ってことになるのかなあ。何だか異様にお金もかかるようですし、日本はオリンピックをキャンセルできないとかなんとか、このへんの事情も国民には明確に伝えられていませんし、わけわかりませんね。

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2021年04月24日

大学のハイブリッド授業

う〜む、報道によれば、文科省は大学授業をリアルとオンラインのハイブリッド型にするよう要請してきたようだけど、あまり賛成しないなあ。実は地元親睦奉仕団体で会長を拝命しており、昨年は毎週ハイブリッド型の例会を一時開催していました。会長は毎回挨拶をするのですが、どうしても話し手として、オンライン参加の方へはあまり意識が向かなくなります。気にはしていても、まだ慣れていないので難しいんですよね。

大学の先生方も大変だと思います。まだ慣れている先生はそれほど多くないんじゃないかなあ。学生だって授業がハイブリッド型であれば、オンラインよりもリアル参加のほうが、何かしらいい事ありそうな気がすると思う。大学まで通える距離に今いるんだったら、大学行ったほうが楽しい。だったらハイブリッド型なんて意味なくなるし、やるなら曖昧なこと言ってないで、どちらかにしたほうが先生も学生もやり易いんじゃないかなあ。もちろん学生だって体調それぞれだからハイブリッド型が良いのも分かるのですが、授業自体の成立や効果にとっては問題でしょう。理系は大学行くでしょうし。

私はどちらの立場でもないので的外れかもしれませんが、こうした事態だからこそ、曖昧な判断は逆効果なのではないかと感じます。人間は元より曖昧な存在なので普段は別に構わないと思うんだけど、早く効果を得たい時や、例外的なことをやる時には明快さが必要です。

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2021年04月12日

仏事の完全オンラインは、まだ難しい

コロナ禍のなか、企業ではリモートワークが奨励されています。職種によっては難しいわけですが、会議はオンラインでも可能な場合があるでしょう。私たち宗門におきましても、たとえば教区の会議はすべてオンラインになっており、とくに問題はありません。

では、仏事はどうでしょう?

会議であっても、当初は慣れていなかったので不都合を感じる場合があったかと思います。仏事も坊さんが、たとえば本堂や斎場で実際に読経し、参列者は喪主も含めて全員オンラインということも想定可能です。慣れれば問題ないという意見も聞かれます。

もちろん会議と仏事が、感性において同じものだと捉えればの話です。

年間、何度も法事や葬儀を行う私からしますと、会議と仏事は違います。客観と主観の違いと言いましょうか、仏事は理性だけでは解決できない側面を多く担います。葬儀であれば、故人との関係が比較的薄い方であればオンライン参加も可能でしょう。大いに結構なことだと思います。

しかし遺族にとって、別れというものはそんなに簡単なことではありません。これは法事であっても同じです。今後の社会は、システムとしてインターネットを中心に動いていくでしょう。仏事も当然、何かしらインターネットを介したものに変容していくと予想されます。

課題としては、死別によって空いてしまった心の穴を、インターネット環境によって埋めていくことが可能なのか、ということが考えられます。私たちの周囲はデジタル化していますが、私たち自身、すなわち人はどこまでいってもアナログです。直接、脳とインターネットが接続されていない以上、これはもうどうしようもないことです。

しかし人は進化する存在ですし、デジタルと共存可能なようになっていくことでしょう。

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2021年04月07日

はこね金太郎ライン

4月28日に南足柄と箱根仙石原を結ぶ道が開通します。名称は「はこね金太郎ライン」と発表されました。金太郎氏は金時山付近で活躍していたとの伝承があり、この道は金時山付近を走ります。わかりやすくて良いです。南足柄と言えば大雄山最乗寺と並んで金太郎氏が有名です。町中、ある程度は金太郎氏。ただ、これぞ金太郎氏という場所はなく、敢えて言えば夕日の滝ぐらい。しかし、滝があるだけです。それはそれで自然で良いのですが(実はとても良い)、おそらく観光的には物足りないかも。ちなみに公時(きんとき)神社という神社もありますが、箱根町です。大雄山は天狗様なので、もうこれはコラボるしかないと私は思います。

天狗様 VS. 金太郎氏

あまりにもベタなのでやめたほうがいいでしょう。対決しても意味なし。ドラゴンボールみたいに合体するとか、というのもありますが、大雄山に叱られること間違いなし。せっかくキンタローマンというキャラがあるので、天狗様にはこの際、女形になっていただくとか。うる星やつらのクラマ姫のようになる。いいねって思うけどけど、間違いなく大雄山に叱られるでしょう。

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2021年04月02日

善福寺サイト≪追加コンテンツのお知らせ≫

善福寺サイト「今昔 お寺からの眺め」に追加コンテンツです。このページは善福寺周辺、神奈川県西部の魅力を伝えるため、officeAKIHIKO(代表:伊藤章彦氏)の協力を得て作成されています。今回追加は大雄山最乗寺、箱根仙石原、小田原北条氏、風魔党についての紹介です。

今昔 お寺からの眺め↓こちらです
http://www.zempukuji.or.jp/konjyaku

なお今月、4月28日には南足柄と箱根仙石原を結ぶ、「はこね金太郎ライン」が開通します。かつては箱根山を中心に交流のあった両地域ですが、車社会の現代においては往来が難しくなっていました。念願の県道が整備されまして、東名高速大井松田I.C.から箱根仙石原へのアクセスも良くなりました。コロナ禍ではございますが、感染防止のうえ、地域の観光が益々盛んになることを願います。

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2021年02月19日

学校の「変なとこ」

受験シーズン真っ盛りですね。今年は新型コロナウイルスの影響で受験生は苦労したと思います。わが家の娘も大学受験生でしたが、あまり芳しくなかったですね。まあ本人の自覚という問題もありますが、うまく勉強がはかどらなかった側面はちょっとあるかなあ。いずれにしても高校卒業を迎えることとなりまして、お世話になった学校には感謝しています。よい友人や先輩に恵まれたと思います。勉強はいまいちでしたが、剣道部で中高6年頑張りました。剣道部がなければ落第していたかもしれません。親として学校生活に満足しています。

娘はキリスト教主義の学校でした。受験の際には宗教校を優先的に受験校として選びました。お寺の娘ですが、まずは仏教とかキリスト教とかというようよりも、普段の生活のなかで宗教心を育んでもらいたいと願ったからです。住職として、父親としてそれが上手くいったのかは分かりません。教養としてキリスト教を知ることは大いに価値あることですし、それは果たせたでしょう。肝腎の宗教心はどうかと言えば、娘の心を覗けるわけではないので分かりませんが、慈しみの心は育ったかなという印象です。慈しみは宗教心の根幹と言えましょう。

宗教系の学校は不人気だそうです。教義に染まっても困るなあというのは親として理解できます。ただ、伝統的な宗教宗派であれば、いきなり学校現場で布教なんてないでしょう。とてもやんわりとしたもので、宗教的な教養が身につく程度だと思って良いです。そもそも日本の宗教的国柄というものは、1つを選び熱狂的になるものではありません。広く浅く、寛容的なのが日本です。伝統的な宗教宗派の学校は歴史が長いことが多いですし、そのあたりはよく心得ていることでしょう。そうでなければ、入学試験を課してまで生徒を広く集めることなんてできません。

ただ、ちょっと変なとこありますね。もちろん親として受け入れ可能な「変なとこ」なんですが、伝統というよりも、学校としての頑固さを感じることはあります。一方、そこが安定感になっているからでしょうか、親としての安心につながっているとも言えます。学校によって「変なとこ」は違いますが、入学前にはよくよく調査したほうが良いでしょう。今はネットで情報収集可能ですし、ネット上で取捨選択して良い情報を得られれば、その学校のことを事前にある程度知ることが昔より容易です。

たとえば浄土真宗本願寺派の宗門校である武蔵野大学中高では、講堂には思い切りご本尊阿弥陀如来がいらっしゃいます。そして年間行事を同校サイトで見てみますと、「報恩講」とか「彼岸会」とか、お寺に馴染みのある行事がゴロゴロです。築地本願寺に参拝するとか、そういう宗教行事が普通に正課になっています。なんでそんなことに時間を費やすのか、もっと授業時間を増やしてほしいと思うかもしれませんが、授業と同じくらい大事な宗教行事なわけです。娘の通う学校でも、そもそも土曜日は授業がありませんし、宗教関連のお休みも多かったと思います。一般的に見れば「変なとこ」でしょう。

私はこういう「変なとこ」が大好きなので、わざわざ選んで入学させたわけです。私自身は宗教校ではない学校でしたが、哲学者が創立したからなのか、やはり「変なとこ」が多々ありました。自由とはどういうことなのか、生徒自身に考えさせられるような環境でした。言い換えればほぼ放置だったわけですが、同級生を見ると立派に育っている輩も多く、まあまあ良い教育環境であったのかと思えます。わが母校である獨協中学高校は、先生も含めて「変なとこ」だらけでした。仲間も変人が多かったように思います。皆それぞれ変人で頑張っています。さてわが娘はどうなることやら、健やかであることを願います。

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2021年02月15日

志る角

緊急事態宣言下ではありますが、東京・六本木の「志る角」という料理屋さんに行ってきました。二代目店主は中高時代の友人なのです。お父上から立派に継承しまして、六本木という激戦区ではありますが精進しています。コロナ禍のなかピンチかと勝手に思いまして、押しかけてきました。消毒・検温などの対策は万全であり、カウンターは通常の半数でパネル仕切りを入れています。私は5時30分頃行きまして、閉店の8時にはお店をあとにしました。お持ち帰りでも頑張っているようでしたが、店内は平常時に比べてやはり空いている状態でした。夜が勝負のお店ですので、20時閉店では厳しいことでしょう。それでも雇用を維持しつつ何とかしのいでいるようで、友人として非常に誇らしいことでした。ちなみに味は最高ですよ!スタッフも気持ちのいい方ばかりです。

おじさんになったからかもしれませんが、中高時代の友人っていいものだなあって最近つくづく思います。

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2021年02月05日

男女交際と生徒の本分

男女交際を理由に退学処分になり、それに関する提訴があったとの報道がありました。故郷に近い学校なので馴染みがあります。高校野球と芸能人の印象が強い学校ですが、男女交際に厳しかったとは知りませんでした。互いに好きになると問題なんですかね。それで学業が疎かになれば問題ですが、退学処分になるほどの理由があるのかなあ。校則違反だから退学というのは正論のようにも聞こえますが、そもそも校則自体に問題があればどうなのでしょう。互いに好きになり、気持ちを確認すればいわゆる「交際」となるのかと思います。別に公に認定機関があるわけではなく、言うなれば気持ちの問題です。すごい曖昧なのですが、どうやって論理的に証明するのか私には分かりません。二人が認めたから退学処分なのでしょうが、どこから「交際」と認定するのかは非常に難しように思います。手をつないだら「交際」?そんなアホな。ちゃんと勉強していれば問題ないと私は思いますねえ。

親鸞聖人が好きな子できて、坊さんなので悩んだそうです。坊さんは本来、結婚しちゃダメなんですよ。仕方ないからお師匠様の法然聖人に相談したそうです。たしかに坊さんで好きな子できるのは一大事ですよね。坊さんやめるしかないかも、ってほど悩んだのでしょう。そしたら法然聖人は、結婚して仏教できないようなら結婚はやめとけと。仏教、つまり法然門下ではお念仏できなくなるようなら、結婚なんてするもんじゃない。お念仏ができるのであれば、別に構わんだろうと。たしかに好きな子できるのも一大事かもしれんが、本当の一大事はお念仏ができなくなるってことだよ、という主旨だと思います。それで親鸞聖人は結婚されました。奥様は恵信尼様です。お二人でお念仏。

高校の校則には、報道によりますと「特定の男女間の交際は、生徒の本分と照らし合わせ、禁止する」とあるそうです。「生徒の本分」、つまり学業であり勉強ですよね。「生徒」とありますので当然です。生徒は勉強するのが責務ですから。こういう校則を作成するのであれば、では何故、「特定の男女間の交際」というものが、「生徒の本分」である学業をなおざりにさせることになるのか、やはりちゃんと論理的な説明文があってほしいものです。生徒の本分と照らし合わせた結果、それが侵食されることになると断定しているわけですから、その理由を明確にしてほしいなあ。男女交際によって、救済不可能なほど成績が下がったというのなら理解できますが、むしろ上がる場合もあるんじゃないの?

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2021年01月14日

これからの日本、古い車も大切に

私は坊さんですが、いわゆる出家僧ではなく、市井に生きる在家に近い坊さんです。浄土系の坊さんは概ねこうした傾向にあり、とりわけ浄土真宗は僧俗(坊さんと門徒さん)の距離が近いと思います。しかし、宗派がそうだからということではなく、私自身、こうした坊さんのあり方ではないと得度する(坊さんになる)ことは無理だったでしょう。まあ、修行が足らんわけですな。全体的に足りない。こんなご時世でありましても、ああ、早く飲み行きたいなあとか、そんなことばかり頭に浮かびます。インド仏教では不飲酒なので、般若湯(日本の坊さんの言う酒)なんて存在しません。般若とは悟りの智慧のことであり、修行が完成した暁にようやく得ることが出来ます。酒飲んでたら得られないでしょう。酒飲むと煩悩が膨張しますのでまず無理です。

私はそもそも酒癖が悪いのですが、最近どうもそれに磨きがかかりまして、酔っぱらっている状態だと頭くることが多くなって困ります。周囲にも迷惑をかけています。もともとそういう人なんでしょうが、不満が膨張してくるんですよね。酒飲んでも変わらない人いますが、凄いなあと思います。私は根本的に不満があるのでしょう。しかし不満というものは、よく考えればすべて自己都合のいい加減極まりないものです。あたり前ですが、満たされないから不満なのです。極楽浄土にいらっしゃる菩薩様は「少欲知足」なのだそうです。少ない欲望で十分だと知っているわけです。あれ欲しい、これ欲しいじゃないんですよね。私はどうも欲張りなのでしょう、生来そうだと思います。

これからの日本、どうなるのでしょうか。資源のない国です。人材が豊富かと言えば、私たち団塊ジュニアは人数は多いのですが、う〜む、どうもこう競争にすでに疲れ切っているような印象です。持続可能云々と叫ばれる時代ですが、これはまさに「少欲知足」が原点です。成長時代は大量消費で豊かになってきましたが、これからは良いものを長く使うことが重要そうです。ドイツでは車の技術革新が目覚ましく、無駄のないエネルギー利用を念頭に置いているようです。どんどん新しい車が出てきます。一方、古い車を乗り続けることに対して、自動車税の減税政策があると聞きます。30年ほど古く非改造の車であれば、その恩恵に浴せるとのことです。日本はどうかなあ、古い車に乗れば乗るほど負担が高まってくるように思えますが、こうしたドイツ人の精神を見習いたいものですね。ものは大切に。

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2021年01月09日

飲み屋さんの危機

緊急事態宣言発出をうけまして、飲食店の営業時間が20時までとなりました。飲み屋さん大好きな私としましては、とても心配です。もちろん新型コロナウイルス感染防止の観点からすれば、営業へ何らかの規制が入ることはやむを得ないことです。しかし20時で切りますと、前回のことで明白なように飲み屋さんは稼ぎ時を失います。時間規制ではなくて人数規制でもいいような気がしますが、素人的な発想でしょうか。店内定員の1/3しか認めないということであれば、結構な飲み屋さんディスタンスになります。また、当然団体はお断りで、5〜6人以上は席を離してもらうようにすれば更に効果的でしょう。ダメかなあ。

しかし確かに酔っ払いは、ウイルスをまき散らす一因にはなります。秋に地元親睦団体の夜間飲食がありましたが、いくら店側が感染対策を万全にしても、酔っ払いはウロウロし出します。私も酔っ払っていたら同じ行動をするでしょう。実はその時、私は車だったのでノンアルコールでしのいでいたです。だからでしょう、酔っ払いの行動パターンがよく理解できました。団体で酔っぱらいますと、もう手がつけられないません。ウイルスがその場にあれば、即座に蔓延しような雰囲気ではあります。飲みに行くならば、移動範囲が明白な方、感染していないことが明白な家族や友人とだけにすべきでしょう。私もついつい飲み過ぎてしまうたちなので、これを機会に改善したいと目論んでいます。

政府云々よりも、やはり個人個人の自覚が大切です。感染防止に努めつつ、経済を失速させないようにしたいものです。感染防止をしての外食も不可能ではないはずですし、自覚をもって行動したいと思います。

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2021年01月01日

本年も宜しくお願い申し上げます

皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。年が明けまして令和3(2021)年となりました。仏教では本来、こうした暦による祝賀はありませんが、東アジア古来からの習慣もいいものだなあと思います。とりわけ日本的な「除夜の鐘」の考え方は、物事にある程度の折り合いをつけて生きていくということでもあり、執着心を捨てていこうという仏教本来の考え方にも通じていきます。しかし昨晩は除夜会は縮小開催となりまして、法要と接待は中止でありました。非常に残念ではありますが、10名ほどの方がご来山されまして、それぞれ思い思いに鐘をついて下さいました。テレビで『ゆく年くる年』を少し観ましたところ、ちょうど親鸞聖人ご修行の比叡山延暦寺の除夜会の模様を中継しておりました。大寒波ということで、あちらは私には耐え難そうな寒そうでしたが、こちらはまだ耐えられる寒さでした。準備もなく終えた年末は久しぶりのことで、少々拍子抜けの新年を迎えています。

新型コロナウイルスが少しでも早く収束してくれること念じてやみません。

合掌
posted by 伊東昌彦 at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii