2018年04月23日

善福寺と武家勢力

お寺の歴史をひも解いたとき、何らかのかたちで公家や武家勢力が関係していることが多いでしょう。鎮護国家のための祈祷寺院や、先祖を祀る菩提寺はもちろんのこと、民衆の信仰によって創建された寺院であっても、本堂建立の資金は武家に頼っている場合があると思います。時の有力者の外護がなければ、寺院護持はなかなか難しいことであったかと思います。

善福寺は浄土真宗の一末寺ではありますが、武家勢力とそれなりに関係している歴史があります。開基の了源上人(伊東祐光)は伊東祐親の孫にあたりますので、そもそも武家であったわけですが、祐親系統の伊東氏は平清盛の後ろ盾を得ていたようです。また、戦国時代に善福寺は小田原北条氏の一向宗禁制に遭遇しますが、解除後には一向宗本寺としての朱印免状を得たようでもあります。

伊豆伊東氏と小田原北条氏との関係によって、あるいは寺院としての格を保ってきた側面も考えられることでしょう。進納などの直接的支援があったかどうかは分かりませんが、お寺の「看板」にはなっていたのではなかろうかと推測します。伊東氏との関係は今までも調査をしてきましたが、北条氏との関係はよく分からないこともあり、これから何らか調査してみたいと思っています。
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2018年04月09日

無思考な思想は危険だ

3月〜4月は毎年慌ただしく、何となくダーっと日々経過していきます。そんな中で気になった報道と言えば、大相撲巡業での出来事です。女性は土俵から降りてくださいの件です。私は日本古来の思想には疎いのですが、これは元をたどれば「穢れ思想」に行きつくかと思います。穢れの原因と言えば、まずは「死」ということでしょうか。それから血ということで月経も対象でしょう。月経は女性の生理現象ですので、つまり「=女性」につながっていくのかと思います。

坊さんには無関係のように思う人もいるかもしれませんが、かつては坊さんは葬儀をしていませんでした。正しく言いますと、神事に出勤する立場にある官僧(→公務員の坊さん)です。平安時代までは基本的には官僧がほとんどで、私度僧(→民間の坊さん)が増えたのは鎌倉時代になってからかと思います。神事は「死」などの穢れを避ける伝統なので、官僧は神事に備えて穢れの原因になる物事には近づかないようにしていたわけです。葬儀をするようになったのは、はじめは半僧半俗のような私度僧であったり、または既存の枠組みから外れた律宗や念仏宗や禅宗の坊さんであったようです。

穢れ思想は日本固有のものではなく、多分、大陸経由からもたらされたものかと思います。その辺の事情はちょっと分かりませんが、インド仏教にも穢れ思想のようなものはあります。たとえば、女性が成仏するためには、まず男性にならなければならないとか、何だか意味が分かりませんが、とにかく経典にはそういう表記が存在します。今でも世界のほとんどは男性中心のあり方ですし、それが2000年ほど前のことと言えば、まあ、なおさらのことなんじゃないかと思います。男性のほうが女性よりも一般的に体力で勝りますし、単純にそういう状況から男性優位になったのは容易に想像が出来ます。そして、人は「死」を恐れるわけで、それとは逆の「生」についても恐れを抱いていたことでしょう。赤ちゃんが生まれてくることなんて、普通に考えてとても不思議なことです。男性からはもちろん、女性であっても命の誕生は不思議に思われることでしょう。男性による生に直接関与する女性への恐れというものが、女性蔑視につながっていったのかもしれません。男性は基本的に女性より小心なので。

いずれにしましても、女性を穢れの原因とみる考え方は日本古来より存在し、それがどうやら公益財団法人日本相撲協会にも受け継がれているようなのです。思想というものは、その時代の人の営みを反映しているものなので、歴史的文化的にも極めて貴重なものです。また、思想は浸透性と継続性を持っているので、昔の思想であっても現代まで影響が及んでいることもあり、現代社会を見つめる上で看過できません。しかし、思想はあくまでも人の営みであるので、人なくして存在意義はまるでありません。人を超えて存在する思想なんてないと私は個人的に思います。これは当然のことながら仏教思想もそうで、人がいなければ仏教なんてどうでもいいことなのです。引いて言えば、人の命に勝る存在意義がある思想なんてあるわけない。もしあるなんて言うならば、それは個人的に勝手に思っていれば良いわけで、他人に押しつけてはいけないことです。

昔からある伝統思想というものは、無思考で継続させられてきたものもあるでしょう。仏教も伝統思想の1つではありますが、少なくとも日本仏教は無思考ではないと私は思います。今、上記のような女性が男性になってから成仏するとか、そんな意味不明なことを言う日本の坊さんはいないでしょう。いて欲しくありません。こうした考えは仏教思想の根幹でも何でもないので、今、必要なければ取り上げる必要はまったくありません。ただし、経典編纂者が土着的な思想を取り上げたから存在するのでしょうが、仏教的にはまったくの間違いであったと認識する必要はあります。無視して良いということではありません。

相撲協会も伝統とか言うのであれば、ちゃんと自分たちで思考しないといけないなあ。無思考の思想というものは非常に危険だということ、私たちは歴史において知っているはずです。

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2018年03月23日

タミヤの電動ラジコン

かつて小学校5年〜6年ぐらいのころ、ラジコンにはまった時期がありました。タミヤのフォックス、京商のギャロップMK2、そして、ほぼ誰も知らないニチモのペガサスエクシード。中1の夏頃から、不思議と波が引くようにマイブームは去っていきました。ペガサスは同級生に売ってしまった。箱だけまだ存在。10代の頃のブームってのは不思議なもんですよね。異様にはまったのに、何だったんだというのが多い。

最近、タミヤから復刻版が出ていることを知り、息子のためと言って購入してしまいました。ホットショットは長男で、フォックス(ノバフォックス)は次男です。長男には最初ホーネットを買いましたが、ちょっと物足りないようだったのでホットショット。

なお、制作はほとんど長男で次男はちょっと、塗装のみ私でした。

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2018年03月18日

自戒の念を込めまして

昨今、お葬式についての考え方や、そもそものあり方について、随分と変化があると言われています。私も実際、そう感じることがあります。お葬式というものは、もともとは商業的なものではなく、地域で互助的に成り立ち、そこに宗教者である坊さんが主として関わってきました。今はその互助的であった部分が機能しなくなり、多くを葬儀社が担っています。たとえば、善福寺の周辺では「墓掘り」と呼ばれる役回りがありまして、これはかつて土葬の時代、実際に穴を掘っていた役の方々です。私の知るかぎり火葬の現代におきましても、お墓のカロートを開けて納骨をする役を担ってこられました。しかし、徐々にその役は葬儀社の社員さんに代わっていきまして、今では役名だけが残されています。

会社勤めの方が多くなり、さらに分業が進んだことによりまして、葬儀社の存在はお葬式において欠かせないものとなっています。私もお葬式においては、一緒にご供養をしているという感覚です。葬儀全般に精通されているのはもちろんのこと、ご遺族と直接接する時間も多く、何かと頼りになる存在です。ただ、お葬式の窓口が葬儀社だけになってしまい、失礼ながら会社の都合でお葬式の内容が左右されることもあり、ご供養が置いてけぼりになってしまうケースも見受けられます。葬儀社は会社法人ですので、宗教法人のように税制面で優遇されているわけではありません。利益を出して納税し、安定的に経営をしていかねばなりません。時には自己都合に走ってしまうこともあるということ、経営者として理解できないことではありません。住職も実は法人経営者だからです。

ただし、葬儀社はあくまでもお葬式をサポートしているだけなので、ご供養の主体はご遺族であり宗教者でなければ意味がありません。とりわけ宗教者である坊さんは、お葬式という宗教行為を司っているわけなので、葬儀社とともに取り組んではいても、宗教行為は自分たちが主導するという強い自負心を持っていなければ困ります。もし葬儀社に暴走気味なところがあれば、それに歯止めをかけることができるのは、お葬式が宗教行為である以上、寺院や坊さんしかいないからです。

これは学校と受験対策の進学塾の関係に似ているところがあります。学校は寺院で、塾は葬儀社だと考えることができるでしょう。入試のある学校に入学したいのであっても、必ず塾が必要というわけではありません。自分で勉強できれば、それで事足りるからです。かつてのお葬式も、地域の互助で成り立っていましたので、葬儀社は不要でした。ただ、時代とともに必要になってきた。塾も同じです。さらに学校側から見ましても、塾は今、不要だとは言い切れない存在でしょう。難しい入試問題を出す学校は、そのレベルに受験生を引き上げてくれる塾がなければ、欲しいと思う学生や生徒が集まりません。また、中高では在校生に対しても、学校の勉強だけで大学入試に対応できるかと言えば、あまり自信がないというのが本音ではないでしょうか。寺院でありましても、葬儀社がいなければ、お葬式をしっかり取り仕切れるのかどうか、はっきり言って私にはまったく自信がありません。

塾と学校は同じく教育に関係していますが、その目的は大いに異なります。葬儀社と寺院も同じくお葬式に関係していますが、当然のことながら、目的はまったく異なっています。だからこそ相互に必要な存在なのであり、学校であっても寺院であっても、ちゃんとここら辺のことを理解していないと問題です。一番問題なのは、塾と特定の学校とが業務提携をし、塾がその学校の内容よりも、提携を優先して塾生を大量に送り込むような誘導をしたり、また、葬儀社と同じく特定の寺院や坊さんとが業務提携し、葬儀社が自社の都合でお葬式を取り仕切ることがまかり通ってしまうことです。業務提携をしてはいけないということではなく、互いに自分たちの都合や利益を最優先させていることが問題なのです。学生や生徒や保護者、そして門信徒をないがしろにしている実態があることが問題で、自分たちの責務を忘れてしまっているのでしょう。

寺院、坊さんという存在は、商業的な側面もあって成り立っているものですが、本来の目的は商業ではありません。商業化している寺院や坊さんに対して、世間は冷笑しているということ、早めに気づいていかないとならないはずです。自戒の念を込めまして、お葬式には毎回気を引き締めて臨みたいと思います。
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2018年02月19日

少し瘦せました

塩分控えめ食事、そして節酒によりまして、3キロほど痩せました。嬉しい。しかし、あまり外食しなくなったので、ストレスたまりそうです。普段からお寺にいることが多いので、実は外食が結構なストレス発散だったのです。

何事もバランスだと思いますが、体と心のバランスは難しいなあと思っています。


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2018年02月10日

神奈川県立足柄ふれあいの村

南足柄市には「神奈川県立足柄ふれあいの村」という施設があります。市内や近隣市町の小学生は学校で1泊することもあり、地元ではお馴染みです。しかし、おそらく県内でも、かなり知られてはいないでしょう。なかなか楽しそうな施設なので、もし何か機会がありましたら、是非どうぞ。

http://ashigara-fureai.com/

なお長男の学校でも中1はここで1泊でした。しかも、部活合宿もここだそうです。東京や横浜から来ている友だちにとっては、「どこだそれ〜」ですが、長男にとってはあまりにも馴染みで、歩いても行けてしまうわけです。

南足柄、大雄山、都心からも近くでありながら、なかなかの秘境です。
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2018年01月15日

朝のお経は7時から

狭心症は寒さによって引き起こされる場合もあり、今回も朝のお経のあとでした。朝の本堂はとにかく寒いのです。毎朝6時からのお経にしていますが、実はほんの15分前ぐらいに起床しまして、急いでお経をあげるという状況でした。狭心症の発作は朝方に起きやすく、とくに寒い冬場は危険性が高まります。私の場合、起きてからすぐといことが多かった。

心臓のウォーミングアップを兼ねて、5時に起きて準備をすれば良いわけですが、あまり自信がありません。なので、今までお経のあと、子を駅まで送りまして、それから朝食、というパターンで来ましたが、朝食のあとにお経をあげることにしました。だいたい7時頃になるので、これからは7時からお経ということにしたいと思います。

坊さんなら早起きすべきところですが、どうもダメだということが判明しています。まあ、もう中年だから良いということにしまして、ゆっくりお経をあげたいと思います。ちなみに、善福寺の場合、坊守であるカミさんが、子のお弁当を作るため、月曜から土曜毎日、朝4時50分に起床しています。長女は土曜休みですが、長男の学校は土曜もお弁当があるのです。ああ、大変だ。すごい!有難う!


合掌

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2018年01月13日

心臓カテーテル検査を受けました

狭心症の発作があり救急車で運ばれました。即検査と即入院3日間。毎朝6時前後にお経をあげるわけですが、お経のあとの胸痛でした。寒いからかなあ。でも、年末から忘年会続きでしたので、お酒もかなり多かったし暴飲暴食だったと思います。5年前にも搬送されまして、その時は「疑い」という診断でしたが、今回はもう「狭心症」との診断、そして、おまけに動脈硬化が見られますとのことでした。

ストレスと悪玉コレステロールが大問題のようで、塩分もかなり抑えるように指導を受けました。ストレスは溜まっているんだろうなあと思います。住職は皆そうだと思いますが、とにかくお寺を空けることが出来ないので、敢えて言えば「軟禁状態」のようになります。常に頭からお寺のことは離れません。まあ、これは社長さんも同じかと思いますが、私の場合、もう入寺して10年以上になりますが、結構な負担だったのかも。すごい神経質なほうで、しかも、どうでも良さそうなことを真面目に考えたりする性格です。

食生活は外食が多いのが問題です。父親のこともあり、家ではお酒は飲まないことにしているので、お酒を飲むなら外食となります。これ良くなかったですねえ。お酒はいきなりやめられそうにないので、少し減らそうと思います。お味噌汁大好き、ラーメンスープ完飲、揚げ物大好き・・・、挙げたらきりないですが、食生活も大幅改善しようと思います。

さて、少々病院でのことを書いてみたいと思います。朝方救急搬送されまして、先生の診断の結果、即心臓カテーテル検査をしました。即座に受けられたのは幸運だったと思います。実は私、入院はもちろん、こうした簡単な検査手術も初めてで、心のなかではかなり動揺していました。しかし、看護師さんの迅速な動きに身を任せていますと、不思議に動揺もなくなり、なんとも安心した境地へ突入。あっという間に、股間の毛を剃られてしまい、そして尿道カテーテルを先生に入れてもらいました。これがちょっと、と言うか、私は初めてでしたので、実はすごい痛かった。

検査は右足の付け根から細い管のようなものを血管に入れまして、心臓の冠動脈にあると思われる血管の収縮を確認し、ある程度治療するというものでした。足の付け根に麻酔をしたわけですが、血管に挿入している最中、これまた結構な痛みでした。麻酔を追加してもらい多少は和らぎましたが、なんとも言えない違和感のなか、検査は進んでいったのです。

検査は冠動脈の写真を撮ると同時に、わざと狭心症を発症させて、それをニトロで抑えて症状を確認するというものもあり、これまた苦しいものでした。ニトロを入れてもらえば即緩和されるので大丈夫なのですが、あの痛みが再来するというのは気分の良いものではありません。ただ、先生がいて下さるので、安心して身を任せることができ、あまり不安はありませんでした。

検査後の4時間は絶対安静とのことで、ベッドで横になり、左足と両腕以外は動かすことができませんでした。私は腰痛持ちなので、腰や背中が痛くなり、これを我慢するのが大変でした。また、尿道カテーテルがうまく合わないのか、痛みが続いておりまして、これは4時間経過後、抜いてもらいました。しかし、その後がもう大変。トイレには翌日朝まで行けないので、ベッドの上で用を足すわけですが、これまた出ない。神経質な私にとって、カーテンがあるとはいえ、大部屋でするというのは難儀なことでした。結局、我慢も限界に達したので、看護師さんい無理を言いまして、一人でいられる処置室へ移動。そこでようやく用を足すことが出来ました。もの凄く幸せな気分でした。

2日目はとても暇で、読書とスマホとゲームで何とか時間経過を早めました。ゲームは意外と続かず、読書が一番良かったです。スマホは充電が切れました。絶対安静時以降は体の痛みはほぼなく、安穏に過ごすことが出来ました。

3日目は退院前に先生から診断を受け、今後の指導もいただきました。先生の説明は非常に分かりやすく、狭心症の危険性もちゃんと認識出来ました。看護師さんにも親切にしていただき、感謝の思いでいっぱいです。

なお、入院中にお葬式がありまして、ご葬家には申し訳なかったのですが、後輩のお坊さんに助けてもらいました。用事があったようなのですが、快く引き受けてくれました。感謝です。有難う!

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2018年01月01日

旧年中はお世話になりました

皆様、本年もよろしくお願いいたします。本日は6時からお経のはずが、寝坊しまして7時になってしまいました。除夜会のあと、なぜかなかなか寝付けず、やや寝不足気味です。と言いますか、最近、どうも寝つきが悪く、悲惨なときは朝方まで寝られないなんてこともあります。自律神経が失調しているのかもしれません。

除夜会にご参拝の皆様、お寒いところ有難うございました。東京では130年ぶりに大晦日に初雪とのことでしたが、こちらはそうでもなかったのかもしれませんね。

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2017年12月18日

例年より忙しく

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今年もまだまだ銀杏は落ちません。10年ぐらい前に比べますと、本当に暖かくなったのだと思います。それにしても、今年は忙しい年末になってきました。でも、直接お寺のことじゃないんです。今年から数年間、色々なところで、色々な役についてしまっています。役が回ってくる年代なんでしょう。

除夜の鐘も近いわけですが、まだ何も準備をしておらず、少々焦ってきました。

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2017年12月01日

最近、頭固くて固くて

私は44歳なので、一般的には中年と言ったところです。しかし、どうも最近、頭が固くて固くて、自分の価値観から外れることを見聞きしますと、やたらと違和感を覚えてしまいます。若い頃から結構固いほうなんですが、さらに磨きがかかって堅固なものになってしまいました。この先、どんな頑固者になってしまうのか、自分でも不安です。

たとえばプロ野球。私が小学生のころは鉄道会社や新聞社や食品会社が親会社になっている場合が多く、固めのイメージがありました。時代も変わったわけですが、今は何だか落ち着かない。了見が狭いんですよね。言い換えれば、これも自分自身に固執しているわけで、執着心の現れとも言えます。物事は変化していくわけですが、煩悩がかなり強いのでしょう。でも、親会社の商売の仕方ってのは、プロ野球全体のイメージにもつながるわけだから、大事だと思うんだよねえ。

相撲も昔から好きなので、お相撲さんの所作についても、イメージが固まってしまっているところがあります。こないだの優勝インタビューはきつかったなあ。

優勝インタビューだから、わきまえてほしいと思ってしまった。横綱には処分についての権限はもちろんないだろうけど、そもそも言及してしまうところに違和感を覚えた。万歳三唱にいたっては、もう常軌を逸脱しているかの印象。何が起きたのか!? 問題は未解決だし、万歳をする場面ではないでしょう。品格品格言うけど、品格は誰かに言われて、はいそうですかって身につくものではないし、もう品格が育つ土壌がないんじゃなかろうか。しかしまあ、品格ある横綱ってのも、パッと思いつくような方は・・・。武蔵丸ぐらい?

稀勢の里には大いに期待しているんですが、とても心配です。

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2017年11月27日

人口減という原因において

南足柄市の人口は4.2万人ぐらいです。そして、これはウィキペディア情報なので正確性は不明ですが、全国には814の市がありまして、人口の多い順で言えば599位だそうです。まあ、少ないほうですよね。543位以下は5万人以下となるようです。「市」の定義としては、よく5万人以上と言われますので、これに満たなくなってしまっている市は全国的に結構ありますね。同じぐらいの規模で言えば、県内では三浦市、千葉県では館山市、茨城県では下妻市、山梨県では富士吉田市が目につきました。

多くの市区町村は財政難と言われますが、少子化は目に見えていますし、そろそろ現実的な舵取りが必要な時期ではないかと思えます。南足柄市のみならず、神奈川県西部の人口はどんどん減るでしょう。同じような状況の街は多々ありますし、この地域だけ例外的に人口維持が出来るということは考えにくい。元も子もない言い方ですが、いくら町おこしを頑張ったところで域外からの転入者が増えるわけもなく、ましてや子が増えることはまずないでしょう。定年後ゆっくり過ごすという時代でもないので、高齢の方が余生を過ごす場というのも時代錯誤と言えるかもしれません。

全国的に有名な箱根町も小田原市も、そして今は人口増にある開成町であっても、同じように日本の人口減という状況のなかに飲み込まれていくことでしょう。私は東京都中野区の出身ですが、私の卒業した小学校が統廃合で消滅することになりました。中野区の人口は現在、32.2万人です。中野区は県西部で言えば大井町と同じぐらいの広さですが、人口は県西部2市8町の合計34万と同程度となります。これだけ人口過密であるにも関わらず、小学校は統廃合になる、つまり、子がいないという状況に陥っているわけです。

であるならば、人口減なので相互補完しましょうという市町村合併は急場をしのぐ策であるとはいえ、根本的な解決にはなっていないことは明白です。人口減ったから合併ということを繰り返していれば、そのうち横浜市と合併になることでしょう。当面の財政を考慮するならば、近隣市町村の合併は間違いではないと思いますが、今、せっかく南足柄市と小田原市で合併検討が話題になっていることなので、もっともっと先を見た議論にならないものかと感じます。小さい議論に終始しているような気がしまして、ちょっともったいないなあ。

経営学者のドラッカーではありませんが、未来は予測するものではないでしょう。仏教においても、因果応報と言いまして、直接であろうが間接であろうが、原因があるからその結果がもたらされるのだと言い切ります。原因を知ることこそ大事なのであり、仏教は原因追及の宗教であるとも言えるでしょう。人口は確実に減るという原因が明確なのですから、県西部の将来像はそれだけでもある程度は分かってきます。もちろん、より詳細な未来像を知るためには、さらなる現状認識が必要であることは言うまでもありません。

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2017年10月28日

浄土真宗や仏教を知るためには

わが家は3人の子に恵まれました。子が生まれ来るということは、とてつもなく不可思議なことです。不可思議とは仏教用語で、私たちの思いはからいを超えているという意味です。こうした状況にあることを、大変有難いことだと感じています。有難いとは「有ること難し」ということで、そうであることが、本来はとても難しいこと、すなわち、多くの因縁が重なり合って、ようやくそうなっているということを意味します。まさに命というのは有難いことだと言えるでしょう。

さて、わが家の教育方針(と言うほどのものではありませんが)は「宗教」です。そりゃまあ、お寺なので当然と言えば当然ですが、「仏教」ではなく「宗教」ということにしています。仏教については、私のしゃべっていることを聞いていれば、何となく分かるかなあと思いまして、あまり重視していません。仏教だけになってしまっても、視野が狭くなってしまうかという思いもあります。浄土真宗を知るためには他宗派の教えを、仏教を知るためには他宗教の教えを、宗教を知るためには社会を、と私は考えています。また、これは逆のことも言えるわけで、社会を知るためには宗教を知る必要があります。日本人社会を知るためには日本の宗教を、欧米人社会を知るためには欧米人の宗教を知ることが大事でしょう。

かつて論文指導をいただいた竹村牧男先生は、ご自身は大学院で華厳学を専攻されたかったそうですが、指導教官の平川彰先生から、「では唯識を勉強しなさい」と指導を受けられたそうで、それで長年唯識の研究を続けられてきたそうです。華厳経は大変奥深い教えが詰まっているので、その理解のためには唯識が絶対必要だということのようです。先生は華厳経の授業のとき、今、華厳経を勉強できて凄く嬉しいというようなことを仰っていました。

浄土真宗を正しく知るためには、まず宗教を学ぶことが必要だと思います。浄土真宗の坊さんが、他宗のことなんて全然知らない、キリスト教やイスラム教のことなんて興味ないというのでは、おそらく浄土真宗をうまく伝えることは出来ないでしょう。3人の子のうち、誰が住職を継いでくれるのか分かりませんが、こうしたことを念頭に子育てをしているつもりです。

さて住職、とりわけ浄土真宗は世襲が伝統的になっていますので、浄土真宗の住職の場合、後継者育成というのは結構な課題です。一般家庭に比べて異質なところがあるのが寺院家庭です。私は寺から離れた場所で「会社員の息子」として育ちましたので、それが良く分かります。詳細は省きますが、とにかく変なところがあるわけなのです。上記のような教育方針も、やはり一般的には変わっていることでしょう。お寺で育ちますと、たしかに家はお寺の一部ですので広めであったり、嬉しいこともありはしますが、同時にお経を読ませられるとか、いきなり境内掃除しろだとか、課せられるものがあったりしますので、子にとっては面倒なことも多いでしょう。

と言うことで、長女も長男も宗教系の学校に進学しています。宗教系の学校は高校からだと入学できないことも多いので、中学から入学ということになりました。中学受験は大変でしたが、高校受験のように学校での成績が関与してくることはあまりないので、むしろ分かりやすいものでした。しかし、本人たちには無理をさせまして、親としても貴重な時間を受験勉強に割かせてしまったことに後悔がないわけではありません。私自身も中学受験をしましたが、小学校6年生の記憶は他学年のときに比べあまり残っていません。頭が悪く、悲惨だったからでしょう。10歳前後に脳を鍛えることは価値あることだと思いますが、それは受験勉強ではなくてもできることですし、難しさを感じました。

2人の学校では礼拝がありますが、長女のほうが出席必須で、長男のほうは自由参加です。倫理等の授業もそれなりにあるようなので、住職としても親としても満足しています。礼拝には私も参加してみたいほどです。仏教の礼拝(→らいはい)は毎日してますが、他宗教のものにちゃんと参加したことはありません。宗教家とはいえ、意外と知らないことも多いわけです。2人にとっては良い学びになると思います。将来、仏教とは無関係な方面に進んでいくかもしれませんが、それはそれで、親としては良いことだと思っています。しかし住職としては・・・、3人のうち誰か1人は頼んまっせ、というのが本音になるわけです。

それぞれの寺院家庭によって教育方針は異なります。学校はとくに気にしないという住職も多いでしょうし、全部仏教系で進ませるという住職もおられることでしょう。正解はもちろんないわけですが、私は宗教心を身近に感じることのできる社会人になってほしいと考えています。自分のなかに宗教心を持ってもらいたいと思っているわけです。宗教心というのは何か特別なものではなく、周囲への感謝の心(→仏教では縁起を知ること)、そして自分よりも大きな存在を感じられる謙虚な心(→仏を感じ、自分のいたらなさに気づくこと)のことでしょう。

宗教心はいつの時代でも大事です。次世代につなげていきたいものだと思っています。

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2017年10月26日

後継者がいなくても大丈夫、永代夫婦墓

お墓というものは、伝統的には「家」のものであり、その「家」の方々が代々入るようなシステムになっています。今のように遺骨を納めるタイプになったのはそう古くなく、火葬が一般化した戦後のことです。少子化の現代、「家」を代々守ることはとても大変なことになっていますが、お墓にも色々な種類のものが出てきました。

善福寺は後継者がいなくても心配のない夫婦墓がございます。ご夫婦お二人で入っていただく個別タイプの永代供養墓です。永代供養墓には合葬タイプと個別タイプがありますが、こちらは個別でありますので、従来のお墓と同じようにお参りしていただくことが可能です。

詳しくは善福寺ホームページをご覧ください。
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi
(画面を下にスクロールしていただきますと、夫婦墓が出てきます)

費用は墓石代と永代供養懇志も含めまして、ご夫婦お二人で100万円となっております。年会費はかかりませんので、これ以外には費用のご心配はございません。なお、ご夫婦お二人が原則ですが、4名様まで納めていただくことが可能です。三人目からはお一人様15万円の追加懇志をいただいております。

是非、ご検討下さい。

宗教法人善福寺
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2017年10月25日

ああ、プロ野球

仏教とは関係ない話題ですが、最近のプロ野球はどうも面白くないなあ。横浜がCS突破したから思うわけではないのですが、やはり日本シリーズはペナントレース1位同士、もしくはそれに準じた成績を残したチームが出るべきじゃなかろうか。今回は広島と横浜は10ゲーム以上離れているし、こういう現象が起きるたびにプロ野球のつまらなさを感じちゃうなあ。

CSはかつての消化試合のような緊張感に欠ける試合をなくすため、また、集客といった興業の面からも期待されて創設されたと思います。当初は劇的な逆転劇もあり盛り上がりましたが、ペナントレース1位のチームは2位と3位の試合を待っていなければならず、どうしても試合勘が鈍って不利だということが、一般のファンにも分かってきました。ちょっと可哀相なんですよね。

また、セパ交流戦も同じく当初は盛り上がりましたが、これにも弊害があって、たとえばパ・リーグのチームが交流戦で勝ちまくりますと、セ・リーグのチームはどこも負けばかりになり、最終的にペナントレースで異様に勝率の悪い1位チームが出てきてしまいます。なんだか珍現象に思えるような数字になるわけです。交流戦は普段試合をしないチーム同士がぶつかり合いますので、たしかに最初は嬉しかった。でも、それももう飽き飽きというか、日本シリーズだけで十分だよって気分なんですよね。個人的には。

消化試合は消化試合でのんびりしていて楽しい側面もあったし、不採算であれば、採算とれるよう経費削減すればいいじゃないかと思うけどなあ。選手の年俸もあまり高すぎるのも、果たして正しいことなのか。何でもアメリカ的になるのはねえ、日本は自由競争だけで成り立ってきた社会じゃないし、格差広がっても良いことないと思うけど。ただまあ、プロ野球も英才教育の時代のようだし、昔とは親も費用のかけかたが違うのであれば、見返りを期待するのも分からんでもないとすべきなのか。

こうした運営にも問題はあるようだけど、そもそも、スター選手がみんな大リーグに行っちゃうから、ってことも重大だ。となると、プロ野球もレベルや選手環境の向上を図って流出に歯止めをかけることになるとは思うけど、そうなると年俸高騰で球団経営も厳しくなる。だからCSや交流戦やろうと。なるほど、難しそうだ。簡単じゃなさそうだよね。

来年の巨人はどうかなあ。高橋監督とは同世代なので、頑張ってほしい。
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2017年10月11日

中村元東方学術賞

昨日はインド大使館で中村元東方学術賞の授賞式でした。武蔵野大学でお世話になりましたケネス田中先生が受賞されましたので、私も後方に参列させていただきました。

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先生のご経歴はもの凄いものがあるのですが、私はそのなかでも浄土教についてのご指導をいただきまして、そして、さらに日本的ユーモアのご研究についても、多様性という視点における重要性を教えていただきました。

先生、おめでとうございました!!


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2017年09月24日

金太郎ウォーク

昨日は第6回金太郎ウォーク(南足柄市・伊豆箱根鉄道共同開催)でした。400名以上の方がご参加されたとのことで、善福寺にもたくさんの方が来られました。晴天で良かったです。

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しかし、すみません。御朱印を求められる方がこうした企画にはいらっしゃるのですが、浄土真宗には御朱印そのものがありません。申し訳ないと思いつつ、六福寺用のスタンプで我慢していただいております。
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2017年09月14日

神仏のなかで生かされる

あまり政治には詳しくない私ですが、最近よく日本の伝統ということと政治が絡めて用いられることを目にする機会が増えたような気がします。もちろん政治的に保守系の方々が使われることが多いのですが、果たして日本の伝統とは何なのか、私自身、まだまだよく分かっていません。宗教的には神仏習合が1つのヒントになることは確かだと思いますが、それだけで全てが説明できるわけではありません。仏のほうはまだ体系的だと言えますが、神のほうは単純に神道とは言えない側面もあり、極めて複雑なのではないでしょうか。そして、そもそも何をもって日本を捉えるのかも問題です。雰囲気としては感じられても、具体性に欠けるのが日本の伝統であるような気もします。普遍的なものがあることは確かなんですけど、少なくとも私にはそう思えます。そして、日本の伝統ということが、とても大事な概念であるがゆえ、安易に国民を扇動するための道具に使われることに、やや違和感を覚えつつあります。

何を保守すべきなのかもよく分からないのに、ただ昔に立ち返ろうとか、何でも現状維持がいいとか、こういうのは保守でも何でもなく、思考停止なだけなのではないでしょうか。進歩していくことは思考し続けることですが、実は結構な労力がいることです。今のままが何でもいいというのは、日本の伝統はおろか、現状にさえ目が向いていないのでしょう。問題点に目を向けないからこそ、それに蓋をして現状維持とする。自分は保守だと言う方には、意外とこういう輩が多いように感じます。私はどちらかと言えば保守的な立場で物事を考えるたちですが、ちゃんと思考は続けていきたい。そして宗教的に言えば、ちゃんと神仏と自分自身を対比させ、自らの至らぬ点を知るような努力も何とか続けていきたい。日本の伝統ということを考えたとき、神仏に対して謙虚であること、人間中心の思考から抜け出すということ、こうした点は押さえてもらいないなあと、1人の宗教家として思います。人間の力が万能だと思うことは、とても愚かな発想です。

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2017年09月11日

おめでとう、桐生選手!

東洋大の桐生祥秀選手、ついに9秒台ですね。何回も動画を見てしまいました。記者会見も良かった。記録はもちろん嬉しいのですが、彼の口から出た周囲への感謝の気持ちに触れまして、同じ東洋大で学んだものとして、とても誇らしく思いました。大学のユニフォームを着るのが最後であったとのことで、これも彼の人情をよく表しているような気がします。土江コーチとも色々とあったようですが、記録で恩返しという言葉にすべての思いが込められていたように思います。超一流選手というものは、自然に人格も超一流に形成されていく場合が多いのでしょう。おめでとう!桐生選手!!

ライバルの山縣選手からの祝福についても、桐生選手はとても感動したと。悔しいなかにあっても、ああして祝辞を送れる先輩の心に感動したのでしょう。自分では出来るかどうか分からないと言っていましたが、きっと桐生選手も山縣選手と同じようにライバルを祝福できるはずです。

仏教では自分も含めてこの世界をすべて「縁起」で捉えます。縁起というのは、他があって自分があり、自分があって他がある、ということです。他との交流なく勝手に存在しているものはなく、だからこそ、自分という存在も他を含んだ存在で、自分固有のものではないと考えます。桐生選手にしてみれば、家族やコーチ、そしてライバルや仲間がいて、そして、はじめて自分があるということになるのでしょう。
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2017年09月04日

夏休みが普通に終わり

8月盆のあと、ちょっと休みをいただき、ディズニーランドへ行ってきました。大変暑く、もうお父さんはヘトヘトで・・・、ベンチに座っている時間も多かった。出来れば乗り物には乗らず、涼しいところでボケっと座っていたいなあと。一般的に言いまして、お寺の場合、夏はやる事が多く、子供がいれば軟禁状態になりやすいのが現状です。わが家も例外ではなく、上は部活と遊びで忙しかったようですが、真ん中と下はヒマ。そういう時は自由研究でもすべきですが、私も忙しく指導する気力もなく、なんとなく休みが終わっていきました。ディズニーランドは楽しかったのですが、あれはまあ思考力のいらないものなので、実りがあったのかないのか。毎年消化不良の夏休みなのです。

9月に入って教区の集まりに参加しました。真っ黒に日焼けした住職。ありゃ国産ではないなあと思いつつ、お葬式あったらどうすんのかなあと、心の中でいらぬ心配。ご当人は堂々とされており、こちらの小心者ぶりが改めて実感されました。きっとハワイ別院にご参拝されたのであろうと、うらやましいような、何とも言い難いというか、はっきりしない気持ちで眺めていました。( ̄∇ ̄;)ハハハ

posted by 伊東昌彦 at 07:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii