2020年12月15日

教養と自由

私は東京の関口台にある、いわゆる中高一貫校で学びました。麻布中高や開成中高と同じくらい古い学校なのですが、入学難易度は遠く及びません。しかし中高6年間をほぼ同じ面子と学ぶわけですから、同窓生とは妙に仲がいい。ひとにぎり優秀な仲間もいますが、多くはそれなりです。そもそもそれなりな生徒しか入学していないので、いくら先生が頑張ったところで頭打ちでしょう。ただし、思い返せばこれは授業なのかと思えるような独自な授業もあり、偏差値を上げることにはほぼ役に立っていなかったかも。かつては優秀な時代もあった学校ですので、学者になり切れなかったような卒業生が先生として赴任していたようです。一部の生徒にしか理解できないような内容であったり、ひたすら板書しかしなかったり、今から30年以上も昔の話なので、そういう大らかさであっても保護者から苦情はあまりなかったのでしょう。進路指導なんてほとんどありません。大したことない進学実績だったのに、今では通用しないでしょう。

では中高時代に何を学んだのかと言えば、少々考えてしまいますが、敢えて言えば教養と自由です。教養のない自由は勝手を生みますし、自由のない教養は不用品かつ危険です。教養と自由によって、健全な独立精神を自然に学んでいったのかと思えます。同窓生には学者になったり医者になったりした者もいますが、大学に進学しなかった者もいます。しかし大学進学をしていなくとも、彼らは小規模ながら自分の会社を経営していたりします。中高時代はまったく勉強していなかったような者が、一所懸命に経営について日々探求をしているのです。社会人としての責任と矜恃を保ちながら、自由な発想で活躍している彼ら畏友を見ていますと、ああ、まさに教養と自由が根づいているなあと感じます。

先日、母校同窓会より冊子が送られてきまして、かつて教鞭を取られていた先生による寄稿がありました。先生は母校の伝統について、「生徒の余裕派的な思考と行動を可能とする精神の自由闊達さと鷹揚な学問的雰囲気にある」と言われ、さらに「こうした雰囲気は暗記や記号選択のテクニックを押し付けるだけの教育では育まれるものではありません」とも言われます。また、諸先生方につきましても、「教師自身が多少は世間知らずで浮世離れしていても、教養と学術を大事にする知的な生活スタイルをもっていなければなりません」と解説をして下さいました。なるほど、だから独自な授業内容に思えたわけですね。しかし、こうした一見すると受験には不向きな教育こそ、今までの日本を支えてきたのではないでしょうか。これは母校にかぎらず、かつては多くの学校で実践されてきたことなのでしょう。

昨今、とにかく成果主義ということなのか、大学への進学実績ばかりが注目されます。少しでも実績が落ちれば、保護者から見向きもされない学校になってしまう恐れがあるのです。それでは学校も困りますので、習熟度別クラス編成を導入したり、大学受験に有効な環境作りに励むようになるわけです。そして、いつしか教養と自由を重んじる雰囲気は薄くなり、管理教育による枠組みばかりが重んぜられることとなっていくのでしょう。この雰囲気というのが結構重要で、十代にその学校にいたから自然に獲得された気というのは一生ものと思えます。身についているのです。自由闊達さと学問的雰囲気こそが、わが母校が創立より残してきた伝統だったのでしょう。さて私にも身についているはずですが、今のところ上手に活用できていないような気もします。活用できるか否かは、卒業後の自己研鑽に大きく関係することは言うまでもありません。

日本人はとりわけ雰囲気を大事にします。場合によっては論理性がなく問題だと言われることもありますが、論理性がまだしっかり身についていない中高生にとって、1日をどういう雰囲気のなかで過ごすのかは大切なことです。雰囲気は人間性の土台となります。論理性はその上で習得すれば良いでしょう。正しい論理構築は教養と自由によってもたらされるとも言えますし、日本の学校はこの雰囲気を大事にし、次代へのこして欲しいものだなあと思います。

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2020年12月01日

法話会のご案内(再掲)

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月25日

練習してます、oath sign

地元銀行の支店長さんがご栄転となりまして、大きな支店に行かれました。後任の方は?と聞きましたら、副支店長さんが持ち上がりとのことでした。持ち上がりはあまりないことなので驚きましたが、なんと規模縮小だそうです。近年、銀行が苦境に陥っているとの報道はありましたが、それを目の当たりにした感がありました。コロナ以前からのことなのでしょうが、コロナが拍車をかけたのかもしれません。うちのお寺にとってはあまり関連しないことではありますが、地元銀行支店では法人融資機能がなくなるそうです。会社経営の方は不便かもしれません。

銀行と言えば私たちの世代では当然のことながら花形です。あまり優秀とは言えない獨協生ですと、同級生で都市銀に就職したのは1人しか知りません。義叔父が第一勧銀にいましたが、何だか随分と凄いもんだなあって思ったものです。今でも尊敬できる義叔父です。ちなみに義叔父は開成出身で超優秀でした。だからでしょうか、銀行が苦境である時代が来るなんて思ってもみませんでした。今、コロナ禍ということもありますが、既存の銀行のあり方を根底から変えるであろうAIの進化は目覚ましく、後年になって振り返れば本当に時代の節目にいることになるのかもしれません。

変化ということであれば、TVゲームもその1つです。TVゲームなんていうのは、私たちファミコン世代からしますと褒められたものではありません。せがんで買ってもらっても親からは規制され、親の目を盗んでゲームするとか、そんな代物であったと思います。ゲームセンターなんてもってのほか。高校時代は学校帰りによく行きましたが、基本的には行ってはいけない場所だったことでしょう。それが今、eスポーツということで、格闘技ゲームは部活にもなってしまうほど市民権を得ています。部活ですよ、部活。野球部やサッカー部とかと同じ扱いなわけです。スポーツとは言えないような気もしますが、eスポーツという枠組みなのです。

コロナ禍で業績を顕著に伸ばしたのはソニーと任天堂だそうですね。ソニーは当然ウォークマンではなく、プレイステーションのほうです。外出自粛のなか、家庭でのゲーム需要が高まったということです。ゲーム業界も今まで本当に頑張ったと思います。上記のような親からつま弾きになる存在から、家庭内で親子でゲームを楽しむという時代を築き上げました。ゲームの内容を単なる娯楽から、学習できる要素も組み入れたりしてイメージを変えました。凄いもんだなあって思います。私がゲーム好きなせいかもしれませんが、子にはあまりゲームをするなとは言ってません。

就職の花形は今やソニーや任天堂なようです。ソニーは昔から人気ですが、業種が変わったとも言えるんじゃないでしょうか。ゲームのほか、映画や音楽で収益を伸ばしているようです。栄枯盛衰、諸行無常とはいえ、それを目の当たりにしますとやや不安になってきます。単純に年を重ねたせいかもしれませんが、変化に対応できない心が現れ出ているとも言えましょう。経験を積むことは価値あることですが、経験は執着にもなります。世の変化についていけないと、不安が不満になり、心が荒んでいってしまうかもしれません。出来るだけ柔軟な心でいるためには、新しい価値観を試してみる勇気が必要だと感じます。

最近、息子がアニメ主題歌をピアノで練習しています。ついて行けんなあと思っていましたが、ナイスメロディであったので私もベースを練習してみることにしました。そうしたら意外といい曲で、なかなかです。ピアノと一緒に弾くことができれば、とても楽しく、清々しい気持ちになることでしょう。まだちゃんと弾けませんので、もう少し練習します。ちなみに、LiSAという方が歌っている「oath sign」という曲です。作詞作曲は渡辺翔さんという方です。息子も1人で弾いているだけなので、合奏することの楽しさを少しでも知ってもらいたいと思っています。

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2020年11月13日

法話会のご案内

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月08日

にこmomプロジェクト続報

第2弾は弘済寺(廃寺善福寺)さんです。
動画はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=E5RtWbuxkkI

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2020年10月30日

にこmomプロジェクト

にこmomプロジェクトさんに「南足柄市七福寺めぐり」をご紹介いただいています。vol.1は私ども善福寺でした。普段見慣れている境内風景も動画になると何故か新鮮です。「見慣れている」という思い込みから外れるからでしょうか。vol.2も楽しみです。

動画はこちらです↓
https://www.youtube.com/watch?v=ZkVmiyzIP3I&t=1s

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2020年10月23日

交差点の猫

昨晩、車で帰宅中にある交差点で猫がひっくり返っていました。車と衝突したのでしょう。まだ生きているようでした。時間も遅いし疲れていたので早く帰宅したいなあと思い、可哀相だが申し訳ないと思いつつそのまま通過しました。しかし、どうも気になって仕方ない。わが家の猫のことを思いました。野良でしたが大人しかったので連れてきたのです。交差点の猫も野良でしょう。あのままですと、さらに車に轢かれて命を落とすことはほぼ間違いないと思えました。車をUターンさせ、交差点へ戻りました。轢かれていませんように・・・。

幸い、まだ交差点でぐったりしており、トムとジェリーのトムのようにペチャンコにはなっていませんでした。交差点付近に車を止めまして、ひとまず車載の毛布でくるんで歩道まで移動。ほとんど抵抗しませんが生きています。息が荒くつらそうでした。大量ではありませんが血が流れていました。車も少なかったので作業はすぐ終わりました。さてどうするかと思い、知り合いの獣医さん2名に電話しましたが、いずれも出られませんでした。時間も時間で、もう夜の10時近くだったのです。市役所にも電話しましたが、守衛さんしかおらず、明日朝にならないと対応できないとのことでした。仕方ないです。

お寺に連れ帰ろうかとも思いましたが、苦しそうな声をあげて体を動かしています。お寺まで30分近くかかる場所でした。大けがをしているようなので私には対応できず、忸怩たる思いのなか帰路につきました。簡単に言えば放っておいたわけです。歩道ですので轢かれることはないでしょう。毛布は目立ちますので、どなたか心ある方が通りかかることを願って去りました。野良ですので、野生というか猫の生命力に託すしかないと思ったのです。中途半端になってしまいましたが、私に出来ることはそこまででした。24時間対応の獣医さんもあったようですが、距離もあり難しかったかもしれません。

どうしていいか分からない自分の無知加減を残念に思いながら、仏教で説く「業」について思いを馳せました。

業とはこの世と前世や前々世といった遠い昔から、自分の命が積み重ねてきた行為とその影響を言います。業はこれからの出来事の種になります。いつ発芽するかは分かりませんが、命あるものはすべて業を蓄えていると考えるのです。猫ちゃんの業がまだこの世に命をつなぐようなものあれば、きっと助かるでしょう。しかし、そうでなければ、次の命のステージに向かうはずです。つまり、死ぬわけです。わが家の猫も野良でしたので、うちに連れて来なければどこかで轢かれ死んでいたかもしれません。しかし、わが家に来たということは、そういう業であったのでしょう。これは運命論ではなく、自分自身の行為の結果としてのことなのです。

なかなか可愛い猫ちゃんでしたよ。

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2020年10月05日

報恩講のご案内

毎年、善福寺報恩講は10月最終日曜日(及び前日土曜日)に修行しておりますが、今年は新型コロナウイルスの影響によりまして、縮小開催とさせていただきます。医療講座を含む日曜日の日中法要は中止とさせていただきまして、前日土曜日の逮夜法要と献能のみの修行といたします。

≪令和二年 善福寺報恩講≫
10月24日(土)17時逮夜法要 17時30分献能(鎌倉能舞台)
10月25日(日)日中法要ならびに医療講座は中止

本堂にご入堂の際には消毒とマスク着用をお願い申し上げます。
お参りをお待ちしております。合掌

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2020年09月20日

秋季彼岸会のご案内

今年の秋季彼岸会は、9月22日(火、秋分の日)午前11時から善福寺本堂での修行となります。新型コロナウイルス感染予防の観点から、本堂へご参拝の際はマスク着用、手先の消毒をお願いしております。どうかご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦

〜夫婦墓のご案内〜
夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年08月04日

意外と近い、山中湖

先日、山中湖まで行く機会がありました。山中湖は富士五湖のなかでも神奈川寄りなので、実はお寺から車で30分程度で着いてしまいます。南足柄から山北、そして小山を通って三国山経由で行くと近道なのです。観光の方は少なめでしたが、車は神奈川県ナンバーのほか、埼玉県や千葉県のナンバーも見受けられました。しかし、東京都は多摩ナンバーは見かけましたが、23区ナンバーはほとんどいなかった印象です。23区の方は自粛されている方が多いのかもしれません。8月ではありますが、観光業はやや寂しい様子でした。

山中湖は標高も高いせいもあり、南足柄とは空気が違います。箱根と南足柄は同じですが、緑の香りが違うのです。植生が異なるので当然かもしれませんが、距離的に近くても遠くに来たような気になります。ちなみに鳴いている蝉の声も違いました。アブラ蝉っぽい鳴き声でしたが、こちらのアブラ蝉とは音色が異なっており種類が違うのかもしれません。滞在は長くありませんでしたが、なんだか妙にリラックスできて嬉しいひと時でした。

不思議なもので、人は何故、「いつもと同じ」という事柄に対して「飽きる」という感情を懐くのでしょうか。同じであることは有難いと思いながらも、やはり飽きていること多いと思います。新しかったり久しぶりだと何故か嬉しいとか、そんなのありますよね。

生物学的(?)に言えば、強く生き残るために新しく別の環境を常に求めているから、とか言えそうですけど、仏教学的には何でかなあ。いつもと違うものを求めるということは、それはもちろん「少欲知足」の正反対のことで、「強欲」で「不足」であるからに他なりません。やはり煩悩によっていると言えそうですね。

しかしまあ、そんな小難しいこと考えると、せっかくのリラックスも効果が薄れそうですので、あまり仏教学的に解明しないようが良いかもしれません。

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2020年07月04日

日中は空腹状態

私は身長170センチです。169ではなく、常に数ミリ170以上なのです。それはどうでもいいのですが、体重は60キロです。マックスで67キロでしたが、狭心症入院のあとやせました。学生時代に戻った感じです。数日の入院でしたが、精神的に弱小なのですぐやせたわけです。それでそのまま維持するよう努めたのですが、方法は簡単です。あまり食べません。しかし今、ストレス発散と言えば私の場合、飲食しかないのです。ではどのようにしているかと言いますと、朝昼はあまり食べないのです。夜はビール飲みますし食事もちゃんとします。日中腹減るだろうと思われますかもしれませんが、それがいいのです。一般的には夜食べないほうがダイエットには良いようですが、私は夜食べないとストレスたまるのでダメです。

日中はほぼ常に空腹ですが、慣れてくるとそのほうが仕事がはかどります。ストイックになれると言いましょうか、集中力が増しました。かつてはその逆で空腹だと機嫌も悪く、集中できないたちでした。今では空腹のほうが心地よく、苦痛に思わなくなってしまいました。単純に年を取っただけかもしれません。

運動はあまりしませんが、山寺なのでほぼ毎日、雨降っていても境内掃除は欠かせません。それがいいのかもしれませんが、部分的にしか身体を使っていないので全体運動ではないです。坊さんは掃除、勉学、修行が肝腎ですが、これは一般でも言えそうだなあと最近思います。ちなみに夜はヒマなので9時に寝てしまいます。朝は4時30分には目が覚めてしまい、午前中が長くなりました。ロングスリーパーなので、本来は8時間最低でも7時間は毎日寝ないと調子が狂います。寝ているからいいのでしょう。なお家ではビールを飲むことはほぼありません。たまにはありますが、酔いがまわりやすいので好きではありません。

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2020年05月11日

夫婦墓のご案内

夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年04月06日

善縁と悪縁

緊急事態宣言が発令されそうです。先週末のことですが、県西端の山北町まで法事があり、車で門徒さん宅までうかがいました。途中、国道246号線を通ります。すいているかと思ったのですが、比較的混んでいました。国道なので普段から色々なナンバーの車が通るのですが、県東端の横浜ナンバーが比較的多かった印象です。門徒さんの話によれば、近隣の県立公園駐車場も、横浜ナンバーの車が普段より多かった様子です。

自粛疲れと言われています。ずっと家にいると何だかおかしくもなりますよね。住職は普段から家にいないといけない職なので、その辛さはよく理解できます。外に出たいというのは、当たり前の感覚です。ただ、ウイルスは自分でフラフラ飛んでいくわけでもないので、人などが運んでいると言えます。緊急事態宣言が発令されるほどであれば、今はもう、ウイルスを遠くへ運ぶことにつながる行為は慎むべきでしょう。

世の中は関係性によって成り立っています。仏教ではそれを「縁」と言います。縁には善縁もあれば悪縁もあります。できれば自分自身が悪縁にはなりたくないですよね。ウイルスは本当に人と人との縁によって運ばれてしまっています。本来はつながりがあることは嬉しいことなのですが、それが他者を苦しめるようであれば、とても悲しいことです。皆さんが善縁で結ばれますよう、お念じ申し上げます。
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2020年02月27日

楽友会中止のお知らせ

楽友会ご参加の皆様、日頃より大変お世話になっております。さて本日開催の楽友会ですが、イベント開催に関します政府発表もございましたので、急遽中止とさせていただく存じます。当日のお知らせになりましたこと、お詫び申し上げます。来月につきましては状況を鑑みまして、またご連絡申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

善福寺住職 伊東昌彦
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2020年02月21日

お寿司屋さんのカウンター

小田原のお寿司屋さんに行きました。檀家さんに連れて行っていただき、あまりにも美味しくて家族でも行ったのです。いわゆる昔ながらのお寿司屋さんで、大将と言うのでしょうか、カウンター席では気風のよいマスターが面前で握ってくれます。実のところ、わが家の子はこうしたお寿司屋さんのカウンターにまともに座ったことがなく、事実上、初めての体験であったと思います。マグロと納豆巻しか食べない次男(小学生)には少々辛かったかもしれませんが、長男はかなり満喫してくれたようです。残念ながら娘は塾で不参加でしたが、いつか連れて行きたいなと思っています。

しかし小田原と聞きますと、お寿司屋さん多そうなイメージがあるかと思いますが、今は8軒しかないそうです。かつては80軒もあったそうですが、今は8軒。すごい減りようですよね。回転寿司は増えています。私は回転寿司も好きなので別に回転寿司のせいだとは思っていませんが、たしかに値段的には勝負にならないところありますよね。でも、回転寿司と昔ながらのお寿司屋さんってのは、同じ寿司ではありましても、味はさておき、食べるまでの手続きはまるで違います。そう考えますと、単純に回転寿司のほうが安いからと言うよりも、むしろその手続き、つまりマスターとのやり取り自体、さらに言えば人と人とのコミュニケーションの変化に問題があると言えるでしょうか。

物とインターネットが接続されるIoTの時代到来と言われますが、私たち生物がインターネットと直接接続されることは当分不可能でしょう。かならずこの五感のどれかを通じて、インターネット上の物事と接触するしかないわけです。どこまで行ってもアナログですね。アナログの感覚を捨ててしまうと、私たちはいつか、本当にデジタルなインターネットの世界に支配されてしまいそうです。電気機器が全部インターネットとつながっても、電源プラグを抜けばその機器はシャットダウンします。バッテリーがあっても、充電されなければエネルギー切れでシャットダウンです。電源プラグ抜くなんて、なんてアナログなことなんでしょう。でもそういう方法が残っていないと、インターネットの暴走は防げそうにありません。コミュニケーションはアナログの最たるものです。そこを捨てるということは、人をやめることにもなりかねません。

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2020年02月07日

小中一貫校と中高一貫校

小中一貫校(小学校と中学)、皆様も最近聞かれたことあるかもしれません。国や都道府県は既存の公立小学校と公立中学校を再編し、あらたに9年間の公立小中一貫校の設置を推進しています。少子化が進むなか、どの地域でも学校統廃合は課題となっています。統廃合によって小中一貫校を新設することも多いようです。当然ながらメリットもあるでしょうし、デメリットもあろうかと思います。公立小学校と公立中学校を一貫化することは、いずれも管轄が市区町村であることから難易度は比較的低いでしょう。都道府県が推進してはいても、1つの市区町村の教育委員会と行政と議会で決めることができるからです。

一方、公立の中高一貫校(中学と高校)という存在を、皆様はご存知でしょうか。これは主として既存の都道府県立高校をもとに、簡単に言えば都道府県立中学校をそれに加えて成り立っています。中高一貫(←ここでは高校入学が可能な学校も含めます)と言えば、私のような年代ですと私立と国立しかなかったように思います。私立は独自教育を掲げての中高一貫であり、国立は国立大学の付属ということで実験校としての存在です。私立はたとえば慶應義塾であれば小学校と大学も含めて16年一貫という場合もあり、国の方針に基づいていないということは明白です。福沢先生です。国立中高一貫校は東京だと東大教育学部付属、学芸大附属、筑波大付属があります。いずれも教育学と関わりのある学校です。実験的に共学であったり別学であったり、色々な形態が用意されているようです。東大合格者の多い筑波大付属駒場は男子校ですね。

都道府県の設置する公立中高一貫校は、こうした私立や国立の中高一貫校と形態は同じもので、選抜制なので入学するには試験に合格しないとなりません。巷の小学生向け進学塾では「公立一貫校コース」を設けているところも増えてきました。私立や国立の中高一貫校を目指す小学生と同じように、それなりに早い時期から受験勉強を始めないと合格することは難しいのが現状です。ちなみに都市部を中心に中学受験が過熱している背景には、こうした公立中高一貫校の増加があります。都道府県のなかには、小中一貫校化を推進しながら、同時にこうした中高一貫校を設置しているところが増えてきているのです。

しかし、この2つの形態はいずれも一貫校でありながらも、内実としては相当に存在意義が異なります。小中一貫校は地域にある一般的な学校で、中高一貫校は大学進学を前提とした進学校です。中高一貫校は大学受験に有利だと言われます。小中一貫校化のメリットを喧伝しておいて、同時に選抜制の中高一貫校も自前で設置している。たしかに私立のようには費用のかからない公立において、色々な形態の学校を用意することは意義あることと思います。勉強をしたい子にとっては、選抜制であっても進学校である中高一貫校は魅力的です。それで費用が比較的かからないとなれば、これは本当に有難いことです。それは理解できることなのですが、独自教育の私立や、実験校としての国立ではない、日本では広く等しく教育の機会を与える役割のある公立が、同じ一貫校でありながらも、あからさまに形態の異なる2つの存在、つまり地域の一般校である小中一貫校、そして進学校としてエリート教育をする中高一貫校という2つの形態から成り立っている、もしくはそれに向かっているという現状に、余計なお世話ながら不安を覚えます。

もちろん、現状においても都道府県立の公立高校には入学試験があり、大学進学実績の優れた高校もあります。しかし、現状では公立中学校から、高校進学を目指す皆が同じようにそれぞれの学校の入学試験に臨みます。これは機会において平等です。中高一貫校も公立小学校から出願可能ですので、一見すると同じように機会において平等かのように見えるのですが、現実は違います。中高一貫校は今、非常に人気の高い学校です。人気があれば試験倍率は上がります。県立高校は中学校での成績によって志望校を決めますので、倍率が実質5倍なんてことはないでしょう。しかし中高一貫校は実質5〜6倍なんてこともあるのです。私立や国立であっても、なかなか実質5倍にいきません。2〜3倍程度です。これはものすごい倍率なのです。合格するためには、少なくとも私立や国立を目指す子たちと同じ程度の勉強を、進学塾で早期から始めないと難しい。進学塾は費用がかかります。高校受験でも塾代はかかりますが、中学受験のほうが費用はかさみます。費用を出せる家庭は出せばいいのですが、仮に小中一貫校と中高一貫校が併存している場合、こうした受験対策が可能な家庭の子だけ、小中一貫校を途中で離脱するかたちで中高一貫校を目指すことになります。そして、大学進学実績の優れた公立中高一貫校に優秀な生徒を集まれば、その都道府県において、既存のトップ公立高校の学力レベルは相対的に下がることでしょう。トップ公立が入れ替わることすらあるかもしれません。そうなりますと、公立中高一貫校に合格するための進学塾費用を捻出できない家庭の子は、いくら成績が優れていてもその地域のトップ公立には入学できないという事態になります。

こうした状況が全国的に広がり盛んになったらどうでしょう。校数の少ない私立や国立ではなく、全国各地にほぼまんべんなく広がる公立において、一般校とエリート校の二極化が出現するのです。子は日本の将来です。全国各地で二極化教育が実施されれば、それがそのまま日本の社会を基礎づけることになります。つまり、日本の社会も明確に二極化されるということになるかもしれません。全国的に広がらなければ、それほど問題にはならないことでしょう。都道府県が勉強の出来る優秀な子により高いレベルの機会を与えることは社会的にも良いことですし、私も反対はしていません。ただ、全国的に広がったら…。日本全国、小中一貫校を途中で離脱していく子たちが増え、その子たちは残った子たちとは別の道を歩むことになる、なんてまるで別の国のような状況が身近になってしまうかも。小中一貫9年+高校3年、一方では小中一貫校途中離脱6年間+中高一貫6年という、同じ公立校でありながら、こうしたまったく異なる教育課程が併存することになります。ちなみに多くの生徒が高校進学する時代、9年+3年はアンバランスに思えてなりません。既存の6年+3年+3年で十分で、もし中学1年生になるとき、急激な学習段階のアップなどで問題となるならば、小学校と中学校の連携をもっと深めれば問題解消につながるのではないでしょうか。

なお、この記事においては、中高一貫校であっても高校からの入学も可能な学校も一貫校として含めましたが、昨今、公立中高一貫校であっても、高校からの募集を停止するところが出てきています。私立にそういう動きが顕著ですが、公立も私立の後追いを始めたわけです。なぜ日本の公立でこうしたエリート校を作ろうとするのか、私にはまったく理解できません。たしか日本ではエリート校を公立では作ってはいけない、という決め事のあることをどこかで見たような気もしますが、何かの見間違いだったのかもしれません。いずれにしましても、公立はこんなダブルスタンダードのような真似事はせず、もっと勉強意欲のある子に返済不要な奨学金を用意すべきだと私は思うのです。公立中高一貫校に合格するため、多くの家庭が進学塾に費用をかけるような状況を作り出すよりも、よほど健全です。ちなみに公立中高一貫校がたくさんできれば、私立一貫校も経営が圧迫されることになるでしょう。民業圧迫という点でも問題です。奨学金を与え、その意義を理解させた上で使命感をもって学ばせたほうが、より日本のためにはなるように思います。

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2020年02月05日

わが家での節目が終えました

今日は2月5日です。あまり知られていませんが、中学受験がほぼ終わりを告げる日なのです。それぞれの家庭によって教育方針は異なります。わが家は宗教関連学校に通学させたいという考えがあり、3人とも受験をさせました。本人たちは迷惑であったかもしれません。とくに長女は今でも私が厳しすぎたと批判的です。その度に私は謝っています。実際、そうであったと反省をしているからです。ただ、受験をさせた意図は理解してくれていますし、今の学校で出会った友人や部活には満足してくれていると思います。肝腎な宗教教育については、これまた効果あったと私はほくそ笑んでいます。と言いますのは、長女はプロテスタント系の学校なのですが、聖書の授業を受けたことにより、キリスト教と日本人の感性について自ら感じるところがあったようだからです。

長男はカトリック系に通っています。長女の学校に比べて宗教的儀式への参加は緩いようですが、倫理の授業ではキリスト教から西洋哲学、そして東洋哲学や仏教思想まで扱ってくれているようです。長男はアカデミックな側面からそれらの思想に興味は多少持ってくれているようですが、ミサや黙想をする会にはまったく興味を示してはいません。彼なりの思いもあるようなので、私からは何も指示はしないことにしています。そして次男がこの度、受験を終えまして何とか宗教教育のある学校に合格することが出来ました。当初は仏教系を志望していたのですが及ばず、プロテスタント系の学校です。お寺なのに異様だと思う方もいらっしゃるでしょうが、伝統教団であれば中高で触れるキリスト教は教養程度のものが多く、むしろ勉強になることは多いようです。家のなかでは仏教一色なので、いろいろな思想に触れることは人格形成の上でも大切なことだと私は思っています。

その次男の学校は最もキリスト教色が強いと思われ、入学式も完全に宗教形式な模様です。度合いとしては、次男>長女>長男の学校という具合です。次男は寺院後継予定者です。わが宗派は基本的には高校1年生のときに得度という最初の習礼を受けることができますので、夏休みを利用して早々に京都まで生かせる予定です。次男の学校には幸い大学もありまして、普通に勉強をしておけば多分進学できると思うので、大学受験が免除される分、早めに浄土真宗の教育を受けさせたいと思っています。わが宗派は缶詰状態のいわゆる修行期間は短いのですが、座学に費やす時間はそれなりにあります。最低でも1年間は京都に行かせて、そこで1年間の行事なども経験してもらえればと思っています。大学卒業後は京都1年間での修学になるでしょう。

ちなみに私は京都に行くのが嫌だったので、東洋大学の大学院に張り付いていました。それでも何とかなるのですが、どうしても本山とは縁遠くなってしまいますし、交友関係も地域限定になってしまうので京都に行ったほうが良いでしょう。

今日もこれから午前9時から試験が始まるという学校が多いと思います。長女も5日まで頑張りました。長男は3日で終了、次男は2日で終了でしたので、長女は本当に忍耐強く頑張ったと今でも思います。もう高校2年ですが、根性だけは姉弟では一番あるようで、5年間剣道部で修練いたしました。お陰様で先日、三段を与えられました。試合にはあまり勝てませんでしたが、部活辞めたいと言いつつも最後まで貫徹出来たことは大きな成長であったと思います。部活の友人にも恵まれまして、剣道部とのご縁がなければドロップアウトしてしまいそうな時もありました。友人との出会いに心から感謝いたします。

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2020年01月30日

定員とのことで有難うございます

前回ご紹介したTSUKIJIアカデミーですが、いつの間にか定員になっていたようです。有難うございます。数人の参加で、ほぼ個人講義になるっぽいと予測していたので、嬉しい誤算ではあります。だいたい内容は決めましたので、あとは微調整だけなのですが、当日、二日酔いの可能性があり危険です。実は次男が今受験の最中でして、ちょうど2月2日にほぼ終了予定となります。なので2日夜は舞い上がって父が率先して飲んでしまいそうなのですが、控えめにしたいと思います。

皆様、よろしくお願いいたします。

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2020年01月17日

ぬるま湯な私、「知足」を学びたい

今週末からセンター試験ですね。私には直接縁がありません。私は獨協中学高校から獨協大学法学部という絵に描いたようなぬるま湯。言い訳をするならば、昭和48年生まれの私にとって東大はもちろん、早慶だって到底ひっくり返っても手が届かない。単に私がアホだっただけという説もありますが、これでも獨協中学は今よりずっと難しかったし、私の成績は真ん中より上だったような気がします。獨協大学も外国語学部は上智や青山に次ぐ位置であったし、法学部も成蹊や成城と同じようなもんだった。もちろんバブル偏差値。しかしとにかく人数多くて、これでもかと言うほどの競争、競争、競争でした。

大学受験のときの夢は早稲田、現実的には中央でしたが挫折しました。もう面倒くさくて。根性ないのです。昨今、都内大学は定員問題で難化したと聞きますが、それでも巷で「最低でもマーチ」とかいうセリフを見聞きするたびに、決して今は人数少なくて楽だという嫌味ではなく、漠然と「あー、私たちの世代は何だったのか・・・」という思いが湧き出てきます。40代のリストラが多くなっているようです。競争に競争を重ねてきた私たちの世代が今、もうお払い箱なのでしょうか。

人数だけ多く、語学もそれほどできず、ネットネイティブでもない40代。恵まれた世代だと言われてきました。たしかに親世代が築き上げた社会の恩恵を思い切り受けて育ちました。ひと言で言えば、ぬるい世代なのでしょう。日本経済は下り坂です。人口もぐっと減ります。国力は落ちることでしょう。右肩上がりで生まれ育ってきた私たち40代。親世代の真似事では生きていけない時代到来で、果たして生き残っていけるのでしょうか。

実のところ、私は住職とはいえ厳密には兼業住職で、ほかにも在宅中心ながら仕事を持っていました。しかし、不本意ながら今年からなくなりました。とても残念です。寺院経営はよほど大きなお寺でないかぎり、非常に不安定なものです。その不安定さを補うことが私の積年の課題であったわけですが、7年ほど前から職を得ることが出来ていました。また何か別の方法を考えないといけません。私なんてまだマシなほうで、お寺なので住む家はありますし、住職なのでリストラにあうこともありません。会社勤めの友人を見ますと、給料は上がらず仕事だけは異様に増えていくという現状に疲弊し切っています。

企業は人件費削減に生き残りをかけているかのようです。こんなときは「仏教には「少欲知足」という言葉があります」とか、わかったような顔で語り出したくもなるのですが、そんな簡単なことではないでしょう。生活にお金のかかる現代ですが、削るにしても限界はあります。家族がいればなおさらです。我慢にだって限界はあります。「少欲」と言われても困るでしょう。

ただ、この言葉で肝腎なところは「知足」であり、それは「我慢しろ」ではないようです。実際には足りているにもかかわらず、何かと余計なことしているのが私たちなのではないでしょうか。ゴミ箱を見るとよくわかります。今年は「知足」ということを学んでいく1年にしたいと思います。

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2020年01月10日

新年、良い出会いを念じます

NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組で、長男の通う学校の先生が紹介されていました。数学の先生で私より少し年上の方です。独特な教え方をされているようで、多くの生徒たちは数学を楽しんでいるかのように見えました。中学高校の数学は解答を出すものですが、先生は解答までのプロセスをより重視されているようで、授業中に解答は出さないそうなのです。私からしますと数学は解答まで懊悩するものであったので、これは驚きです。長男もあまり数学は得意ではありませんが、もしかしたらその楽しさを感じることができたのかもしれません。

この学校はちょっと変わった学校で、キリスト教の倫理教育のもと、規律と自由がうまい具合に両立されています。遅刻とトイレ掃除には厳格なようですが、あとはまるで何も規則がないかのようです。生徒も一般的よりもやや変わった子が多いように見受けられ、わが家の変わっている長男も馴染んでいます。一般的な学校だと窮屈になってしまう子であっても、それなりに自己発現ができそうな雰囲気にあるようです。番組で紹介された先生の教授法も、こうした型にはまらないような子たちには向いているのでしょう。これは偏差値云々に関係するというよりは、自由な発想を重んじることに関係していると思われます。

長男は小学校時代、友達と遊びに行ったのは6年間で1度だけです。決して学校がつまらないというわけではなかったそうなのですが、頻繁に遊ぶようにはなりませんでした。私とはタイプが違うので心配でしたが、今は気の合う友人に恵まれたようです。人生において出会いこそ大切です。面白い数学の先生に出会うことができて、長男も少しは数学の苦手意識を払拭できたかもしれません。あまり遊びに出ることはなかったのですが、先日はなぜか大磯でカラオケを友人たちとしてきたそうです。親としては嬉しく、この出会いのご縁に感謝するばかりです。皆様にとりましても、良い出会いのある1年でありますよう、心からお念じいたします。

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