2023年09月18日

知識や知見を軽視していはいけない

外国のことは知らないけど、日本では研究者、勤務医、教諭など、知識や知見によって業務している専門職の待遇が異様に悪い。開業医や弁護士事務所、そして塾など、経営者も兼ねるようになれば、経営力によって収入を上げることは可能であるが、そうでもしないと持っている知識や知見の割に収入は少ない。しかも多くの場合、激務。

日本は天然資源の少ない国なので、研究やそれによって支えられた技術によって立国してきた。学校の先生に育てられ、そして、研究者や医師になっていく。その過程が随分と軽視されているように、今、感じる。

待遇が悪ければ、どうしても質は低下する。研究者、勤務医、教諭の質が低下すれば、それはそのまま国力の低下につながっていくだろう。人口減のさなか、質を上げる努力をしないといけないのになあ。


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2023年09月13日

ラグビーのルールが分からないので

ラグビーのルールはまったく分かりません。サッカーと野球はだいたい理解しています。

個人的感想として、サッカーは展開が早いのずっと観戦し続けていなければならない。一方、野球は緩急があるので、状況によっては観戦し続けなくとも大丈夫。サッカーはチームのレベルに乖離がなければ、点差があまり開かないと思います。なので最後まで観戦し続けないといけない。また一方、野球はチームレベルが近くても、ピッチャーの力量で点数に大差つく場合があります。最後まで観戦しなくても結果の予想がつきやすい。

もうおじさんなので、サッカーは気が抜けないので途中で疲れてしまう。野球は普通に飽きてきます。先日、ラグビーのワールドカップを観戦していて思いました。ラグビーはちょうどいいなと。

しかしルールが分かりません。状況がまったく分からないのです。

私が行きつけの、関本(南足柄市)にある居酒屋(もしくは食堂)「きんとき」さんのマスターはラグビーに詳しい。ラグビーで謎に思える点、たとえばスクラムしているのに、なぜかボールが後方に置いてあったとか、そう見えてしまう点の謎解明をお願いしたいと思っています。

ラグビー、すごく面白かったです!


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2023年08月28日

髪型

私は丸刈りです。とくに宗派で決まっているわけではありません。個人的に坊さんスタイルには坊主頭が似合うと思っているからです。形状維持が楽だというのもありますが、自分に似合っていると思います。

髪型なんて自由で良いと思います。

戒律厳守で完全出家するならば、煩わしいので有髪は面倒くさいでしょう。似合うとか似合わないとか、髪型ごときに気を取られるようでは修行は出来ないと容易に想像できます。ただし髪を剃るのも面倒です。「髪がない」というのもスタイルになってしまうので、スタイル自体を気にしないのであれば「放置」しかありません。そういう場合は、放置でも良いのではと思います。逆にかゆくて心が乱れそうではありますが。

阿弥陀如来は長い間思惟された際に髪が伸びすぎた、という描写もあります。阿弥陀如来はかゆいとか、そういう感覚を超越しているのだと思われます。

金戒光明寺の五劫思惟像↓
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と言うことで、髪型は個人で決めれば良いかなと思います。「坊さんらしい」とか、「〜らしい」というのは他人が言うことなので、どうでもいいことです。坊さんが長髪で嫌だなと思うのであれば、短髪の坊さんに読経してもらえば良いです。長髪の坊さんは、それなりに考えがあって長髪なのです。考えが合う、合わないは仕方のないことなので、どちらでも良いです。

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2023年08月15日

お盆参り有難うございました

今年のお盆参りは本日で無事終えることが出来ました。車でお参りするので暑さ自体はあまり問題ではないのですが、雨は結構困ります。昨日はかなり濡れました。ただ、その程度で済んだわけなので、台風が直撃された地域のお坊さんは大変だったかと思います。こちら神奈川県西部は時折豪雨がありますが、風はそれほどでもありません。気温は30度以上はあると思います。湿気もかなりなもので、本堂で勤めた合同お盆法要は参拝の方も暑くて大変だったかと思います。皆様有難うございました。

夏になると中高時代の生物部合宿を思い出します。長野県の山中で行いました。なぜ思い出すかと言いますと、善福寺境内は木に囲まれているせいか、朝からそういう雰囲気なのです。近くとはいえ開成駅や大雄山駅のような街中では感じられないでしょう。

今日も生物部合宿です。

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2023年08月08日

お賽銭箱の盗難にあいました

本日、永代供養墓と弁天堂のお賽銭箱がなくなっており、盗難にあいました。皆様の願いが込められているにもかかわらず、誠に申し訳ございません。とても悲しく思います。永代供養墓の賽銭箱は引きちぎられ、弁天堂の賽銭箱は強引に引き出されました。繰り返しますが、お賽銭は皆様の願いが込められています。

松田警察の方に来ていただき、指紋採取をしてもらいました。

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2023年08月05日

イノベーター上人

中学・高校・バンドで一緒だった友が新たに会社設立をするというので、記念式典に参加してきました。ビジネスの感覚に触れることの少ない坊さんですが、寺院運営にとって有益な話も聞くことができました。寺院は営利団体ではありませんので、そもそも会社とは目的が異なります。しかし伝道のためにはビジネス的な感覚も必要なことはたしかで、歴史を振り返ってみても辣腕な住職はたくさんいました。

浄土真宗においては蓮如上人の手腕は現代にも通じると思います。伝道において複雑な手続きは廃止し、多くの人々がシンプルに仏教に触れられるよう工夫をされたと思います。複雑さは権威の象徴となりますが、人々にとって実際には遠くで眺めるものとなり、伝道の本質が機能しなくなってしまいます。蓮如上人は様々な改革をされた方で、西本願寺の蓮如上人五百回大遠忌(平成10年)においては、「イノベーター上人」という現代的な呼称をもって賛嘆されました。

この「イノベーター上人」ですが、先日亡くなった父であり前住職の伊東宗之が発案者です。伊東宗之は善福寺住職として奉職しつつ、博報堂でCMディレクターの職にも就いていました。生前、自分の仕事を本山に役立てることが出来たと喜んでいました。父を偲びつつ、私も「イノベーター上人」に少しでも近づけるよう、これからも精進したいと思います。 合掌

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2023年07月18日

境内は非常に暑い状態です

今日も非常に暑くなりそうです。皆様、熱中症にご注意下さい。境内はカラカラ状態で、蓮は日に2回水を補給しないとダメです。苔であっても日なたですと全体が反ってきてしまいます。水を撒いてもまさに焼け石に水。

元気なのは鳥です。とくにヒヨドリ。若い鳥なのか好奇心旺盛でいたずら好きです。本堂で遊ぶので困ります。

水屋で水浴びするのもやめてほしいのですが、言っても無駄です。

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2023年07月13日

前住職が亡くなりました

父であり、前住職の伊東宗之が亡くなりました。すでに近親者で密葬を済ませまして、7月22日(土)13時30分から本堂で本葬を執り行います。導師は住職である私が勤めます。寺族葬儀の場合、住職は導師を勤めないことも多いのですが、父との最後の勤行なので私が勤めることにしました。祖母や母の際も私が勤めました。お参りの方への挨拶が手薄になるかもしれませんが、どうかお許しいただきたく存じます。

父は昭和13年2月に善福寺で生まれました。福沢小学校、相洋中学、小田原高校を経て、早稲田大学教育学部へ進学しました。教育学部を選んだ背景には、教師であった祖母の影響もあろうかと思います。ただし、本人の本当の希望は漫画家になることで、大学では漫画研究会に所属していました。結局、教員免許をいただいたものの教師にはならず、広告代理店の博報堂へ就職しました。博報堂で母と出会いまして、そのまま結婚に至ります。博報堂では一貫して制作の現場にいまして、よくコマーシャルの絵コンテを家でも描いていました。漫画家にはなれませんでしたが、ある程度は希望が叶ったと言えるかもしれません。祖父が亡くなって住職を継承し、20年ほど勤めたあと、私に住職を譲って引退いたしました。85年間の生涯でした。

息子から何かあるとするならば、「酒をもう少し控えていればなあ」のひと言に尽きます。アルコール依存症を治療する病院にも何度も入院しましたが、ダメでした。博報堂を退職してからは酒浸りで、ほとんど自分の思うようなことは出来ていなかったかと思います。家族ともうまくやっていけず、晩年は苦しい毎日であったかもしれません。毎日朝から晩まで酔っている状態なので、父のことをより理解する機会はあまりありませんでした。心残りがあるとすれば、この一点ということになります。

いずれにしましても多くのことを教えてもらいました。毎週日曜日の夜、家族で「正信偈」の勤行をしたのは大きな思い出であるとともに、今の私自身を支えてくれる原動力になっています。私がこのような教育を自分の息子たちに出来ているかと言えば、やや心許ないかもしれません。

親子で確執もありましたが、今は感謝の心が多くなってきています。 合掌

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2023年06月22日

新たな差別が発生する事態に

性的マイノリティーの方への差別をやめましょうという主旨なはずなのに、なぜ新たな差別が発生するような事態を予測できないのかとても不思議。スポーツとか、公衆浴場とか、公衆トイレとか、明らかに差別問題になっていると思うなあ。こうした場合の性別は2種類だけではなく、ちゃんと増設しないといかんでしょう。

ルール作る立場の人たち、もっと考えようよ。安易すぎるよ。

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2023年05月31日

世襲が増えましたね

跡継ぎというものは、血縁で継承しなければならない家業の場合、その親にとって重要です。ただ、実のところ血縁での継承が前提となる家業というのは、そんなものあるのかな。少なくとも私は知りません。親のDNAを継承しなければ業務上不具合を来すなんて、そもそもそんな事業は存在しないでしょう。

これはつまるところ、親が自分の得た業務上の立場や特権を、そのまま子に継承させたいということなんだと思います。まあ、そりゃそうですよね。そのほうが親も余生が気楽だし、思い残すところも少なくなるかも。

たしかにその家庭で育つことが、その家業を継承するのに有利なことはあります。お寺はまさにそうで、お寺で育ってお経を幼少の頃から習えば、得度(=僧侶の資格をいただく)するときに楽です。大人になってから暗誦するのは結構大変だと思います。古典芸能の家であれば、この傾向はより大きくなることでしょう。親が頑張っている家業を継ぎたいと思うことも、その子にとって自然な感情とも言えます。問題はありません。

もちろん、自分の子じゃなくても良いわけです。弟子を取れば良いのです。しかし子に恵まれていて、その子がやる気であるならば、親としてはその子に継承させたくなります。世襲ですね。

ところで最近、各界で世襲多いですよね。お寺だって、明治時代になるまでは浄土真宗以外の宗派は世襲ではなかった。それが今では、だいたい世襲です。経済界も、政界も、芸能界も、印象ですが増えたような気もします。スポーツ界は、これは結構難しそう。実力が数値で出ますし。開業医の先生にも多いですよね。意外かもしれませんが、学校の先生にも親子ともに先生という場合も見られます。

善福寺も子に継承してもらいたいのですが、導くのはとても難儀なことです。甘やかしすぎないよう、気をつけたいと思います。それを再確認させられるようなニュースが連続してありました。亡くなられた方々は、本当に無念なことだった思います。お悔やみ申し上げます。

政界のほうは、、、日本の行く末が心配になりました。大丈夫かな。

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2023年05月30日

指導死という言葉に触れて

インターネットでニュースを見て、「指導死」という言葉を知らなかったので調べてみたところ、多くの事例があることが記されていました。今に始まったことではなく、かつ、どの学校にもということではありませんが、学校の先生のなかには指導不適格な人物がいることは頷けます。

敢えて言いますと、学校の先生は児童生徒にとって、学校、とりわけクラスではまさに「天下」です。

以前、PTA活動を通じて知り合った校長先生が語っておられましたが、「教師は良くも悪くも学校しか知りません。多くの教師が大学を卒業して、そのまま学校へ就職しています。他業種を知る機会のないまま、ずっと学校にいるわけです。若い先生方には他業種の方の話を聞いたり、体験する機会をもっと持って欲しい」という趣旨であったかと記憶しています。

世間知らずになるなってことです。情報を得るためのアンテナはいつも立てていましょうと。閉じたなかにおいては、熱意もいつしか傲慢になるかもしれません。

行き過ぎた指導というものは、往々にして傲慢です。そうならないことを願います。

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2023年05月09日

境内一部車両通行止めのお知らせ

≪お知らせ≫
本日5/9(火)〜5/12(金)まで、山門参道向かって左側からの駐車場は道路工事のため通行止めになっております。お車でお参りの際は右側の駐車場をご利用下さい。なお付近に工事車両が停車しておりますので、十分お気をつけてのお参りをお願い申し上げます。ご不便をおかけしまして申し訳ございません。合掌

善福寺住職 伊東昌彦

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2023年04月14日

山梨は隣なのですが幾重もの峠越え

長男が4月から山梨県で生活を始めました。はじめて子を独り暮らしさせますので、女房はとても寂しがっています。しかし、すぐ慣れるとは思います。

家族など縁近い人とは命のつながりが大きいと思います。たがいに増上縁となって影響し合っているからです。とくに母親は大きそう。天親菩薩の『倶舎論』によれば、子は母親を選んで生まれ出るそうです。

ともあれ、長男に幸あれと思うばかりです。合掌

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2023年03月18日

良い学校たくさんあります

受験の季節も終わりを迎えていますが、「第一志望」にはあまりこだわるべきではないと個人的には思います。大学受験は浪人も普通にあり得ますが、浪人が考えられないのであればどこかに進学しないといけません。たとえば中学受験において、実際に受験するのは小学生です。小学生に対して、多く親の希望とも言える「第一志望」を背負わせるのは、まだ精神的に未成熟な段階では酷すぎます。

〇〇中学絶対合格! こんなの小学生に背負わせても意味ありません。

別に第二でも第三でも第四でも第五でもいいんですよ。そもそも本意ではない学校を受験させる親がおかしいわけで、受験させるのであれば、子の成績を参照しながら良いと思える学校を数校見つけ出し、1校でも合格もらえるよう計画するのが親の役目です。緊張する子は普通に力を発揮できません。よく考えればそれが普通じゃないですか。私自身で言えば、もう40年近く前ですが3校受けて、難易度が高い2校は不合格でした。しかし、1校合格したことに対して、親は普通に祝福してくれました。

わが家の子たちの場合においても、受験校のなかで最高難度の学校には全員不合格でした。無理に受験したわけではなく、偏差値においても50%以上は合格する可能性があった学校ばかりです。なかには80%以上の合格可能性の子もいましたが、普通に不合格でした。そういうものです。行ける学校は1校ですから、1校から合格いただければ大成功なのです。

子は親自身の不甲斐なさを穴埋めする代役ではありません。

よくある錯覚で、付属校ではなく進学校の場合、いわゆる難関中高は難関大学への進学実績も素晴らしいものですが、そうした学校にわが子が進学したからと言って、難関大学へわが子が進学できるわけではありません。何のために受験させるのか、よくよく考えるべきです。親の人生のリベンジでないのは言うまでもなく、難関大学へ進学させるためと言うのであっても、実際には大学受験のための塾の役割が大きいのは明らかです。なお、難関大学を卒業したからと言って、人生が楽になるわけでもありません。

中学受験で思うような結果とならなかった子が起こした悲しいニュースに触れるたび、私自身も含めた大人たちの身勝手さに、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

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2023年03月09日

今年は花粉すごい

花粉すごいですね。フェイスブックに写真を掲載しましたが、ほんと大量です。なにか有効活用できればとか思いますが、何かあるんでしょうか。南足柄は花粉の有力産地になれることでしょう。

花粉を集めました→ https://www.facebook.com/zempukuji

なお私はいわゆる花粉症の症状(鼻水や目がかゆくなる)はほぼないのですが、顔面や首がかゆくなります。それから喉も痛くなる傾向にあり、本堂境内清掃のあとは洗顔とうがいが欠かせません。


善福寺永代供養墓
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DJ ihigashishowgen YouTubeチャンネル
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2023年02月03日

節分で鬼はどこにいるのかな

今日は節分ですが、受験真っ盛りでもありますね。中高大とまさに本番だと思います。経験上、絶対に第一志望校にって思い過ぎないで、第二でも第三でもいいんだっていう気持ちが大切かと。

少子化でどこの学校法人も受験者集めが大変そうです。でも学校法人はあくまでも教育が目的ですから、営利に走るような真似は厳禁です。これは宗教法人にも言えます。営利以外が目的だからこそ、会社法人と比べて優遇されている側面があるからです。

鬼は外と言いますが、だいたい悪いのは自分の心なわけです。鬼も毎年大変です。節分も単なるパフォーマンスではなく、こういうことちゃんと説かないと宗教じゃなくなっちゃうよ。

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2023年01月30日

自然とは人為の届いていないこと

この時期になりますと、スキーやスノーボードのバックカントリーでの遭難が毎年相次ぎます。バックカントリーとは管理運営されたスキー場外のことで、簡単に言えば大自然の真っ只中のことです。私もスキーやスノーボードが好きなので、バックカントリーを滑走したいなあと思うこともあります。

しかし、そこは正真正銘の冬山なのです。スキーやスノーボードをするというよりは、冬山に行くと言ったほうが正しいんじゃないかなあ。冬山に対する十分な知識と経験がない私は、バックカントリーに入ることには躊躇してしまいます。

自然とは自からそうなっていることで、人為的ではないことを指します。人為的であれば、問題に直面しても何かしら解決策を見出すことは可能でしょう。人為的なのですから。しかし、そうではない自然においては、人為が届いていないわけなので、驕りは禁物かと思えます。とは言え、遭難された方であっても、十分な知識と経験があったかもしれません。とても残念です。これ以上、遭難者が出ないことを念じます。 合掌

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2023年01月10日

成人の日に思うNHK

昨日は成人の日でした。私も昔、成人しました。しかし大学のテスト前だったせいか、何をしたかあまり記憶にありません。面倒だったので家族で写真撮影もしませんでした。当時は「めんどくさい病」だったのです。今となれば両親には申し訳なかったかもしれません。

ところで昨日の朝、7時からNHKのニュース番組を見ていましたが、NHKも変わったんだなあと思う場面がありました。

まだ7時10分くらいだったと思います。成人の日に関するニュースになりまして、振り袖についてキャスターが盛り上がっていました。いやまあ、別にいいんですが、随分早い時間に盛り上がるもんだなあと。このあとにウクライナ情勢だったので、余計にそう感じてしまいました。

「成人の日=振り袖」っていう認識も、う〜む、そりゃかなり一般的かと思うけど、成人の日は別に振り袖だけじゃないでしょう。女性キャスターに自身の振り袖事情を喋らせるのも、台本としてチープでした。

いつからNHKの朝7時はニュースショーになったのか、毎日見ているわけではないので、その変化に鈍感であったのかもしれませんが、ここ数年うすうす感じていたことを昨日、再認識しました。論理性に欠くキャスターの感想も多く、そして番組宣伝も多い。

NHKも民放と競合する時代なんでしょうか。これも時代なのかなあ。NHKは受信料収入あるんだから、それほど視聴者ウケを狙う必要はないと思うんだけど、昨今いろいろと指摘されているからか。落ち着いて見ていられなくなってしまったかな。

NHKは昔から好きなんです。シルクロードとか、野生の王国とか、よかった。ああいう番組も、少なくなったのかな。

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2022年12月23日

銀杏が大急ぎで落葉中

今年は本当に銀杏の黄葉そして落葉が遅く、お正月には間に合わないかなあと思っていました。

しかし昨晩から猛烈な風で、お正月に向けて銀杏も大急ぎかのように落葉しています。フェイスブックに落葉の様子をアップしました↓。
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こちらはYouTubeライブ配信です↓。
https://www.youtube.com/watch?v=2YYGp8aV5rQ


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2022年12月22日

学校の先生にも勉強時間確保を

神奈川県教員採用試験の倍率が下がってきているそうです。倍率低下は全国的に言えることのようですが、数年前は5倍台であったところ現在は3倍台とのことです。いわゆるブラック職場だと報道されてしますし、敬遠する学生が増えているのは確かだと言えそうです。

能力低下も懸念されるところです。

学校の先生ですから、一定程度の学的水準を超えていないと問題です。倍率低下が即座に能力低下に影響するわけではないと思いますが、この状況が長引きますと、優秀な先生が減っていくのは容易に想像ができます。個人的な印象ですが、自分が大人になったせいもあるとはいえ、自分の小学校のころの先生に比べ、今の先生はどうかなあ、やや心配になるときもあります。

こうした背景によると思いますが、都市部を中心に私学教育の人気が高まっていると聞きます。少子化においてなお、塾産業は盛況とも言われます。公立教育への不安が大きくなっているからでしょう。子を少しでも良い教育環境へ入れたいと思うのは、親であれば多くあり得ることです。

先生という存在は、人生において大きな存在です。小学校であれば、多くは担任の先生と1日のなか長い時間を共にします。先生が使命感をもってクラス運営にあたられているのは当然と思いますが、能力を高めていけるような時間を確保してもらいたいなあと思います。先生が忙しすぎれば、こうした時間も取れません。採用されてからも能力を高めることは可能ですし、昨今、社会人の再勉強には注目が集まっています。国には先生方の能力アップに資する行動を期待したいものです。

なお蛇足ですが、公教育には学校法人である私学も含まれます。公教育に対するものは私教育になりまして、これは家庭内や地域、そして塾による教育を指します。私学であっても公的な制度に従っているわけですし、助成金を国から受け取っているので、当然、公教育に当てはまるのでしょう。

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