2021年04月12日

仏事の完全オンラインは、まだ難しい

コロナ禍のなか、企業ではリモートワークが奨励されています。職種によっては難しいわけですが、会議はオンラインでも可能な場合があるでしょう。私たち宗門におきましても、たとえば教区の会議はすべてオンラインになっており、とくに問題はありません。

では、仏事はどうでしょう?

会議であっても、当初は慣れていなかったので不都合を感じる場合があったかと思います。仏事も坊さんが、たとえば本堂や斎場で実際に読経し、参列者は喪主も含めて全員オンラインということも想定可能です。慣れれば問題ないという意見も聞かれます。

もちろん会議と仏事が、感性において同じものだと捉えればの話です。

年間、何度も法事や葬儀を行う私からしますと、会議と仏事は違います。客観と主観の違いと言いましょうか、仏事は理性だけでは解決できない側面を多く担います。葬儀であれば、故人との関係が比較的薄い方であればオンライン参加も可能でしょう。大いに結構なことだと思います。

しかし遺族にとって、別れというものはそんなに簡単なことではありません。これは法事であっても同じです。今後の社会は、システムとしてインターネットを中心に動いていくでしょう。仏事も当然、何かしらインターネットを介したものに変容していくと予想されます。

課題としては、死別によって空いてしまった心の穴を、インターネット環境によって埋めていくことが可能なのか、ということが考えられます。私たちの周囲はデジタル化していますが、私たち自身、すなわち人はどこまでいってもアナログです。直接、脳とインターネットが接続されていない以上、これはもうどうしようもないことです。

しかし人は進化する存在ですし、デジタルと共存可能なようになっていくことでしょう。

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2021年04月07日

はこね金太郎ライン

4月28日に南足柄と箱根仙石原を結ぶ道が開通します。名称は「はこね金太郎ライン」と発表されました。金太郎氏は金時山付近で活躍していたとの伝承があり、この道は金時山付近を走ります。わかりやすくて良いです。南足柄と言えば大雄山最乗寺と並んで金太郎氏が有名です。町中、ある程度は金太郎氏。ただ、これぞ金太郎氏という場所はなく、敢えて言えば夕日の滝ぐらい。しかし、滝があるだけです。それはそれで自然で良いのですが(実はとても良い)、おそらく観光的には物足りないかも。ちなみに公時(きんとき)神社という神社もありますが、箱根町です。大雄山は天狗様なので、もうこれはコラボるしかないと私は思います。

天狗様 VS. 金太郎氏

あまりにもベタなのでやめたほうがいいでしょう。対決しても意味なし。ドラゴンボールみたいに合体するとか、というのもありますが、大雄山に叱られること間違いなし。せっかくキンタローマンというキャラがあるので、天狗様にはこの際、女形になっていただくとか。うる星やつらのクラマ姫のようになる。いいねって思うけどけど、間違いなく大雄山に叱られるでしょう。

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2021年04月02日

善福寺サイト≪追加コンテンツのお知らせ≫

善福寺サイト「今昔 お寺からの眺め」に追加コンテンツです。このページは善福寺周辺、神奈川県西部の魅力を伝えるため、officeAKIHIKO(代表:伊藤章彦氏)の協力を得て作成されています。今回追加は大雄山最乗寺、箱根仙石原、小田原北条氏、風魔党についての紹介です。

今昔 お寺からの眺め↓こちらです
http://www.zempukuji.or.jp/konjyaku

なお今月、4月28日には南足柄と箱根仙石原を結ぶ、「はこね金太郎ライン」が開通します。かつては箱根山を中心に交流のあった両地域ですが、車社会の現代においては往来が難しくなっていました。念願の県道が整備されまして、東名高速大井松田I.C.から箱根仙石原へのアクセスも良くなりました。コロナ禍ではございますが、感染防止のうえ、地域の観光が益々盛んになることを願います。

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2021年02月19日

学校の「変なとこ」

受験シーズン真っ盛りですね。今年は新型コロナウイルスの影響で受験生は苦労したと思います。わが家の娘も大学受験生でしたが、あまり芳しくなかったですね。まあ本人の自覚という問題もありますが、うまく勉強がはかどらなかった側面はちょっとあるかなあ。いずれにしても高校卒業を迎えることとなりまして、お世話になった学校には感謝しています。よい友人や先輩に恵まれたと思います。勉強はいまいちでしたが、剣道部で中高6年頑張りました。剣道部がなければ落第していたかもしれません。親として学校生活に満足しています。

娘はキリスト教主義の学校でした。受験の際には宗教校を優先的に受験校として選びました。お寺の娘ですが、まずは仏教とかキリスト教とかというようよりも、普段の生活のなかで宗教心を育んでもらいたいと願ったからです。住職として、父親としてそれが上手くいったのかは分かりません。教養としてキリスト教を知ることは大いに価値あることですし、それは果たせたでしょう。肝腎の宗教心はどうかと言えば、娘の心を覗けるわけではないので分かりませんが、慈しみの心は育ったかなという印象です。慈しみは宗教心の根幹と言えましょう。

宗教系の学校は不人気だそうです。教義に染まっても困るなあというのは親として理解できます。ただ、伝統的な宗教宗派であれば、いきなり学校現場で布教なんてないでしょう。とてもやんわりとしたもので、宗教的な教養が身につく程度だと思って良いです。そもそも日本の宗教的国柄というものは、1つを選び熱狂的になるものではありません。広く浅く、寛容的なのが日本です。伝統的な宗教宗派の学校は歴史が長いことが多いですし、そのあたりはよく心得ていることでしょう。そうでなければ、入学試験を課してまで生徒を広く集めることなんてできません。

ただ、ちょっと変なとこありますね。もちろん親として受け入れ可能な「変なとこ」なんですが、伝統というよりも、学校としての頑固さを感じることはあります。一方、そこが安定感になっているからでしょうか、親としての安心につながっているとも言えます。学校によって「変なとこ」は違いますが、入学前にはよくよく調査したほうが良いでしょう。今はネットで情報収集可能ですし、ネット上で取捨選択して良い情報を得られれば、その学校のことを事前にある程度知ることが昔より容易です。

たとえば浄土真宗本願寺派の宗門校である武蔵野大学中高では、講堂には思い切りご本尊阿弥陀如来がいらっしゃいます。そして年間行事を同校サイトで見てみますと、「報恩講」とか「彼岸会」とか、お寺に馴染みのある行事がゴロゴロです。築地本願寺に参拝するとか、そういう宗教行事が普通に正課になっています。なんでそんなことに時間を費やすのか、もっと授業時間を増やしてほしいと思うかもしれませんが、授業と同じくらい大事な宗教行事なわけです。娘の通う学校でも、そもそも土曜日は授業がありませんし、宗教関連のお休みも多かったと思います。一般的に見れば「変なとこ」でしょう。

私はこういう「変なとこ」が大好きなので、わざわざ選んで入学させたわけです。私自身は宗教校ではない学校でしたが、哲学者が創立したからなのか、やはり「変なとこ」が多々ありました。自由とはどういうことなのか、生徒自身に考えさせられるような環境でした。言い換えればほぼ放置だったわけですが、同級生を見ると立派に育っている輩も多く、まあまあ良い教育環境であったのかと思えます。わが母校である獨協中学高校は、先生も含めて「変なとこ」だらけでした。仲間も変人が多かったように思います。皆それぞれ変人で頑張っています。さてわが娘はどうなることやら、健やかであることを願います。

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2021年02月15日

志る角

緊急事態宣言下ではありますが、東京・六本木の「志る角」という料理屋さんに行ってきました。二代目店主は中高時代の友人なのです。お父上から立派に継承しまして、六本木という激戦区ではありますが精進しています。コロナ禍のなかピンチかと勝手に思いまして、押しかけてきました。消毒・検温などの対策は万全であり、カウンターは通常の半数でパネル仕切りを入れています。私は5時30分頃行きまして、閉店の8時にはお店をあとにしました。お持ち帰りでも頑張っているようでしたが、店内は平常時に比べてやはり空いている状態でした。夜が勝負のお店ですので、20時閉店では厳しいことでしょう。それでも雇用を維持しつつ何とかしのいでいるようで、友人として非常に誇らしいことでした。ちなみに味は最高ですよ!スタッフも気持ちのいい方ばかりです。

おじさんになったからかもしれませんが、中高時代の友人っていいものだなあって最近つくづく思います。

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2021年02月05日

男女交際と生徒の本分

男女交際を理由に退学処分になり、それに関する提訴があったとの報道がありました。故郷に近い学校なので馴染みがあります。高校野球と芸能人の印象が強い学校ですが、男女交際に厳しかったとは知りませんでした。互いに好きになると問題なんですかね。それで学業が疎かになれば問題ですが、退学処分になるほどの理由があるのかなあ。校則違反だから退学というのは正論のようにも聞こえますが、そもそも校則自体に問題があればどうなのでしょう。互いに好きになり、気持ちを確認すればいわゆる「交際」となるのかと思います。別に公に認定機関があるわけではなく、言うなれば気持ちの問題です。すごい曖昧なのですが、どうやって論理的に証明するのか私には分かりません。二人が認めたから退学処分なのでしょうが、どこから「交際」と認定するのかは非常に難しように思います。手をつないだら「交際」?そんなアホな。ちゃんと勉強していれば問題ないと私は思いますねえ。

親鸞聖人が好きな子できて、坊さんなので悩んだそうです。坊さんは本来、結婚しちゃダメなんですよ。仕方ないからお師匠様の法然聖人に相談したそうです。たしかに坊さんで好きな子できるのは一大事ですよね。坊さんやめるしかないかも、ってほど悩んだのでしょう。そしたら法然聖人は、結婚して仏教できないようなら結婚はやめとけと。仏教、つまり法然門下ではお念仏できなくなるようなら、結婚なんてするもんじゃない。お念仏ができるのであれば、別に構わんだろうと。たしかに好きな子できるのも一大事かもしれんが、本当の一大事はお念仏ができなくなるってことだよ、という主旨だと思います。それで親鸞聖人は結婚されました。奥様は恵信尼様です。お二人でお念仏。

高校の校則には、報道によりますと「特定の男女間の交際は、生徒の本分と照らし合わせ、禁止する」とあるそうです。「生徒の本分」、つまり学業であり勉強ですよね。「生徒」とありますので当然です。生徒は勉強するのが責務ですから。こういう校則を作成するのであれば、では何故、「特定の男女間の交際」というものが、「生徒の本分」である学業をなおざりにさせることになるのか、やはりちゃんと論理的な説明文があってほしいものです。生徒の本分と照らし合わせた結果、それが侵食されることになると断定しているわけですから、その理由を明確にしてほしいなあ。男女交際によって、救済不可能なほど成績が下がったというのなら理解できますが、むしろ上がる場合もあるんじゃないの?

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2021年01月14日

これからの日本、古い車も大切に

私は坊さんですが、いわゆる出家僧ではなく、市井に生きる在家に近い坊さんです。浄土系の坊さんは概ねこうした傾向にあり、とりわけ浄土真宗は僧俗(坊さんと門徒さん)の距離が近いと思います。しかし、宗派がそうだからということではなく、私自身、こうした坊さんのあり方ではないと得度する(坊さんになる)ことは無理だったでしょう。まあ、修行が足らんわけですな。全体的に足りない。こんなご時世でありましても、ああ、早く飲み行きたいなあとか、そんなことばかり頭に浮かびます。インド仏教では不飲酒なので、般若湯(日本の坊さんの言う酒)なんて存在しません。般若とは悟りの智慧のことであり、修行が完成した暁にようやく得ることが出来ます。酒飲んでたら得られないでしょう。酒飲むと煩悩が膨張しますのでまず無理です。

私はそもそも酒癖が悪いのですが、最近どうもそれに磨きがかかりまして、酔っぱらっている状態だと頭くることが多くなって困ります。周囲にも迷惑をかけています。もともとそういう人なんでしょうが、不満が膨張してくるんですよね。酒飲んでも変わらない人いますが、凄いなあと思います。私は根本的に不満があるのでしょう。しかし不満というものは、よく考えればすべて自己都合のいい加減極まりないものです。あたり前ですが、満たされないから不満なのです。極楽浄土にいらっしゃる菩薩様は「少欲知足」なのだそうです。少ない欲望で十分だと知っているわけです。あれ欲しい、これ欲しいじゃないんですよね。私はどうも欲張りなのでしょう、生来そうだと思います。

これからの日本、どうなるのでしょうか。資源のない国です。人材が豊富かと言えば、私たち団塊ジュニアは人数は多いのですが、う〜む、どうもこう競争にすでに疲れ切っているような印象です。持続可能云々と叫ばれる時代ですが、これはまさに「少欲知足」が原点です。成長時代は大量消費で豊かになってきましたが、これからは良いものを長く使うことが重要そうです。ドイツでは車の技術革新が目覚ましく、無駄のないエネルギー利用を念頭に置いているようです。どんどん新しい車が出てきます。一方、古い車を乗り続けることに対して、自動車税の減税政策があると聞きます。30年ほど古く非改造の車であれば、その恩恵に浴せるとのことです。日本はどうかなあ、古い車に乗れば乗るほど負担が高まってくるように思えますが、こうしたドイツ人の精神を見習いたいものですね。ものは大切に。

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2021年01月09日

飲み屋さんの危機

緊急事態宣言発出をうけまして、飲食店の営業時間が20時までとなりました。飲み屋さん大好きな私としましては、とても心配です。もちろん新型コロナウイルス感染防止の観点からすれば、営業へ何らかの規制が入ることはやむを得ないことです。しかし20時で切りますと、前回のことで明白なように飲み屋さんは稼ぎ時を失います。時間規制ではなくて人数規制でもいいような気がしますが、素人的な発想でしょうか。店内定員の1/3しか認めないということであれば、結構な飲み屋さんディスタンスになります。また、当然団体はお断りで、5〜6人以上は席を離してもらうようにすれば更に効果的でしょう。ダメかなあ。

しかし確かに酔っ払いは、ウイルスをまき散らす一因にはなります。秋に地元親睦団体の夜間飲食がありましたが、いくら店側が感染対策を万全にしても、酔っ払いはウロウロし出します。私も酔っ払っていたら同じ行動をするでしょう。実はその時、私は車だったのでノンアルコールでしのいでいたです。だからでしょう、酔っ払いの行動パターンがよく理解できました。団体で酔っぱらいますと、もう手がつけられないません。ウイルスがその場にあれば、即座に蔓延しような雰囲気ではあります。飲みに行くならば、移動範囲が明白な方、感染していないことが明白な家族や友人とだけにすべきでしょう。私もついつい飲み過ぎてしまうたちなので、これを機会に改善したいと目論んでいます。

政府云々よりも、やはり個人個人の自覚が大切です。感染防止に努めつつ、経済を失速させないようにしたいものです。感染防止をしての外食も不可能ではないはずですし、自覚をもって行動したいと思います。

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2021年01月01日

本年も宜しくお願い申し上げます

皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。年が明けまして令和3(2021)年となりました。仏教では本来、こうした暦による祝賀はありませんが、東アジア古来からの習慣もいいものだなあと思います。とりわけ日本的な「除夜の鐘」の考え方は、物事にある程度の折り合いをつけて生きていくということでもあり、執着心を捨てていこうという仏教本来の考え方にも通じていきます。しかし昨晩は除夜会は縮小開催となりまして、法要と接待は中止でありました。非常に残念ではありますが、10名ほどの方がご来山されまして、それぞれ思い思いに鐘をついて下さいました。テレビで『ゆく年くる年』を少し観ましたところ、ちょうど親鸞聖人ご修行の比叡山延暦寺の除夜会の模様を中継しておりました。大寒波ということで、あちらは私には耐え難そうな寒そうでしたが、こちらはまだ耐えられる寒さでした。準備もなく終えた年末は久しぶりのことで、少々拍子抜けの新年を迎えています。

新型コロナウイルスが少しでも早く収束してくれること念じてやみません。

合掌
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2020年12月22日

除夜会のお知らせ(一部中止)

大変寒くなってまいりました。境内銀杏も一気に黄色くなりまして、地面も黄色く輝いています。さて年末は除夜会となりますが、今年は法要・接待(甘酒)を中止といたします。除夜の鐘のみご自由に修行いただけますので、防寒と感染対策の上、ご希望の方は道中お気をつけてお越しください。

【除夜会のご案内】
・法要と接待は中止いたします。
・除夜の鐘のみご自由に修行いただけます。

12月31日(木)
午後11時50分頃〜12時30分頃まで
(12時30分以降は消灯いたします)

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2020年12月15日

教養と自由

私は東京の関口台にある、いわゆる中高一貫校で学びました。麻布中高や開成中高と同じくらい古い学校なのですが、入学難易度は遠く及びません。しかし中高6年間をほぼ同じ面子と学ぶわけですから、同窓生とは妙に仲がいい。ひとにぎり優秀な仲間もいますが、多くはそれなりです。そもそもそれなりな生徒しか入学していないので、いくら先生が頑張ったところで頭打ちでしょう。ただし、思い返せばこれは授業なのかと思えるような独自な授業もあり、偏差値を上げることにはほぼ役に立っていなかったかも。かつては優秀な時代もあった学校ですので、学者になり切れなかったような卒業生が先生として赴任していたようです。一部の生徒にしか理解できないような内容であったり、ひたすら板書しかしなかったり、今から30年以上も昔の話なので、そういう大らかさであっても保護者から苦情はあまりなかったのでしょう。進路指導なんてほとんどありません。大したことない進学実績だったのに、今では通用しないでしょう。

では中高時代に何を学んだのかと言えば、少々考えてしまいますが、敢えて言えば教養と自由です。教養のない自由は勝手を生みますし、自由のない教養は不用品かつ危険です。教養と自由によって、健全な独立精神を自然に学んでいったのかと思えます。同窓生には学者になったり医者になったりした者もいますが、大学に進学しなかった者もいます。しかし大学進学をしていなくとも、彼らは小規模ながら自分の会社を経営していたりします。中高時代はまったく勉強していなかったような者が、一所懸命に経営について日々探求をしているのです。社会人としての責任と矜恃を保ちながら、自由な発想で活躍している彼ら畏友を見ていますと、ああ、まさに教養と自由が根づいているなあと感じます。

先日、母校同窓会より冊子が送られてきまして、かつて教鞭を取られていた先生による寄稿がありました。先生は母校の伝統について、「生徒の余裕派的な思考と行動を可能とする精神の自由闊達さと鷹揚な学問的雰囲気にある」と言われ、さらに「こうした雰囲気は暗記や記号選択のテクニックを押し付けるだけの教育では育まれるものではありません」とも言われます。また、諸先生方につきましても、「教師自身が多少は世間知らずで浮世離れしていても、教養と学術を大事にする知的な生活スタイルをもっていなければなりません」と解説をして下さいました。なるほど、だから独自な授業内容に思えたわけですね。しかし、こうした一見すると受験には不向きな教育こそ、今までの日本を支えてきたのではないでしょうか。これは母校にかぎらず、かつては多くの学校で実践されてきたことなのでしょう。

昨今、とにかく成果主義ということなのか、大学への進学実績ばかりが注目されます。少しでも実績が落ちれば、保護者から見向きもされない学校になってしまう恐れがあるのです。それでは学校も困りますので、習熟度別クラス編成を導入したり、大学受験に有効な環境作りに励むようになるわけです。そして、いつしか教養と自由を重んじる雰囲気は薄くなり、管理教育による枠組みばかりが重んぜられることとなっていくのでしょう。この雰囲気というのが結構重要で、十代にその学校にいたから自然に獲得された気というのは一生ものと思えます。身についているのです。自由闊達さと学問的雰囲気こそが、わが母校が創立より残してきた伝統だったのでしょう。さて私にも身についているはずですが、今のところ上手に活用できていないような気もします。活用できるか否かは、卒業後の自己研鑽に大きく関係することは言うまでもありません。

日本人はとりわけ雰囲気を大事にします。場合によっては論理性がなく問題だと言われることもありますが、論理性がまだしっかり身についていない中高生にとって、1日をどういう雰囲気のなかで過ごすのかは大切なことです。雰囲気は人間性の土台となります。論理性はその上で習得すれば良いでしょう。正しい論理構築は教養と自由によってもたらされるとも言えますし、日本の学校はこの雰囲気を大事にし、次代へのこして欲しいものだなあと思います。

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2020年12月01日

法話会のご案内(再掲)

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月25日

練習してます、oath sign

地元銀行の支店長さんがご栄転となりまして、大きな支店に行かれました。後任の方は?と聞きましたら、副支店長さんが持ち上がりとのことでした。持ち上がりはあまりないことなので驚きましたが、なんと規模縮小だそうです。近年、銀行が苦境に陥っているとの報道はありましたが、それを目の当たりにした感がありました。コロナ以前からのことなのでしょうが、コロナが拍車をかけたのかもしれません。うちのお寺にとってはあまり関連しないことではありますが、地元銀行支店では法人融資機能がなくなるそうです。会社経営の方は不便かもしれません。

銀行と言えば私たちの世代では当然のことながら花形です。あまり優秀とは言えない獨協生ですと、同級生で都市銀に就職したのは1人しか知りません。義叔父が第一勧銀にいましたが、何だか随分と凄いもんだなあって思ったものです。今でも尊敬できる義叔父です。ちなみに義叔父は開成出身で超優秀でした。だからでしょうか、銀行が苦境である時代が来るなんて思ってもみませんでした。今、コロナ禍ということもありますが、既存の銀行のあり方を根底から変えるであろうAIの進化は目覚ましく、後年になって振り返れば本当に時代の節目にいることになるのかもしれません。

変化ということであれば、TVゲームもその1つです。TVゲームなんていうのは、私たちファミコン世代からしますと褒められたものではありません。せがんで買ってもらっても親からは規制され、親の目を盗んでゲームするとか、そんな代物であったと思います。ゲームセンターなんてもってのほか。高校時代は学校帰りによく行きましたが、基本的には行ってはいけない場所だったことでしょう。それが今、eスポーツということで、格闘技ゲームは部活にもなってしまうほど市民権を得ています。部活ですよ、部活。野球部やサッカー部とかと同じ扱いなわけです。スポーツとは言えないような気もしますが、eスポーツという枠組みなのです。

コロナ禍で業績を顕著に伸ばしたのはソニーと任天堂だそうですね。ソニーは当然ウォークマンではなく、プレイステーションのほうです。外出自粛のなか、家庭でのゲーム需要が高まったということです。ゲーム業界も今まで本当に頑張ったと思います。上記のような親からつま弾きになる存在から、家庭内で親子でゲームを楽しむという時代を築き上げました。ゲームの内容を単なる娯楽から、学習できる要素も組み入れたりしてイメージを変えました。凄いもんだなあって思います。私がゲーム好きなせいかもしれませんが、子にはあまりゲームをするなとは言ってません。

就職の花形は今やソニーや任天堂なようです。ソニーは昔から人気ですが、業種が変わったとも言えるんじゃないでしょうか。ゲームのほか、映画や音楽で収益を伸ばしているようです。栄枯盛衰、諸行無常とはいえ、それを目の当たりにしますとやや不安になってきます。単純に年を重ねたせいかもしれませんが、変化に対応できない心が現れ出ているとも言えましょう。経験を積むことは価値あることですが、経験は執着にもなります。世の変化についていけないと、不安が不満になり、心が荒んでいってしまうかもしれません。出来るだけ柔軟な心でいるためには、新しい価値観を試してみる勇気が必要だと感じます。

最近、息子がアニメ主題歌をピアノで練習しています。ついて行けんなあと思っていましたが、ナイスメロディであったので私もベースを練習してみることにしました。そうしたら意外といい曲で、なかなかです。ピアノと一緒に弾くことができれば、とても楽しく、清々しい気持ちになることでしょう。まだちゃんと弾けませんので、もう少し練習します。ちなみに、LiSAという方が歌っている「oath sign」という曲です。作詞作曲は渡辺翔さんという方です。息子も1人で弾いているだけなので、合奏することの楽しさを少しでも知ってもらいたいと思っています。

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2020年11月13日

法話会のご案内

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月08日

にこmomプロジェクト続報

第2弾は弘済寺(廃寺善福寺)さんです。
動画はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=E5RtWbuxkkI

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2020年10月30日

にこmomプロジェクト

にこmomプロジェクトさんに「南足柄市七福寺めぐり」をご紹介いただいています。vol.1は私ども善福寺でした。普段見慣れている境内風景も動画になると何故か新鮮です。「見慣れている」という思い込みから外れるからでしょうか。vol.2も楽しみです。

動画はこちらです↓
https://www.youtube.com/watch?v=ZkVmiyzIP3I&t=1s

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2020年10月23日

交差点の猫

昨晩、車で帰宅中にある交差点で猫がひっくり返っていました。車と衝突したのでしょう。まだ生きているようでした。時間も遅いし疲れていたので早く帰宅したいなあと思い、可哀相だが申し訳ないと思いつつそのまま通過しました。しかし、どうも気になって仕方ない。わが家の猫のことを思いました。野良でしたが大人しかったので連れてきたのです。交差点の猫も野良でしょう。あのままですと、さらに車に轢かれて命を落とすことはほぼ間違いないと思えました。車をUターンさせ、交差点へ戻りました。轢かれていませんように・・・。

幸い、まだ交差点でぐったりしており、トムとジェリーのトムのようにペチャンコにはなっていませんでした。交差点付近に車を止めまして、ひとまず車載の毛布でくるんで歩道まで移動。ほとんど抵抗しませんが生きています。息が荒くつらそうでした。大量ではありませんが血が流れていました。車も少なかったので作業はすぐ終わりました。さてどうするかと思い、知り合いの獣医さん2名に電話しましたが、いずれも出られませんでした。時間も時間で、もう夜の10時近くだったのです。市役所にも電話しましたが、守衛さんしかおらず、明日朝にならないと対応できないとのことでした。仕方ないです。

お寺に連れ帰ろうかとも思いましたが、苦しそうな声をあげて体を動かしています。お寺まで30分近くかかる場所でした。大けがをしているようなので私には対応できず、忸怩たる思いのなか帰路につきました。簡単に言えば放っておいたわけです。歩道ですので轢かれることはないでしょう。毛布は目立ちますので、どなたか心ある方が通りかかることを願って去りました。野良ですので、野生というか猫の生命力に託すしかないと思ったのです。中途半端になってしまいましたが、私に出来ることはそこまででした。24時間対応の獣医さんもあったようですが、距離もあり難しかったかもしれません。

どうしていいか分からない自分の無知加減を残念に思いながら、仏教で説く「業」について思いを馳せました。

業とはこの世と前世や前々世といった遠い昔から、自分の命が積み重ねてきた行為とその影響を言います。業はこれからの出来事の種になります。いつ発芽するかは分かりませんが、命あるものはすべて業を蓄えていると考えるのです。猫ちゃんの業がまだこの世に命をつなぐようなものあれば、きっと助かるでしょう。しかし、そうでなければ、次の命のステージに向かうはずです。つまり、死ぬわけです。わが家の猫も野良でしたので、うちに連れて来なければどこかで轢かれ死んでいたかもしれません。しかし、わが家に来たということは、そういう業であったのでしょう。これは運命論ではなく、自分自身の行為の結果としてのことなのです。

なかなか可愛い猫ちゃんでしたよ。

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2020年10月05日

報恩講のご案内

毎年、善福寺報恩講は10月最終日曜日(及び前日土曜日)に修行しておりますが、今年は新型コロナウイルスの影響によりまして、縮小開催とさせていただきます。医療講座を含む日曜日の日中法要は中止とさせていただきまして、前日土曜日の逮夜法要と献能のみの修行といたします。

≪令和二年 善福寺報恩講≫
10月24日(土)17時逮夜法要 17時30分献能(鎌倉能舞台)
10月25日(日)日中法要ならびに医療講座は中止

本堂にご入堂の際には消毒とマスク着用をお願い申し上げます。
お参りをお待ちしております。合掌

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2020年09月20日

秋季彼岸会のご案内

今年の秋季彼岸会は、9月22日(火、秋分の日)午前11時から善福寺本堂での修行となります。新型コロナウイルス感染予防の観点から、本堂へご参拝の際はマスク着用、手先の消毒をお願いしております。どうかご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦

〜夫婦墓のご案内〜
夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年08月04日

意外と近い、山中湖

先日、山中湖まで行く機会がありました。山中湖は富士五湖のなかでも神奈川寄りなので、実はお寺から車で30分程度で着いてしまいます。南足柄から山北、そして小山を通って三国山経由で行くと近道なのです。観光の方は少なめでしたが、車は神奈川県ナンバーのほか、埼玉県や千葉県のナンバーも見受けられました。しかし、東京都は多摩ナンバーは見かけましたが、23区ナンバーはほとんどいなかった印象です。23区の方は自粛されている方が多いのかもしれません。8月ではありますが、観光業はやや寂しい様子でした。

山中湖は標高も高いせいもあり、南足柄とは空気が違います。箱根と南足柄は同じですが、緑の香りが違うのです。植生が異なるので当然かもしれませんが、距離的に近くても遠くに来たような気になります。ちなみに鳴いている蝉の声も違いました。アブラ蝉っぽい鳴き声でしたが、こちらのアブラ蝉とは音色が異なっており種類が違うのかもしれません。滞在は長くありませんでしたが、なんだか妙にリラックスできて嬉しいひと時でした。

不思議なもので、人は何故、「いつもと同じ」という事柄に対して「飽きる」という感情を懐くのでしょうか。同じであることは有難いと思いながらも、やはり飽きていること多いと思います。新しかったり久しぶりだと何故か嬉しいとか、そんなのありますよね。

生物学的(?)に言えば、強く生き残るために新しく別の環境を常に求めているから、とか言えそうですけど、仏教学的には何でかなあ。いつもと違うものを求めるということは、それはもちろん「少欲知足」の正反対のことで、「強欲」で「不足」であるからに他なりません。やはり煩悩によっていると言えそうですね。

しかしまあ、そんな小難しいこと考えると、せっかくのリラックスも効果が薄れそうですので、あまり仏教学的に解明しないようが良いかもしれません。

posted by 伊東昌彦 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii