2021年01月14日

これからの日本、古い車も大切に

私は坊さんですが、いわゆる出家僧ではなく、市井に生きる在家に近い坊さんです。浄土系の坊さんは概ねこうした傾向にあり、とりわけ浄土真宗は僧俗(坊さんと門徒さん)の距離が近いと思います。しかし、宗派がそうだからということではなく、私自身、こうした坊さんのあり方ではないと得度する(坊さんになる)ことは無理だったでしょう。まあ、修行が足らんわけですな。全体的に足りない。こんなご時世でありましても、ああ、早く飲み行きたいなあとか、そんなことばかり頭に浮かびます。インド仏教では不飲酒なので、般若湯(日本の坊さんの言う酒)なんて存在しません。般若とは悟りの智慧のことであり、修行が完成した暁にようやく得ることが出来ます。酒飲んでたら得られないでしょう。酒飲むと煩悩が膨張しますのでまず無理です。

私はそもそも酒癖が悪いのですが、最近どうもそれに磨きがかかりまして、酔っぱらっている状態だと頭くることが多くなって困ります。周囲にも迷惑をかけています。もともとそういう人なんでしょうが、不満が膨張してくるんですよね。酒飲んでも変わらない人いますが、凄いなあと思います。私は根本的に不満があるのでしょう。しかし不満というものは、よく考えればすべて自己都合のいい加減極まりないものです。あたり前ですが、満たされないから不満なのです。極楽浄土にいらっしゃる菩薩様は「少欲知足」なのだそうです。少ない欲望で十分だと知っているわけです。あれ欲しい、これ欲しいじゃないんですよね。私はどうも欲張りなのでしょう、生来そうだと思います。

これからの日本、どうなるのでしょうか。資源のない国です。人材が豊富かと言えば、私たち団塊ジュニアは人数は多いのですが、う〜む、どうもこう競争にすでに疲れ切っているような印象です。持続可能云々と叫ばれる時代ですが、これはまさに「少欲知足」が原点です。成長時代は大量消費で豊かになってきましたが、これからは良いものを長く使うことが重要そうです。ドイツでは車の技術革新が目覚ましく、無駄のないエネルギー利用を念頭に置いているようです。どんどん新しい車が出てきます。一方、古い車を乗り続けることに対して、自動車税の減税政策があると聞きます。30年ほど古く非改造の車であれば、その恩恵に浴せるとのことです。日本はどうかなあ、古い車に乗れば乗るほど負担が高まってくるように思えますが、こうしたドイツ人の精神を見習いたいものですね。ものは大切に。

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2021年01月09日

飲み屋さんの危機

緊急事態宣言発出をうけまして、飲食店の営業時間が20時までとなりました。飲み屋さん大好きな私としましては、とても心配です。もちろん新型コロナウイルス感染防止の観点からすれば、営業へ何らかの規制が入ることはやむを得ないことです。しかし20時で切りますと、前回のことで明白なように飲み屋さんは稼ぎ時を失います。時間規制ではなくて人数規制でもいいような気がしますが、素人的な発想でしょうか。店内定員の1/3しか認めないということであれば、結構な飲み屋さんディスタンスになります。また、当然団体はお断りで、5〜6人以上は席を離してもらうようにすれば更に効果的でしょう。ダメかなあ。

しかし確かに酔っ払いは、ウイルスをまき散らす一因にはなります。秋に地元親睦団体の夜間飲食がありましたが、いくら店側が感染対策を万全にしても、酔っ払いはウロウロし出します。私も酔っ払っていたら同じ行動をするでしょう。実はその時、私は車だったのでノンアルコールでしのいでいたです。だからでしょう、酔っ払いの行動パターンがよく理解できました。団体で酔っぱらいますと、もう手がつけられないません。ウイルスがその場にあれば、即座に蔓延しような雰囲気ではあります。飲みに行くならば、移動範囲が明白な方、感染していないことが明白な家族や友人とだけにすべきでしょう。私もついつい飲み過ぎてしまうたちなので、これを機会に改善したいと目論んでいます。

政府云々よりも、やはり個人個人の自覚が大切です。感染防止に努めつつ、経済を失速させないようにしたいものです。感染防止をしての外食も不可能ではないはずですし、自覚をもって行動したいと思います。

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2021年01月01日

本年も宜しくお願い申し上げます

皆様、本年も宜しくお願い申し上げます。年が明けまして令和3(2021)年となりました。仏教では本来、こうした暦による祝賀はありませんが、東アジア古来からの習慣もいいものだなあと思います。とりわけ日本的な「除夜の鐘」の考え方は、物事にある程度の折り合いをつけて生きていくということでもあり、執着心を捨てていこうという仏教本来の考え方にも通じていきます。しかし昨晩は除夜会は縮小開催となりまして、法要と接待は中止でありました。非常に残念ではありますが、10名ほどの方がご来山されまして、それぞれ思い思いに鐘をついて下さいました。テレビで『ゆく年くる年』を少し観ましたところ、ちょうど親鸞聖人ご修行の比叡山延暦寺の除夜会の模様を中継しておりました。大寒波ということで、あちらは私には耐え難そうな寒そうでしたが、こちらはまだ耐えられる寒さでした。準備もなく終えた年末は久しぶりのことで、少々拍子抜けの新年を迎えています。

新型コロナウイルスが少しでも早く収束してくれること念じてやみません。

合掌
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2020年12月22日

除夜会のお知らせ(一部中止)

大変寒くなってまいりました。境内銀杏も一気に黄色くなりまして、地面も黄色く輝いています。さて年末は除夜会となりますが、今年は法要・接待(甘酒)を中止といたします。除夜の鐘のみご自由に修行いただけますので、防寒と感染対策の上、ご希望の方は道中お気をつけてお越しください。

【除夜会のご案内】
・法要と接待は中止いたします。
・除夜の鐘のみご自由に修行いただけます。

12月31日(木)
午後11時50分頃〜12時30分頃まで
(12時30分以降は消灯いたします)

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2020年12月15日

教養と自由

私は東京の関口台にある、いわゆる中高一貫校で学びました。麻布中高や開成中高と同じくらい古い学校なのですが、入学難易度は遠く及びません。しかし中高6年間をほぼ同じ面子と学ぶわけですから、同窓生とは妙に仲がいい。ひとにぎり優秀な仲間もいますが、多くはそれなりです。そもそもそれなりな生徒しか入学していないので、いくら先生が頑張ったところで頭打ちでしょう。ただし、思い返せばこれは授業なのかと思えるような独自な授業もあり、偏差値を上げることにはほぼ役に立っていなかったかも。かつては優秀な時代もあった学校ですので、学者になり切れなかったような卒業生が先生として赴任していたようです。一部の生徒にしか理解できないような内容であったり、ひたすら板書しかしなかったり、今から30年以上も昔の話なので、そういう大らかさであっても保護者から苦情はあまりなかったのでしょう。進路指導なんてほとんどありません。大したことない進学実績だったのに、今では通用しないでしょう。

では中高時代に何を学んだのかと言えば、少々考えてしまいますが、敢えて言えば教養と自由です。教養のない自由は勝手を生みますし、自由のない教養は不用品かつ危険です。教養と自由によって、健全な独立精神を自然に学んでいったのかと思えます。同窓生には学者になったり医者になったりした者もいますが、大学に進学しなかった者もいます。しかし大学進学をしていなくとも、彼らは小規模ながら自分の会社を経営していたりします。中高時代はまったく勉強していなかったような者が、一所懸命に経営について日々探求をしているのです。社会人としての責任と矜恃を保ちながら、自由な発想で活躍している彼ら畏友を見ていますと、ああ、まさに教養と自由が根づいているなあと感じます。

先日、母校同窓会より冊子が送られてきまして、かつて教鞭を取られていた先生による寄稿がありました。先生は母校の伝統について、「生徒の余裕派的な思考と行動を可能とする精神の自由闊達さと鷹揚な学問的雰囲気にある」と言われ、さらに「こうした雰囲気は暗記や記号選択のテクニックを押し付けるだけの教育では育まれるものではありません」とも言われます。また、諸先生方につきましても、「教師自身が多少は世間知らずで浮世離れしていても、教養と学術を大事にする知的な生活スタイルをもっていなければなりません」と解説をして下さいました。なるほど、だから独自な授業内容に思えたわけですね。しかし、こうした一見すると受験には不向きな教育こそ、今までの日本を支えてきたのではないでしょうか。これは母校にかぎらず、かつては多くの学校で実践されてきたことなのでしょう。

昨今、とにかく成果主義ということなのか、大学への進学実績ばかりが注目されます。少しでも実績が落ちれば、保護者から見向きもされない学校になってしまう恐れがあるのです。それでは学校も困りますので、習熟度別クラス編成を導入したり、大学受験に有効な環境作りに励むようになるわけです。そして、いつしか教養と自由を重んじる雰囲気は薄くなり、管理教育による枠組みばかりが重んぜられることとなっていくのでしょう。この雰囲気というのが結構重要で、十代にその学校にいたから自然に獲得された気というのは一生ものと思えます。身についているのです。自由闊達さと学問的雰囲気こそが、わが母校が創立より残してきた伝統だったのでしょう。さて私にも身についているはずですが、今のところ上手に活用できていないような気もします。活用できるか否かは、卒業後の自己研鑽に大きく関係することは言うまでもありません。

日本人はとりわけ雰囲気を大事にします。場合によっては論理性がなく問題だと言われることもありますが、論理性がまだしっかり身についていない中高生にとって、1日をどういう雰囲気のなかで過ごすのかは大切なことです。雰囲気は人間性の土台となります。論理性はその上で習得すれば良いでしょう。正しい論理構築は教養と自由によってもたらされるとも言えますし、日本の学校はこの雰囲気を大事にし、次代へのこして欲しいものだなあと思います。

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2020年12月01日

法話会のご案内(再掲)

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月25日

練習してます、oath sign

地元銀行の支店長さんがご栄転となりまして、大きな支店に行かれました。後任の方は?と聞きましたら、副支店長さんが持ち上がりとのことでした。持ち上がりはあまりないことなので驚きましたが、なんと規模縮小だそうです。近年、銀行が苦境に陥っているとの報道はありましたが、それを目の当たりにした感がありました。コロナ以前からのことなのでしょうが、コロナが拍車をかけたのかもしれません。うちのお寺にとってはあまり関連しないことではありますが、地元銀行支店では法人融資機能がなくなるそうです。会社経営の方は不便かもしれません。

銀行と言えば私たちの世代では当然のことながら花形です。あまり優秀とは言えない獨協生ですと、同級生で都市銀に就職したのは1人しか知りません。義叔父が第一勧銀にいましたが、何だか随分と凄いもんだなあって思ったものです。今でも尊敬できる義叔父です。ちなみに義叔父は開成出身で超優秀でした。だからでしょうか、銀行が苦境である時代が来るなんて思ってもみませんでした。今、コロナ禍ということもありますが、既存の銀行のあり方を根底から変えるであろうAIの進化は目覚ましく、後年になって振り返れば本当に時代の節目にいることになるのかもしれません。

変化ということであれば、TVゲームもその1つです。TVゲームなんていうのは、私たちファミコン世代からしますと褒められたものではありません。せがんで買ってもらっても親からは規制され、親の目を盗んでゲームするとか、そんな代物であったと思います。ゲームセンターなんてもってのほか。高校時代は学校帰りによく行きましたが、基本的には行ってはいけない場所だったことでしょう。それが今、eスポーツということで、格闘技ゲームは部活にもなってしまうほど市民権を得ています。部活ですよ、部活。野球部やサッカー部とかと同じ扱いなわけです。スポーツとは言えないような気もしますが、eスポーツという枠組みなのです。

コロナ禍で業績を顕著に伸ばしたのはソニーと任天堂だそうですね。ソニーは当然ウォークマンではなく、プレイステーションのほうです。外出自粛のなか、家庭でのゲーム需要が高まったということです。ゲーム業界も今まで本当に頑張ったと思います。上記のような親からつま弾きになる存在から、家庭内で親子でゲームを楽しむという時代を築き上げました。ゲームの内容を単なる娯楽から、学習できる要素も組み入れたりしてイメージを変えました。凄いもんだなあって思います。私がゲーム好きなせいかもしれませんが、子にはあまりゲームをするなとは言ってません。

就職の花形は今やソニーや任天堂なようです。ソニーは昔から人気ですが、業種が変わったとも言えるんじゃないでしょうか。ゲームのほか、映画や音楽で収益を伸ばしているようです。栄枯盛衰、諸行無常とはいえ、それを目の当たりにしますとやや不安になってきます。単純に年を重ねたせいかもしれませんが、変化に対応できない心が現れ出ているとも言えましょう。経験を積むことは価値あることですが、経験は執着にもなります。世の変化についていけないと、不安が不満になり、心が荒んでいってしまうかもしれません。出来るだけ柔軟な心でいるためには、新しい価値観を試してみる勇気が必要だと感じます。

最近、息子がアニメ主題歌をピアノで練習しています。ついて行けんなあと思っていましたが、ナイスメロディであったので私もベースを練習してみることにしました。そうしたら意外といい曲で、なかなかです。ピアノと一緒に弾くことができれば、とても楽しく、清々しい気持ちになることでしょう。まだちゃんと弾けませんので、もう少し練習します。ちなみに、LiSAという方が歌っている「oath sign」という曲です。作詞作曲は渡辺翔さんという方です。息子も1人で弾いているだけなので、合奏することの楽しさを少しでも知ってもらいたいと思っています。

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2020年11月13日

法話会のご案内

年末年始にかけて法話会はお休みいたします。予定は以下のようになっております。

12月6日(日)・・・築地本願寺出講のため臨時休会
1月3日(日)・・・正月休会
2月7日(日)・・・通常開催

宜しくお願い申し上げます。合掌

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2020年11月08日

にこmomプロジェクト続報

第2弾は弘済寺(廃寺善福寺)さんです。
動画はこちら↓
https://www.youtube.com/watch?v=E5RtWbuxkkI

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2020年10月30日

にこmomプロジェクト

にこmomプロジェクトさんに「南足柄市七福寺めぐり」をご紹介いただいています。vol.1は私ども善福寺でした。普段見慣れている境内風景も動画になると何故か新鮮です。「見慣れている」という思い込みから外れるからでしょうか。vol.2も楽しみです。

動画はこちらです↓
https://www.youtube.com/watch?v=ZkVmiyzIP3I&t=1s

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2020年10月23日

交差点の猫

昨晩、車で帰宅中にある交差点で猫がひっくり返っていました。車と衝突したのでしょう。まだ生きているようでした。時間も遅いし疲れていたので早く帰宅したいなあと思い、可哀相だが申し訳ないと思いつつそのまま通過しました。しかし、どうも気になって仕方ない。わが家の猫のことを思いました。野良でしたが大人しかったので連れてきたのです。交差点の猫も野良でしょう。あのままですと、さらに車に轢かれて命を落とすことはほぼ間違いないと思えました。車をUターンさせ、交差点へ戻りました。轢かれていませんように・・・。

幸い、まだ交差点でぐったりしており、トムとジェリーのトムのようにペチャンコにはなっていませんでした。交差点付近に車を止めまして、ひとまず車載の毛布でくるんで歩道まで移動。ほとんど抵抗しませんが生きています。息が荒くつらそうでした。大量ではありませんが血が流れていました。車も少なかったので作業はすぐ終わりました。さてどうするかと思い、知り合いの獣医さん2名に電話しましたが、いずれも出られませんでした。時間も時間で、もう夜の10時近くだったのです。市役所にも電話しましたが、守衛さんしかおらず、明日朝にならないと対応できないとのことでした。仕方ないです。

お寺に連れ帰ろうかとも思いましたが、苦しそうな声をあげて体を動かしています。お寺まで30分近くかかる場所でした。大けがをしているようなので私には対応できず、忸怩たる思いのなか帰路につきました。簡単に言えば放っておいたわけです。歩道ですので轢かれることはないでしょう。毛布は目立ちますので、どなたか心ある方が通りかかることを願って去りました。野良ですので、野生というか猫の生命力に託すしかないと思ったのです。中途半端になってしまいましたが、私に出来ることはそこまででした。24時間対応の獣医さんもあったようですが、距離もあり難しかったかもしれません。

どうしていいか分からない自分の無知加減を残念に思いながら、仏教で説く「業」について思いを馳せました。

業とはこの世と前世や前々世といった遠い昔から、自分の命が積み重ねてきた行為とその影響を言います。業はこれからの出来事の種になります。いつ発芽するかは分かりませんが、命あるものはすべて業を蓄えていると考えるのです。猫ちゃんの業がまだこの世に命をつなぐようなものあれば、きっと助かるでしょう。しかし、そうでなければ、次の命のステージに向かうはずです。つまり、死ぬわけです。わが家の猫も野良でしたので、うちに連れて来なければどこかで轢かれ死んでいたかもしれません。しかし、わが家に来たということは、そういう業であったのでしょう。これは運命論ではなく、自分自身の行為の結果としてのことなのです。

なかなか可愛い猫ちゃんでしたよ。

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2020年10月05日

報恩講のご案内

毎年、善福寺報恩講は10月最終日曜日(及び前日土曜日)に修行しておりますが、今年は新型コロナウイルスの影響によりまして、縮小開催とさせていただきます。医療講座を含む日曜日の日中法要は中止とさせていただきまして、前日土曜日の逮夜法要と献能のみの修行といたします。

≪令和二年 善福寺報恩講≫
10月24日(土)17時逮夜法要 17時30分献能(鎌倉能舞台)
10月25日(日)日中法要ならびに医療講座は中止

本堂にご入堂の際には消毒とマスク着用をお願い申し上げます。
お参りをお待ちしております。合掌

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2020年09月20日

秋季彼岸会のご案内

今年の秋季彼岸会は、9月22日(火、秋分の日)午前11時から善福寺本堂での修行となります。新型コロナウイルス感染予防の観点から、本堂へご参拝の際はマスク着用、手先の消毒をお願いしております。どうかご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦

〜夫婦墓のご案内〜
夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年08月04日

意外と近い、山中湖

先日、山中湖まで行く機会がありました。山中湖は富士五湖のなかでも神奈川寄りなので、実はお寺から車で30分程度で着いてしまいます。南足柄から山北、そして小山を通って三国山経由で行くと近道なのです。観光の方は少なめでしたが、車は神奈川県ナンバーのほか、埼玉県や千葉県のナンバーも見受けられました。しかし、東京都は多摩ナンバーは見かけましたが、23区ナンバーはほとんどいなかった印象です。23区の方は自粛されている方が多いのかもしれません。8月ではありますが、観光業はやや寂しい様子でした。

山中湖は標高も高いせいもあり、南足柄とは空気が違います。箱根と南足柄は同じですが、緑の香りが違うのです。植生が異なるので当然かもしれませんが、距離的に近くても遠くに来たような気になります。ちなみに鳴いている蝉の声も違いました。アブラ蝉っぽい鳴き声でしたが、こちらのアブラ蝉とは音色が異なっており種類が違うのかもしれません。滞在は長くありませんでしたが、なんだか妙にリラックスできて嬉しいひと時でした。

不思議なもので、人は何故、「いつもと同じ」という事柄に対して「飽きる」という感情を懐くのでしょうか。同じであることは有難いと思いながらも、やはり飽きていること多いと思います。新しかったり久しぶりだと何故か嬉しいとか、そんなのありますよね。

生物学的(?)に言えば、強く生き残るために新しく別の環境を常に求めているから、とか言えそうですけど、仏教学的には何でかなあ。いつもと違うものを求めるということは、それはもちろん「少欲知足」の正反対のことで、「強欲」で「不足」であるからに他なりません。やはり煩悩によっていると言えそうですね。

しかしまあ、そんな小難しいこと考えると、せっかくのリラックスも効果が薄れそうですので、あまり仏教学的に解明しないようが良いかもしれません。

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2020年07月04日

日中は空腹状態

私は身長170センチです。169ではなく、常に数ミリ170以上なのです。それはどうでもいいのですが、体重は60キロです。マックスで67キロでしたが、狭心症入院のあとやせました。学生時代に戻った感じです。数日の入院でしたが、精神的に弱小なのですぐやせたわけです。それでそのまま維持するよう努めたのですが、方法は簡単です。あまり食べません。しかし今、ストレス発散と言えば私の場合、飲食しかないのです。ではどのようにしているかと言いますと、朝昼はあまり食べないのです。夜はビール飲みますし食事もちゃんとします。日中腹減るだろうと思われますかもしれませんが、それがいいのです。一般的には夜食べないほうがダイエットには良いようですが、私は夜食べないとストレスたまるのでダメです。

日中はほぼ常に空腹ですが、慣れてくるとそのほうが仕事がはかどります。ストイックになれると言いましょうか、集中力が増しました。かつてはその逆で空腹だと機嫌も悪く、集中できないたちでした。今では空腹のほうが心地よく、苦痛に思わなくなってしまいました。単純に年を取っただけかもしれません。

運動はあまりしませんが、山寺なのでほぼ毎日、雨降っていても境内掃除は欠かせません。それがいいのかもしれませんが、部分的にしか身体を使っていないので全体運動ではないです。坊さんは掃除、勉学、修行が肝腎ですが、これは一般でも言えそうだなあと最近思います。ちなみに夜はヒマなので9時に寝てしまいます。朝は4時30分には目が覚めてしまい、午前中が長くなりました。ロングスリーパーなので、本来は8時間最低でも7時間は毎日寝ないと調子が狂います。寝ているからいいのでしょう。なお家ではビールを飲むことはほぼありません。たまにはありますが、酔いがまわりやすいので好きではありません。

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2020年05月11日

夫婦墓のご案内

夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年04月06日

善縁と悪縁

緊急事態宣言が発令されそうです。先週末のことですが、県西端の山北町まで法事があり、車で門徒さん宅までうかがいました。途中、国道246号線を通ります。すいているかと思ったのですが、比較的混んでいました。国道なので普段から色々なナンバーの車が通るのですが、県東端の横浜ナンバーが比較的多かった印象です。門徒さんの話によれば、近隣の県立公園駐車場も、横浜ナンバーの車が普段より多かった様子です。

自粛疲れと言われています。ずっと家にいると何だかおかしくもなりますよね。住職は普段から家にいないといけない職なので、その辛さはよく理解できます。外に出たいというのは、当たり前の感覚です。ただ、ウイルスは自分でフラフラ飛んでいくわけでもないので、人などが運んでいると言えます。緊急事態宣言が発令されるほどであれば、今はもう、ウイルスを遠くへ運ぶことにつながる行為は慎むべきでしょう。

世の中は関係性によって成り立っています。仏教ではそれを「縁」と言います。縁には善縁もあれば悪縁もあります。できれば自分自身が悪縁にはなりたくないですよね。ウイルスは本当に人と人との縁によって運ばれてしまっています。本来はつながりがあることは嬉しいことなのですが、それが他者を苦しめるようであれば、とても悲しいことです。皆さんが善縁で結ばれますよう、お念じ申し上げます。
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2020年02月27日

楽友会中止のお知らせ

楽友会ご参加の皆様、日頃より大変お世話になっております。さて本日開催の楽友会ですが、イベント開催に関します政府発表もございましたので、急遽中止とさせていただく存じます。当日のお知らせになりましたこと、お詫び申し上げます。来月につきましては状況を鑑みまして、またご連絡申し上げます。今後ともよろしくお願いいたします。

善福寺住職 伊東昌彦
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2020年02月21日

お寿司屋さんのカウンター

小田原のお寿司屋さんに行きました。檀家さんに連れて行っていただき、あまりにも美味しくて家族でも行ったのです。いわゆる昔ながらのお寿司屋さんで、大将と言うのでしょうか、カウンター席では気風のよいマスターが面前で握ってくれます。実のところ、わが家の子はこうしたお寿司屋さんのカウンターにまともに座ったことがなく、事実上、初めての体験であったと思います。マグロと納豆巻しか食べない次男(小学生)には少々辛かったかもしれませんが、長男はかなり満喫してくれたようです。残念ながら娘は塾で不参加でしたが、いつか連れて行きたいなと思っています。

しかし小田原と聞きますと、お寿司屋さん多そうなイメージがあるかと思いますが、今は8軒しかないそうです。かつては80軒もあったそうですが、今は8軒。すごい減りようですよね。回転寿司は増えています。私は回転寿司も好きなので別に回転寿司のせいだとは思っていませんが、たしかに値段的には勝負にならないところありますよね。でも、回転寿司と昔ながらのお寿司屋さんってのは、同じ寿司ではありましても、味はさておき、食べるまでの手続きはまるで違います。そう考えますと、単純に回転寿司のほうが安いからと言うよりも、むしろその手続き、つまりマスターとのやり取り自体、さらに言えば人と人とのコミュニケーションの変化に問題があると言えるでしょうか。

物とインターネットが接続されるIoTの時代到来と言われますが、私たち生物がインターネットと直接接続されることは当分不可能でしょう。かならずこの五感のどれかを通じて、インターネット上の物事と接触するしかないわけです。どこまで行ってもアナログですね。アナログの感覚を捨ててしまうと、私たちはいつか、本当にデジタルなインターネットの世界に支配されてしまいそうです。電気機器が全部インターネットとつながっても、電源プラグを抜けばその機器はシャットダウンします。バッテリーがあっても、充電されなければエネルギー切れでシャットダウンです。電源プラグ抜くなんて、なんてアナログなことなんでしょう。でもそういう方法が残っていないと、インターネットの暴走は防げそうにありません。コミュニケーションはアナログの最たるものです。そこを捨てるということは、人をやめることにもなりかねません。

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2020年02月07日

小中一貫校と中高一貫校

小中一貫校(小学校と中学)、皆様も最近聞かれたことあるかもしれません。国や都道府県は既存の公立小学校と公立中学校を再編し、あらたに9年間の公立小中一貫校の設置を推進しています。少子化が進むなか、どの地域でも学校統廃合は課題となっています。統廃合によって小中一貫校を新設することも多いようです。当然ながらメリットもあるでしょうし、デメリットもあろうかと思います。公立小学校と公立中学校を一貫化することは、いずれも管轄が市区町村であることから難易度は比較的低いでしょう。都道府県が推進してはいても、1つの市区町村の教育委員会と行政と議会で決めることができるからです。

一方、公立の中高一貫校(中学と高校)という存在を、皆様はご存知でしょうか。これは主として既存の都道府県立高校をもとに、簡単に言えば都道府県立中学校をそれに加えて成り立っています。中高一貫(←ここでは高校入学が可能な学校も含めます)と言えば、私のような年代ですと私立と国立しかなかったように思います。私立は独自教育を掲げての中高一貫であり、国立は国立大学の付属ということで実験校としての存在です。私立はたとえば慶應義塾であれば小学校と大学も含めて16年一貫という場合もあり、国の方針に基づいていないということは明白です。福沢先生です。国立中高一貫校は東京だと東大教育学部付属、学芸大附属、筑波大付属があります。いずれも教育学と関わりのある学校です。実験的に共学であったり別学であったり、色々な形態が用意されているようです。東大合格者の多い筑波大付属駒場は男子校ですね。

都道府県の設置する公立中高一貫校は、こうした私立や国立の中高一貫校と形態は同じもので、選抜制なので入学するには試験に合格しないとなりません。巷の小学生向け進学塾では「公立一貫校コース」を設けているところも増えてきました。私立や国立の中高一貫校を目指す小学生と同じように、それなりに早い時期から受験勉強を始めないと合格することは難しいのが現状です。ちなみに都市部を中心に中学受験が過熱している背景には、こうした公立中高一貫校の増加があります。都道府県のなかには、小中一貫校化を推進しながら、同時にこうした中高一貫校を設置しているところが増えてきているのです。

しかし、この2つの形態はいずれも一貫校でありながらも、内実としては相当に存在意義が異なります。小中一貫校は地域にある一般的な学校で、中高一貫校は大学進学を前提とした進学校です。中高一貫校は大学受験に有利だと言われます。小中一貫校化のメリットを喧伝しておいて、同時に選抜制の中高一貫校も自前で設置している。たしかに私立のようには費用のかからない公立において、色々な形態の学校を用意することは意義あることと思います。勉強をしたい子にとっては、選抜制であっても進学校である中高一貫校は魅力的です。それで費用が比較的かからないとなれば、これは本当に有難いことです。それは理解できることなのですが、独自教育の私立や、実験校としての国立ではない、日本では広く等しく教育の機会を与える役割のある公立が、同じ一貫校でありながらも、あからさまに形態の異なる2つの存在、つまり地域の一般校である小中一貫校、そして進学校としてエリート教育をする中高一貫校という2つの形態から成り立っている、もしくはそれに向かっているという現状に、余計なお世話ながら不安を覚えます。

もちろん、現状においても都道府県立の公立高校には入学試験があり、大学進学実績の優れた高校もあります。しかし、現状では公立中学校から、高校進学を目指す皆が同じようにそれぞれの学校の入学試験に臨みます。これは機会において平等です。中高一貫校も公立小学校から出願可能ですので、一見すると同じように機会において平等かのように見えるのですが、現実は違います。中高一貫校は今、非常に人気の高い学校です。人気があれば試験倍率は上がります。県立高校は中学校での成績によって志望校を決めますので、倍率が実質5倍なんてことはないでしょう。しかし中高一貫校は実質5〜6倍なんてこともあるのです。私立や国立であっても、なかなか実質5倍にいきません。2〜3倍程度です。これはものすごい倍率なのです。合格するためには、少なくとも私立や国立を目指す子たちと同じ程度の勉強を、進学塾で早期から始めないと難しい。進学塾は費用がかかります。高校受験でも塾代はかかりますが、中学受験のほうが費用はかさみます。費用を出せる家庭は出せばいいのですが、仮に小中一貫校と中高一貫校が併存している場合、こうした受験対策が可能な家庭の子だけ、小中一貫校を途中で離脱するかたちで中高一貫校を目指すことになります。そして、大学進学実績の優れた公立中高一貫校に優秀な生徒を集まれば、その都道府県において、既存のトップ公立高校の学力レベルは相対的に下がることでしょう。トップ公立が入れ替わることすらあるかもしれません。そうなりますと、公立中高一貫校に合格するための進学塾費用を捻出できない家庭の子は、いくら成績が優れていてもその地域のトップ公立には入学できないという事態になります。

こうした状況が全国的に広がり盛んになったらどうでしょう。校数の少ない私立や国立ではなく、全国各地にほぼまんべんなく広がる公立において、一般校とエリート校の二極化が出現するのです。子は日本の将来です。全国各地で二極化教育が実施されれば、それがそのまま日本の社会を基礎づけることになります。つまり、日本の社会も明確に二極化されるということになるかもしれません。全国的に広がらなければ、それほど問題にはならないことでしょう。都道府県が勉強の出来る優秀な子により高いレベルの機会を与えることは社会的にも良いことですし、私も反対はしていません。ただ、全国的に広がったら…。日本全国、小中一貫校を途中で離脱していく子たちが増え、その子たちは残った子たちとは別の道を歩むことになる、なんてまるで別の国のような状況が身近になってしまうかも。小中一貫9年+高校3年、一方では小中一貫校途中離脱6年間+中高一貫6年という、同じ公立校でありながら、こうしたまったく異なる教育課程が併存することになります。ちなみに多くの生徒が高校進学する時代、9年+3年はアンバランスに思えてなりません。既存の6年+3年+3年で十分で、もし中学1年生になるとき、急激な学習段階のアップなどで問題となるならば、小学校と中学校の連携をもっと深めれば問題解消につながるのではないでしょうか。

なお、この記事においては、中高一貫校であっても高校からの入学も可能な学校も一貫校として含めましたが、昨今、公立中高一貫校であっても、高校からの募集を停止するところが出てきています。私立にそういう動きが顕著ですが、公立も私立の後追いを始めたわけです。なぜ日本の公立でこうしたエリート校を作ろうとするのか、私にはまったく理解できません。たしか日本ではエリート校を公立では作ってはいけない、という決め事のあることをどこかで見たような気もしますが、何かの見間違いだったのかもしれません。いずれにしましても、公立はこんなダブルスタンダードのような真似事はせず、もっと勉強意欲のある子に返済不要な奨学金を用意すべきだと私は思うのです。公立中高一貫校に合格するため、多くの家庭が進学塾に費用をかけるような状況を作り出すよりも、よほど健全です。ちなみに公立中高一貫校がたくさんできれば、私立一貫校も経営が圧迫されることになるでしょう。民業圧迫という点でも問題です。奨学金を与え、その意義を理解させた上で使命感をもって学ばせたほうが、より日本のためにはなるように思います。

posted by 伊東昌彦 at 11:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii