2012年10月30日

スターウォーズと煩悩

スターウォーズの世界では、ジェダイと呼ばれる聖職者的超人(?)が共和国を守護しています。ジェダイになるためには、まず素質があることと、幼少時からの心身のトレーニングが不可欠となります。素質がとてもあれば、少し年をとってからでもトレーニングをされることもあります。いずれにしましても、出家者のように厳格な規律のもと、師の下で長年に渡ってトレーニングを重ね、成人するころには独立させてもらえるようです。独立すれば弟子をとることができますが、結婚をすることはできません。共和国のために命を捧げている立場なので、家庭を持つことは禁止されているのでしょう。平和を守ることが使命であり、場合によっては、ライトセーバーという特殊な電子剣を使って騒乱者の排除を行います。

さて、映画ではジェダイが主人公となるのですが、基本となる実写版全6話のうち、前半はアナキンというジェダイの話で、後半はその息子のルークの話となります。アナキンは正義感あふれるジェダイでしたが、愛に悩んでしまい、道を踏み外してしまいます。それが元で銀河は大混乱に陥るわけですが、アナキンは死の間際、息子のルークによって正義を取り戻し、銀河には再び平和が訪れることになります。スターウォーズはSF冒険活劇ではありますが、人を愛することの意義を問うという側面があり、私はその点に惹かれます。すなわち、人を愛しすぎるがゆえ、自分勝手な思いが他者をも飲み込んでしまい、悲惨は結果を自分や他者にもたらすという教訓が描かれているのです。多分。

少し踏み込んで言いますと、アナキンはパドメという女性に好意を持つようになり、いつしかジェダイの規律に反して内々に結婚してしまいます。しかし、実母との悲惨な別れがアナキンの心に影を落としていたということもあり、大切な存在に対して、彼は異常なまでの執着心を持ってしまっていたのです。内々に結婚してしまったということも、自分の執着心を抑えられなかった結果でしょう。彼は愛と規律の間で悩むことが多くなったようで、その結果、ジェダイの存在意義にまで疑問を持つようになってしまいました。おそらく、その過程においては、独身を貫くことの意義についても考えたことでしょう。ジェダイは個人の欲望を消し去ることで心を整え、さらなる力を発揮できるようにトレーニングをします(おそらく)。しかし、人の欲望はそうそう消せるものではありません。むしろ、多くの場合、それは抑えられているだけとも言えるでしょう。実は、本編ではなくサイドストーリーでのことではありますが、アナキンの師であるオビ・ワンにおいても、愛を捨て切れていないのではないかという描写がなされていました(かなり抑えているようでしたが)。ジェダイはかなり厳しいトレーニングを要するのですが、こう考えてみますと、意外と悩みが多いのではないかと思えます。ちなみに、アナキンは愛しすぎた故のことでしょうか、パドメを自らの手で亡き者にしてしまいます。

ところで、仏教も本来は出家主義でありました。苦しみの元である煩悩(=欲望)を消し去るためには、そのさらに原因となる部分を断つ必要があり、修行者は敢えて家族は持たないという生活形態を採用したのです。家族を持てば愛が深まります、愛は慈悲という側面もありますが、渇愛という側面もあります。まさに上記のアナキンのような状態になるということで、家族を持つことは否定されたわけです。しかし、煩悩を消そうと努力すればするほど、僧は内向きになってしまい、社会と隔絶した存在になってしまいました。仏教は決して一部の修行者のみの教えではなく、広く社会のためにあるべきものです。それがいつの間にかうまくいかなくなり、出家主義ということを見直そうとする運動が出てきました。それは在家における仏教実践も重点に置いたもので、大乗仏教運動と言われています。大乗とは皆が救われていくという意味で、より大きな乗り物ということだと思われます。仏教の出家主義が解消されたわけではありませんが、その意味を今一度考える機会になったようです。

仏教は煩悩を断つということが最終的な目標ではありますが、大乗仏教においては、少し余裕を持ってその事を考えるようになりました。たとえば、この世でいきなり煩悩を断つのではなく、来世やそのまた来世、さらに来世で断つことができるような教えが説かれ出しました。極楽浄土の思想はその典型的なものであり、この世である程度の善行が積めれば、来世はその報いとして極楽浄土へ生まれることができ、そこで煩悩を断つことができると言うのです。この世では煩悩とうまく折り合いをつけて生活することが奨励されるのです。また、煩悩を断つことの手段として、まず人の心のなかを詳細に観察することも行われました。いきなりハードな修行をするのではなく、言うなれば、まず煩悩を良く知るということでしょう。煩悩がどんな奴であるのか、よくよく観察してみるわけです。その上で少しずつ少しずつ煩悩を断っていって、いつの世か完全に断つことができればそれでいいんじゃない、という具合です。一方、煩悩がそのまま悟りなんだという思想も出てまいりまして、かつての出家主義のように、在家の状態をただ否定するだけではなく、それを元にした転換を目指すような修行も見られるようになりました。いずれにしましても、煩悩をやみくもに断つということではなく、煩悩をきっかけにするような思考に変わったということです。

私の実践する浄土仏教も、もちろん大乗仏教のうちでありまして、出家在家を問わない教えだと言えます。私は結婚していますが、別にしたくなければしなくても構いません。親鸞という方は、結婚をして浄土仏教を実践していく道を選ばれました。今は論じませんが、だからと言って仏教ではなくなったということではありません。結婚生活をしながら、自身が煩悩ある身であるということをよくよく知ることができれば、これも煩悩を断つ第一歩だと言えるわけです。家庭を持つということも、決して否定されることだけではありません。もちろん、持たないでいける人はそれで良いと思います。それぞれ、自分に合う方法をしていけば良いだけなのです。

さて、スターウォーズの話に戻りますと、アナキンは仏教で言うところの大乗仏教運動のきっかけとも言える存在だと思えます。映画ではそれで戦争が悪化したり、自分のカミさんを亡き者にしてしまったりと、結構キツイ表現がなされていますが、人の持つ欲望をどう捉えていくのか、欲望はなければそれで解決なのか、それとも他につきあい方があるのか、こうしたテーマに果敢に取り組んだ作品、それがスターウォーズなのではないかと、・・・演繹的に考えています。

posted by 伊東昌彦 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 坊さんが -starwars
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