2012年10月17日

自分に気づくことから

仏教は仏に成る教えです。仏に成るためには煩悩(欲望、自己中心的な心)を滅する必要があります。したがいまして、仏教はこの煩悩を滅するための教えということになります。様々な修行はその方法なのです。最近、巷でも「煩悩を滅する方法」などと謳った指南書が売れているようですね。それらは全部、実は仏と成る方法が記されているわけです。

しかし、本を読んだくらいで即座に滅するほど、この煩悩というものは単純な存在ではありません。なにせ、私たちの肉体、これがそもそも煩悩による1つの結果として得てしまったものなのですから、これは大変です。しかも、それなら今すぐ肉体を捨てれば良いのかと言いますと、そう簡単でもないのです。煩悩を持ったままですと、来世にそれは持ち越されてしまうので、何の解決にもならないのです。つまり、私たちは煩悩に縛られつつ、同時に煩悩を滅していく方向に歩まねばならないわけです。これはもう、うまく煩悩と付き合っていくしかないでしょう。

私たち浄土仏教では、まずそんな自分に気づくということから始まります。自分のことも良く分からないのに、いきなり修行しても成果は上がらないでしょう。自分はどんな存在なのか、これを知ることがまず肝腎です。仏教には経典が多々残されていますが、これらは多く自分の存在について書かれたものです。経典を勉強することは、自分を勉強することでもあるわけです。

何か面白くないことが置きましたら、何かしら自分に起因するところがないか考えてみてください。大抵は何かあるはずです。嫌な人でも、その人を嫌がるのは自分でありますし、何かあるでしょう。繰り返すうちに、自分のすがたが見えてくるはずです。それほど難しいことではありません。

こうしたことでも、十分に仏教を実践していると思います。

posted by 伊東昌彦 at 08:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 良質な煩悩ライフ-life
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