2012年09月01日

悪行の報いはどうなるのか?

久しぶりに「スターウォーズ」ネタです。ヴェイダーことアナキンは救われたのか、前回まではそんな疑問がありました。今回はまた別の角度から見てみたいと思います。まず、「スターウォーズ」を見ていない方のため、今回の記事に関する部分について、極めて簡単に粗筋を述べます。

アナキンという心の純粋な少年がいました。彼は「ジェダイの騎士」(銀河の民主主義の守護者のような存在)にスカウトされ、母親の元を離れて修行の道に入ります。もとより高い才能(銀河に平和のバランスをもたらす者と予言されていた)を持っていましたので、グングンと力をつけ、「騎士」(ナイト)までなることができました。騎士として立派になりましたが、もとより感情に流されやすい激情型の性格で、しばしば問題を起こしました。

最も重大な問題は、ジェダイは独身主義なのですが、隠れて結婚してしまったことです。また、母親を途中で亡くすことから、大切な存在を守りたいという思いが暴走し、やたらと執着心が強くなってしまいました。ジェダイは公に生きる身ですので、執着心は出来れば少ないほうが良いと思われます。ジェダイの修行は強大な力をその者に与えますので、自分のためにその力を使ってもならないからです。

そんなアナキンは、まんまと悪の親玉(→銀河皇帝)に騙され、下僕になってしまいます。「オレと組めばカミさんも守れるぞ」とそそのかされたわけです。今まで善人の範疇にいたアナキンは、「ダースヴェイダー」というダサい名前を皇帝からもらい、ジェダイの力を悪用しまくるのです。つまり、人殺しをさんざんやらかしてしまうのです。

一般的に見て、すでにこの時点でアウトなんですが、スターウォーズの場合、なぜか最終的にセーフとなってしまいます。アナキン、つまりヴェイダーは、悪の限りを尽くした後、成長した息子に「あんたにはまだ善人の心がある」とか言われ、これまた簡単に皇帝を裏切ってしまいます。まったく感情に流されやすいタイプなのです。そして、そこで皇帝を葬り去るのですが、その時の傷がもとで自分も命を落とします。最後はジェダイの側に帰還し、ついでに銀河にも平和が訪れることなりますが、果たしてアナキンが悪の側にいた時にした犯罪行為はどうなるのでしょう?

映画のラストで、なぜかアナキンはかつての師匠とともに幽霊となって登場します。少し申し訳なさそうな顔ですが、堂々とジェダイの仲間として仲良くしているのです。悪いことしたけど、結果オーライじゃない?ってことなのでしょう。スターウォーズはこんなアナキン少年のお話なのでした。

以上が粗筋となります。かなりはしょっており、しかも見直していないので、所々意味不明なところもあるかもしれません。ご寛恕ください。

粗筋のなかでも触れましたが、やはり問題となるのは、結果オーライならば途中の悪事は±0になるのかということです。宗教的に見て、彼は心を入れ替えたことによって救われたとの見方もあります。前回はその点を考察しました。しかし、どうも座りが悪いので、順番が逆かもしれませんが、改めて倫理的な観点から見直してみたいと思います。

大事を成すためにはある程度の犠牲は仕方がないという見方もありますが、アナキンの場合は自ら進んで悪事を働いています。善の心を持ちつつ、敢えて悪の道を行くというスタンスかと言えば、そうでもない。映画の描写によりますと、アナキンは敢えて自らダースヴェイダーになったというよりは、コロっと悪の誘惑に負けたという具合に見えます。平和への信念は消えていると思えます。ジェダイに帰還できたのも、たまたま息子がいい奴に育っていたため(アナキンは自分では育てていない)、うまく元の鞘に戻ることができただけでしょう。まあ、彼は猛烈にラッキーなわけです。

自らの信念に基づく行動ではなく、いずれも他者の誘いに乗ってしまっただけのアナキン。かなりしょぼい奴ですが、悪行のボスは皇帝だとしても、その右腕となって働いていたので、基本的には有罪でしょう。ボスの皇帝を倒したからチャラになるというものではなく、ちゃんと罪を償わないといけません。アナキンはヴェイダーに転向したあと、かつての師匠と対決して敗れ、サイボーグになってしまいます。このサイボーグ化ですでに贖罪したという見方もあるかもしれませんが、悪行はむしろサイボーグ化の後のほうが凄いようですし、この見方は問題外でしょう。

ところで、仏教では自業自得を説きます。どんな善行悪行でも、その結果は自らのもとに善報悪報となって返ってくるということです。この説は仏教の枠を超えて、日本人一般にも支持される倫理観ではないでしょうか。ただ、現実は往々として異なる様相を呈しますが、心情として自業自得でなければと思われている方、多いのではないかと思います。現実が異なる様相を呈するのは、おそらく、その報いが現世にだけ現れるものではないからでしょう。来世かもしれませんし、さらに後の世かもしれないからです。まあ、仏教的な見方ですが。。。

しかし、アナキンは幽霊となって堂々と登場します。悪の限りを尽くした報いはどうなったのでしょう?もう終了?それともこれから?

どうもスターウォーズの世界では、ジェダイが幽霊となって登場するということは、宇宙と一体になったことを意味するようで、これにてアナキンの悪行の報いは終了したと受け取れます。まあ、やはり救われたということなのでしょう。しかし、一体どこで報いがあったのでしょう?摩訶不思議です。救われれば報いは受けないのでしょうか。「救い」と「報い」の関係、今後の課題です。

ただ、悪の側に立って大勢の人を殺しておきながら、最後に悪のボスを倒したからオッケーというのでは、観ている子どもの教育にも良くないでしょう。アメリカ的民主主義の現れなのかもしれませんが、いらぬ誤解を与えそうです。

一人の命を奪うということは、その人だけではなく、周囲の人々の人生をも踏みにじることです。それは何千何万となれば、これはとんでもない。まったく許されません。本来ならば、ちゃんと報いを受けるべく、閻魔さまの前に行かねばなりません。かるく8億年は地獄から出られないでしょう。

仏教では命の重さを計測するような思想はありません。いずれも尊い。人に限らず、動物植物すべて尊いと見ます。だから食事の前に手を合わせるのです。私の命と同じく尊い命をいただくわけです。当然のことと言えましょう。

スターウォーズを観ていまして、ラストは何か変だ、どうも落ち着かない、と思う方も多いと思います。ラストの描写は、日本人一般には馴染みの薄い感覚なのかもしれませんね。

posted by 伊東昌彦 at 11:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 坊さんが -starwars
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