2010年07月20日

みんなヴェイダーだった

殺人を犯したならば,懺悔のような回心がなければ,救われることはないでしょう.他力の浄土仏教においては,私たちは阿弥陀仏から「救うぞ!」と誓われた存在です.この世に命をいただくということは,救いのなかで生きることに他なりません.ただ,私たちは迷うのです.本当に阿弥陀仏は私のことを思って下さっているのか,実に迷うのです.だから好き勝手なことを妄想し,一時の安穏を得ようともがくのです.

ヴェイダーもそうでしょう.宇宙を支配すれば苦しみもなくなると,瞑想ではなく,妄想に明け暮れたのです.自らの力では苦悩から脱することのできない,そんな普通の彼だからこそ,本来は救われるべき存在なのです.もしルークという導き手がいなければ,ヴェイダーは死してなお迷いの世界を廻ることになったでしょう.

ヴェイダーは悪の権化としてイメージされますが,私たちとどこが違うのでしょう.常に今の生活から脱したいと思い,愛する人を支配し,他者を蹴落としてまで頂点を目指し,手段を選ばない.星間戦争という舞台をニューヨークに変えても,おそらくそれほど違和感ないんじゃないかな.決して彼だけが特別な悪玉ではなく,彼はむしろ普通の人であって,どこにでもいる凡夫です.

ところで,以前仕事の関係で裁判を傍聴したことがあるのですが,犯罪に対しての印象が若干変わりました.私はいわゆる「犯人の顔」(注:その時点では被告人でした)を見たことがなかったのですが,ごく普通の人に見えました.しかし,これは当たり前でしょう.考えてもみて下さい,傍聴席にいる私がいつ被告人席につくか,絶対にないとは言い切れません.おそらく,その裁判の被告人も,まさか自分が被告人席にいることになるとは考えてもみなかったことでしょう.

時と場合によっては罪を犯してしまう,それが私たちの本性です.善良に生きているつもりで,なおそう言えると思えてなりません.もちろん犯罪を肯定しているわけではありませんが,危うい自分だということは知っておくべきでしょう.自分の意思に反して…,ということはいくらでもあるからです.

ヴェイダーもジェダイとして頑張っていました.間違えてメイスの腕斬っちゃったのかもしれませんが,あそこで議長を斬る可能性だってあったわけですし,どう転ぶかわかりません.状況によって何をしでかすか分からない,私たちはみんなヴェイダーなのです.これからはDJショウゲンではなく,ダースショウゲンと名乗りましょう.あ,ダメだ.皇帝のアプレンティスにならなければいかんかった.モール,ティラナス,ヴェイダー…,なんか微妙なセンスだな.自分で考えちゃダメなのかな.

posted by 伊東昌彦 at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 坊さんが -starwars
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