2026年07月15日

国歌への向き合い方

サッカーのワールドカップに関連して、スペイン国歌には歌詞がないと知りました。たしかに選手は歌っていませんでした。日本だと国歌斉唱で歌わないと何かしら意見が出るわけですが、黙して国歌を拝聴するというのも意義深いような気がします。

私の通った小学校は公立でした。国旗掲揚はありましたが、国歌である君が代の斉唱を授業で練習した記憶はあまりありません。一方、坊守(私の女房)は静岡県の公立でしたが、ものすごく練習をしたそうです。「さざれ石」の途中で息継ぎしないとか、かなり詳細に教わったようです。

中高時代は私立だったこともあり、しかもドイツ学を設立趣旨に掲げる学校でしたので、これまた国歌斉唱はありましたが、練習自体はまったくありませんでした。まあ、国歌だから中高生諸君も当然知っているだろう、ということだったのかもしれません。

いずれにしましても、多くの日本人が君が代の歌詞は知っているのですが、ご存知のとおり作詞者は不明です。『古今和歌集』に掲載される「読人知らず」の和歌だそうですが、平安時代、どこかの役人が読んだことは間違いないでしょう。

歌詞の内容について色々と意見あるようですが、平安時代という時代背景と、おそらく読人は役人であるということに鑑みますと、天皇が治める世は永遠に続くことでしょう、という意味が素直だと思います。これ以上、あまり深く考える必要もないかなと。

歌詞が理解されているならば、私としては斉唱せずとも、黙して拝聴するという向き合い方でも良いと思います。小声で謙虚に歌うのも日本人らしいとも言えますが、黙して向き合うというのもまた日本人らしいと思うのです。その際は、こうべを垂れて拝聴すべきではあります。

なお、現在もヤマト王権は政治の形態を変えつつも、象徴天皇として存在しているわけですが、こうした体制に批判的であるならば、何らかの意思表示をするのもまた自由主義である日本人のあり方として正しいと思います。ただし、君が代が国歌として制定されている以上、国歌という存在に対しては敬意を払うべきです。国歌斉唱の場に水を差すような行動は慎むべきですし、意志表示はまた別の場ですることも可能です。とりわけ公務員であれば、一般職であれ特別職であれそうあるべきだと考えます。


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posted by 伊東昌彦 at 09:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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