残暑厳しいですね。8月もそろそろ終わりに近づいてきました。8月は日本人にとって亡き方を追悼する特別な月だと思っています。とりわけ戦後80年を迎えまして、第二次世界大戦についての言及も色々な場面で見られました。戦争で亡くなられた方を悼むことは、いつになっても大切な行いです。
バブル崩壊後の日本は国力が落ちたと言われ、今、日本という国の行く末に不安を覚える方も多いでしょう。こうした時代においては、私たちは日本や日本人としての伝統に立ち返り、日本人としての自覚を改めて深めようとする言説を求める風潮にあるのかもしれません。
しかし、日本や日本人としての伝統に立ち返ることは決して間違っているわけではありませんが、その伝統というものを、戦前や戦時中という、歴史的には最近と言える時代から読み解くという姿勢には違和感があります。今となっては確かに昔と言えるのですが、当時の国のあり方は明治政府によってある程度は恣意的に改変されたものであり、その時代が決して日本や日本人としての伝統を守っていたとは言い得ません。
宗教家としての立場から言えば、神道ばかりに日本や日本人の伝統を見出そうとする見方は不十分であり、そこに仏教の果たしてきている役割も同等か、むしろそれ以上に入れ込む必要があると思います。明治政府による廃仏毀釈は、まったく政治的な思惑からきた仏教弾圧であり、しかも一部においては、地域の神社さえも国家神道のもとに統合・改編されました。日本や日本人の伝統は、この時点で部分的には破壊されてしまっていたと言えるのです。
歴史をひも解くことは大変な作業です。第二次世界大戦において、日本は国家神道を政治的イデオロギーとしていました。敢えて言うならば、明治憲法下の政府は、日本古来の神祇信仰や神道を国家神道として政治利用していたということになります。もちろん、古代・中世・近世においても朝廷や幕府は仏教を政治利用してきましたが、あくまでも神仏習合のなかで行われており、神祇信仰や神道を恣意的に排除してはいません。そこから見ましても、いかに国家神道という政治的イデオロギーが極端な思想に基づいていたのかが窺えます。
日本や日本人としての伝統に立ち返るためには、出来れば邪馬台国のあった時代から、少なくとも中国大陸や朝鮮半島の国々との交流の資料が残る5世紀ぐらいから見直さなければ、日本や日本人って何なのかという疑問に答えることは出来ません。また、『日本書紀』や『古事記』にまとめられている「歴史」でさえ、政治的にかなり取捨選択と改編のされたものであることを忘れてはなりませんし、それだけ歴史をひも解くことは難しいことなのです。
伝統を知るためには、歴史を可能なかぎり正確に、学術的で公平な立場でひも解くことが大切だと私は思っています。こうした作業のなかにおいて、ようやく伝統は正しく認識されてくるものだと思います。
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2025年08月25日
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