北から南まで、日本人は自分たちの宗教心に無頓着だと思う。宗教というと、何教とか何宗とか、そういう法的に決まった枠組みの団体を信奉するもんだと思いがちだけど、実は違う。それはあくまでも宗教の一側面であり、一神教の場合に適合することが多い。日本は歴史上、一神教が優勢であったことはない。
簡単に言えば、自然と神仏と私たちですよ。北から南まで、日本の海山川などの自然には神仏が宿り、というか自然を神仏に見立て、そのなかで私たちが住まわせていただく。だから神仏のご機嫌を損ねぬよう祭祀する。お祭りですよ。こうした風俗習慣とも受け取れる宗教のなか、自覚的ではないけど日本人としての宗教心は育つ。
日本人が概ね常識だと思っていることも、結構この宗教心に基づいていること多いでしょう。人をもてなすことも、神仏をもてなすことも同じ。お互い様であることも、神仏そのものである自然のなかでお互いに生かされていると思うから。
日本において一神教が根づかないのは、こうした宗教心というものが、一神教のそれとはまったく異なるから。リーダーに導かれるという発想が日本人にはない。一神教の神は人を導く役目があるからね。一神教の信者とは基本的に話が嚙み合わないはず。
現代日本における社会的常識や暗黙のルールってやつは、実際のところ、日本で育たないと身につかない。これは血統の問題ではなく、どんな人種であっても日本で育てば身につく。逆に血統的に日本人であっても、日本で育ってないと身につかない。分かってる人に教えてもらう必要がある。
常識や暗黙のルールだって、ちゃんと根拠がある。これを大切にしないと、多くの日本人が思っている日本は失われてしまう。今、ちょっと危険水域かも。
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2025年05月30日
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