2025年02月26日

日本文化を示すことこそ、おもてなし

私は英語が話せない。日本でしか生活していないので不要ではある。イギリスやアメリカに行くのであれば、英語は必須だ。そもそも外国に行くのに、その国の言語を(出来不出来に関わらず)習得しようとしないのはおかしい。その国の文化を分かりやすく表現しているのは言語だ。野球のメジャーリーグにしても、英語を習得しようとしない外国人選手は好意的に受け入れられないらしい。あたり前だ。

その国の文化を尊重することは普遍的なことだ。外国に行けばその文化を。日本に来たならば日本の文化を尊重するのは当然だ。日本人が日本国内において、外国人に合わせることは決して悪いことではない。しかし、行き過ぎは禁物だ。外国人に日本文化を学んでもらう機会を奪うことになるからだ。外国に行けば不便なのはあたり前なことであるし、不便だからこそ交流が生まれるのではないのか。

外国人のために、日本の文化を破壊していいわけはない。外国の文化を、日本人としての醸成なく受け入れることは危険だ。それは決して文化交流にならないし、協調性のない外国人を増やすばかりだ。日本国内においては、外国人が日本文化に合わせるべきだ。そうでないと日本文化は失われてしまう。おもてなしの心を間違えてはいけない。


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posted by 伊東昌彦 at 12:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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