天皇を「天皇家」として見た場合、一族として世界的にも長い系図があるのは明白です。古代には伝説的存在の天皇もいるでしょうから、学術的には第二十六代の継体天皇(5-6世紀)あたりから血縁があると言えるのでしょうか。私は門外漢なので見当違いかもしれませんが、それにしても系図が長いことは確かです。もちろんどんな命であっても系図はあるわけですが、それが「家」として続いているのは稀です。
ちなみに世襲寺院である浄土真宗寺院ではよくある事ですが、わが家においても系図はあり、藤原鎌足まで遡ることが出来るよう作成されています。しかし、明確に「伊東家」となるのは伊東祐親の父・伊東祐家(12世紀)からですので(藤原→工藤→伊東)、あたり前ですが天皇家の足元にも及びません。
現代において天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と憲法にあります。世襲である天皇は「天皇家」があってはじめて天皇たり得ることを考えれば、「天皇家」も象徴に含まれると言っても良いかもしれません。であるならば、日本国はいわゆる「家」という一族の集合体によって成り立ち、その理解しやすい具体例(=象徴)が「天皇家」ということになるのかな。
話は変わって、お墓と言えば「〇〇家の墓」が昭和的イメージと言えますが、現実的には「〇〇家の墓」を維持することが難しい時代が令和です。性別に関わりなく、お墓を継ぐ家族がいない、もしくは家族に継ぐ意思がないということです。「〇〇家の墓」という「家」単位のお墓ではなく、個人でそれぞれのお墓を持つということも多く見られるようになりました。
天皇家は極端に歴史が長いですが、長いから「家」というわけでもなく、当代が初代でもいっこうに構わないことになります。しかし、その「家」という概念自体が、そもそもなんで重要なのか再考される時代になっていることは、上記のお墓事情からも窺うことが出来ます。
「家」という概念が消失したらどうなるでしょう。うまく想像することが私には出来ませんが、生物としての人はそもそも単体で生活出来る種族ではなく、どこかに所属したいと思うそうです。そうなりますと、やはり「家」という概念は制度ではなく、私たち人としての本能的な拠り所になっているのかなとも思えます。
ちなみに感覚的に言えば、私にとって実感のある「家」は祖父祖母までかなあ。ただ、一緒に暮らしていなかったので、「家族」とはちょっと感覚違うかも。曾祖父の話は聞いたことあるけど、話をしたことがありません。なので、感覚的には曾祖父以上は良く分からないですね。あくまでも系図を見て、ああそうなのね、という具合になっちゃいます。
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2024年09月09日
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