仏教は個人宗教なのでいつでも仏様と私の一対一です。皆が一色に染まりましょう、ということはありません。私は私の色のままでいい。仏様がそれに合わせてくださいます。それぞれが別々な色を放つのは当たり前のことです。なぜならば、私たちの業(行為とその影響)というものは、他者からの影響も受けるとはいえ個人的なものだからです。私たちは自業自得のなかで生きており、善いことも悪いこともすべて自分に付着します。他者と同一になることはあり得ないのです。仏様はそんな私たちそれぞれに合わせ、はたらきかけてくださいます。あなたのままでいいのです。
こうした考えは、まさに現代的な多様性を認め合う考えに合致します。色々な性格、色々な生い立ち、色々な人種、同一なんてことはあり得ません。日本人の宗教観、もう少し広く言えば感性というものは、まさに多様性を認め合うものです。神仏もたくさんいらっしゃるでしょう。何でも色々なのです。違っても衝突しません。皆が同じ方向を向けという時代も一時的にはありましたが、長続きはしていません。
ただ、これは勝手を容認しているわけではないのです。多様性を認め合うと同時に、それらが調和していないと居心地が悪い。和を重んじるのが私たちの感性でもあります。『無量寿経』には「風吹きて、華を散らして、仏土に遍満す。色の次第に随ひて雑乱せず」と説かれます。色々な華が風に吹かれて絨毯のようになっても、それぞれの色が勝手に雑多にあることはない、ということです。色はそれぞれであっても、ちゃんと調和している状態が理想的です。
多様性と和は、私たち日本人が長年に渡って大切にしてきた感性です。日本人は意外と自分たちのことを知りません。外国の方と交流を深めるためには、まず自分たちが自分たちのことを知らなければ、実は相手のことをしっかり知ることもできません。単なる迎合は交流とは言えないからです。
日本の国際化というものは、多様性と和によってもたらされると私は思います。
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2024年01月23日
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