しかし、差別はある。
いわゆる日本人、抽象的ですが一般的な日本人にとって、「違う」と思うことは「日本人的感覚」に基づいているように思えます。「日本人的常識」でもいい。これを判断基準として、違和感を覚えなければ人種が何だろうと、どこの国の人だろうと、あまり差別はないでしょう(ないとは言いませんが)。
ただし、このフワっとした「日本人的感覚」や「日本人的常識」っていうのは、とても難しい。
この島国で、その伝統を重んじ、大和政権以来、実は政治の枠組みに大きな変化のない日本。江戸時代からの滅私奉公の感覚が仕事場でも息づいている。日本古来の神祇信仰から、先祖崇拝、仏教伝来、神仏習合、キリスト教伝来、色々な宗教が混じり合って熟成された宗教観。他者との関わり方も、ここで育たなければ、なかなか真似のできるものではないでしょう。
ここから発した「感覚」や「常識」から外れると、ダメなんですよね。そこに「人種」は関係なく、同じ日本人でもダメだったりするから、これまた厄介。しかも場によって、地域や学校や会社といった場によって、それぞれ異なる側面を見せることもあるので、それに乗れるか乗れないかという難しい局面がある。フワフワなので難しい。
肌の色が何だろうが、一般的な日本人にとって大事なのはここなんだと思います。
ここから外れると、差別されます。いじめですよ。明瞭ではなく、陰湿な傾向です。
一般的な日本人にとって、個性や個人、プライベートって、やはり欧米の感覚であって、いまだに良く分かってないところもあると思えます。私もそうです。理解しようとしても、心の奥底から、どこかから湧いてくる違和感を禁じ得ない。とは言え、それが間違っているわけではないので、それが差別につながってしまうことのないよう努めることが大切だと思っています。「日本人的感覚」や「日本人的常識」が悪いのではなく、それを差別につなげてしまう短絡的な思考が悪いのです。
日本人は曖昧な感覚を好みますので、実際にはかなり寛容的です。宗教を見ても、1つを選ぶことはしないでしょう。差別を生まないような思考が出来るはずなので、気をつけていきたいと思います。
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