2023年03月18日

良い学校たくさんあります

受験の季節も終わりを迎えていますが、「第一志望」にはあまりこだわるべきではないと個人的には思います。大学受験は浪人も普通にあり得ますが、浪人が考えられないのであればどこかに進学しないといけません。たとえば中学受験において、実際に受験するのは小学生です。小学生に対して、多く親の希望とも言える「第一志望」を背負わせるのは、まだ精神的に未成熟な段階では酷すぎます。

〇〇中学絶対合格! こんなの小学生に背負わせても意味ありません。

別に第二でも第三でも第四でも第五でもいいんですよ。そもそも本意ではない学校を受験させる親がおかしいわけで、受験させるのであれば、子の成績を参照しながら良いと思える学校を数校見つけ出し、1校でも合格もらえるよう計画するのが親の役目です。緊張する子は普通に力を発揮できません。よく考えればそれが普通じゃないですか。私自身で言えば、もう40年近く前ですが3校受けて、難易度が高い2校は不合格でした。しかし、1校合格したことに対して、親は普通に祝福してくれました。

わが家の子たちの場合においても、受験校のなかで最高難度の学校には全員不合格でした。無理に受験したわけではなく、偏差値においても50%以上は合格する可能性があった学校ばかりです。なかには80%以上の合格可能性の子もいましたが、普通に不合格でした。そういうものです。行ける学校は1校ですから、1校から合格いただければ大成功なのです。

子は親自身の不甲斐なさを穴埋めする代役ではありません。

よくある錯覚で、付属校ではなく進学校の場合、いわゆる難関中高は難関大学への進学実績も素晴らしいものですが、そうした学校にわが子が進学したからと言って、難関大学へわが子が進学できるわけではありません。何のために受験させるのか、よくよく考えるべきです。親の人生のリベンジでないのは言うまでもなく、難関大学へ進学させるためと言うのであっても、実際には大学受験のための塾の役割が大きいのは明らかです。なお、難関大学を卒業したからと言って、人生が楽になるわけでもありません。

中学受験で思うような結果とならなかった子が起こした悲しいニュースに触れるたび、私自身も含めた大人たちの身勝手さに、申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

posted by 伊東昌彦 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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