口に世事(せいじ)をまじへず、ただ仏恩(ぶっとん)のふかきことをのぶ。
命あるものはもちろん、この世の事物は移り変わりながら存在しています。仏教では「生住異滅(しょうじゅういめつ)」と申しまして、それは生じて存在し変化して滅していくと説きます。この世とは、言い換えればこの宇宙を指して差し支えないのですが、なるほど、たしかにそのような変化をしていると思えます。銀河系のなか太陽系においても、恒星たる太陽のほか地球などの惑星もすべていつか消滅する日が来るそうです。一方、太陽よりももっと大きな恒星の消滅をきっかけとして、新しい恒星が誕生することもあるそうです。おそらく、この大きな宇宙であっても「生住異滅」のなかにあり、どの宇宙にも誕生と消滅があることでしょう。
さて、話をグッと身近に戻しまして、私たちの存在もまた同じです。草花の芽が出て成長し、花を咲かしてやがて枯れていくように、私たちもいつか死を迎えます。今回のご讃題は親鸞聖人が京都(=洛陽)でご遷化(せんげ)(=亡くなること)される際のご様子で、聖人が九十歳のときのことです。越後へ流罪(るざい)となられまして、関東をへてようやく京都へお戻りになられました。不慣れな地でのご生活はもとより、仏教の研鑽もままならぬ地方においては、ご苦労もひとしおのことであったと思われます。しかし私ども関東人にとりましては、このご縁がなければ浄土真宗のみ教えに出遇うことすらなかったかもしれず、ご恩の深さにただひたすら有難いと思うばかりです。
『御伝鈔』によれば、親鸞聖人は体調を崩されたあと、この世の諸々のこと(=世事)には言及されず、阿弥陀如来のご恩(=仏恩)深きことのみを周囲にお伝えされたそうです。私たちは死に直面したとき、どのようなことを思い浮かべるでしょう。家族や周囲の方々への感謝の気持ち、あるいは両親のこと、自分の幼いときのことを回想したりもするでしょうか。しかし、実際には死にたくないの一心かもしれません。自分自身も「生住異滅」の存在であり、いつかは死を迎えると教えられ理解してはいても、いざとなれば哀れむべきことです。
しかし、愚かであればあるほど阿弥陀如来のご恩はまた深く、私たちをかならず救い取って捨て置きません。「生住異滅」にあらがう自分の、このいかんともしがたい愚かさを感じるとき、親鸞聖人が最後にお伝え下さった仏恩の深きことは、まことに有難く、ひとえに私自身に降り注いでまいります。そして最期に、親鸞聖人はお念仏をされながら、弟様の坊舎である善法坊において、お釈迦様と同じく頭を北に、お顔はお浄土のある西に向かわれてご遷化されたとのことです。荼毘(だび)の地は京都東山の西大谷のあたり、今の大谷本廟であったと伝わります。皆様もぜひ大谷本廟へお参り下さい。
(本文は『やさしい法話』12月号へ寄稿したものです)
2023年01月13日
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