日本では一神教(唯一の神)の宗教はあまり定着していません。多神教(たくさんの神)や汎神教(森羅万象はすべて神の現れ)のほうが日本の人には合うのでしょう。ワントップの神様に導いてもうらうというのは、どうもしっくりこない。神も仏も人も、その他の生きものや自然も共に存在する、つまり、折り合いをつけてある程度うまく日常生活を送るということのほうが重要なようです。温暖湿潤な気候に加え、豊かな農産物や水産物に恵まれ、島であることから歴史的に外敵の脅威が比較的少なかったことも影響していると思えます。唯一神による強力な救済信仰はあまり必要とされなかったとも言えそうです。
こうした事情は宗教のみならず、生き方自体にも影響を与えているかもしれません。周囲と折り合いをつけるという生き方です。日本の歴史を振り返るならば、英雄的で強力なリーダーっているかなあ。大統領制よりも内閣制のほうが合っていそうですし、皆で決めた事を皆で一丸となって一所懸命に行うというのが、個人的には日本の人という感じがします。まあ、これは私の感覚なので、バブル時代のサラリーマンを子どもながら眺めてということではあります。ただ、序列よりも和ということであれば、多くの方が漠然とではありますが理解されることでしょう。これは明らかに欧米の人とは異なる生き方かなと思えます。社長が異様とも思える高額報酬を得るというのも、なんかしっくりきません。
今、日本では働き方の変革が叫ばれています。不当な扱いは当然一掃されるべきですが、人を成果のみで計測して配置するやり方は日本で定着するでしょうか。私は懐疑的です。能力ある人を引き上げることにはもちろん賛成ですが、短期的な成果を狙う傾向が強まると周囲の和を乱します。言い換えれば、組織よりも個人が重要という価値観に陥りやすく、全体として成果を上げてきた上記のような生き方とは乖離していきます。果たしてこうした生き方を日本の人々は出来るのでしょうか。なんだか上手くいかず、余計に生産性が落ちていくような気がしてなりません。大丈夫なのだろうか。
2022年10月21日
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