2022年05月31日

古いままで新しく

古くて権威的で威張っているお寺なんて嫌ですが、だからと言って柔らかすぎてもお寺っぽくないような気もします。住職がいつもTシャツ普段着ってのも、そりゃ親しみやすいかもしれないけど、それ以上ではないと思います。

アナログなお寺も今の時代遅れているように感じますが、だからと言って何でもデジタルってのも、う〜む、良いようで違和感あるかもしれません。心の安穏、さらに言えば魂の安穏というのは、果たしてデジタル空間で満たされるものなのでしょうか。

人がデジタル空間と直接接続される時代が来れば、それもあるかもしれません。しかし、その時代はまだ来ていません。いつか来ると思いますが、まだでしょう。

お寺であっても時代や社会に取り残されてはいけませんが、迎合するだけではお寺の持つ社会的意義は失われることでしょう。

古さっていうのは、ときに心の安穏、魂の安穏を満たしてくれるようにも思えます。古いままで新しくなっていくことがお寺には必要なのかもしれません。

posted by 伊東昌彦 at 15:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/189571005
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック