嫌な思い出って誰にでもあるかと思います。大失敗ですとか、人間関係のこと、心身を傷つけられたとか、様々あろうかと思います。私もあります。昔のことなので忘れたいのですが、現在進行形の別件と関係していたりしますと、事あるごとに思い出してしまいます。私は結構過去へ執着してしまう性分なので、とくに困ります。
仏教的に落ち着いて考えてみますと、嫌な思い出にかぎらず、よい思い出であっても、過去における自分自身の思考や行動は、すべて心の深層に「結果」として植え付けられています。それは未来の思考や行動を生み出す「原因」にもなり、あたかも「種」のようなものです。何らか別のはたらきかけがあると「発芽」します。急に思い出すということは、意識的であれ無意識的であれ、何らかの「きっかけ」があるから思い出してしまうのです。
では、発芽しないようにするにはどうすればよいのでしょう。
種を引っこ抜くことは出来ないので、水をやらない、日光にあてない、栄養になるものを与えないということが方法として考えられます。私は小学生時代の朝顔栽培がうまくいかず、なぜか仲間の種よりも発芽が遅かったので、こっそり家から肥料を導入したところ勢いよく発芽したという経験があります。つまり、肥料(→「きっかけ」)をやらなければ発芽はもっと遅れたか、もしかしたら、そのまま発芽しなかった可能性もあるかもしれないのです。
原理としては以上です。
ただし冒頭にも書いたように、現在進行形の別件と関係していますと、自分が思い出さないようにしていても、それが「きっかけ」となって思い出してしまうことがあります。たとえば昔ふられた彼女を忘れたくとも、なぜか仕事の取引先が彼女の居住地のご近所だったりすると、これはもう不可抗力です。勝手に思い出してしまうでしょう。悲惨です。
じゃあどうすれば良いのか。
境内清掃は住職の特務なので草むしりをよく行うのですが、草を見ていますと、やはり強い草が残っていきます。とりわけドクダミです。意外と可愛い花が咲くのですが、とにかく強靭な根っこを持っていますので、近くの弱い草を駆逐して勢力を広げていくわけです。なお名前は強烈ですが、薬草として重宝されていたこともあったようです。
これと同じ原理で考えてみますと、彼女にふられたこと(嫌な種)を多い出したくなければ(→発芽させたくなければ)、新しい彼女、それも昔の彼女よりも自分にとって満足できる子(嬉しい種でかつ強靭)とつき合えば(→新しい植えれば)問題解決です。昔の彼女のほうが良かったなあとか、そんなんじゃダメです。
あたり前すぎてアホみたいな話に思えるかもしれませんが、心に植わった種というものは、そうそう除去することが出来ません。執着をなくす厳しい修行によって種を除去、というか植わっている部分そのものをひっくり返すことは可能ですが、普通に生きているだけでは無理でしょう。であれば発芽しないように仕向けていくしかないのです。
大失敗であれば、それ以上の成功を目指す。心身を傷つけられた相手がいるならば、自分が相手よりも人格的に大きくなるよう精進する。彼女にふられたならば、もっと可愛い彼女を見つけるようにする。とまあ、平易な言い方になりますが、前向きに生きていくしかなってことかもしれません。
これはベストな方法ではありませんが、生きている上ではベターな方法だと思われます。
それだけ過去の思考や行動の「種」は厄介なものなのです。
2022年05月27日
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