2022年04月08日

地元小学校の入学式に参列しまして

小中学校では要支援の児童生徒が増えていると聞きます。先日、役目で地元小学校の入学式に参加しました。校長先生からは、式における要支援の新入生への対応の説明がありました。要支援の新入生は数名でしたが、人員配置などかなりご苦労をされている様子が窺えました。この対応は6年間継続して行われます。この学校では最大で600名以上の児童がいた時期もあったそうですが、今はその半分の人数であるとのことでした。少子化ではありますが、要支援の児童生徒は増えているようです。

しかし、私には何故増えているのかが謎でした。私は団塊ジュニアですので多くの児童生徒がいる時代でしたが、私が小学生のときからまだ40年ほどしかたっていません。40年でそんなに生活や家庭環境に変化ありましたでしょうか。たしかに昔に比べれば、今は両親がともに就労することが多い時代ではあります。また、核家族化がより進んだというのも確かです。しかしこうしたことは後天的な影響にはなるかもしれませんが、先天的な要因にはなり得ません。要支援であることは先天的なものかと思います。

ただ1つ言えそうなことは、昔も要支援の児童生徒は多かったけれども、とくに支援されていなかったということです。私の通った小学校にも、今なら要支援だろうなあというクラスメイトが学年に1人いました。授業中に外出するのは日常茶飯事でした。しかし、特別な支援はされていませんでした。担任の先生はご苦労されていたかと思いますが、クラスメイトもそういうつもりで、一緒に何とかうまくやっていたように記憶しています。もしかしたら他にも今で言う要支援に該当するクラスメイトもいたかもしれませんが、あまり問題視されていなかったと思います。

昔に比べて今は支援が厚くなったというのが、もしかしたら要支援の児童生徒が見た目には増えたと言える要因なのかもしれません。支援があるということは有難いことです。ただ、その支援が本当に正しい方向性を持っているのかというと、それは少し考えるべき部分もあるかもしれません。そもそも皆で学校に行って、皆で同じ授業を受けて、ある一定の時間それに従って行動するというのは、よく考えれば誰しも出来るということではないでしょう。私も授業に集中するのは苦手なほうで、よくよそ見をしていて叱られました。もたないんですよね。時間が長くて飽きるのです。

学校というシステムは大人数を教育する上で極めて効率的ではありますが、人はそれぞれ性格も何もかも違うので工場生産のようにはなりません。どうすべきかは今の私には分かりませんが、何でも同じように当てはめていく方法には根本的な欠陥があるように感じます。このコロナ禍において、問題はありながらもリモート授業ということが試行錯誤のなか行われました。こうしたあり方は決して緊急避難的なものではないと思います。教育にはリアル対面でないと難しいところもありますが、部分的にはリモートも有益です。児童生徒の教育がもっと良い環境になっていくことを切に願っています。

posted by 伊東昌彦 at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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