2022年01月26日

悪意のない悪は最悪だ

「悪意のない悪」と、「悪意のある悪」、どちらがより問題かと言いますと、仏教では「悪意のない悪」となります。理由は明快で、悪意がないということは、その「悪」に気づいていないからです。「悪」という行為はどちらも問題なのですが、さらにその行為者へ着目した場合、悪い事をしたという自覚がないのは「最悪」です。

車の運転を例にとってみれば、違反をすれば警察に捕まります。免停になることもあるでしょう。違反という行為は道路交通法において「悪」です。道路交通法を遵守することを条件に運転免許を交付されていますから、それを守らない行為は「悪」になります。違反は多いから「悪」であるとか、回数は問題ではありません。違反はすべて「悪」です。

免停の回数が少ないからいいとか、違反しながら道路交通法を学ぶとか、そういう発想や思考には違反という「悪」への認識がありません。認識がないということは、これはつまり「悪意のない悪」なのです。悪いと思っていない。だから最終的に無免許運転という愚行へ至るのです。そういう元議員がいるようですね。

私も違反をしたことがあります。駐禁を切られたり、スピード違反や車線変更違反です。20代の頃ですが免停になったこともあります。恥ずかしいですね。今はゴールド免許になりました。ただし、スピード違反はしていないわけではないので、本当はゴールドとは言えないかもしれません。気をつけています。

悪意がなくなるとはどういうことなのでしょう。その人の立場がそうさせるのか、私には分かりません。しかし悪を認識する自覚がなければ、いつまでたっても悪を繰り返します。自らの愚かさに気づかないからです。どこかで心を翻さないと、その泥沼からは決して脱することができません。廻心して欲しいものです。

posted by 伊東昌彦 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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