2021年10月14日

伝統という言葉に潜む実態

伝統って何なんでしょう。すごく抽象的で分かりにくい。もう少し具体的に、日本の伝統とは。さらに分かりにくい。では、わが家の伝統となりますと、う〜む、教育を大事にするところ・・・、と思いつきましたが、これは単に父親の考えで、それを私が継承しただけかなあ。父方の祖父祖母も同じ考えだったかもしれませんが、直接聞いたことがないので本人たちの考えまでは分かりません。つまり、わが家の伝統だと感じつつも、ひも解いてみればせいぜい2代〜3代前のことであったわけで、年月としては案外浅そうです。

わが家のことは置いておきまして、では日本の伝統となるとどうでしょう。日本の歴史は長そうですし、そもそも国家なのでわが家よりも伝統が具体化していそうです。日本の伝統を大切に、という言葉も巷にはあふれかえっています。でも、ひと言では言い表せません。伝統芸能とか伝統工芸とか、政治とか宗教とか様々ありますが、1つ言えることは、いずれもどこかの時代で誰かが何かしら「まとめ」ている事柄を、現代人は伝統だと感じているということです。これはわが家の場合と同じです。

私たちが伝統だと感じている事柄には、由来のよく分からない自然発生的な要素も含まれますが、構成は異なります。構成は誰かがこしらえているのです。たとえば神話を伝統とするならば、神話は語り継がれた要素を含んでいるものですが、どこかで誰かがまとめているから神話となって今に伝わっています。当然、まとめた人の主観、敢えて言えば思惑が入って構成されています。いらないと感じた要素は切り捨てられています。それを後代の私たちは伝統だと思い込んでいるわけです。伝統という言葉は便利なものですが、意外と要注意だと私は思っています。

posted by 伊東昌彦 at 10:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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