2021年08月05日

嘘も方便?いえいえ方便は仏様だけの手段です

皆さん、「方便」という言葉を聞いたことあるでしょうか。ことわざにも「嘘も方便」とあります。嘘をつくことは悪しきことですが、それを肯定するかのように響きます。ただ、「方便」だと嘘ついてもいいのかというと、もちろんそれは違います。「方便」とはサンスクリット語でウパーヤと言いまして、仏教用語で「手段」を意味します。悟りに近づけるため、仏様が我々を導くためにあれやこれやと使う手段のことです。我々は基本的に言うこと聞きませんから、色々と仏様もうまいよう仕向けてくれるわけです。

たとえば有名なたとえ話ですが、子(=我々)が遊んでいる家が火事(=迷いの世界)となっているも、子はそれに気づかず夢中で家のなかで遊び続けています(=迷いのなかにいることに気づかない)。親(=仏様)は子を外に出すため、外には子が欲しがっていたおもちゃ(=身近な仮の教え)があるでー!、と呼びかけます。すると、子はそれに釣られて火事の家から出てくるわけです。しかし、外には欲しがっていたおもちゃがあるわけではなく、親はもっと素晴らしいもの(=本当の教え)を子に与えましたとさ、というお話です。

子が欲しがっていたおもちゃは「ない」のですから、「ある」と言えば嘘になります。しかし、これこそ「方便」であり、本当の教えに気づかない我々を救う手段として、敢えて造作されたのが「方便」なのです。仏様は嘘をつきません。「方便」とはあくまでも真実に導くための手段として存在します。なので、我々には「方便」を使うことは出来ません。迷っている我々が「方便」と称して何らか手段を講じても、それは迷っているままなのですから嘘になってしまいます。


オリンピックは「安心・安全」とのことでしたが、これはもちろん「方便」とは言えません。


仏様は悟りに至る道程をすべて完璧に理解されているので、上記のような「方便」を用いることが可能なのです。道程が理解できていなければ、当然不可能ということになります。分かってないのに導くことは出来ないですよね。あたり前です。

新型コロナウイルスはまだまだ分からないことが多いはずです。分かってないのにいい加減なこと言ってはいけません。オリンピックやるならば、「安心・安全」とかの妄言でななく、分からないこと、分かっていること、ちゃんと明白に正直に国民に語りかけるべきだと思います。国民は不安なんですから。大きなことやるなら、正直に行くべきかと率直に感じます。単なる嘘はいかんですよ。


しかしまあ、もうちょっとうまい言い方あると思うんですけどねえ。政治家は言葉が命だと思いますが、もっと言葉を選んで大事にして欲しいなあ。

posted by 伊東昌彦 at 09:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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