2020年09月27日

テクノは忍耐だ(ロックは諦めだ)

先日のことですが、RCでお世話になっているK氏の会社に所用でうかがいましたら、待ち合いに「テクノは忍耐だ」という書が掲げられていました。K氏はテクノミュージックに長年携わっておられます。なぜ忍耐なのかと言いますと、私が解釈するようなことではないのですが、テクノは音色の調整やプログラミングなど、とにかく地道にひたすら耐え忍んで下ごしらえをしないといけません。私もロックバンドをしていまして、かつてロックとテクノを合わせた変テコな音楽に傾倒したときがあります。その時、ほんの少しこうしたテクノのことを学びまして、自分でも少しトライしてみました。もの凄く大変です。夢中になりますと、もう寝ている場合じゃないというほどです。結果、私には無理だなとなりまして、単純なロックに戻っていきました。

この「テクノは忍耐だ」という書を見まして、じゃあロックは何だろう、と考えたわけですが、ずばり「ロックは諦め」だと思います。曲をバンド仲間で作っていても、「まあ、こんなもんじゃない?」というところで適当に切り上げます。あまり作り込むと重たくてダサロックになるので、私は好きではありません。作り込むのは好きなほうなのですが、ロック特有のノリが消えてしまうような気がしまして、途中で諦めるわけです。「ああ、めんどくせ〜」というのもロック特有な発想なので、こういう感覚も大切です。それなりに大変なのではありますが、座右の銘は「めんどくさい」でもいいくらいなのです。

「忍耐」と「諦め」、これ実は仏教の実践行に含まれております。「忍耐」はそのまま、いろいろな苦しい厳しい状況においても、ひたすら耐え忍ぶということ、修行には不可欠です。世間には理不尽なこと、理解不能なことも多くありますが、それを含めて自分自身なわけであり、逃げていては始まりません。「忍耐」は仏教的人間形成において必須事項であるのです。一方、「諦め」は何なのかと言いますと、「諦める」という言葉は、実のところ「あきらかにする」という意味から来ているのです。物事のあり様をあきらかに観察するわけです。闇雲に突き進むわけではなく、状況をあきらかにして次のステップへ行くということです。人生は忍耐強く、そして状況をあきらかにすることが大事だと言うのでしょう。ただ、私はテクノもロックも好きなのですが、これを実践するのはなかなか難しいなあと、昨今、実感しております。

posted by 伊東昌彦 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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