2020年02月28日

卒業式の中止もしくは短縮

新型コロナウイルスの影響により、卒業式を中止・短縮する学校が出始めています。感染拡大を防ぐためには、致し方のない判断でしょう。大学のように規模の大きい学校は短縮でも難しいかもしれません。地元小中学校でも検討がされているようです。在校生や来賓の出席を取りやめるという方法がまず思い浮かびます。しかし在校生、とりわけ小学5年生や中学2年生の出席については、送るという意味合いに加えまして、来年は自分たちが送られる立場になることへの自覚醸成という意味合いもあります。教育の観点からは、簡単に出席取りやめという判断は出来ないかもしれません。とても難しいと思います。ちなみに来賓ですが、私の個人的経験によりますと、地元議員さんは私語が多いのでそもそも出席取りやめでいいんじゃないかなあって、そんな気もします。ははは

こうした儀式というものは、宗教的な意義をもって成り立ってきたものが多いでしょう。お葬式や法事はその最たるもので、七五三や成人式などの通過儀礼的なものも、原始的には精霊や先祖霊に対して行う場合もあったかと思います。私は坊さんですので儀式を施行する立場であり、普段から儀式の意味を考えることもしばしばです。たとえばお葬式も簡略化が進んでいますが、仮にお葬式という儀式をしないとなりますと、心のなかにモヤモヤを抱えてしまう方もいるように見受けられます。すべての人がというわけではありませんが、儀式をへていないことを不安に思う方は少なからずいらっしゃるようです。

人の心は大変複雑な構造だと思います。まさにカオスであり、私たちは自分の心であってもうまく整理整頓することが出来ないこともあります。思いや考えが出しっぱなしになったり、あるいは行方不明で出て来ないということになりますと、何らかの心の病を抱えてしまうことにもなります。ある程度、人によってそれぞれ異なりますが、心は表面的にでも整理整頓出来ていないと苦しいわけです。生活の節目というものは、これはリセット機能であり、ゴチャゴチャになった部分を処理することが出来ます。大晦日・お正月を思い起こしてもらえれば、これはよく分かります。色々あった1年ですが、それを除夜の鐘とともにある程度忘れ、新たな気持ちで次の1年を過ごすということです。リセットなのです。

卒業式も儀式であり節目でありますから、やはり何らかのリセット機能を持っています。学校生活では嫌なこともあったことでしょう。それをいつまでも引き摺っていては前へ進めません。忘れていいのです。そして新たなステージに向っていくことこそ、児童・生徒には大切なことだと思います。学校は基本的には6・3・3となっているでしょう。これも途中途中で節目となる卒業があるから、児童・生徒の健康的な成長に役立っているのです。これをまとめてしまっては、うまくないかもしれません。

と言うことで、新型コロナウイルスの影響によって卒業式をまったく中止にしてしまうというのは、大学のような大規模ではないかぎり、何とか回避してもらいたいなあと思うのです。もちろん、感染につながらないよう努力をして、という限りにおいてですが。

posted by 伊東昌彦 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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