2020年01月17日

ぬるま湯な私、「知足」を学びたい

今週末からセンター試験ですね。私には直接縁がありません。私は獨協中学高校から獨協大学法学部という絵に描いたようなぬるま湯。言い訳をするならば、昭和48年生まれの私にとって東大はもちろん、早慶だって到底ひっくり返っても手が届かない。単に私がアホだっただけという説もありますが、これでも獨協中学は今よりずっと難しかったし、私の成績は真ん中より上だったような気がします。獨協大学も外国語学部は上智や青山に次ぐ位置であったし、法学部も成蹊や成城と同じようなもんだった。もちろんバブル偏差値。しかしとにかく人数多くて、これでもかと言うほどの競争、競争、競争でした。

大学受験のときの夢は早稲田、現実的には中央でしたが挫折しました。もう面倒くさくて。根性ないのです。昨今、都内大学は定員問題で難化したと聞きますが、それでも巷で「最低でもマーチ」とかいうセリフを見聞きするたびに、決して今は人数少なくて楽だという嫌味ではなく、漠然と「あー、私たちの世代は何だったのか・・・」という思いが湧き出てきます。40代のリストラが多くなっているようです。競争に競争を重ねてきた私たちの世代が今、もうお払い箱なのでしょうか。

人数だけ多く、語学もそれほどできず、ネットネイティブでもない40代。恵まれた世代だと言われてきました。たしかに親世代が築き上げた社会の恩恵を思い切り受けて育ちました。ひと言で言えば、ぬるい世代なのでしょう。日本経済は下り坂です。人口もぐっと減ります。国力は落ちることでしょう。右肩上がりで生まれ育ってきた私たち40代。親世代の真似事では生きていけない時代到来で、果たして生き残っていけるのでしょうか。

実のところ、私は住職とはいえ厳密には兼業住職で、ほかにも在宅中心ながら仕事を持っていました。しかし、不本意ながら今年からなくなりました。とても残念です。寺院経営はよほど大きなお寺でないかぎり、非常に不安定なものです。その不安定さを補うことが私の積年の課題であったわけですが、7年ほど前から職を得ることが出来ていました。また何か別の方法を考えないといけません。私なんてまだマシなほうで、お寺なので住む家はありますし、住職なのでリストラにあうこともありません。会社勤めの友人を見ますと、給料は上がらず仕事だけは異様に増えていくという現状に疲弊し切っています。

企業は人件費削減に生き残りをかけているかのようです。こんなときは「仏教には「少欲知足」という言葉があります」とか、わかったような顔で語り出したくもなるのですが、そんな簡単なことではないでしょう。生活にお金のかかる現代ですが、削るにしても限界はあります。家族がいればなおさらです。我慢にだって限界はあります。「少欲」と言われても困るでしょう。

ただ、この言葉で肝腎なところは「知足」であり、それは「我慢しろ」ではないようです。実際には足りているにもかかわらず、何かと余計なことしているのが私たちなのではないでしょうか。ゴミ箱を見るとよくわかります。今年は「知足」ということを学んでいく1年にしたいと思います。

posted by 伊東昌彦 at 08:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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