前回の記事で触れたダウンタウンさんの「日本の匠を訪ねて」ですが、実は「…それがよーわからんのだよね…」では終わりません。そのセリフでカメラは天井から覗いたアングルに変わるのですが、松本さんは再び「ひねりっこちゃん」とひと言。それでコントは終わります。「ひねりっこちゃん」とは制作段階の1つの名称です。つまり、よーわからんのだけれども、再び作業に入っていくという無意味な連続が表現されているのです。
よーわからんのだけれど、それでも私たちは生きているわけなんです。ややもすれば、このコントのように無意味に陥りがちなのですが、そこを何とか目的や目標を見つけて生き抜いている。でも、もしかしたら宇宙なんてすべて繰り返しで、何の意味なんてないのかもしれません。少なくとも、私たちには理解や体得のできそうにない事柄でありそうです。
仏教やインドの宗教ではそれを業(行為とその影響)によって説明しようとするのですが、繰り返していくことの意味までは説明できていません。どういう仕組みで繰り返すのかは、業によって次のステージが始まるから繰り返すのだとなるのですが、それは仕組みであって「意味」ではないでしょう。そもそも、意味なんてないというのがインド的な発想なのかもしれません。
2019年11月12日
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