2019年06月07日

教育虐待という言葉に触れて

最近よく見かけて気になる言葉に「教育虐待」というものがあります。これは教育を受けさせない虐待ではないようです。むしろ教育の名のもと過度に子へ勉強を強制することにおいて発生する虐待であり、具体的には成績下降時の過度の叱責や制裁が当たります。成績落ちたら叱られる、成績落ちたからおもちゃ没収される。昔からよくあるシーンだと思いますが、やり過ぎなんです。

これは私の印象ですが、教育虐待というのは中学受験前後に関係することが多いように思います。今や中学受験準備は小学校に上がる直前から始まるという、何とも言葉にならないような驚きを禁じ得ません。本ブログでも数回書いたように思いますが、わが家では子そして私自身も中学受験に挑みました。その経験から申し上げますと、たしかに中学受験というものは「虐待性」を孕んでいると言えそうです。

中学受験は親が関与しながらも受験勉強の主体は親ではなく子だけになり、親がいくら立派であっても子が振るわなければうまく行きません。いわゆるお受験である小学校受験、そしてこれらとはやや性格の異なる高校受験においても虐待性は認められるとは思いますが、前者は親自身も受験対象となることもあるようですし、後者に至っては一部で中学受験化していることもあるとはいえ、一般的には親の関与は大きくありません。

このように中学受験は親の関与が高いと同時に、いかに子に勉強をさせ成績を上げるのかということが重大案件になりますので、結果的に過度の勉強をさせることにつながっていくことは容易に想像が出来るわけです。私自身もその落とし穴にはまりそうになったこともあり、今でも上の子に咎められることがあります。私自身は受験とは相性が悪いというか、努力をしないのがダメなんでしょうが、うまい結果ではありませんでした。子には自分よりも難易度が高い学校へ合格してほしいという一心、つまり自分の失敗経験の名誉回復を子に託すという無茶苦茶なことをしそうになったわけです。

幸い途中で気がついたので過干渉はやめたのですが、それでも上の子には辛い思いをさせたかと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになります。とは言いましても、中学受験の骨格形成を担うことの多い進学塾は、塾生の成績向上による難関校合格こそが業績を左右することになるので、そんな家庭の事情なんてお構いなしに過度のカリキュラムを半ば強制的に提供してきます。

私は今、進学塾に対してやや批判的に書いてしまっていますが、実は勉強をたくさんしたからと言って難関校に合格できるわけではないという現実は、進学塾こそよく知っているはずです。努力を継続するということも含め、勉強にも先天性の要素がかなり影響します。もちろん子はまだ発達段階ですので、これから伸びていく子もたくさんいることでしょう。

小学校6年生において、今のその子にとって、学力のほか性格なども含めて適した学校に入学させることこそ、親が本来すべきことなのです。偏差値の高いより難関な学校に押し込むことではありません。一方、塾はその反対で、偏差値の高いより難関な学校へ塾生を合格させることこそ、彼らの本業です。親と塾では目的が一部重なりながらも、見るべき到達点は異なるということになるので注意が必要なわけです。塾は塾として至極当然のことをしています。

成績が親の思い通りにならなくても、それも含めて自分の子です。そしてそれと同時に、子は自分とは人格が異なる存在です。子は子の人生を歩んでいます。親とは違って当然。教育虐待が原因の1つとなって事件が起きることがあります。とても悲しいことですが、ねじ曲がった親心なんて子には不要であり、私もそうなるところであったと猛省をしています。

親子であっても、それぞれがそれぞれの命において生きています。親子は縁が深くつながりも深いわけですが、そうではあっても別々なのです。個々が独立しつつも縁によって結び支え合っているというイメージが仏教的な命の見方です。子は親の所有物でもなんでもありません。親が立派だからと言って親のように立派になならなきゃいけないわけもなく、親がいまいちだからと言って親より立派にならなきゃいけないわけでもありません。

私は基本的には中学受験には賛成です。10歳前後で脳を鍛えることはその後の発達にも好影響を与えると思っているからです。また、10歳前後になると個性がより確立され、皆が同じような学校で大丈夫ということにはならなくなってきます。真ん中の子は地元小学校ではやや浮いたろところがあり心配でありましたが、今、そういう浮いてる子がたくさんいそうな学校に通っており、自分より浮きまくっているような仲間に出会えて楽しそうです。

親子であっても自分勝手な「思い」の押しつけは迷惑な話ですよね。

posted by 伊東昌彦 at 10:53| Comment(2) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
この記事へのコメント
「教育虐待」そんな言葉があるんですね。子供は中学受験しましたが親として思い当たる節があります。振り返ると申し訳ない気持ちで一杯になりました。中学受験はトップ校除いて第一希望で入ってくる子は本当に少ないのが現実です。親が高望みしてどんどんのめり込んでしまうというのも一因かと思います。難易度は参考程度で校風などが好きならどこでもいいやと言う感じなら良いのかもしれません。親の過干渉はよくありませんね。子供は中学受験して良かったと言っているので多少は救われましたが^^;
Posted by 埼玉の鳥 at 2019年06月17日 13:28
埼玉の鳥様、コメント有難うございます。親が高望みしますよね。私もそうでした。なんだか行けそうな気がするんですよね。勉強してるの自分じゃないですし、そもそも自分が通うわけでもないのに可笑しな話です。受験して良かったとお子様に言われたとのことですが、そう言われますとほんと嬉しいですよね。うちはどうなのかなあ。
Posted by 伊東昌彦 at 2019年06月23日 13:03
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