2019年03月25日

思い出補正

皆さん、「思い出補正」という言葉を知っていますか?これはネット上で使われ始めた言葉なので、あまり古いものではありません。しかし、なかなか言い得て妙だと思うのです。たとえば昔のアニメについて、どうしても幼い頃に見ていたアニメには思い入れがあるものです。現代のアニメと比べてみても、やはり昔の、あの時のアニメに勝るものはないと思えてしまう。今のアニメはあそこがダメだとか、ここががダメだとか次々に文句は出るのですが、昔のあのアニメは無批判に近くいいのひと言。

具体例を挙げれば、ガンダムの最初のやつと、最近のガンダムを比べるときなんかが当てはまります。明らかに古いほうが荒い部分が多いわけなんですが、それでも良い印象が心に焼き付いているのでしょう。私も聞かれれば、当然のように最初のガンダムのほうがいいと答えます。つまらない都合の悪い部分は忘れているんだと思います。その証拠に今、第1話からすべて観賞し直そうとは思いません。多分、つまらなくて第3話ぐらいで挫折することでしょう。たまに動画サイトなどで、面白い部分だけを観るからいいのかもしれません。

私は思考がネガティブなほうなので、物事を悪いほうへ考える癖があります。まあ、そもそも仏教ってのは楽天的な思考回路ではないので、生来の性格に加えて、仏教を学んだことも影響しているのかもしれません。良く言えば現実的であり、物事が奇跡的に上手く行くなんてことは考えもしないほうです。こんな私ですら、やはり「思い出補正」はかかるものなのです。不思議ですよね。過去のことになりますと、ネガティブな側面は忘却の彼方なわけです。

しかし、だからこそ生きていられるのでしょう。辛いことは忘れたいという思いは誰しもありますし、それをいつまでも昨日のことのように憶えていては辛さは増すばかり。うまく「思い出補正」されるように出来ているのです。冷静に考えて、補正がないと実際は結構ひどいもんだと思います。昔好きだった人であっても、おそらく今会わないほうがいいでしょう。補正されているからいいんです。年取れば昔と同じなわけないですし、幻滅するよりは補正のなかで楽しんでおくほうが得策でしょう。

仏教的に言いますと、それこそ自己都合の塊だということになります。現実直視が仏教なので、補正は意味がないということになりますが、そこは固いこと言わず、補正のなかで迷っているのが私であるならば、だからこそ救いの仏様はいらっしゃるわけですし、それでいいんだと思います。ネガティブ思考で、かつ原理原則を重んじてしまう頭の固い私ですが、少し柔らかくなってきたような気もします。インド仏教にはあまりない発想ですが、中国日本仏教においては、迷いも含めてあるがままを大事にする側面がありますので、それはそれでいいんだと勝手に納得するのです。

posted by 伊東昌彦 at 08:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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