2018年09月29日

再読!『仏典はどう漢訳されたのか』

坊さんもトレーニングが必要です。少なくとも私は最近そう思います。なぜかと言いますと、とにかく憶えたことを忘れてしまうのです。私の場合は学問になりますが、大人になってから憶えたことの持続力がありません。あの言葉どこの出典だったかなあ、あの坊さん、いつの時代で名前どんな字だったかなあと。結構見事に忘れるのです。お経の読み方は幼少の頃から体得したので忘れないとは思うのですが、大人になってからの知識はダメです。

それからこれは実生活のことですが、知り合いの名前が出てこないのです。ああ、ほれ、あの人だよ、あの人っ!!、という具合に坊守に話すことしばしばです。ちょっとマズいんじゃないかと思うほど、記憶力が減退しています。まあ、知識なんてのは忘れてしまってちょうどいいとも言えるのですが、まだ憶えていたい。法話会でも困るんですよ。私の法話は知識ネタが多いので、忘れてしまうとカッコ悪いんですな、これがまた。ああ、何だったっけ、あの人、忘れちゃったけど、そういう坊さんがいたんですよ、とかそんな風になってしまう。

今は中国の坊さんの名前を忘れてしまっており、再度、船山徹先生の『仏典はどう漢訳されたのか』(岩波書店、2013年)を読み直しています。経典翻訳の事情って面白いんですよ。経典は本来は漢文じゃなかったわけで、インドのサンスクリット語とか色々混じった言語とか、そんなのが使われていました。それをインド人の坊さんと、中国人の坊さん、なかには坊さんじゃない人も参加して、一生懸命翻訳して下さったのです。現代よりも言語間の情報ないですし、もの凄く大変な作業だったと思います。ちょっと専門的で難しい言葉も出てきますが、宗派の教学ではあまり出てこないような裏話的な内容もありますので、とてもお勧めな一書です。

posted by 伊東昌彦 at 14:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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