2018年09月21日

戦闘指揮における倫理?

AIの軍事利用について国際的な議論が始まっているようです。その報道に触れまして気になったコメントがありました。戦闘指揮をAIにさせるのは倫理的に良くないとの内容でしたが、単純に人ならいいのかと思ってしまいました。敢えて言いますが、戦闘指揮はAIのほうが優れているのではないかと思います。しかし、もちろんそんなことを議論しているのではなく、AIには戦闘中において倫理面における攻撃の要・不要の判断が出来ないだろ、ということなんだと思います。

戦争映画を見ていますと、人対人なので当たり前ですが、倫理面での描写が戦争の残酷さを和らげ、観るものに感動を与えるヒューマンドラマとして仕立てられていることが多いと感じます。実際、戦場には映画になりそうな話がないわけではないでしょう。しかし、本質はあくまでも相手への攻撃、つまり、大義としては個人攻撃ではなく国家への攻撃ではあっても、現場では殺人の正当化に他ならないわけです。そもそも、倫理なんてそこにあるのでしょうか。

戦争に倫理がないというのは言い過ぎで、多くの軍属が「早く家に帰りたい」と思っているのであれば、やはりそこには人々がともに生きるための規範たる倫理が存在すると言っても良いでしょう。ただ坊さんとしては、倫理という言葉を使うのであれば戦争をしないのが最も倫理的と言えるんじゃなかろうかと、そう思うわけです。どうも戦争を肯定するために、もしくは肯定と同時に倫理という言葉を白々しく使っているように見えて、非常に居心地の悪い感触でした。

posted by 伊東昌彦 at 08:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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