2018年06月13日

新幹線の事件の報に触れて

新幹線の事件で亡くなられた方は、長男が通う学校の先輩でした。Men for others,with othersを校訓にする、キリスト教カトリックの教えによった学校です。とは言いましても、信仰が強要されることはまったくなく、キリスト教に基づいた倫理教育をしている学校というほうが正確かもしれません。長男は寺の息子なわけですが、宗教は強制されるものではなく、自覚的に身につけていくものだと思いますので、学校選びの際にはとくに気にしませんでした。奇異に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、今のところ優れた倫理教育を行っている学校であると感じており、大変満足しています。

仏教では利他行が重んぜられまして、自己よりもまず他者を優先的に悟りへ至らせることの重要性が繰り返し説かれます。これは多くの宗教で説かれることでしょうが、やはりキリスト教でも大切にしている事柄のようです。しかし今回の事件の報に触れまして、利他行の重みを再確認させられると同時に、今一度その意義について考えさせられました。他者を思う気持ちがなければ、この社会は滅茶苦茶になってしまいます。その点で利他は社会的に必須な精神ではありますが、自己存在と直接対比したとき、本能的になかなか越えることの出来ない一線があるのも事実です。簡単に言えば、この事件のような状況において、自己が犠牲になる可能性のある行動は誰にでも出来ることではありません。また、個人としては可能でも、家族を思えば難しいというのは誰でも感じることでありましょう。

仏教では捨身供養と言いまして、お釈迦様の前世を語る際、自らの肉体を犠牲にして他者を救われたお姿の描写が多くあります。教えとして、これはどういった意義があるのでしょう。単に極端なレアケースを示して印象を深めようとしているだけなのか、それとも皆がこのように生きねばならないという啓示なのか。とても難しいテーマではありますが、1つ言えることは、とてもじゃないけど自分には出来ない、と思うと同時に、そんな自分であっても、どうやって利他の精神で生きていくことが出来るであろうか、と思考を重ねていくことは誰にでも出来そうだということです。教えというものは、何事も自分自身に引き寄せて思考してみるということにこそ、本来的な意義があるからです。

長男にお風呂のなかで事件についてどう思うか聞きましたが、まずは「あんなことしないほうがいい」と返してきました。しかし、彼の行動で他の乗客の方々へ被害が広がらなかったとしたらどうか、と再度尋ねたところ、何やら湯舟で考え込んでいました。Men for others,with othersの後輩として、長男にも自分自身の問題として思考してもらいたいと思います。先輩から後輩へ、Men for others,with othersが伝わってくれれば、子を学校に通わせている親として嬉しいかぎりです。

毎日、たくさんの事件が起きます。倫理観が薄くなっている昨今、日本の社会はどのような方向へ向かっていくのでしょうか。公立の小学校中学校でも道徳が教科になるようですし、倫理・道徳が軽んぜられない社会であることを願ってやみません。

posted by 伊東昌彦 at 09:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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