2018年05月17日

ロータリークラブ

小田原北ロータリークラブという団体に入会しておりまして、今期は執行部になっております。たまたま会長がお休みでしたので、私が例会の挨拶を行いました。はじめてでしたが、なんとか役を果たすことが出来たかと思います。以下、こんな話をしました。

本日は会長に代わりまして挨拶をさせていただきます。南足柄市で教育委員を昨年11月から拝命しております。保護者枠ということで、PTA会長をしていたからだと思いますが、今までも住職が就任することはあったようです。まだ就任してから日が浅いのですが、多少気になることも出てきましたので、お話したいと思います。昨今、勉強の出来る子とあまり振るわない子の差が開いているようで、教育委員会でも学力の引き上げに意識を注いでいるようです。たしかに、私がPTA会長をしているときも、そう感じることはありました。これは何故かと言いますと、地域によって事情は異なるとは思いますが、日本経済が振るわないということも一因ではなかろうかと思います。ある校長先生が仰っていましたが、地域の工場が撤退すると、一気に学校が荒れだすことがあるそうです。保護者が職を失いますと、家庭環境に直接影響を及ぼします。勉強どころではないという状況に陥ることは容易に想像が出来るでしょう。ロータリアンは職業奉仕が大切です。会社経営というものが、実は地域の教育にも関与しているということ、教育委員を通じて知り得ることが出来ました。これからも頑張っていきたいと思います。

以上です。ちなみに、ロータリークラブというものは、自分の職業を通じて社会奉仕をしていくという理念があります。仕事がそのまま奉仕活動なんだという発想だと思います。古来、西欧では神父や牧師はもちろん、医師、教師、弁護士などの職業も、神からの使命によって果たされるべき職種だと考えられていたそうです。その精神をすべての職種に広げようということで、使命感をもって仕事に臨むことが求められているわけです。

日本はキリスト教文化圏ではありませんので、宗教的な使命ということになりますとイメージが湧きにくいことではありますが、これを日本的な共生の精神に置きかえることも出来るかと思っています。つまり、日本では神仏もふくめ、すべての命が共存しているのだと考えることが多いでしょう。共につながりのあるなかで生きているわけで、自分の行いが他者にも関係してくるということであれば、よりイメージははっきりとするのではないでしょうか。これこそが日本的な「使命」とも言えるかもしれません。

ロータリークラブは宗教団体ではありませんので、それぞれの信ずるところで解釈して良いでしょう。私はこのように考えています。

posted by 伊東昌彦 at 08:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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