2018年04月09日

無思考な思想は危険だ

3月〜4月は毎年慌ただしく、何となくダーっと日々経過していきます。そんな中で気になった報道と言えば、大相撲巡業での出来事です。女性は土俵から降りてくださいの件です。私は日本古来の思想には疎いのですが、これは元をたどれば「穢れ思想」に行きつくかと思います。穢れの原因と言えば、まずは「死」ということでしょうか。それから血ということで月経も対象でしょう。月経は女性の生理現象ですので、つまり「=女性」につながっていくのかと思います。

坊さんには無関係のように思う人もいるかもしれませんが、かつては坊さんは葬儀をしていませんでした。正しく言いますと、神事に出勤する立場にある官僧(→公務員の坊さん)です。平安時代までは基本的には官僧がほとんどで、私度僧(→民間の坊さん)が増えたのは鎌倉時代になってからかと思います。神事は「死」などの穢れを避ける伝統なので、官僧は神事に備えて穢れの原因になる物事には近づかないようにしていたわけです。葬儀をするようになったのは、はじめは半僧半俗のような私度僧であったり、または既存の枠組みから外れた律宗や念仏宗や禅宗の坊さんであったようです。

穢れ思想は日本固有のものではなく、多分、大陸経由からもたらされたものかと思います。その辺の事情はちょっと分かりませんが、インド仏教にも穢れ思想のようなものはあります。たとえば、女性が成仏するためには、まず男性にならなければならないとか、何だか意味が分かりませんが、とにかく経典にはそういう表記が存在します。今でも世界のほとんどは男性中心のあり方ですし、それが2000年ほど前のことと言えば、まあ、なおさらのことなんじゃないかと思います。男性のほうが女性よりも一般的に体力で勝りますし、単純にそういう状況から男性優位になったのは容易に想像が出来ます。そして、人は「死」を恐れるわけで、それとは逆の「生」についても恐れを抱いていたことでしょう。赤ちゃんが生まれてくることなんて、普通に考えてとても不思議なことです。男性からはもちろん、女性であっても命の誕生は不思議に思われることでしょう。男性による生に直接関与する女性への恐れというものが、女性蔑視につながっていったのかもしれません。男性は基本的に女性より小心なので。

いずれにしましても、女性を穢れの原因とみる考え方は日本古来より存在し、それがどうやら公益財団法人日本相撲協会にも受け継がれているようなのです。思想というものは、その時代の人の営みを反映しているものなので、歴史的文化的にも極めて貴重なものです。また、思想は浸透性と継続性を持っているので、昔の思想であっても現代まで影響が及んでいることもあり、現代社会を見つめる上で看過できません。しかし、思想はあくまでも人の営みであるので、人なくして存在意義はまるでありません。人を超えて存在する思想なんてないと私は個人的に思います。これは当然のことながら仏教思想もそうで、人がいなければ仏教なんてどうでもいいことなのです。引いて言えば、人の命に勝る存在意義がある思想なんてあるわけない。もしあるなんて言うならば、それは個人的に勝手に思っていれば良いわけで、他人に押しつけてはいけないことです。

昔からある伝統思想というものは、無思考で継続させられてきたものもあるでしょう。仏教も伝統思想の1つではありますが、少なくとも日本仏教は無思考ではないと私は思います。今、上記のような女性が男性になってから成仏するとか、そんな意味不明なことを言う日本の坊さんはいないでしょう。いて欲しくありません。こうした考えは仏教思想の根幹でも何でもないので、今、必要なければ取り上げる必要はまったくありません。ただし、経典編纂者が土着的な思想を取り上げたから存在するのでしょうが、仏教的にはまったくの間違いであったと認識する必要はあります。無視して良いということではありません。

相撲協会も伝統とか言うのであれば、ちゃんと自分たちで思考しないといけないなあ。無思考の思想というものは非常に危険だということ、私たちは歴史において知っているはずです。

posted by 伊東昌彦 at 08:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
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