2014年11月30日

意外と分からない?自分の思い

実は本ブログ以外にも、別のジャンルで匿名のブログを開設しておりました。数年続きまして、それなりに読んで下さる方も増えてきたのですが、それが少々負担になりました。本ブログとは異なり、コメントは投稿可能な状態にしておりまして、私も返答を欠かさずしておりました。内容は教育についてのことだったのですが、本当に色々なご意見を賜りまして、私自身、とても勉強させていただきました。

ただ、コメントも匿名ですので、返答に困ってしまうような内容のご意見もあり、「匿名」ということから、人間のあり様を垣間見ることもありました。匿名ということなので、あまり投稿に責任を持っている方はいないのかもしれません。本当に思ったことを、相手構わず書き込んでしまうのでしょう。これは一般の匿名掲示板でも同じことで、こうしたものを読む場合、まともに読むと大変疲れます。人間の心のなかというのは、こうした匿名投稿のような状態なのかもしれません。

上記は匿名ブログでしたので、私も本名を明かさず記事を書いていたわけですが、いい加減な文章になってしまいがちでした。匿名なのでそれでも良いとする意見もあるかと思いますが、ブログの主宰者ですので、一応、読みやすい文章になるよう心掛けたつもりです。しかし、その匿名性が難しく、最終的にはいきなり閉鎖ということになってしまいました。私には実名のほうが性に合っていたようです。また、一般の匿名掲示板で私のブログや、私自身のことを詰る方もあり、あまり気分の良いものではありませんでした。

日本は遠慮がちな社会ですので、匿名であるということも、時には社会にとって大切かもしれません。体面だけ気にしていますと、本質を見失うことも多いでしょう。SNSには実名で参加することが原則的には条件となっているものも出てきました。今後、インターネットでの交流というものは、どのようなものになっていくのでしょう。自分で匿名ブログを主宰することは、私にとってはしんどいものだったのですが、意見表明の場としては、匿名であるということも、ある程度価値あることだと感じます。

人と対している時の言葉、インターネットで匿名状態である時の言葉。これら両方がまったく同じという方は少ないでしょう。匿名掲示板に意見表明することで、ああ、実は自分はこう思っていたんだなあと、その時になって初めて気がつくこともあるかもしれません。自分の思いというものは、自分であっても、意外と分かりにくいところがあるかもしれませんね。

posted by 伊東昌彦 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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