2014年11月17日

大学は学問を通じての人間形成の場

私は東京都文京区にあります獨協中学高校、そして埼玉県草加市にあります獨協大学で学びました。獨協学園は明治時代創立の獨逸学協会学校を前進としており、当時、ドイツ語やドイツ文化を学ぶ学校であったようです。私も中学高校時代、英語を専攻しながらもドイツ語を教養として学びましたが、ドイツ語を専攻する仲間もいました。大学では第二外国語としてドイツ語を履修しましたが、今では挨拶以外、すっかり忘れてしまいました。とても残念なことです。

さて、獨協大学においては、建学の精神として、天野貞祐先生の「大学は学問を通じての人間形成の場」という言葉が残されています。大学は学問をするところですが、その目的たるものは、学問のための学問ではなく、あくまでも人間として何を考え、どう行動していくかということを学ぶことにあると言うのです。これは恐らく、すべての大学に言えることなのではないかと思えます。大学が就職をするためのステップになっている現状を否定するわけではありませんが、職を選ぶということにおいても、自分がどう生きたいのかということが問題になるはずです。

翻りまして、わが浄土真宗本願寺派におきましては、宗派の学校、つまり宗門校というものが全国には存在します。京都の龍谷大学をはじめ、関東にも武蔵野大学、武蔵野女子学院、千代田女学園、国府台女子学院とあります。関西には仏教系の学校が多く、関東にはキリスト教系の学校が多い印象ですが、意外と関東にも仏教系の学校があるのです。宗派は異なりますが、駒澤大学、大正大学、淑徳大学、立正大学、そして、中学高校では進学校として有名な芝、世田谷学園、鎌倉学園も宗門校です。

関東において、キリスト教系の学校は本当に多いですね。上智大学、立教大学、青山学院大学はすぐに頭に浮かびますし、中学高校においても、栄光学園、聖光学院、女子学院、雙葉、フェリス、白百合・・・、というように、枚挙に暇がありません。小学校を併設している学校も多いようです。

こうして見ますと、意外にも宗教系学校というものは存在しているもので、学校教育という側面において、日本は宗教が身近な国であると言えそうです。ただし、多くの学校では信仰を強制することはなく、あくまでも人間としての歩みを、それぞれの信ずる教えにそって教えることを目的にしているようです。キリスト教系の学校が多い関東においては、年々、キリスト教の信者数が増加しても良さそうなものですが、そうではなく一定化していることからも、これは頷けることではないでしょうか。あくまでも人間形成が主眼に置かれていると見て良いでしょう。

私は学校というものについては、人間を育成していく、大きく余裕のある存在であってほしいと思っています。ある私立の中高一貫校では、中学1年生から全員に東大模試を受験させる学校もあると聞きます。とても大変そうです。しかし、せっかくの6年間が東大受験だけで消えると思いますと、とても勿体ない気がいたします。東大を目指すことは立派なことですが、それはあくまでも生徒個人が決めることであり、学校が誘導するものではないと思うからです。学問を究めたいなら東大を目指すもいいでしょう。

学生時代は人間形成において重要な期間ですが、社会人になってからのほうが、期間としてはより長いことは言うまでもありません。社会人というものは、人間としての力量が問われる場でもありますし、学生時代は成績も大事ですが、あまり点数に拘るような狭い考えは捨てたほうがいいんじゃないでしょうか。人間や人生は点数なんかで決まるものではないですしね。

posted by 伊東昌彦 at 14:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
この記事へのトラックバックURL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/105691898
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック