2014年11月13日

男女の制服交換

山梨県の県立高校で男女の制服交換が行われたようですね。いくつかの新聞社で報道されておりました。生徒さんが自主的に企画したそうで、その発想と実行力には敬意を表します。ただ、何を学ぶことを目的としているのか、やや私には分かりにくいことでした。おそらく、性に対して固定概念があることを学ぶということなのかなあ。もしそうであれば、制服の交換とどのように関係するのか、もう少し情報が欲しいと思いました。話題性は感じましたが、学校としての意図も知りたいところです。

服装はそもそも個人の趣味なので、自分が良いと思えば、誰からも意見されるようなことではありません。男性でもスカート履きたければ、勝手に履けばいいのです。そういう習慣の民族ありますよね。よく考えれば、袴だってスカートみたいなもんです。また、女性がズボンを履くことは普通ですし、女子が男子の制服を着ても違和感はないでしょう。時代によってスタイルは変わりますし、たまたま現代日本においては、スカートとズボンの役割がこうなっているというだけの話でしょう。そう考えますと、服装は個人の趣味でありながら、同時に極めて社会性の高いものだということに気づかされます。場をわきまえた服装なんて言いますが、それこそ社会的な問題です。

ところで、実は私、仏教を勉強するために、ある時期、かつての武蔵野女子大学(浄土真宗の宗門校)における講義に出たことがあります。今は武蔵野大学として共学化しておりますが、当時は女子大でした。つまり、女性ばかりのクラスで講義を受けたわけです。正直言いまして、あまり居心地の良いものではありませんでした。少数派の男性として見られるので、とても浮いた感じがするわけです。積極的に講義参加というわけにはいきませんでした。この時、初めて男性社会のなかで頑張る女性の感覚が、体験として理解できたような気がしました。女性の社会進出の促進を考えたとき、いかに男性社会というものが障害になっているのかということが、この時の体験によって如実に理解できるようになったわけです。

男女の制服交換も、こうした性による差別を学ぶ機会であったのかもしれませんが、制服を交換しても、実際には差別を感じることは出来ないでしょう。なぜならば、スカートは差別ではありませんし、何よりズボンは男女共通で使用します。交換によって被差別の状況を体験できるわけではありません。なので、こうした社会問題を学ぶという意義ではなく、服飾史を学ぶということであったのかもしれません。なぜ、男性と女性で服装の大枠が認められてしまうのか。もっと自由に自己表現しても良いのではないか。こうした学びであれば、とても意義深いことかと思えます。

たしかに不思議ですよね。個人的な感覚ですが、なぜスカートは可愛く見えるのでしょう。可愛いと感じる根拠はどこにあるのでしょうか。経験上、勝手に思い込んでいるだけかもしれません。

posted by 伊東昌彦 at 12:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge
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