2019年10月23日

経済は「経世済民」であってほしい

台風被害のあと、いきなり秋になりまして落ち葉も舞うようになりました。朝方冷えるので今日も落ち葉が増えそうです。県内の台風被害は甚大でした。南足柄市でも河川や土砂の被害があり、水道も一時的にですが止まりました。隣の箱根町では復旧作業にすら入れない状況だとも聞きます。毎年大きくなるような気のする台風ですが、やはり温暖化が影響を及ぼしているのでしょうか。ダムや堤防における想定を上回る降雨量をもたらすとなりますと、人工物での対応にも限界があるのかもしれません。鉄筋コンクリートの建物よりも、維持作業が必要とはいえ木造の建物のほうが長持ちをするようですし、人の手によるものであっても、出来るだけ自然の真似事をしたほうが正しいようにも思えます。

個人的な思いですが、日本は国家として成熟しつつありますし、これからは成長よりも維持することが課題かと思います。商売をしてお金儲けをすることだけを念頭にしていると、結局のところ私たちの生活基盤である衣食住の確保が疎かになることにつながるでしょう。経済活動は必須ではありますが、そもそも「経済」とは「経世済民」のことであるとの説もあります。商売することは大いに結構なことで、寺院であっても商売的側面はあります。なければ維持できません。維持するだけでも必須ではあるのです。しかし、それはやはり経済活動なのですから、「世を経て民を済(すく)う」ものでければなりません。商売をすることが人々の衣食住を支えることになっていかなければ、日本の未来は暗いものになることでしょう。

私は近隣の奉仕団体にも所属しておりますが、そこには小田原地域の社長さん方も所属されています。そこでは職業を通じての奉仕活動を学び実践していくことを目指しており、まさに「経世済民」を本旨としているかのようです。私は住職なので本来的には商売をしているわけではなく、むしろ「経世済民」に共鳴するところはあるのですが、私以上に奉仕に熱心な社長さんもたくさんおられまして、感服するところも多くあります。昭和時代には高度成長とともに成金的な者も多かったようですが、今は金ぴかな社長さんは少ないのかもしれません。創業してうまくいく業種がネット関連のもになったということもあるのかもしれませんし、昭和時代の創業であっても、世代が変わったからということもあるかもしれません。

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2019年10月19日

再起動〜なかったことにする

先月末に母の本葬・四十九日・納骨を終えました。よくあることなのだと思うのですが、気分がすぐれません。やる気が出ないのです。10月は比較的昼間に時間が空くことが多く、留守番が多かったのも関係するかもしれません。あまり暇だと困ってしまう人なのです。しかし、来週末には報恩講があります。再起動しないといけません。

私の好きな映画『ターミネーター』シリーズも、「再起動」を目指した続編がありましたがコケました。意外と難しいことなのかもしれません。来月にはそれはなかったことにして再度続編が公開されるとのことです。往年のキャラも再登場とのことで、とても楽しみです。不滅ですね。

なかったことにする。日本的伝統においても「水に流す」という思考があります。いい考え方だなあと思います。私は今までこういう思考が出来なかった人なのですが、今日からは都合の悪いことは「なかったことにする」ということにして、何事もスッキリといきたいと思います。

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2019年10月02日

皆様に感謝申し上げます

母の本葬を執行しました。門徒さんにも通知させていただき大勢の方にご参拝いただきました。皆様、本当に有難うございます。無作法なところがありましたこと深くお詫び申し上げます。生前は母が大変お世話になりました。心より御礼申し上げます。受付には総代さん世話人さんにご協力をいただきました。日曜日であるにも関わらず快くお引き受けいただき、感謝の言葉もございません。ロータリークラブの仲間もお参りに来てくれました。また、中高時代の友人も遠くから駆けつけてくれました。彼らの友情に深く感謝いたします。すべてが有難い母を通しての仏縁であり、あらためて母の慈悲を感じました。自分自身が生を受けてから今まで、つねに導きをいただいていたことに改めて気づくことが出来ました。

私と両親の関係は本ブログで綴ったとおりですが、1つの区切りを迎えたことは確かなようです。過ぎたことはもうそのままにしておこうと思っています。何かが解決されたわけではないのですが、そのままで良いと思うことが出来ました。父はまだ元気でありますので、これからは父とどういう感じになるのかは分かりません。私は46年間という長い時間をほぼ両親とともにしてきました。綺麗なことなんてありません。何度も言い合いをして喧嘩をして時には涙してきました。本気であるからそうできたのでしょう。両親を縁として大きく育てられたと言えるかもしれません。どの家庭でも多少なりとも問題はあることでしょう。問題があっていいのです。こういう息子につき合ってくれた母に感謝いたします。

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2019年09月24日

南足柄市の小中学校再編

南足柄市では現在、公共施設再編についての市民懇談会が行われています。私が気になるのは小中学校の再編問題です。簡単に言えば、少子化展望にともない、校舎も老朽化して予算も不足気味なことから、学校を合併して学区再編をするというものです。計画案によりますと、どうやら善福寺を開校の場とする福沢小学校も廃校計画に上がっています。人口の多い東京におきましても、たとえば私の母校も隣の小学校と合併して新しい学校になるようですし、これは全国的に見られる計画なのかもしれません。

学校がなくなることは、地域にとって寂しいことではあります。福沢小学校も開校する際には、地域住民の強い要望と尽力があったと聞きます。こうした公立の小中学校というものは、地域住民にとって輝く存在であることでしょう。それがなくなってしまえば、地域の空気も違ったものになってくるかもしれません。いずれにしましても、大きな存在感を持っていることは確かです。それがもし、唐突にあと数年後にはなくなるということになれば、現在通学している子を持つ親御さんも多いわけですし、混乱を招くことでしょう。

少子化だから、老朽化したから、予算がないから、理由は明確に挙げることができるでしょう。それはおそらくいずれも理に適っており、決して批判的な目を向けているわけではありません。ただ、長い歴史を持つ学校ですし、そこには多くの市民の声や思いがつまっています。ここは拙速よりも巧遅でしょう。いきなり児童・生徒数が2〜3人になるというわけではありません。天災は予測できませんが、いきなり校舎が崩れ落ちるわけでもありません。いきなり予算が不足する事態になるということも、あっては困ります。歴史を振り返るような余裕を持ってほしいと思っています。

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2019年09月22日

善福寺能のご案内

報恩講で鎌倉能舞台による善福寺能を開催します。今年は「杜若」です。

東国行脚の僧が三河国の八橋の沢辺に憩い、咲き匂う杜若に見とれていると、里の女が現れ、八橋の杜若にまつわる故事を語り、杜若こそ在原業平の形見の花だとのべて、僧を自分の庵室へ案内する。女は唐織を、初冠・長絹・飾太刀に装いを改め、自分は杜若の精だと告げ、業平は極楽の歌舞の菩薩の化身であり、その詠歌は法身説法の妙文で、非情の草木も救われると説く。続いて、業平の多くの恋愛事も、結局は、彼女たちを済度するための方便としての結縁だったと明かされる。(『能楽ハンドブック改訂版』、三省堂2000年)

10月26日(土)午後5時 善福寺本堂 是非お参り下さい!
posted by 伊東昌彦 at 09:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii