2017年02月14日

きれいに撮れました

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先日はそれなりに雪が降りましたが、2日で溶けてしまいました。寺社建築は雪に映えますが、実は雪が降ると境内が荒れます。小枝がかなり落ちるからです。

雪が降ると子は喜ぶも私は憂鬱です。

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2017年02月10日

茅場町いとう医院のブログ

茅場町いとう医院のブログです。
http://kayabacho-itoiin.blog.jp/

更新頻度は高くありませんが、副院長と鍼灸師さん、そして事務室も執筆をしています。
来年度は新たに鍼灸室を独立させる予定にもあります。
体の調子を少しずつ良くしていく鍼灸。興味のある方は是非!

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2017年02月01日

受動態と日本人の宗教的感性(のこす記憶.com)

のこす記憶.com 「生死をたずねるコラム」より


受動態と日本人の宗教的感性

I was surprised.(驚いた)。中学生はもちろん、私でも翻訳できる英語です。しかし日本人としては奇妙ですなあ。なんで受動態なんだろ。形容詞的用法とかありますが、単純にそう思います。たしかに「驚く」という行為は何か対象が必須です。驚くに限らず、感情は何であれそういうものでしょう。I was pleased.(喜んだ)やI was disappointed.(失望した)も同じです。何かに驚き、喜び、失望しているわけです。なるほど、確かに「驚かされて」、「喜ばされて」、「失望させられて」いますね。でも日本人としては、対象の存在をことさら説明する意図や、能動性を打ち消したい意図がないかぎり、受動態は使いません。

ところで、西行法師は「いつの間に 長き眠りの夢さめて 驚くことの あらんとすらむ」(私訳:いつになれば長い迷いからさめて、動じないでいられるのか。)と詠みますが、驚くことは自らの煩悩に由来していると見ているようです。この世は諸行無常であり、何があっても別段驚くようなことはないのだが、煩悩のあるままに眠りこけている私は、いつになったら真理に通暁することやら。

大乗仏教の多くが唯心論を展開していくことは以前述べましたが、西行もまた唯心的世界観を持っているのでしょう。心のあり方と外的世界に関係性を持たせていることが窺えます。また、仏教では一般に自業自得とも言いまして、自らの行為やその影響による結果は、最終的にはすべて自らが得ることになるとも説きます。一見外的な要因に見えることであっても、それは自らに由来すると捉えているわけです。

こうした思考が日本人一般に見られるかと言いますと、現代的には全くそんなことはないでしょう。しかし、現代日本語であっても、こうした仏教的世界観を通じて積み重なってきた用法を受け継いでいますし、そもそも、西行法師が詠んでいることであっても、何となく理解できる人は多いのではないかと思います。

また、日本人は一神教の宗教観を伝統的には持ちませんし、それも影響しているかもしれません。唯一神のような、超越的かつ外部的な何かの下に人があるとは思いにくいでしょうし、これは一般的とは言い難い。日本人一般において、何らかの導きによって「〜されている」という感覚は、乏しいのではないでしょうか。もう一歩踏み込んで言いますと、日本人にはあまり受動的感性はなく、基本的にはすべて自己に由来するものとして受け止めている。主語を明確にしなくても意味が通じるのは、こうした感性に由るのかもしれません。

英語の受動態が一神教に関係するのかは分かりませんが、日本人が受動態を多用しないということには、以上のような宗教的事情も関係していそうです。普段、あまり自らを宗教的だと感じることのない日本人ですが、日本人の宗教的感性というものは、意識的に明確化されると言うよりも、無意識的でありながら、思考や生活に溶け込んでいるものなのでしょう。ただし、例外もありますので、それはまた次回お話させていただきます。


のこす記憶.com
https://nokosukioku.com/note/

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2017年01月23日

稀勢の里が優勝!!

稀勢の里が優勝しました。たぐい稀なる勢いを期待されていましたが、やや時間がかかりましたね。しかし、立派に相撲道に邁進していると思います。優勝インタビューの受け答えも良かった。「道」とは「仏道」に由来する使い方であり、自己を見つめる教えであると言って良いでしょう。相撲は「道」だと思います。柔道・剣道・空手道はもちろん、書道・茶道・華道といったものも同じなのです。ジャンルは同じです。

スポーツとして観戦することも楽しいのですが、同時に「道」なのだという認識があれば、力士をより好きになれるのではないでしょうか。

これからも稀勢の里の「道」を応援していきたいと思います。

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2017年01月09日

お寺のお正月とは

うちのような関東の一般的なお寺ですと、だいたい年末から年初にかけてお墓参りがあります。ご先祖さまにご挨拶をするわけです。先祖崇拝はインド仏教には見られませんが、東アジアでは広く見られる宗教的習慣です。先祖から連なるものとして自分の命を感じることは、仏教的な縁起を理解する一助になり得るでしょう。

お正月は元旦のお参りが最も多く、2日や3日は少なくなります。そして8日前後のこの時期が、お寺の住人にとっての「お正月やすみ」と言えるかもしれません。ただまあ、どこに行くというわけもなく、こうして玄関番をしながらブログを書いているのです。

今年の目標はと言いますと、まずは善福寺の経営安定化のための具体的方策を粛々と実行に移す、ということもありますが、最近遠ざかっているベースを弾く機会を増やしたいなあと思っています。今、居間のオブジェとして活躍してくれているマイベースですが、きっと心地よい響きを醸し出してくれることでしょう。
posted by 伊東昌彦 at 11:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii