2017年06月26日

宗教心を身につけること

宗教には様々な効能があると思います。たとえば、仏教では四苦八苦と言いまして、生・老・病・死という4つの苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦というさらに4つの苦をもって人生を捉えます。詳細は省きますが、前者は生死についての苦悩で、後者は人間関係や所有欲、そしてそもそも身体を持っていることについての苦悩です。こうした苦悩を乗り越えていく道が仏道であり、その教えが仏教となります。

この他、私が重視していることは、宗教がもたらしてくれる謙虚さです。宗教は人知を超えた存在を想定しまして、それとの対立において人の弱さをあらわにしていきます。人は不完全なのだという認識は多くの宗教で共通項となっていることでしょう。人は決して万能ではなく、理性的論理的に思考したつもりでも、それを実行することは困難を伴います。困難を克服するため、また思考に思考を重ねても、皆がそれについて来られるわけではないでしょう。

驕りを消し去ることは困難です。自信と驕りは紙一重ですが、このバランスを取ってくれるのが宗教ではないかと思っています。常に謙虚に、ひざまずくほど謙虚に思考することがなければ、自信はすぐに驕りへと変貌していくことでしょう。驕りは理性や論理を機能不全に陥らせるものです。神仏に導かれている自分なんだと思えればこそ、利他の心が芽生え、よりよい社会を構築するための知恵が思考によってもたらされるのではないでしょうか。

こうした意味において、宗教はどの場面でも必要であり、こうした宗教心を身につけることを大切にすべきです。とくに子を教育することにおいて、手を合わせたり、神仏をイメージさせることは効果的でしょう。自分たちは大きな存在から恵みをいただき、もたらされたはたらきの上に生かされていると感じられれば、自から感謝の思いも深まっていくと思えます。有難いと思える心を育むことは、われわれ大人の責務です。

ところで、キリスト教のミッション校はいくつも有名な学校がありますが、伝統仏教においても、ミッション校に相当する宗門校という学校はいくつもあります。神奈川県の中高では臨済宗の鎌倉学園や時宗の藤嶺藤沢、そして東京都では天台宗の駒込、浄土宗の芝、曹洞宗の世田谷学園と駒沢女子、浄土真宗の千代田女学園と武蔵野女子学院などがあります。一般的にはあまり目立った存在ではありませんが、それぞれ宗教教育を大事にしている学校です。

こうした宗門校に入学したからと言って、いきなり宗教どっぷりになるわけではありません。この点はおそらく伝統的なキリスト教ミッション校でも同じだと思います。礼拝に参加したり、それぞれの宗旨に則った宗教や倫理の授業がある程度でしょう。礼拝が強制参加ではない学校もあるかと思います。学校によってまちまちなので、詳細は学校サイトをのぞいていただければと思います。

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2017年06月12日

後継者がいなくても大丈夫、永代夫婦墓

お墓というものは、伝統的には「家」のものであり、その「家」の方々が代々入るようなシステムになっています。今のように遺骨を納めるタイプになったのはそう古くなく、火葬が一般化した戦後のことです。少子化の現代、「家」を代々守ることはとても大変なことになっていますが、お墓にも色々な種類のものが出てきました。

善福寺は後継者がいなくても心配のない夫婦墓がございます。ご夫婦お二人で入っていただく個別タイプの永代供養墓です。永代供養墓には合葬タイプと個別タイプがありますが、こちらは個別でありますので、従来のお墓と同じようにお参りしていただくことが可能です。

詳しくは善福寺ホームページをご覧ください。
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi
(画面を下にスクロールしていただきますと、夫婦墓が出てきます)

費用は墓石代と永代供養懇志も含めまして、ご夫婦お二人で100万円となっております。年会費はかかりませんので、これ以外には費用のご心配はございません。なお、ご夫婦お二人が原則ですが、4名様まで納めていただくことが可能です。三人目からはお一人様15万円の追加懇志をいただいております。

是非、ご検討下さい。

宗教法人善福寺
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2017年06月09日

恥とは何でしょう?

通勤通学のラッシュは辛い。高校時代、西武線の扉に足はさまれたまま出発進行になってしまいました。痛いというより恥ずかしく、平静を保つふりをするので大変。なんせ長髪兄ちゃんでしたから、かなり可笑しな状況だったかと。日本は「恥の文化」とも言われますが、これでは笑いをとるだけ。恥とは本来、体面を気にするということではなく、非道に対して確固たる道理を持ち続けることであるようです。

臨済宗建長寺派の宗門校に鎌倉学園(鎌倉市)があります。鎌倉学園の校訓は「礼義廉恥(れいぎれんち)」ということです。不勉強ですが「菅子」に出てくる言葉だそうです。読んだことがありませんので、鎌倉学園のサイトによれば、「「礼」とは「節度を守ること」。「義」とは「自分を実際以上に見せびらかさないこと」。 「廉」とは「自分の過ちを隠さないこと」。 「恥」とは「他人の悪事に引きずられないこと」」とのことです。

「恥の文化」とは、アメリカ人の学者が日本文化をキリスト教文化と比較した際に名づけたもののようで、どうやら体面ばかり気にする気質を指すことのようです。上記の「菅子」は中国古典ですが、日本人は一生懸命に中国古典を学びました。日本人の恥とは、決して体面ばかりを気にするようなことではないでしょう。しかし、現代人の私たちもまた、こうした本来の意味を知らないことが往々にしてあります。グローバル化も結構なことですが、まずは自分たちの文化をしっかり知ることから始めたいものです。

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2017年06月08日

社会にとって必要なものとは?

多くの人が求めているもの=社会にとって必要なもの、と言えるでしょうか。需要に応じていくことは商売としては正解です。商売繁盛であれば、日本社会も良い方向にいくことは誰にでも理解できます。需要も満たされるわけなので、まさに一挙両得!

≪金魚を飼いました。ある日死んでしまった。あ〜あ、残念。さて、トイレに流すか≫

多くの人がこう思うようなことであれば、日本という国は滅んでいくことでしょう。似ているものは存在するでしょうが、神祇信仰や仏教の教えのなかで形成された日本的感覚や生命観は失われます。金魚トイレの件は合理的な側面もありますが、心は合理性とはまったく逆さま。合理的に生きようとしている人は大勢いますが、そんなの表面だけのことでしょう。

≪多くの人が家族の遺骨をトイレに流すようになったので、ご要望にお応えしまして、遺骨専用トイレが出来ました!≫

こんなもの社会にとっては不必要。求められるもののなかには、人々の勝手も多分に含まれいます。勝手がまかり通ることもあるし、自分たちだって勝手なところは多分にある。しかし、勝手で社会が成り立っているなんて、どう考えても受け入れがたい発想です。求められているものがすべて正しいなんてこと、商売に精進されている方に思ってほしくないなあ。

「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」 

近江商人の真髄です。浄土真宗門徒も多いそうです。まさに最後、「世間良し」だと思います。

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2017年06月04日

六福寺ツアー「お坊さんとQ&A」

六福寺ツアー「お坊さんとQ&A」のご案内

6月29日(木)開催を予定しております「六福寺ツアー」のご案内です。

今回はテーマを「お坊さんとQ&A」と題し、六福寺をバスでめぐりながら
弘済寺(廃寺善福寺)では護摩祈願をします。

昼食は大雄山駅近くの「和み料理きんとき」を予定、コースの最後に、女性
センター会議室にて、住職たちとの「お坊さんとQ&A」を開催します。


<日時・参加お申し込み方法など>
6月29日(木)午前9時 大雄山駅前集合
        午後3時30分頃 大雄山駅解散

参加費用:お一人様3,000円(昼食付き)
※当日はマイクロバスでの移動となります。

先着30名様までとなります。
参加ご希望の方は、お電話で善福寺(0465-74-0371)までお気軽に
ご連絡ください。

皆さまからのお申し込みをお待ちいたしております。
posted by 伊東昌彦 at 07:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge