2020年07月04日

日中は空腹状態

私は身長170センチです。169ではなく、常に数ミリ170以上なのです。それはどうでもいいのですが、体重は60キロです。マックスで67キロでしたが、狭心症入院のあとやせました。学生時代に戻った感じです。数日の入院でしたが、精神的に弱小なのですぐやせたわけです。それでそのまま維持するよう努めたのですが、方法は簡単です。あまり食べません。しかし今、ストレス発散と言えば私の場合、飲食しかないのです。ではどのようにしているかと言いますと、朝昼はあまり食べないのです。夜はビール飲みますし食事もちゃんとします。日中腹減るだろうと思われますかもしれませんが、それがいいのです。一般的には夜食べないほうがダイエットには良いようですが、私は夜食べないとストレスたまるのでダメです。

日中はほぼ常に空腹ですが、慣れてくるとそのほうが仕事がはかどります。ストイックになれると言いましょうか、集中力が増しました。かつてはその逆で空腹だと機嫌も悪く、集中できないたちでした。今では空腹のほうが心地よく、苦痛に思わなくなってしまいました。単純に年を取っただけかもしれません。

運動はあまりしませんが、山寺なのでほぼ毎日、雨降っていても境内掃除は欠かせません。それがいいのかもしれませんが、部分的にしか身体を使っていないので全体運動ではないです。坊さんは掃除、勉学、修行が肝腎ですが、これは一般でも言えそうだなあと最近思います。ちなみに夜はヒマなので9時に寝てしまいます。朝は4時30分には目が覚めてしまい、午前中が長くなりました。ロングスリーパーなので、本来は8時間最低でも7時間は毎日寝ないと調子が狂います。寝ているからいいのでしょう。なお家ではビールを飲むことはほぼありません。たまにはありますが、酔いがまわりやすいので好きではありません。

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2020年06月18日

人種差別は極めて愚かな行いです

人種差別の根底にある心って何でしょう。私は自己への執著心だと思います。自己と異なった外見や、異なった文化・生活に違和感を覚えるのは、自己を保全したいという執著心の裏返しです。自己なんて言うものは、よくよく観察すれば本当にいい加減です。変化しない自己はありません。考えてることなんて、毎日コロコロ変わっていますし、外見だって日に日に変化しています。人は変化に弱い。変化が恐ろしい。だからそれに抗う。でもそれは不可能なので、仕方ないから別の方法で一時の安心を得る。それが差別です。自己と異なった外見や、異なった文化・生活を排除すれば、何となく自己を守っているように感じるからです。

人種差別は極めて愚かな行いです。

もとより愚かな自分自身に気づけば、こんなこと出来ないはずなんだけどなあ。

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2020年06月06日

自粛警察する前に

自粛警察って言葉、ここんとこ何度か耳にしました。正義を振りかざすって言うのでしょうか、ネット上でもよくありますよね。すごく正しそうに思える主張。一見すると間違ってないように思えてしまいます。でもよく考えると、何だか違和感あるなんですよね。一面的だからでしょうか。一面的には正しいとも言えるのですが、他方面からすると正しいとも言い切れない。正義って難しそうです。

ところで「正義」というのは、言うまでもなく「正しい義」という意味です。「義」は何かと言いますと、結構曖昧な言葉だと思うのですが、「道理にかなっている」ということでしょう。だとするならば、その「道理」っていうのが根本となり、それに違うことがない思考や行為が「正義」となります。「道理」って何ですかね。分解すれば物事の筋「道」となる「理」となりますので、つまりは「理」ですね。

この「理」というのは倫理・道徳の根本になるでしょうし、宗教においても宗教の根本として「理」という概念は用いられます。おそらく相対的ではなく、絶対的に捉えられていると思います。とは言いましても、宗教も含めて人が考えているわけですから、意外といい加減なのかもしれません。都合によって変化してしまうことがあっては、もちろん絶対的ではありません。

仏教で「理」と言いますと、通常は「真理」という言葉が用いられます。「真理」は「理」をさらに深めた言い回しです。では仏教の言う「理」は何かと言えば、人為的な物事をすべて離れたという意味になります。なるほどそうなると、ちょっとは絶対的な方向に近そうですね。でも、人が語ったりすると、一気に相対的になってしまうからこれまた不思議です。経典なんていらん、という考えもあるのです。

正義は道理に基づいているのですが、道理は振りかざした途端に恣意的なものに成り下がる危険性を常に含んでいます。正義を語る際、もっとも気をつけねばならぬことでしょう。歴史をひもといてみても、正義はしょっちゅう変化しています。いい加減なもんですよね。皆が勝手に都合で使っているからです。レストランの営業の可否についても、いい加減な正義に基づいていると言えるんじゃないかなあ。

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2020年05月11日

夫婦墓のご案内

夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年05月01日

面白かったですよ、スターウォーズ9

昨日、スターウォーズ9を観賞しました。まず何より、JJ監督がいかに故キャリー・フィッシャーさんを大切にされていたかが伝わり、とても感動しました。その点だけでも見る価値は多いにあったと思います。そして、8の監督さんには申し訳ないのですが、8よりもスターウォーズであって嬉しかった。スターウォーズのテーマというものは、私は「善と悪」だと思います。これは創造者であるジョージ・ルーカスのこだわりでしょう。人の考える「善と悪」というものが、いかに不安定なものであるのか、それをうまくSFに流し込んだ功績は偉大です。8にはこの点で見劣りするところがありましたが、9ではちゃんと扱われていました。ただ、やや表面的でしょうか、善悪というものがスカイウォーカー家の家庭内騒動に収まってしまっているところに、この問題の普遍性を感じることは出来ませんでした。せっかくSF、そう宇宙が舞台なのですから、もっと宇宙的な大きな視点で、1人の人間の小さな弱さというものを見せて欲しかったかなあ。

昭和時代の不良ドラマみたいなんですよね。不良息子「親父!、オレが間違ってたよ」、親父「そうか、今からでも間に合うぞ、ちゃんと彼女守ってやれ!!」、みたいな感じでした。分かりやすいですけど。

あと、これ昨日はじめて気づいたんですけど、ディズニーの7、8、9それぞれ、それなりにスターウォーズなんですが、決定的にそうでないとこありました。ああ、やっぱり自分はオールドファンなんだなあと思いましたが、そうです、ディズニーのスターウォーズには、紛れもなくジョージ・ルーカスがいないのです。そのかわり、いきなりミッキーちゃん出てきそうな雰囲気はあり、ディズニーランドでした。たしかにディズニーランドにもスターツアーズあるんですが、あれあそこだけ異質ですよね。あそこだけルーカスなんですよ。スターツアーズできたとき、ちゃんとルーカス来てるし。そして私、そのルーカスとすれ違ってしまったww

いずれにしても、JJ監督は大変な仕事をちゃんと全うされたと思いますし、十分面白いスターウォーズであったことは確かです。9まで観ることが出来て、感謝感激です。

あと期待はオビワンのドラマです。ユアン・マクレガー出演なので、きっとユアン氏はオビワンの苦悩を理解されていると思います。ユアン氏の剣技は最高でしたが、より心理的描写に力を入れてもらいたいなあと、そんな思いで待っています。

posted by 伊東昌彦 at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 坊さんが -starwars