2018年08月08日

人とマシーン

8月もそろそろ本格的にお盆の季節になってきました。8月はとりわけ日本人にとりまして追悼の意味合いが深い季節とも言えます。6日には役所からの通達で原爆投下時刻に梵鐘を突きました。その数日前でしょうか、投下した飛行機の乗務員の手記が発見され、原爆が炸裂して安堵したというような内容であったかと思います。とても複雑な思いがいたしました。軍人としては重い任務であったかもしれず、命令に従うのは当然と言えるのでしょう。しかし、その命令も含めてその任務によって、一瞬にして老若男女、多くの生命が奪われてしまったことには思いを馳せることがなかったのかもしれません。退役後には悩まれたこともあったことでしょう。こう考えますと、人が人に命令をするという行為自体、人の存在という観点からしますと大きな問題を孕んでいるということに気づかされます。

お釈迦様は天上界からこの世にお生まれになられた際、「天上天下唯我独尊」と説かれたそうです。この世に命を与えられるということは、その命が何よりも尊いことを示しており、それは誰であっても独尊性が認められるものでなければなりません。他者に蹂躙されて良いわけはなく、皆がそのことを認識していなければ、この世は無茶苦茶になるだろうという説示だと思います。

他者を思い通りに動かせることに魅力を感じる人もいるでしょう。歴史を振り返れば、暴君はいくらでも存在していました。権力にしがみつく輩というものは、こうした麻薬のような快楽に溺れているとしか思えません。いつの時代も、そしてこれからも人間の本性が変わることはないでしょう。私にも、おそらく誰にでもこうした欲望はあるかと思います。しかし、蹂躙されて良い命なんてないんだ、という思考を持つことが出来れば、ちょっとはマシになるかもしれません。人は思考を捨ててしまえば、ただのマシーンになってしまいます。

やや飛躍しますが、映画『ターミネーター』シリーズにおいても、人とマシーンの違いという事柄がテーマの1つになっていました。他者に思いを馳せるということ、主体的に思考するという行為が人であり、それは肉体か機械かという構造的な問題ではない。裏を返せば、人であってもマシーンになってしまう可能性が大いにあるということのようでした。

今年はとくに暑いようですので、皆様お気をつけてお過ごし下さいませ。今日もお盆参りに出かけて参ります。

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2018年07月26日

四論の講説さしおきて

(本稿は「やさしい法話」へ寄稿したものです)

 『高僧和讃』第二十二首

浄土真宗本願寺派総合研究所東京支所 委託研究員 伊東 昌彦 

「四論の講説さしおきて 本願他力をときたまひ 具縛の凡衆をみちびきて 涅槃のかどにぞいらしめし」

 ご讃題は七高僧のお一人であります、曇鸞大師についてのものです。曇鸞大師は現代の中国・山西省のお生まれで、南北朝時代(五世紀から六世紀)にご活躍をされました。他力と自力とを明確に分けられたことで知られ、中国浄土教の礎を築かれました。非常に博識な方であり、仏教のみならず道教にも精通していたと言われます。仏教の学問では「四論」と呼ばれる『中論』・『百論』・『十二門論』・『大智度論』を極められ、その上で浄土教の実践をされました。孤高の学僧というよりは、巷間で浄土教を広め、大師のもとには大勢の信者さんが集まってきたということです。

 四論は大乗仏教の空思想を論じたもので、同じく七高僧の龍樹菩薩が深く関わっている論書です。空思想はすべての存在には固定的な実体というものがなく(=空)、刻一刻と変化をしていると考えます。私たちはさまざまな物事に執着してしまいますが、空思想によるならば、もとより執着をするような実体はないということになります。執着をすることは自分を苦しめるので、それを諌めるために空思想は展開していきました。空であることを体得することにより、本当の涅槃に至ることができると大乗仏教では説いたのです。

 しかしながら、曇鸞大師はこの空思想についての講義を、集まった信者さんへただ聞かせていたわけではないようです。大師の考える空思想とは、浄土教の実践に組み込まれているものであり、あくまでも阿弥陀如来のご本願をいただくことにあったからです。私たち凡夫の執着するところは、私たちの生死についてのことが最も大きいでしょう。身体は滅びゆくものであり、刻一刻と死へ向かっているのが私たちです。空思想によるならば、身体へ執着することは意味のないことです。すなわち、この世を去ったのち、必ずお浄土へ参らせていただくからには、もはや身体への執着は無用となりましょう。
 
 四論の学問は難解ですが、ご本願にはその真髄がすべて含まれています。大師は難解な講義をされるよりも、より実践しやすい方法、つまり本願他力を明らかにして下さったのです。四論の文言に向いますと、思わず退いてしまいそうなほどではありますが、阿弥陀如来の浄土教において導いて下さったことは、大きなご恩であるとしか言いようがありません。また、中国の南北朝時代より千五百年の時を超えまして、曇鸞大師の教えが今ここに、私どもの手元に届いているということ、『高僧和讃』をお作りになられた親鸞聖人へのご恩も忘れてはなりません。浄土真宗の日々の生活は報恩感謝です。少しでもご恩に報いることができるよう、有難くお念仏申したいものです。

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2018年07月07日

永代供養墓のご案内

善福寺・永代供養墓「アーユス廟」のご案内

一般的に「お墓」というものは、伝統的には「家」のものであり、その「家」の方々が代々入るようなシステムになっています。かつては土葬でしたが、戦後は今のように遺骨を納めるタイプが主流となりました。時代とともにお墓も変わっていきます。少子化の現代、「家」を代々守ることはとても大変なことになっていますが、お墓にも色々な種類のものが出てきました。

善福寺では、しっかりご供養をしたいのだが、諸事情により一般的なお墓を持つことが難しいという方に向けまして、比較的費用のかからない永代供養墓「アーユス廟」をご用意しております。アーユス廟は合葬タイプの永代供養墓で、多くの方々とご一緒にご供養させていただく方式です。合葬対応のため、費用を抑えることができているのが特徴です。また、年会費もかかりませんので、維持のご負担もごぜいません。

供養費用・・・お一人様 15万円

詳しくは善福寺ホームページをご覧ください。
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

宗教法人善福寺
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2018年06月23日

六福寺めぐり

≪南足柄 六福寺めぐり≫ 開催のお知らせ

今年も6月29日が近づきまして、六福寺めぐりの季節になってまいりました。例年バスツアーでの開催でしたが、今年はウォーキングにしまして、関本にある三福寺をめぐりたいと思います。

6月29日(金) 午前9時30分 大雄山駅集合
歩き→龍福寺(法話)→歩き→廃寺善福寺(法話)→長福寺(坐禅・食事・トーク)
午後2時 大雄山駅解散

トークでは日頃聞けないようなご質問を、何でも聞いてみて下さい。

費用は昼食ふくめて2000円となります。
皆様、是非ご参加ください!

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2018年06月21日

一念発起して論文

ここ数年、学問から少々遠ざかっておりまして、まったく論文発表をしておりません。博士論文には今後の課題とか何とか、立派なことを書いておいたのですが、何もしていないという体たらく。研究してきた内容も忘れがちになってしまい、これではいかんと一念発起しました。

これまで三論宗系統の浄土教を研究してきましたが、私はやはり浄土真宗の坊さんです。今までの研究成果を親鸞聖人まで結び付けまして、研究を終えたいと思っています。やたらと終わりが早いですが、あとは成果発表というよりは、自分自身の学びとして勉強を続けていきたいと思っています。

と、これまた立派なこと書きましたが、要は体力と能力の限界を感じまして、住職やりながらの研究は私には無理だな、と言うことです。住職でありながら研究者でもある先生は大勢いらっしゃいますが、本当に凄いバイタリティだと思います。

なお、今回の論文テーマは親鸞聖人の仏身仏土論につきまして、奈良時代の智光さんの仏身仏土論との近似性という側面から論じるものになりそうです。智光さんはかなりの碩学なのですが、中央からは遠ざけられてしまったりと不遇な人であり、なおかつ人物像も有名な行基さんとの対比のなか、あまり良い印象で語られてはいません。

伝承とは往々にして一方的なものの見方に終始するものですが、私は結構その裏側というか、本当のところを知りたがる傾向にあるので、智光さんの生涯にはとても興味があると同時に、そのように扱われてしまった智光さんを応援したくなる気持ちにもなります。

おそらく1年ぐらいかかると思いますが、来年にはどこかで発表したいなあと密かに思います。

posted by 伊東昌彦 at 09:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii