2024年09月19日

私の周囲から、最近の20代

今日からお彼岸です。皆様、是非、お墓参りにお越しください。

さて、最近の雑感ですが、私の狭い狭い周囲から、こんな風に日本の将来の一側面を想像してしまいました。今の20代の若者は私の20代のころとは異なり、とにかくソフトな印象です。ガツガツしていない。いわゆる不良もあんまいない。穏やか。自分の将来像についても、根拠があるのかないのか、楽観的に何とかなるだろうと考えている。楽観主義は良い面もあるけど、日本の経済状況を考えるとおじさんは不安だ。

心身ともにハードな仕事は御免なのでしょう。そういうように育っている。

私の場合、よく父から「いいか、これからは情報社会だ。情報を支配できる仕事に就くことが大切だ。そうでなければ、あとは医者か弁護士だ!」と、まるで呪文のように食事の際に聞かされて育ちました。では、私は自分の子たちにどう語ったかと言えば、そういう父の呪文にも嫌気というか、なんか耳にタコな状態でもあったのでそれほど連呼はしませんでした。が、基本路線は似たような語りをしていたかなと思えます。ただし、ソフトな感じでした。

私はいわゆる団塊ジュニアです。今、51歳。もう競争には疲れています。

わが家の20代はこうした父(=私)から育てられているので、あまりハード思考ではなく、何とかなるだろうというソフトな楽観主義に育っているように思えます。もちろん親のサポートあっての話なのですが、輝く社会人の世界に自分も乗り遅れないようにしたい、、、というギラギラした発想はなさそうです。

そもそも日本の将来像が昔に比べればキラキラしていないんですよね。。。


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 08:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2024年09月09日

「家」の役割を考える

天皇を「天皇家」として見た場合、一族として世界的にも長い系図があるのは明白です。古代には伝説的存在の天皇もいるでしょうから、学術的には第二十六代の継体天皇(5-6世紀)あたりから血縁があると言えるのでしょうか。私は門外漢なので見当違いかもしれませんが、それにしても系図が長いことは確かです。もちろんどんな命であっても系図はあるわけですが、それが「家」として続いているのは稀です。

ちなみに世襲寺院である浄土真宗寺院ではよくある事ですが、わが家においても系図はあり、藤原鎌足まで遡ることが出来るよう作成されています。しかし、明確に「伊東家」となるのは伊東祐親の父・伊東祐家(12世紀)からですので(藤原→工藤→伊東)、あたり前ですが天皇家の足元にも及びません。

現代において天皇は、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」と憲法にあります。世襲である天皇は「天皇家」があってはじめて天皇たり得ることを考えれば、「天皇家」も象徴に含まれると言っても良いかもしれません。であるならば、日本国はいわゆる「家」という一族の集合体によって成り立ち、その理解しやすい具体例(=象徴)が「天皇家」ということになるのかな。

話は変わって、お墓と言えば「〇〇家の墓」が昭和的イメージと言えますが、現実的には「〇〇家の墓」を維持することが難しい時代が令和です。性別に関わりなく、お墓を継ぐ家族がいない、もしくは家族に継ぐ意思がないということです。「〇〇家の墓」という「家」単位のお墓ではなく、個人でそれぞれのお墓を持つということも多く見られるようになりました。

天皇家は極端に歴史が長いですが、長いから「家」というわけでもなく、当代が初代でもいっこうに構わないことになります。しかし、その「家」という概念自体が、そもそもなんで重要なのか再考される時代になっていることは、上記のお墓事情からも窺うことが出来ます。

「家」という概念が消失したらどうなるでしょう。うまく想像することが私には出来ませんが、生物としての人はそもそも単体で生活出来る種族ではなく、どこかに所属したいと思うそうです。そうなりますと、やはり「家」という概念は制度ではなく、私たち人としての本能的な拠り所になっているのかなとも思えます。

ちなみに感覚的に言えば、私にとって実感のある「家」は祖父祖母までかなあ。ただ、一緒に暮らしていなかったので、「家族」とはちょっと感覚違うかも。曾祖父の話は聞いたことあるけど、話をしたことがありません。なので、感覚的には曾祖父以上は良く分からないですね。あくまでも系図を見て、ああそうなのね、という具合になっちゃいます。


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 09:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2024年09月02日

令和6年9月の掲示板

仏教では「信満成仏」と言いまして、「自分自身の信心が定まったとき、すでに成仏をしている」という考え方があります。長い修行をへてようやく成仏するのが本来ですが、成仏して振り返って見るならば、信心を得るという初歩的な段階ですでに成仏をしていた、ということなのでしょう。

何事も最初の一歩が肝腎です。

始まってしまえば、あとは終えるだけです。


20240902_031001030_iOS.jpg


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2024年08月24日

令和6年8月の掲示板

夏休みは取られましたか?

頑張ることは良いことでもありますが、「頑なに張る」とも読めます。

緩めることも大切だと思います。


20240823_082625485_iOS.jpg


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 13:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2024年08月12日

文句の発信、不思議だ

オリンピックのみならず、世間ではSNSなどを経由した誹謗中傷が問題視されています。

しかしまあ、よくそんなに文句を言うなあと思う。私も文句多い人だけど、文句を言うのであれば発言の責任を持たねばならないと認識。つまり論理性ないと反撃くらうってことで、感情論なのであればSNSではなく本当の独り言の範囲で済ませておくべきだと思うなあ。そもそも文句ってのは感情論なのかもしれませんが。

テレビに向かって文句言っている程度が丁度いいと思うけど。なんでわざわざ発信するのか不思議。


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii

2024年08月05日

スポーツ観戦は好きです

スポーツはとくにしませんが、観戦するのは好きです。遊びたい心を抑えて鍛錬し、そして試合に臨む姿はまさに三昧(=仏教での精神集中)の境地かと思えます。世界大会やオリンピックはレベルの頂点であろうかと思うので、三昧も深まっていると思います。私には無理です。

だからこそ、試合後、つまり三昧が切れたときには感情が溢れるのでしょう。感情の溢れ方は選手それぞれでしょうが、いずれにしても、そこに第三者が意見を差し挟むのは、選手の努力と鍛錬を否定することにもなりいただけません。

また、選手も負けたからと言って謝ることはない。(気持ちは十分に理解できますが)

スポーツは勝敗があるんだから、眺めている第三者である我々は、選手の努力と鍛錬の結果が見られればそれで満足じゃないかなあ。制度上、国の代表として、たしかに国費を得て出場しているんだろうけど、現状においては、別に国を背負っているというほどのものでもなく、たとえ負けたとしても、立派に試合に挑めたのであれば国民として嬉しいと思うけど、そうじゃない人もなかにはいるのかもね。


ところで、スポーツ選手はスポーツ選手であり、いわゆるタレント業をしているわけではありません。そこの線引きが曖昧なメディアもいるようですが、スポーツ選手は試合をして勝利を得ることを目的としているわけであり、そこに台本や味付けはありません。

プライベートや遊びのことではなく、スポーツ選手の努力と鍛錬に注目する報道をこれからも期待したいと思っています。インタビューを見ていても、スポーツと関係ない話をインタビュアーが振る場合もあり、この点に関してはいい加減にしてほしいものだと辟易します。


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 09:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge

2024年07月26日

頭が固くて、ついていけなくなりそう

最近、もう脳が委縮してしまってきたのか、物事の捉え方がとても保守的になってきました。もとよりそういう性格で、あまり新しい物事を好むほうではありません。しかし、それに輪をかけてと言いますか、自分のいわゆる「常識」と、時代として迎えつつある「常識」の乖離が激しく、もとより文句の多い性格が、さらに文句ぶつぶつになってきて自分自身に辟易します。

不思議なものです。頭では理解していても、ダメなんですよね。

私たちが育った時代は、男と女は完全と言っていいほど別々で、社会における役割はまったく異なりました。完全に同じなんて考えもしない。そしてまた、性別というものは人の意思が介入できるような領域ではなく、そのような領域は畏怖すべきものとして考えられていたと思います。すこしずつその領域に人が侵食しようとする傾向はありましたが、まだまだ全然、現実的ではなかったような気がします。

時代も進み、随分と様子が変わってきました。頭では理解しています。しかし、幼少時代から体得した感覚としてダメなんですよね、私の場合。

正直なところ、そんなことしていいのかな、とか思ってしまいます。それも「進化」なのかもしれませんが、私は「進化」出来ていないようです。

頭が固いんだと思います。


善福寺のサイト↓
https://www.zempukuji.or.jp/
善福寺のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/zempukuji/
のこす記憶.com↓
https://nokosukioku.com/
住職・伊東昌彦のフェイスブック↓
https://www.facebook.com/profile.php?id=100010094177609
住職・伊東昌彦の動画チャンネル↓
https://youtube.com/@ihigashishowgen?si=rj9QuXvNQAo_tYW0

posted by 伊東昌彦 at 09:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii