2020年04月06日

善縁と悪縁

緊急事態宣言が発令されそうです。先週末のことですが、県西端の山北町まで法事があり、車で門徒さん宅までうかがいました。途中、国道246号線を通ります。すいているかと思ったのですが、比較的混んでいました。国道なので普段から色々なナンバーの車が通るのですが、県東端の横浜ナンバーが比較的多かった印象です。門徒さんの話によれば、近隣の県立公園駐車場も、横浜ナンバーの車が普段より多かった様子です。

自粛疲れと言われています。ずっと家にいると何だかおかしくもなりますよね。住職は普段から家にいないといけない職なので、その辛さはよく理解できます。外に出たいというのは、当たり前の感覚です。ただ、ウイルスは自分でフラフラ飛んでいくわけでもないので、人などが運んでいると言えます。緊急事態宣言が発令されるほどであれば、今はもう、ウイルスを遠くへ運ぶことにつながる行為は慎むべきでしょう。

世の中は関係性によって成り立っています。仏教ではそれを「縁」と言います。縁には善縁もあれば悪縁もあります。できれば自分自身が悪縁にはなりたくないですよね。ウイルスは本当に人と人との縁によって運ばれてしまっています。本来はつながりがあることは嬉しいことなのですが、それが他者を苦しめるようであれば、とても悲しいことです。皆さんが善縁で結ばれますよう、お念じ申し上げます。
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2020年03月12日

ウイルス感染予防と中道

先日、地元近所の焼肉屋さんに行きました。ガラガラでした。普段からガラガラではなく、通常ならば繁昌しているお店です。新型コロナウイルスの感染拡大で外食産業はかなりの痛手を被っているようです。不特定多数の人々が集まって密着する場所、そして換気の悪い場所は感染の可能性が高まると言います。焼肉屋さんは目の前に排気口があるから大丈夫なのではないか、という私の独断でしたが、隣席どころか入店時は誰もいませんでした。

外食産業は地元経済の一端を担っています。そして街の賑やかさということを考えた場合、小売店や食事処はさらに貢献度が高いと感じます。しかし、多くのお店は小規模経営なので資金力は大きくなく、一度閉店になってしまえば復活は難しいでしょう。街が寂しくなってしまえば、人口は増えるどころか減少に拍車がかかってしまうことは明白です。そうかと言いましても、地元で感染拡大すれば営業どころではなくなることでしょう。

ところでこんな話を聞きました。地元市内では今、中学生のインフルエンザ罹患がゼロだそうです。休校ということもありますが、おそらく、コロナ対策で例年以上に皆が気をつけて除菌に取り組んでいるからでしょう。しっかり対策をしておけば、たとえば外食であれば、ちゃんと除菌をして、あまり長時間にならず、わが家であれば家族以外の方との接近を出来るだけ避けるのであれば多少は大丈夫でしょうし、経済活動への影響を最小限に留めることも可能かもしれません。

仏教では中道ということを説きます。偏らない道です。

修行しすぎても修行自体への執着心が増すますし、だかと言ってまったく修行しないということであれば、どんどん堕落していくことでしょう。偏らずにバランスを取って行動することは、仏教の修行論のみならず、私たちが普段生活していくなかでも大切なことだと思えます。バランスのとり方は状況によって異なりますが、こうしたウイルス蔓延が心配される状況下であれば、感染予防に努めつつ活動を続けることが望ましいと言えそうです。

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2020年03月02日

トイレットペーパーと自灯明法灯明

トイレットペーパー、一気になくなりましたね。すごいデマでした。そして、それに多くの人が乗ってしまった。まさに我先に、ウォシュレットの時代ですが紙は大事ということでしょう。しかし急がなくとも、普通に生産はされているとのことで無駄足だったわけです。私はと言いますと、そういうデマが飛んでいるということにすら気づいていませんでした。今回の件は乗り遅れて良かった。

仏教には「自灯明、法灯明」という教えがあります。お釈迦様が亡くなる際、お弟子さんに「自らを灯明とし、法を灯明とせよ」と諭したそうです。お弟子さんは先生が亡くなってしまうので、この先がとても不安です。しかしお釈迦様は、すべて教えてあるので、その教え(=法)によって自分自身(=自)で思考・判断せよと説かれたのです。言うなれば、変なデマに惑わされずちゃんと考えて行動せよ、ということでしょう。

多くの人が正しい情報にもとづいて、自分自身で思考判断すればトイレットペーパー売り切れはなかったかもしれません。ただし情報が氾濫する今の時代、何が正しい情報なのか、それを見分ける世間的な知恵というものを私たちが持たないとならないようです。本来は一応、正しい情報は政府からの発表ということになるはずですが、何だかあまり期待できないかなあ。

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2020年02月29日

法話会 短縮開催のお知らせ

新型コロナウイルス感染拡大防止のため、3月1日(日)14時からの法話会は短縮開催といたします。正信偈のお勤めは省略いたします。法話も30分程度のものとしまして、14時30分には終了といたします。何卒、ご理解のほど宜しくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦
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2020年02月28日

卒業式の中止もしくは短縮

新型コロナウイルスの影響により、卒業式を中止・短縮する学校が出始めています。感染拡大を防ぐためには、致し方のない判断でしょう。大学のように規模の大きい学校は短縮でも難しいかもしれません。地元小中学校でも検討がされているようです。在校生や来賓の出席を取りやめるという方法がまず思い浮かびます。しかし在校生、とりわけ小学5年生や中学2年生の出席については、送るという意味合いに加えまして、来年は自分たちが送られる立場になることへの自覚醸成という意味合いもあります。教育の観点からは、簡単に出席取りやめという判断は出来ないかもしれません。とても難しいと思います。ちなみに来賓ですが、私の個人的経験によりますと、地元議員さんは私語が多いのでそもそも出席取りやめでいいんじゃないかなあって、そんな気もします。ははは

こうした儀式というものは、宗教的な意義をもって成り立ってきたものが多いでしょう。お葬式や法事はその最たるもので、七五三や成人式などの通過儀礼的なものも、原始的には精霊や先祖霊に対して行う場合もあったかと思います。私は坊さんですので儀式を施行する立場であり、普段から儀式の意味を考えることもしばしばです。たとえばお葬式も簡略化が進んでいますが、仮にお葬式という儀式をしないとなりますと、心のなかにモヤモヤを抱えてしまう方もいるように見受けられます。すべての人がというわけではありませんが、儀式をへていないことを不安に思う方は少なからずいらっしゃるようです。

人の心は大変複雑な構造だと思います。まさにカオスであり、私たちは自分の心であってもうまく整理整頓することが出来ないこともあります。思いや考えが出しっぱなしになったり、あるいは行方不明で出て来ないということになりますと、何らかの心の病を抱えてしまうことにもなります。ある程度、人によってそれぞれ異なりますが、心は表面的にでも整理整頓出来ていないと苦しいわけです。生活の節目というものは、これはリセット機能であり、ゴチャゴチャになった部分を処理することが出来ます。大晦日・お正月を思い起こしてもらえれば、これはよく分かります。色々あった1年ですが、それを除夜の鐘とともにある程度忘れ、新たな気持ちで次の1年を過ごすということです。リセットなのです。

卒業式も儀式であり節目でありますから、やはり何らかのリセット機能を持っています。学校生活では嫌なこともあったことでしょう。それをいつまでも引き摺っていては前へ進めません。忘れていいのです。そして新たなステージに向っていくことこそ、児童・生徒には大切なことだと思います。学校は基本的には6・3・3となっているでしょう。これも途中途中で節目となる卒業があるから、児童・生徒の健康的な成長に役立っているのです。これをまとめてしまっては、うまくないかもしれません。

と言うことで、新型コロナウイルスの影響によって卒業式をまったく中止にしてしまうというのは、大学のような大規模ではないかぎり、何とか回避してもらいたいなあと思うのです。もちろん、感染につながらないよう努力をして、という限りにおいてですが。

posted by 伊東昌彦 at 08:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge