2023年02月04日

永代供養墓のご案内

善福寺の永代供養墓は1名様15万円(合葬)からとなります。ほかにも夫婦墓タイプ(個別墓)の永代供養墓もございます。ご供養には様々なお悩みがあろうかと思います。善福寺ではどんな些細なご要望にもお応えいたしますので、ご遠慮なくご相談いただければと思います。下記は永代供養墓の詳細となります。

善福寺永代供養墓
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2023年02月03日

節分で鬼はどこにいるのかな

今日は節分ですが、受験真っ盛りでもありますね。中高大とまさに本番だと思います。経験上、絶対に第一志望校にって思い過ぎないで、第二でも第三でもいいんだっていう気持ちが大切かと。

少子化でどこの学校法人も受験者集めが大変そうです。でも学校法人はあくまでも教育が目的ですから、営利に走るような真似は厳禁です。これは宗教法人にも言えます。営利以外が目的だからこそ、会社法人と比べて優遇されている側面があるからです。

鬼は外と言いますが、だいたい悪いのは自分の心なわけです。鬼も毎年大変です。節分も単なるパフォーマンスではなく、こういうことちゃんと説かないと宗教じゃなくなっちゃうよ。

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2023年01月30日

自然とは人為の届いていないこと

この時期になりますと、スキーやスノーボードのバックカントリーでの遭難が毎年相次ぎます。バックカントリーとは管理運営されたスキー場外のことで、簡単に言えば大自然の真っ只中のことです。私もスキーやスノーボードが好きなので、バックカントリーを滑走したいなあと思うこともあります。

しかし、そこは正真正銘の冬山なのです。スキーやスノーボードをするというよりは、冬山に行くと言ったほうが正しいんじゃないかなあ。冬山に対する十分な知識と経験がない私は、バックカントリーに入ることには躊躇してしまいます。

自然とは自からそうなっていることで、人為的ではないことを指します。人為的であれば、問題に直面しても何かしら解決策を見出すことは可能でしょう。人為的なのですから。しかし、そうではない自然においては、人為が届いていないわけなので、驕りは禁物かと思えます。とは言え、遭難された方であっても、十分な知識と経験があったかもしれません。とても残念です。これ以上、遭難者が出ないことを念じます。 合掌

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2023年01月13日

『御伝鈔』下段第六段「洛陽遷化」

口に世事(せいじ)をまじへず、ただ仏恩(ぶっとん)のふかきことをのぶ。

命あるものはもちろん、この世の事物は移り変わりながら存在しています。仏教では「生住異滅(しょうじゅういめつ)」と申しまして、それは生じて存在し変化して滅していくと説きます。この世とは、言い換えればこの宇宙を指して差し支えないのですが、なるほど、たしかにそのような変化をしていると思えます。銀河系のなか太陽系においても、恒星たる太陽のほか地球などの惑星もすべていつか消滅する日が来るそうです。一方、太陽よりももっと大きな恒星の消滅をきっかけとして、新しい恒星が誕生することもあるそうです。おそらく、この大きな宇宙であっても「生住異滅」のなかにあり、どの宇宙にも誕生と消滅があることでしょう。

さて、話をグッと身近に戻しまして、私たちの存在もまた同じです。草花の芽が出て成長し、花を咲かしてやがて枯れていくように、私たちもいつか死を迎えます。今回のご讃題は親鸞聖人が京都(=洛陽)でご遷化(せんげ)(=亡くなること)される際のご様子で、聖人が九十歳のときのことです。越後へ流罪(るざい)となられまして、関東をへてようやく京都へお戻りになられました。不慣れな地でのご生活はもとより、仏教の研鑽もままならぬ地方においては、ご苦労もひとしおのことであったと思われます。しかし私ども関東人にとりましては、このご縁がなければ浄土真宗のみ教えに出遇うことすらなかったかもしれず、ご恩の深さにただひたすら有難いと思うばかりです。

『御伝鈔』によれば、親鸞聖人は体調を崩されたあと、この世の諸々のこと(=世事)には言及されず、阿弥陀如来のご恩(=仏恩)深きことのみを周囲にお伝えされたそうです。私たちは死に直面したとき、どのようなことを思い浮かべるでしょう。家族や周囲の方々への感謝の気持ち、あるいは両親のこと、自分の幼いときのことを回想したりもするでしょうか。しかし、実際には死にたくないの一心かもしれません。自分自身も「生住異滅」の存在であり、いつかは死を迎えると教えられ理解してはいても、いざとなれば哀れむべきことです。

しかし、愚かであればあるほど阿弥陀如来のご恩はまた深く、私たちをかならず救い取って捨て置きません。「生住異滅」にあらがう自分の、このいかんともしがたい愚かさを感じるとき、親鸞聖人が最後にお伝え下さった仏恩の深きことは、まことに有難く、ひとえに私自身に降り注いでまいります。そして最期に、親鸞聖人はお念仏をされながら、弟様の坊舎である善法坊において、お釈迦様と同じく頭を北に、お顔はお浄土のある西に向かわれてご遷化されたとのことです。荼毘(だび)の地は京都東山の西大谷のあたり、今の大谷本廟であったと伝わります。皆様もぜひ大谷本廟へお参り下さい。

(本文は『やさしい法話』12月号へ寄稿したものです)

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2023年01月10日

成人の日に思うNHK

昨日は成人の日でした。私も昔、成人しました。しかし大学のテスト前だったせいか、何をしたかあまり記憶にありません。面倒だったので家族で写真撮影もしませんでした。当時は「めんどくさい病」だったのです。今となれば両親には申し訳なかったかもしれません。

ところで昨日の朝、7時からNHKのニュース番組を見ていましたが、NHKも変わったんだなあと思う場面がありました。

まだ7時10分くらいだったと思います。成人の日に関するニュースになりまして、振り袖についてキャスターが盛り上がっていました。いやまあ、別にいいんですが、随分早い時間に盛り上がるもんだなあと。このあとにウクライナ情勢だったので、余計にそう感じてしまいました。

「成人の日=振り袖」っていう認識も、う〜む、そりゃかなり一般的かと思うけど、成人の日は別に振り袖だけじゃないでしょう。女性キャスターに自身の振り袖事情を喋らせるのも、台本としてチープでした。

いつからNHKの朝7時はニュースショーになったのか、毎日見ているわけではないので、その変化に鈍感であったのかもしれませんが、ここ数年うすうす感じていたことを昨日、再認識しました。論理性に欠くキャスターの感想も多く、そして番組宣伝も多い。

NHKも民放と競合する時代なんでしょうか。これも時代なのかなあ。NHKは受信料収入あるんだから、それほど視聴者ウケを狙う必要はないと思うんだけど、昨今いろいろと指摘されているからか。落ち着いて見ていられなくなってしまったかな。

NHKは昔から好きなんです。シルクロードとか、野生の王国とか、よかった。ああいう番組も、少なくなったのかな。

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2023年01月09日

寒中お見舞い申し上げます(年間主要行事予定)

寒中お見舞い申し上げます

皆さま穏やかに迎春のことと拝察申し上げます
令和五年の主な行事予定は次のようになっております

・八日講     四月八日(土)    講師 当山住職
・眞楽寺報恩講  四月十六日(日)  講師 当山住職
・報恩講逮夜  十一月十八日(土)  献能 中森貫太師
・報恩講日中  十一月十九日(日)  講師 伊東佳子師
              ともにお勤めいたしましょう
令和五年一月九日
浄土真宗本願寺派 善福寺

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2023年01月01日

本年もよろしくお願い申し上げます。

昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年は新型コロナウイルスの世界的流行と、ウクライナでの戦争があり、今もなお続いている状況です。少しでも世界が平和へ向かうよう願うばかりですが、何事も無関心であることが物事の解決を遠ざけているかのように思えます。私たちもいつ同じような状況になるか分からないなか、自分事として捉えていくことの大切さを再確認いたしました。

私は今年、50歳を迎えます。

この半世紀で世界は大きく変動いたしました。これからの半世紀が命を重んじる半世紀になるよう強く念じます。私がいつ死を迎えるかは分かりませんが、一所懸命に生きていこうと思います。どんな命でも一所懸命に生きています。それは誰にも侵されることのない命の尊厳です。誰だって基本的には生きたい。それこそが宇宙における命の営みだからです。

合掌

posted by 伊東昌彦 at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 教え〜事事無礙 -jijimuge