2020年09月20日

秋季彼岸会のご案内

今年の秋季彼岸会は、9月22日(火、秋分の日)午前11時から善福寺本堂での修行となります。新型コロナウイルス感染予防の観点から、本堂へご参拝の際はマスク着用、手先の消毒をお願いしております。どうかご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。

善福寺住職 伊東昌彦

〜夫婦墓のご案内〜
夫婦墓「えんまん」に5名様(最大8名様)までご納骨いただける、ロング区画をご用意いたしました。ご夫婦はもちろん、ご家族やお仲間でどなたでもご一緒に入っていただけます。善福寺サイトにご案内を掲載しましたので、ご覧ください。

http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi

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2020年09月05日

明日は久しぶりの法話会

明日は久しぶりの法話会です。勤行も含めて1時間以内に終わるよう短縮しました。10月末には報恩講がありますが、こちらもお逮夜のみの短縮開催とします。短縮でも良いので、何かしら始めていかないと忘れてしまいそうです。4月からの新入社員がコロナ禍のため自宅待機となり、それでもお給料がある程度出るので働くのがめんどくさくなってしまった、という記事を見ました。これはまずいですね、人は低いほう低いほうへ転がっていく性質があります。怠惰です。自分を律しなければ煩悩はどんどん増幅しますので、これは困ったものです。

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2020年08月21日

法話会再開のご案内

コロナ禍のなかではございますが、法話会を再開することとなりました。勤行と法話の時間を短縮しまして、あまり長時間にならぬよう配慮いたします。本堂内ではマスクをしていただき、手の消毒、余裕をもった着席をお願いしまして、感染リスク軽減にご協力いただければと思います。

善福寺法話会

9月6日(日)14時から 15時頃には終了予定
勤行:『讃仏偈』(『正信偈』は中止いたします)
法話:当山住職(短めな法話となります)

皆様、お参り下さい。なお、この時期、本堂内は大変暑くなっておりますので、その点もお気をつけていただければと思います。よろしくお願いいたします。

住職 伊東昌彦

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2020年08月14日

坊さんとして思う言葉「英霊」

明日は終戦の日ですね。「英霊」という言葉があります。仏教では本来的には使用しません。もとは中国古典に見られるようですが、私は門外漢なので手近なところでウィキペディアで調べてみました。「英華霊秀」という言葉に原意を求められるようです。道教の「気」も関与する言葉のようですが、四字すべてが「すぐれている」という意味に通じていますので、これを人にあてはめれば「すぐれた人物」という意味合いになることでしょう。道教的に言えば仙人とまでは言わずも、すぐれた「気」を持っている人ってことでしょうか。

それで「英霊」というように二字のみ抽出すれば、とりわけ「霊」には「すぐれている」という意味のほか、「死者の魂」という第一義的意味がありますので、「英(すぐ)れた霊魂」という意味合いが強調されることになると思います。仏教、とくにインド仏教には「霊魂」という考えは本来的には存在せず、むしろ否定的です。日本仏教では、宗派によっては霊魂という言葉の使用も見られるようですが、これは中国思想との習合によるものです。ちなみに浄土真宗では使用しませんので、私にとっても霊魂という言葉は身近ではありません。

霊魂が何なのかというのは、上記のような事情もあるので私にはよく分かりません。イメージとしては、亡き方の死後精神というようなことになるのかなあ(ちなみに、唯識で言う阿頼耶識とはまったく違います)。おそらく、根源的なものとの合一には至っていない状態で、まだ生前の個性が保たれており、場合によってはある程度意思があるのかと思います。幽霊なんて意思丸出しですよね。怨んで出てくるわけですし。とまあ、かなりいい加減な規定にはなってしまいますが、おそらく、多くの方も厳密には霊魂が何なのか分かっていないと思うので、この程度のイメージで良いかと思います。

そして、「英(すぐ)れた霊魂」ということになりますと、どの点が英(すぐ)れているのかと言えば、それはもちろん生前の行いということになるのでしょう。死後の行いは不明ですし、当然、生前だと思うのです。日本で「英霊」という言葉を使用する場合、これはとりわけ日露戦争や第一次世界大戦、第二次世界大戦で戦死された方の霊魂を敬ってのこととなります。戦争で国家に殉じたと方と言っても良いので、この点において「英(すぐ)れている」と言えるのだと思われます。

今の平和、現代日本の平和というものは、こうした方々の犠牲の上に成り立っていることは言うまでもありません。戦死された方、戦病死された方、戦争による攻撃で亡くなられた方、戦争の関連で亡くなられた方、たくさんの方々が戦争で命を落とされました。おそらく、日本や家族を思って亡くなられたことでしょう。たくさんの方々の犠牲によって、私たちの今日一日があるのです。原爆の日をへて終戦の日が近づくにつれまして、毎年厳粛な気持ちになってまいります。今日という日を「あたり前の一日」だなんて思っては、本当に申し訳ないことです。

私は坊さんとして、「英霊」という言葉からは距離のある立場であり、いわゆる「霊魂」の存在を全面的に肯定しているわけではないのですが、戦争で犠牲になられた方々を敬う心はしっかりと持ち合わせています。もし仮に、そうした方々すべてを指して「英霊」と言うのであれば、それはそれで問題ないと思います。ただし、実際には戦死された方々に限定して使用されていることがほとんどだと思われますので、そこには聖戦的に戦争を賛美する志向を孕んでいるような気がしてなりません。国家に殉じることは尊いことではありますが、亡くなられた方々の思いをあわせ考えてみますと、安易な使用かなとも思えてきます。

そもそもの原意を訪ねてみましても、生前にすぐれた行いのあった方を指して「英霊」と言うことになるので、この言葉をとりわけ戦争に関係づけて用いること自体、果たして相応しいのか問題ではあります。原意とは独立して規定されている言葉であれば、容認できなくもないのですが、一般的な使用に耐え得るほど人口に膾炙していると言えるのでしょうか。もちろん、「英霊」という言葉を使われる方々の気持ちも理解できるのですが、聖戦的に戦争を賛美しているかのような場面で使われてしまっていることもあり、難しさを感じます。

戦争で亡くなられた方々を悼むことは、今を生きる日本人すべてにとって必要なことです。しかし、それはどんな戦争であっても、その戦争という行為自体を容認することであっては決してなりません。言葉を選ぶことは難儀なことなのですが、「英霊」という言葉に対しても、どういう方々を対象として使うのか、どんな場面で使うべきなのか、もっと議論があっても良さそうなものです。昨今、そういう気配はあまり感じられませんが、安易な戦争賛美が深まっていかぬよう、慎重にあってもらいたいものです。

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2020年08月04日

意外と近い、山中湖

先日、山中湖まで行く機会がありました。山中湖は富士五湖のなかでも神奈川寄りなので、実はお寺から車で30分程度で着いてしまいます。南足柄から山北、そして小山を通って三国山経由で行くと近道なのです。観光の方は少なめでしたが、車は神奈川県ナンバーのほか、埼玉県や千葉県のナンバーも見受けられました。しかし、東京都は多摩ナンバーは見かけましたが、23区ナンバーはほとんどいなかった印象です。23区の方は自粛されている方が多いのかもしれません。8月ではありますが、観光業はやや寂しい様子でした。

山中湖は標高も高いせいもあり、南足柄とは空気が違います。箱根と南足柄は同じですが、緑の香りが違うのです。植生が異なるので当然かもしれませんが、距離的に近くても遠くに来たような気になります。ちなみに鳴いている蝉の声も違いました。アブラ蝉っぽい鳴き声でしたが、こちらのアブラ蝉とは音色が異なっており種類が違うのかもしれません。滞在は長くありませんでしたが、なんだか妙にリラックスできて嬉しいひと時でした。

不思議なもので、人は何故、「いつもと同じ」という事柄に対して「飽きる」という感情を懐くのでしょうか。同じであることは有難いと思いながらも、やはり飽きていること多いと思います。新しかったり久しぶりだと何故か嬉しいとか、そんなのありますよね。

生物学的(?)に言えば、強く生き残るために新しく別の環境を常に求めているから、とか言えそうですけど、仏教学的には何でかなあ。いつもと違うものを求めるということは、それはもちろん「少欲知足」の正反対のことで、「強欲」で「不足」であるからに他なりません。やはり煩悩によっていると言えそうですね。

しかしまあ、そんな小難しいこと考えると、せっかくのリラックスも効果が薄れそうですので、あまり仏教学的に解明しないようが良いかもしれません。

posted by 伊東昌彦 at 13:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 仏教 住職恣意 -jyushokushii