2017年07月22日

三十三回忌法要を若手僧侶が行う

日航機墜落事故から満32年を迎えるということで、三十三回忌法要を若手僧侶が行ったようです。40代以下ということでしたので、年齢的には私も同じぐらいです。おそらく小学生のとき、この事故の報道に触れたことでしょう。ご遺族の方々がどのようなご心境でおられるのか、私には思いはかることが出来ません。大変な事故であったという記憶とともに、もう三十三回忌なのかという、どこか他人事のように感じてしまう自分に恥じ入るばかりです。坊さんはお経読んで、人の話を聞いておくぐらいしか出来ないわけですが、それでもなお、こうして袈裟をつけて行動することは、多少なりとも人々の心を潤すことになるかもしれません。

ちなみに、写真を見る限りにおいて、どうやら浄土真宗系の坊さんはいなかったかな。参加されていたら申し訳ないです。浄土真宗でも三十三回忌法要をしますが、鎮魂や慰霊はしませんので、その意義が前面に出ている時は足並みを揃えづらい。今回はどうだったのでしょう。しかしまあ、教義的に認められないのは分かりますが、そんなこと一般社会ではどうでもいいことなんじゃないかな。坊さんは坊さんなんだから、自分たちだけ不参加というのは、もういい加減やめたほうがいいと思う。仏教教団は危機的状況なんだし、今だからこそ、もう一度、鎮魂や慰霊について再考すべきでしょう。

もちろん、たしかに浄土真宗は即成仏なので、即成仏じゃない宗派の方々と話をしていると、個人的に擦り合わせるのは結構難しい。違和感があるのは間違いないんだけど、そこは「慣れ」だと思います。しっかり勉強をしていれば、おそらく慣れることが出来る。私もようやく、本当にようやく慣れつつあるような気がしています。浄土真宗は組織が大きく、色々と自分たちだけで出来てしまうことがあります。だからでしょうか、他宗派との連携には消極的なところがある。大組織に属することの弊害の1つだと思いますが、視野が狭くなり、自己都合での判断に満足してしまうのは良くないことです。
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2017年07月13日

時間の経過は早いもので

昨日、44歳になりました。もちろん、家族は誰も気づかず。さ〜と1日が過ぎ去っていきました。諸行無常です。学生時代はついこの間のように思えますが、もう20年も経過してしまったようです。時間の経過というものは不思議なものです。時間という前提に人はいるのか、それとも時間なんて気のせいなのか。仏教は後者の立場です。諸行無常だから時間があるように思えるだけと観ます。諸行は心によっているので、心に変化がなければ時間なんて存在しません。

さて、時間はどう考えるべきなのでしょう。入不二基義先生の『時間は実在するのか』(2002年、講談社現代新書)を読んでみようと思います。

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2017年07月03日

六福寺めぐり 2017

6月29日(木)に「南足柄 六福寺めぐり お坊さんとQ&A」が開催されました。26名のご参加をいただきまして、六福寺をめぐったあと、南足柄市女性センターでQ&Aをいたしました。ご参加の皆様方、有難うございました。心より御礼申し上げます。

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写真は弘済寺での護摩祈願の風景です。手前の太鼓、私が打たせていただきました。護摩に参加するのは、もちろん初めてです。皆様の願いはちゃんと仏様に届いたでしょうか。リズムがいまいちでしたので、ちょっと心配です。

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2017年06月26日

宗教心を身につけること

宗教には様々な効能があると思います。たとえば、仏教では四苦八苦と言いまして、生・老・病・死という4つの苦と、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦というさらに4つの苦をもって人生を捉えます。詳細は省きますが、前者は生死についての苦悩で、後者は人間関係や所有欲、そしてそもそも身体を持っていることについての苦悩です。こうした苦悩を乗り越えていく道が仏道であり、その教えが仏教となります。

この他、私が重視していることは、宗教がもたらしてくれる謙虚さです。宗教は人知を超えた存在を想定しまして、それとの対立において人の弱さをあらわにしていきます。人は不完全なのだという認識は多くの宗教で共通項となっていることでしょう。人は決して万能ではなく、理性的論理的に思考したつもりでも、それを実行することは困難を伴います。困難を克服するため、また思考に思考を重ねても、皆がそれについて来られるわけではないでしょう。

驕りを消し去ることは困難です。自信と驕りは紙一重ですが、このバランスを取ってくれるのが宗教ではないかと思っています。常に謙虚に、ひざまずくほど謙虚に思考することがなければ、自信はすぐに驕りへと変貌していくことでしょう。驕りは理性や論理を機能不全に陥らせるものです。神仏に導かれている自分なんだと思えればこそ、利他の心が芽生え、よりよい社会を構築するための知恵が思考によってもたらされるのではないでしょうか。

こうした意味において、宗教はどの場面でも必要であり、こうした宗教心を身につけることを大切にすべきです。とくに子を教育することにおいて、手を合わせたり、神仏をイメージさせることは効果的でしょう。自分たちは大きな存在から恵みをいただき、もたらされたはたらきの上に生かされていると感じられれば、自から感謝の思いも深まっていくと思えます。有難いと思える心を育むことは、われわれ大人の責務です。

ところで、キリスト教のミッション校はいくつも有名な学校がありますが、伝統仏教においても、ミッション校に相当する宗門校という学校はいくつもあります。神奈川県の中高では臨済宗の鎌倉学園や時宗の藤嶺藤沢、そして東京都では天台宗の駒込、浄土宗の芝、曹洞宗の世田谷学園と駒沢女子、浄土真宗の千代田女学園と武蔵野女子学院などがあります。一般的にはあまり目立った存在ではありませんが、それぞれ宗教教育を大事にしている学校です。

こうした宗門校に入学したからと言って、いきなり宗教どっぷりになるわけではありません。この点はおそらく伝統的なキリスト教ミッション校でも同じだと思います。礼拝に参加したり、それぞれの宗旨に則った宗教や倫理の授業がある程度でしょう。礼拝が強制参加ではない学校もあるかと思います。学校によってまちまちなので、詳細は学校サイトをのぞいていただければと思います。

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2017年06月12日

後継者がいなくても大丈夫、永代夫婦墓

お墓というものは、伝統的には「家」のものであり、その「家」の方々が代々入るようなシステムになっています。今のように遺骨を納めるタイプになったのはそう古くなく、火葬が一般化した戦後のことです。少子化の現代、「家」を代々守ることはとても大変なことになっていますが、お墓にも色々な種類のものが出てきました。

善福寺は後継者がいなくても心配のない夫婦墓がございます。ご夫婦お二人で入っていただく個別タイプの永代供養墓です。永代供養墓には合葬タイプと個別タイプがありますが、こちらは個別でありますので、従来のお墓と同じようにお参りしていただくことが可能です。

詳しくは善福寺ホームページをご覧ください。
http://www.zempukuji.or.jp/eidaikuyoubochi
(画面を下にスクロールしていただきますと、夫婦墓が出てきます)

費用は墓石代と永代供養懇志も含めまして、ご夫婦お二人で100万円となっております。年会費はかかりませんので、これ以外には費用のご心配はございません。なお、ご夫婦お二人が原則ですが、4名様まで納めていただくことが可能です。三人目からはお一人様15万円の追加懇志をいただいております。

是非、ご検討下さい。

宗教法人善福寺
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